教会で、こんな事話していいの?


岩国、A姉、赤ちゃん無事出産。順調に育っていて感謝です。
二人の子供とで3人、皆、年子です。今、厳しい試練が与えられていて、心労の余り、お乳が全く出なくなりました。
本当に心痛みます。サタンが大きな祝福を奪うために、破壊するために、攻撃してきているのがよくわかります。
サタンは、常に、憎むべき、おぞましい破壊者です。主は常に建て上げられるので、信じて立とうと、 祈り続け、主に期待して、姉妹達と共に切に祈り続けています。

人生途上の、大変な、考えられないような試練を、A姉が、話してくれました。
祈って、祈って、他の姉妹達にも一緒に重荷を負って欲しい、一緒に祈り合って行きたいと願いました。
それが主のみこころであり、交わりだと、祈りの中で確信出来ました。
私の独断で、他の姉妹達に話し、祈りを要請しました。 皆、心から心配し、心を砕き、一緒に祈ってくれました。A姉に、姉妹達に話した旨を伝えました。

すると、A姉「え、あんな事、教会で、言ってもいいんですか。」と、驚いた。
同時に、安堵して、安心している様子がピンと伝わって来ました。「じゃあ、もう皆、知ってて下さるんですよね。」とても明るい声でした。
「ここではね、いつでも何でも話すのよ。そして、何でも一緒に祈り合って、一緒に重荷を負い合って 行くのよ。」
A姉「嬉しい。」と。「神様がこの試練もご存じで、帰国したら、私にちゃんと、この教会を備えていて下さった。素晴らしい姉妹達も備えて下さっていた。もう本当に感謝で、感謝で。神様が本当に共にいて下さる事がわかります。」

本当に良かった。A姉は、真由美ちゃんの友達で、アメリカにいる時、岩国へ帰ったら、 絶対にこの教会へ行くようにと、強く強く勧められて、帰省して来たとの事。

皆実町の兄姉達にも祈ってもらう。「とにかく、Aさんの心を守ってあげて下さい」の祈りが、 しっかり答えられている。
祈り会で会う度に「Aさん、心、大丈夫?」「それが、何か落ち着いていて、神さまが建て上げて下さると信じてるんです。平安で、平安で。」
「え!すごい!それは、すごい!Aさんて、楽天家の方?」「いいえ、私、そんなんじゃないんです。ものすごく悲観的で。」「じゃあ、奇跡よね。神様のみわざだよね。」

Aさん、近い内にアメリカへ戻ります。試練が神様のみこころ通りに、導かれ解決されるよう祈っています。

B姉、子供の、熱が続き、内科や耳鼻科へ。大変だねえ。
暫く出れなかった日曜、ご主人が子守りをして下さって、久し振りに来れた。集会後、交わりをしていると、聖霊様が心に「今、姉妹達と一緒に祈りなさい」と、促された。

一緒に祈ろうと、皆で一緒にお祈りする。一緒に祈り始めると、聖霊様が働かれ、暖かい神様の臨在を感じる。
祈りの中で、神様に触れる。B姉の目に涙が浮かぶ。
「教会に来れないと、生活もガタガタで。」神様を第一にする事を、気づかされる。
「Aさん・・大変なのに、私、自分の事ばかりで・・」と、又、目に涙が。