[信仰体験談バックナンバー]

寝たきりの生活から喜びへ
  
                
私は、16才の秋、イエス・キリストを個人的救い主として、信じ受け入れました。
そして、19才の時、ルカ5章の「人間をとる漁師になりなさい」との御言葉を通して、 私の全生涯をイエス・キリストのために献げました。
その時思いました。 神様に、全部お献げしたのだから、神様は、私に沢山の祝福を用意しておられるに違いないと。

でも、その思いとは裏腹に、献身して1週間後に、「あなたは、 パセドウ氏病で、それもひどい状態なので・・1ケ月自宅療養をするように。」と、医師に言われました。
それから、パセドウ氏病の症状は、段々とひどくなり、食べても、食べても、消化不良便、 心臓は破裂しそうなほど、脈打ち、運動も、階段の上り下りも禁止され、手は震え、 手の皮膚はズルズルにむけ、顔も頭も洗えない状態になりました。

最後に、賛美する事も、心臓に負担が行くので、してはいけないと言われ、本当にただ毎日、 毎日、ベッドに横になっていました。 そして、横になり、神様に話しました。「どうしてですか?」。
涙がとめどもなく流れ落ちました。その時、神様は「一羽のすずめ」の賛美を思い起こさせて下さいました。
一羽のすずめでさえも、決して神様の許しなしには、地に落ちる事がないのだから、 神様は、私の事を覚えておられる。決して、見捨てない、見守っておられる。

その他、多くの兄姉の執りなし、励ましの言葉は私を支えてくれました。
「神様のなさることは、すべて働いて益となる。」「わたしのしていることは、今は、 あなたには、わからない。しかし、後で、わかるようになる。」
特に、この二つの御言葉にすがりついていました。ですから、神様に対する不信感はありませんでした。

その後、薬の量が段々増えて行き、ある時は、顔がお月さまのように、 パンパンにまん丸に腫れ上がった事もあります。
でも、そんな時にこそ、神様に心からの礼拝を献げようと、神様は私の思いを導いて下さいました。

今、振り返ってみて、私にとって、病気になる以前は、私が生きていると思っていました。 でも、この病気を通し、生かされているという事も教えられました。
鉛筆も歯ブラシも、持ってなかったので、鉛筆が持てる事が感謝でなりませんでした。 指が、曲がるという事も、当り前ではない事を教えられました。 自分で、自分の顔が洗える、なんと、素晴らしい事でしょう。

何よりも、賛美を大声で出来るようになった時の喜びは、忘れる事が出来ません。
ですから、献身して、私が考えていた以上の素晴らしい祝福を、病気を通して与えて下さいました。

<わが礼拝>

わがうめきよ。わが賛美の歌となれ。わが苦しい息よ。わが信仰の告白となれ。
わが涙よ。わが歌となれ。主をほめまつる。わが歌となれ。
わが病む肉体から発するすべての吐息よ。呼吸困難よ。咳よ。主を賛美せよ。

わが熱よ。汗よ。わが息よ。最後まで、主をほめたたえよ。

この詩は、肺がんで、天に召された、原崎百子さんの詩です。
私には、とうてい及びもつかないものですが、このようでありたいと思います。