[信仰体験談バックナンバー]

わたしの目には、あなたは高価で尊い


         

イエス様を信じるまでの人生を振り返ってみますと、私の人生の価値観は、目に見えるものにありました。
お金、物質、学歴、家族、それに支えられて、生きてきました。
目に見えるものに頼るため、いつも他人と自分を比較して生きてきました。
他人より優れていれば、優越感を感じ、劣っていれば、ひどく嫉妬し、他人が賞められれば、心の中が不安で一杯になる、 そのような平安のない、惨めな人生でした。

そのような生き方が、足元から崩されたのが、5年前に主人と共にアメリカに渡った時でした。
結婚して、1年6ケ月の娘と一緒に、初めての外国生活でした。
右も左もわからず、言葉も満足に通じず、友人もおらず、親元から離れ、蓄えてきてお金も底をつきました。
今まで、自分の足元を支えていた土台が、崩れ去って行くのがわかりました。

だんだんノイローゼに陥り、主人とも口をきかず、家にこもりきりでした。
昼と夜の生活が逆転し、娘の世話をするのが、やっとの最低限の生活でした。
アメリカ人の夫も心配し、日本語を話す精神科医を捜してくれたり、励ましてくれたりしました。
が、何とも言えない寂しさと、 怒りと、虚しさで、何もせず、何週間も病気だと偽って、ベッドに伏せっていました。

そんな時に、近所の婦人が、教会へ行く事を勧めてくれました。
始めは、友人欲しさで、教会のベビーシッターの お手伝いをしたいと、申し出ました。
その内に、婦人バイブルスタディに出席するようになりました。
40人くらいのアメリカ人の中で、日本人は私一人。英語を理解できるだろうか、との不安を抱く中で、リーダーの婦人は、 講義内容のレポートを、そのつど私に下さいました。

そこでは、聖書の中のピリピ書を勉強していました。
クリスチャンを迫害し、その後、不思議な神の導きで、 クリスチャンとなったパウロ。
彼は、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者で、きっすいのヘブル人で、 律法については、パリサイ人と・・
その頃の名誉、学歴、地位、富、全てを持ち合わせていた人でした。
その人が、キリストという人に出会い、彼は言います。

「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
それどころか、 私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいの事を損と思っています。
私はキリストのゆえに全てのものを捨てて、それらを、ちりあくたと思っています。」

私が今まで、頼っていたもの、支えられていたものは、もしかしたら、パウロの言うように、ちりあくたに過ぎないのでは・・
もっともっと、大事なものがあるのかも知れない。 それが、キリストなのかどうかわからないが、しばらくこのキリストについて学んでみようと、心に決めました。

神様はそれから、多くのクリスチャンを私のもとへ、送って下さいました。
ある時、伝道集会に誘われた時に、パスターの話す「キリストの血によってのみ、私達の罪は赦される」との言葉が、私の胸の内を打ちました。
今まで、誰にも言えなかった、話せなかった罪が、私の内にありました。
とにかく、この罪が赦されたい、との思いで一杯で、キリストを受け入れる招きに前に出ました。
その時、劇的変化があったわけではありませんが、ただ赦されたとの思いで一杯でした。

その後も、私の内にある、物質的生き方、いつも他人と比較し、自分を受け入れる事の出来ない生き方は、まだあり続けました。
精神的に不安定なところのある私は、何かの事で落ち込むと、ベッドに何日も伏せってしまう生活を、周期的に繰り返していました。
ベッドに伏せっている時は、全ての事が嫌になり、自分のような者は、何の価値も無く、 誰からも愛されていない、このまま誰にも気づかれぬまま、泡ぶくのように消えてしまいたいと思うのです。

ある時、本当にひどく落ち込んで、ベッドに伏せっていましたら、先生がお電話を下さいました。
ベッドの中で、今までの状況を全て話しました。
先生は、ただ黙って聞いて下さり、イザヤ43:3を示して下さいました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」
こんな私でも、まだ私を愛していて下さるのですかと、何度も何度も聞きました。

先生は、あなたに対する人の評価も、自分の評価も正しくありません。
正しいのは、神様の評価です。神様はあなたを尊いと言われます。
どんなに自分が惨めであり、堕落していると感じても、神の目に、裕子さんは高価で尊いのです。
独り子を十字架につけて下さるほどに、私を愛していて下さると。

こんなにも惨めで、何も出来ない私を、それも私を造られた方、全地を支配しておられるお方が、私を愛して下さっている・・
重い身体をベッドから起こして、立ち上がる力が与えられました。
以来、落ち込みは、周期的に訪れるのですが、この御言葉によっていつも支えられ、力づけられ、 こんな私がイエス様に愛されているという思いで、一杯になるのです。

キリストを通して、私の人生の価値観は変わりました。
目に見えるものに支えられ、それを求めることから、目に見えないもの、私を愛するがゆえに 十字架で血を流して下さった、イエス様と共に生きる者に変えられました。
今、私の一番の願いは、愛する主人がいつか救われることです。再臨の時、一緒に主の御前に立つことです。
この祈りも、イエス様の愛と力によって答えられると信じています。


草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。

いつか消えて行くもの、 時代と共に変わって行くようなものに、支えられるのではなく、決して変わることのない、 神の御言葉とイエス様の愛によって、今生きられることの幸いに、心から感謝です。


(この婦人のご主人は、このしばらく後、イエス・キリストを信じて、救われました。今は念願のクリスチャンホームです)