[信仰体験談バックナンバー]

絶望の日々を経て


                  私は、58才になります。5年前の誕生日に教会を訪ねました。 なぜ誕生日に訪ねたかといいますと、色々ありまして、来たかったのですが、ただ敷居が高くて、訪ねる事ができない状態でした。 でも、せっぱ詰って、どうしても行かなければという状態でした。
ちょうどその日、誕生日と日曜が重なったので、今日だと思いで、出向きました。 “本当の我が家に帰った”という気持ちで、椅子に座ったのが忘れられません。

つい先日の事です。私達にはとても些細な事と思えることで、長男と言い争いになりました。 病気になったのは、お前ら親のせいだ。子供のいう事を無視して、耳を貸そうともしなかった。 ばかにして笑っていた、お前ら二人のせいだ。
息子は、俺は絶対に許さない。土下座して謝れというのです。今25才になります。 医者からは、精神分裂病という病名を与えらえています。それに、強度の強迫性障害があります。

私が、息子の言動に少し変だなと気がついたのは、彼が小学校6年の時のことでした。 学校から帰ると、学校で友達に触られると、とても嫌な気持ちがしたとか、 道路でバナナの皮を踏んだら、とても嫌な気持ちがしたという事があったのですが、 私は、そうかそうかと、聞き流すだけで、気きにも留めませんでした。

しかし、それは今から考えると、息子が出していた危険信号だったのでしょう。 当時の私には、強迫性神経症という病気さえ、知りませんでした。 妻は、そういう事には私以上に無知でしたが、母親としての直感で何か変だと、 私より先に気づいたようですが、しかし、それほど気にもする事は無いと思っていたようです。
当時の私は、40代の働き盛り、それに念願のマイホームもやっと手に入れ、仕事一筋、 子供は親の背中を見て育つものと、日夜、働いておりました。
しかし、心を病み始めていた、まさおにとっては、そんな親の姿は、背中は、 子供の事を無視して自分の事しか考えていない、冷たい親としか思えなかったのでしょう。

ところが、仕事人間の私にも、暗い影が差して来ました。 マイホームを手に入れて、 人生の喜びを感じていた矢先、同じ会社の専務であった、兄が会社の金を使い込み、発覚し、 即刻解雇となりました。この私も、兄弟で会社の金をごまかしていたのではないかと、 同僚には、そう思われているのではないかとの不安で、段々と仕事に対する意欲を失って行きました。
出勤しようと、玄関まで出ても、急に身体が動かなくなる事があり、妻は目に涙を浮かべ、 会社に行きたくないと言って、立ち尽くす私を、涙を流しながら、 私の背中を無理やりに押して玄関の戸を閉めました。 妻も、どんなにか辛かったろうと思います。

息子も、中学受験になり、私達も、 彼の異常な言動が普通ではない事に気づいたのです。 そんな状態の時で、これから間もなく、息子の家庭内暴力が始まり、壁は穴だらけ、 戸やふすまが壊れて、家の中は目茶苦茶の状態で、息子は、病院の精神科にかかるようになりました。
ただ親が行って、薬をもらって来て、息子が飲むという状態でした。暴力は日増しにひどくなり、 私は顔を殴られて、腫れ上がり、会社に出られぬ事が度々あり、妻も身体中、あざだらけ、 鎖骨を折って、ギブスを半年間付けたままという、最悪の状態にまでなりました。

しかし、苦難は、まだ容赦無く降りかかって来ました。当時、母は、母の実家の近くに住んでいたの ですが、悪事千里を走るの例え通り、会社の金を着服した、兄の噂が伝わり、 肩身が狭くて住んでおれないと、毎日電話をして来ました。
やむなく私の家の近くに平屋を借りて、住まわせるようになったのですが、息子が、 高校へ上がった頃から、起き始め、その内食事も思うように作れなくなり、夜は、 私が会社の帰りに寄って、夕食を作って、一緒に食事して、我が家に、寝に帰るという生活になりました。
ぼけた母は、あの時、お前に食事まで作ってもらって、世話になろうとは思わなかった。今夜もご馳走で、 正月が来たようだと言いました。私は小さい時から病弱で、本当に頼りにされない者であったのです。
それに引き換え、兄はいつも学年でトップの成績、自慢の息子でした。さぞかし、 母にとっては無念な事であったと思います。

当時の私には、絶望の日々でした。息子と一緒に、死のうかと何度か思ったのですが、 そうした時に、手にしたのが戦死した父の、今はただ一つの遺品である、古ぼけた一冊の新約聖書でした。 こうして、私はその聖書を読みあさり、その中のヨハネ3:3 「人、新たに生まれずば、 神の国を見ることあたわず。」その言葉が、どうしても頭から離れず、先ほど話しましたように、 意を決して自分の誕生日に、もし、生まれ変わるなら、この日しか無いという思いで、 教会を訪ねたわけです。

この聖書が無かったら、私は、今ここに立ってませんし、 本当に神様に拠り頼んで生きる事も出来なかったと思います。 息子の病気も、あい変わらずという状態ですが、当時は、本当に、もうどうする事も出来ない 自分自身が追い詰められて、惨めな状態でした。 現在は、すべてを委ねて歩める、そういう日々を与えられて感謝しております。