[信仰体験談バックナンバー]

虚栄と放縦、混乱から真の喜びへ
  
                
私は、自分の家庭を恥と思っていました。
父は大酒飲みで、よく怒られました。私はそんな父が大嫌いで、早く出て行きたかったです。
母は、私が3才の時に、男の人と家出をしました。父が、私と妹を育ててくれたのですが、 それを自慢気に言うのも嫌で、普通の家庭に生まれたかったと、心から思いました。

高校卒業した頃、父に、サラ金が発覚しました。父は、子供のためだと、泣き出し、 私は頼んで生んでもらったわけではないと、腹立たしいだけでした。
父の酒量が増える一方で、妹は、学費が払えずに退学しました。

私は遊び回り、家には帰りませんでした。その内、父の借金、酒で、私と妹の給料は、 生活費になり、若い子が、着飾って遊んでいるのを、羨やみました。
でも、人に自分の弱さを、知られるのが嫌で、肩ひじを張って生きていました

そして、私は前の主人と結婚しました。彼が酒を飲まず、年収も良くて、 普通の暮らしが出来ると思ったからでした。
普通の生活をしたい、だっとのが、 増長し、人の羨望の的になりたい、に変わり、私は服や装飾品をどんどん買うようになりました。

マイホームを持ち、新車に乗り、奇麗な服・・私は、友達の羨望の的でした。
それが自分の喜びとなり、子供が生まれても、放ったらかしで、朝帰りもしょっ中でした。
自分を着飾る楽しみを覚えると、ダイエットに陥り、拒食と過食症を繰り返していました。
最初は大目に見ていてくれた夫も、毎日、大喧嘩となり、それでも許そうとしてくれた夫を振り切り、結局、離婚となりました。
私にとって、家庭は煩わしいだけで、せいせいして、子供もいらないと思ったくらいです。

その頃、父の借金と酒は、もうブレーキのきかない状態でした。 結局、父は破産し、アル中専門の病院へ入院しました。
父の入院費等はすべて妹の負担になりました。 私と妹は、二人で真剣に父の死を思いました。

その頃の私の生きがいは、いかに異性の注目を浴びるかでした。ちょうど、今の彼と出会い、 私はわがまま放題で、愛されて当然、それが快感でもありました。
そして、結婚が、私はうんざりでしたので、彼が会うたびに結婚と言うのを、 いつもひどい言葉で傷つけていました。
でも、まあ結婚してもいいかと思い、この地に来ました。そこで、教会に行っていた友人に出会い、 誘われて教会に行くようになりました。
でも、「お菓子が出るよ」と言われて行ったので、 イエス様があなたの罪のために死なれたと、聞いても、実感も無くて、 罪なんて、殺人とかだと思っていたので、私のどこが罪人という感じでした。

でも、暇だし、続けて出席していた時、 今までの自分の人生が思い起こされ、何という事をしてきたのだろうと、怖くなりました。
それでも、イエス様を信じると許してもらえると思うと、嬉しくなり、信じる決心をしました。 しばらくは、ずっと嬉しい気持ちでいっぱいでした。

そして、妊娠がわかりました。が、 あんなに愛してると言っていた彼は、人が変わってしまい、私達の仲はこじれて行きました。
私は毎日泣き暮らして、手首をカミソリで切った事もあります。
この子さえいなければと、 殴り殺してしまおうと、お腹を殴り続けた事も何度かあります。
出産前も産みたくない、死んでしまえばいいとずっと思っていました。
でも、不思議と、いざ出産の時は、とても平安で、それも 安産でした。イエス様に見守られて、元気に産声を上げる事が出来ました。 出産費用もベビー用品もすべて神様が与えて下さいました。

でも、私はずっと彼を憎みました。私の人生を目茶苦茶にした、彼を殺そうと思いました。
そうすれば刑務所に入るから、生活の心配もしなくていい、と真剣に考えた事もありました。
でも、彼が誠意を尽くしてくれた時に、私はどんな態度をし、どれだけ傷をつけたのだろうと、思った時、 涙が出て止まりませんでした。
私は、悪かった、謝りたい事が沢山ある。でもそう気づいた時には、遅くて、彼は、帰国していました。

入院中、一番辛かったのは、次々と面会に来るお父さんが、我が子を嬉しそうに見ている姿でした。
でも、娘のお父さんは神様で、いろんな事があったけれども、 この世に送り出してくれたのだから、一番最高の道を与えてくれると思っています。
又、必ず、この子の父親がこの子を抱く日を、神様が与えて下さると信じています。

生まれたばかりの赤ん坊のため、私は、今、仕事もしてないし、収入もありません。
でも、こうやって失ってみて初めて、神様の愛がわかるようになりました。
そして今まで認めたくなかったけれども、自分の罪を認める事も出来ました。
イエス様を信じる決心をして1年、あの頃は頭では理解していたけれど、心では、余り実感がありませんでした。

でも、今はよくわかります。私が本当に救われたのは、今なのかも知れません
人をどんなに憎んでも、人から注目を浴びても、虚しいだけで、 本当の喜びというものは、こうやって何も無くても、感じる事が出来るんだなあと、実感しています。
毎日、神様の御手の中で守られているのがわかります。心は安らぎで一杯です

幸い、父は今はきっぱり酒を止め、真面目に働いています。
妹も恨んでも恨みきれなかったほどなのに、 今は、すべてを水に流そうと、私も妹も、昔の事には触れていません。
今では、妹も教会に行くようになり、いつかは父も、イエス様の事を知って欲しいと思っています。
別れた主人にも、今までの事を謝る事が出来ました。 今は何よりも沢山傷つけてしまった、自分の愛する人々が神様を知って、救われて欲しいと心から祈っています。


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今、赤ちゃんの父親とアメリカで、一家で神様に守られて、幸いな家庭を築いています。