自閉から解き放たれて

            

私は、幼い頃から、わがままに育ちました。同時に、何をやってもダメな子でした。
誰にも解ってもらえないという、気持ちを、激しい感情をどこにぶつけていいのか解りませんでした。

中学生になっても、やりきれない思いでいっぱいでした。
何度か、茶番で自殺をほのめかしては、泣き叫び暴れ、まるで獣のようでした。
高校生になっても、満たされない思いは変わらず、愛情を求めて、飢えていました。

やがて、進路の選択を迫られた時、私は看護婦を志望しました。
何か、人の役に立ちたいと思いました。しかし、裏返すと、自分よりも弱い立場の人達に認められたかったのです。
又、私でも、良い事が出来る事を確認したいという、高慢な理由でした。

補欠で、看護学校へ入学する事が出来ました。
そこでは、人に認められたくて、がむしゃらに勉強し、知識の吸収と、レポートの作成に励みました。
精神的な安定が無いところに、許容量オーバーだったと思います。
この時、過食症になり、週末に寮から家に帰ると、食べまくり、寮に帰っては、吐いていました。
何かにしがみつきたくて、何でもよいから、藁にもすがりたい思いでした。
友達に誘われるまま阿含宗に入り、毎日修業すれば、必ずよくなると信じて頑張りました。

看護婦になり、その時は、患者さんの事を考えている、良い看護婦と思っていました
が、結局は、自分の見栄のためでした。業務が正確に速くこなせて、うわべだけの笑顔を絶やさない、 人間性の無い看護婦として働いていました。

その内に、アメリカでの研修が決まり、渡米しました。
今まで、与えられた事のみをこなしてきた、私にとっては、そこでは、ショックの連続でした。
自分で考えて、積極的に、率先して、仕事をしなければならなかったからです。
私にとって、一番出来ない事でした。 看護婦としての自信を全く失いました

1年後、帰国しても、その後遺症は残っていました。
出来ない自分、弱い自分を認める事が出来ませんでした。プライドが許しませんでした。
出来るはずだと、気負って頑張るのですが、しまいには、被害妄想に陥りました。
人が怖くなり、仕事をすっぽかすようになりました。
自分で、辞める勇気もなかったので、神経科の先生に、診断書を書いてもらい、辞めました。

今、考えると、神様は、全てをご存じで、これが最善でした。
私のひどい状態を知りながら、4年間付き合ってくれたのが今の夫です。
彼が岩国へ帰って来て、結婚しました。
1年後、彼の父の危篤の知らせを受けて、急にアメリカへ渡りました。 知らない土地での出産、主人の家族との付き合い、孤独、嫉妬・・私のストレスのはけ口は、主人と子供達だけで、 私の心の中は、不平不満でいっぱいでした。

その主人が、3ケ月の出張に出た時でした。1才と2才の子供を抱え、取り残されたやりきれなさで、 不安と不満と孤独で、毎晩泣きました。
それが、ちょうど主人の甥の肝移植の手術と重なりました。
なぜ義妹はあんなに助けられて、 私は助けてもらえないのかと、自己憐憫と嫉妬と怒りが、姑に対して、向けられました。
私は自分から、きちんと助けを求めることをしないで、ただ、すねて、いじけて、ひねくれていました。

親族や姑に対する、憎しみと怒りが爆発した時、2才の子供をひどく殴っていました。
私さえ、いなければいいんだ、私さえ、この世からいなくなれば、主人も子供達も幸福になるんだと、心を屈折させて、 罪から逃れるため、死のうとしました。
花粉症のために持っていた薬を、1瓶全部飲みました。

『欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。』ヤコブ1:15

薬を飲んだ後、当てつけで、主人の職場に電話をし、恨みごとを言いました
主人は異常を察し、すぐに帰宅してきました。その時の主人の、深い悲しみと怒りの混じった 何とも言えない表情を、今でも忘れる事ができません。

私は、感覚が麻痺し、ボッーとしたまま、何もわからず、救急車で病院へ運ばれました。
病院で、すぐさま胃洗浄がなされ、一命を取りとめました。
その病院は、主人の職場でもありました。医師をしていました。
そのところへ、自分の妻がこのような事態で、運ばれてきて、それを手当しなければならない、 主人の心はどんなだったのかと思うと、いたたまれません。

仕事が大変だったにもかかわらず、その仕事をすべて置いて、黙って、ずっと私に付き添ってくれていた、 主人のことが忘れられません。

それから、数ケ月後、岩国へ戻るチャンスが与えられて、帰国しました。
私自身、何も変ってはいなかったのです。幼稚園の息子の喧嘩の事で、相手が許せず、周囲を責めて、自己憐憫と不満と怒りの中 で苦しんでいました。

ちょうどそんな時でした。私に、近所のクリスチャンの婦人が、お昼を一緒にしようと声をかけて下さったのです。
一緒に食事しながら、いろいろと話を聞いてもらっている内に、「今度、教会へおいで。」と誘ってもらいました。
そこへ行けば、私には、どうにもならない、どうも出来ない気持ちを、満たしてもらえるかも知れないと思いました。
教会へ出席するようになりました。

教会へ通う内に、嫌な事、不都合な事は、今まで、人のせいにして、人を責めて、逃げてきた 自分、偽善の姿が見えてきました。
周囲にでなく、私自身に『罪』のある事が少しづつわかってきました。

そんな私に、神様は、落ち込むつど、逃げたくなるつど、続けて「愛しているよ。」「決して変らない愛で愛しているよ。」と 追いかけて、語り続けて下さいました。
「失敗を恐れなくてええよ。失敗してええんよ。」「出来んで、当たり前なんだよ。」 「頑張らんでええん。」「罪人のままでええ、罪人のままでおいで。」と、声をかけて 下さいました。

この時に、私は、私の罪のために十字架で死んで下さった、イエス様を信じ受け入れました。

そうか、出来ないのに、偽善者ぶらなくても、嘘をつかなくてもいいんだ。
たとえ、この世の中の人、全てに嫌われても、私が嫌なやつでも、神様は、見捨てないで愛していて下さる。

「このままで、ええんよ。任しときんさい。私が変えたげるけえ。」と、神様が大きく手を開いて、 赦していて下さることに気づき、いい人ぶらなくても、逆に、悪いんだと、ひねくれなくても、 ありのままの私でいいと、わかった時、嬉しくて、感謝があふれてたまりませんでした。
建前でなく、本当に平安に自由になりました。

もう、他の人に、良く思ってもらおうと努力しなくても、まだ、勇気がいりますが、 正直な気持ちを、少しづつ言えるようになりました。
変えて下さいました。 私は、まだまだヨチヨチ歩きのクリスチャンでこれからも沢山の罪を示される、こけると思います。

でも、もう私には、神様がおられるので、逃げなくても、泣き叫ばなくても落ち込まなくても、 そして、死ななくても、再び、立ち上がって、新しく歩んで行ける者に変えて行って下さると、信じています。
神様を見上げ、従って行きたいです。

こんなにも罪深い私を、見捨てずに、ずっと寄り添ってくれている主人、家族、そして、 いつも導いて下さっている芝山先生、多恵子先生、そして兄弟姉妹の方々を、私に与えて下さった神様に、心から感謝しています。                      


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