私は、子供時代は、決して恵まれているとは言えない状況の中で、育ちました。
私が幼稚園に通い出した頃、母は家計を助けるために、 働き始めました。その内、夜も昼も、私と弟の二人だけで、家にいるという事も多くなりました。そして、ある日、母は突然、家に帰って来なくなってしまいました。家出でした。
母がいないので、祖母や父が、私達の面倒をみてくれていました。特に、弟は、まだ2才だったので、母親の愛情を十分受けられず、 大変寂しい思いをしたと思います。
それから、母は戻って来ましたが、家出ぐせというのでしょうか、又、出て行っては、1、2年して戻って来る・・ といったことが、私が小学6年ぐらいまで続きました。そのため、母が戻って来ても、又、出て行くのではという不安いつも私を暗くさせていました。
でも、 その不安とは、裏腹に、表面では、元気に明るく振舞って、先生方からも、良い子と言われていました。
でも、それは幼い頃から、大人達の汚くて、醜い面を見てきたために、いつも彼らの顔色を伺って行動するという事が、 身についてしまったからだと思います。母親に、何度か見捨てられてとても辛い経験をしました。人に嫌われたくない!という気持ちが、大きくなっていったのです。
中学時代は、風紀委員長、高校時代は剣道部の部長などをして、良い路線から外れまいと、頑張って来ました。
でも、人から褒められても、心の中はいつも「人に見捨てられるのではないか、実は、皆に嫌われているのではないか」 という不安で一杯でした。
理由もなく、悲しくなり、一人でよく泣いていた事もありました。実は、私は、キリスト教に、深い興味を小さな頃から、ずっと持っていました。
何度か、教会へ行ってみたいと思いながらも、一体どういった教会へ行けばよいのか、わからないので、行ってなかったのです。
何か、心の不安を取り去ってくれるものを、無意識に求めていたのだと思います。高校を卒業して、医療秘書の専門学校に進学しましたが、一人暮らしを始めた事もあり、生活は、 どんどんずさんなものになって行きました。
最初の1年は、どうにかまともに勉強していましたが、2年目からは、学校へもろくに行かず、毎夜、友達と、夜の街へと繰り出しては、 飲み歩き、明け方、空が白々と明けてくる頃、帰る日々を続けていました。こんな目茶苦茶な生活をしていたにも関わらず、世渡り上手な私は、何事も無かったかのように、無事学校を卒業し、 広島の信用組合の本部へ就職したのです。
しかし、社会人になってからも、私の生活は、変わるどころか、悪くなる一方でした。私は、小さい頃から、不思議なものを見たりする子供でした。(今思えば、サタンの誘惑だったのですが)。 特に、専門学生時代から、社会人になりたての頃、恐ろしい経験をしていました。
サタンが、私を本当に、役に立たない、ダメな人間にしたかったのでしょう。 毎日と言っていいほど、金縛りに会ったり、悪魔のようなものに「お前が、必要なんだ!」と、耳元でささやかれたり、手首を捕まれたりしました。
そういう事も重なって、私は精神的にまいってしまい、仕事を辞めてしまったのです。 それから、遊び回る事が、いっそうひどくなり、本当に色々な事がありました。 そんな中で、今の主人と出会いました。
やがて、結婚も決まり、私も仕事を始めて、落ち着いてきた頃、教会のクリスマス会のチラシを見つけたのです。 そのチラシに、心を惹かれ、その日は体調が悪く、仕事を休んでいるにも関わらず、その教会に行ってみたのです。
そこで、初めて、イエス様の十字架の意味を知ったのです。 その日は、イエス様を受け入れませんでしたが、私の求めていたものは、もしかして、これではと思いました。
教会の姉妹が、度々電話をくれて、少しづつ教会へ行くようになりました。 そしてある日、イエス様を自分の救い主として、受け入れました。それから、私の人生は、少しづつ変わりました。いつも持っていた、何とも言えない不安感、寂しさも、無くなって行き、一人、部屋にこもって、泣く事も、恐ろしい経験をする事も、無くなりました。
イエス様に、出会う前の私は、本当にみじめでした。友達がいても、心の中はいつも、孤独で一杯でした。私の本当の姿を知ったら、皆、私から離れて行ってしまう、と恐れていました。
でも、それは間違いで、本当は、一人の人が、どんな時でも、一緒にいて下さる。 そして、その人が、神でもあられる、イエス様なのですね。「わたしは、あなたを捨てて孤児とはしない」と、イエス様がおっしゃって下さっています。これは、私の生涯の励ましとなって行くでしょう。
私の、今の一番の祈りは、私と一緒に寂しい思いをした、弟が、イエス様の愛に触れて、立ち直ることが出来るように、ということです。