献身できたあ!!


S子さんは、ずっと一人のお友達に証し出来るように、教会に来れるように、祈りっていた。
秋の特伝も、クリスマスも、来ようとされたのに、止むを得ない障害で、来れなかった。
1月に転勤で海外へ。ああ、もう時間切れだ。もっと早く誘えば良かったと、S子さんも悔いる。
すると、転勤2週間前、その彼女から電話。話をしたいと言う。会うと、ある宗教の執拗な勧誘を受け、精神的に参り、疲れ果てていた。 何とその相談だった。
夜の0時まで、証しが出来て、話が出来た。すごいよ!祈りに答えられたんだ!!
結局、明日、海外へ向けて立つという前日まで、2回、礼拝に出席された!!みわざ!!

夫婦問題で深刻に悩んでおられ、S子さん、必死にカウンセリング。どちらも夫はアメリカ人。S子さんのご主人が彼女の夫に懸命にカウンセリング。 何とか家庭が建て上げられて欲しい。切なる願い。
S子さんのご主人が、アメリカ人教会へ、彼女の夫を誘う。何と行って下さった!

ご主人帰宅。S子さん「どうだった?」「ピッタリだ!!」(メッセージが、彼のすべてに、もうピッタリだった)「ミラクルだ!!」 すごい!!
S子さんは、彼女を連れて、夜の日本人集会に。その日、S子さん、招きに、前に進み出た。「献身します」わあ!!やったあ!!

ずっと、サタンが攻撃して来ていた「献身しても、お前は変わりはしない。嘘になる。神様に対して、 偽りの誓いをして、又、罪を重ねる事になるだけだ」恐くなって、前に出られなかった。
「それが、彼女とずっと関わって、御言葉を話したり、夫婦のみこころについて話していたら、 全部が、そのまま自分に返って来て。すごく神様から刺されて。
ああ、まず自分自身が神様に従ってないと、献げてないと、人なんて、とてもじゃないが、導けないと、もう心底示されたんです。 神様に献げて、従って行きたいと思ったんです。だから、彼女の事があったから、献身出来た。」

S子さんの献身は、神様のみこころであり、みこころは、どんな事をしてでも、神様が成就される。それもピッタリの時に、 彼女が現われて、その彼女も長い祈りの答えであり・・うーん、神様は完璧で、素晴らしい!
S子さんのご主人も、同じように、懸命に神様を伝える中で、教えられ、祝福された。 「お陰で、うちの夫婦、なんかとても祝福されて、いい感じで、感謝なんですよ。」

お友達夫妻にも、奇跡が起こった!どちらも、神様を信じて行きたいと。 ハワイへ行ったら、夫婦で、教会へ行きますと。良かった、良かった。

S子さん「それがね、あの献身して帰った夜、もう、ものすごかったです。サタンの猛攻撃。 思いに、襲って来て、わけがわからなかった。攻撃に混乱して、こんな事を思う、私はサタンになったんじゃないかと 思ったほど。献身したのに、一体何がどうなったのか、これは火曜に、聞こうと思って来たんです。」


・ ちょうど又、その日、サタンの学びだった。

1.人は成長すると、誘惑や悪い思いが無くなると思っている。

まだまだ、自分はクリスチャンとして幼くて、未熟だから、罪深く、こんな思いをいつも持つ。
霊的に成長し、聖化されると、こんな思いは無くなるはずだ、と。 何となく、無意識にこの間違いに陥っている。思う事は、一切罪ではない。
悪い思いは,サタンの誘惑であって、罪ではない。それに、同意して行く時、初めて罪になる。

思いへの攻撃は、誘惑は、私達が霊的に成長すれば、少なくなるのではなく、更に多く、強くなる。
たいていは10倍もの、力に増し加わる。成長すればするほど、攻撃は多くなる。
クリスチャン人生は、天に召されるまで、徹頭徹尾、戦いである事。それを、まずしっかり知り、受け入れる事。私達は、霊の敵と、 サタンと戦うために召された。
一番の誤解が、クリスチャンになれば、“問題はすべて無くなり、一 生幸せに過ごしました。めでたし、めでたし”と、なんとなく錯覚している事である。

成長すれば、するほど、戦いは激しく、誘惑は大きい。イスラエルの民は、カナンに入って、次々と敵を倒し、 多くの城塞を破り、巨人に勝利し、占領して行った。誘惑が大きいのは、恵みの大きいしるしである。

2.誘惑を罪だと、思い違いをしている。

悪い思いが起こる度に、自分を責め、自己嫌悪に陥る。失望と落胆が続き、実際に罪を犯してしまう。
人が多く落ち込むのは、これをよく了解していないから。悪い思いを思っただけで、罪を犯したと思い込み、神から遠ざかる。
朝起きた瞬間から、夜寝るまで、サタンは四六時中、思いを吹き込んでいる。
語りかけて来ている。ゆえに、悪い思いが起こる事自体は、全く罪ではない。

ちょうど、道を歩いていた時に、街角に、ある人々がたむろして、暴言を吐いていた。それに、出くわしたようなものである。
それらの暴言が、自分の耳に触れても、全く罪にならない。 それと同じである。
しかし、そこで、立ち止まって加わり、一緒になって、暴言虚言を吐いたなら罪になる。
サタンは、悪い思いを抱いただけで、罪だと思わせたい。 心を絶えず、見張っていなくてはならない。サタンの思いを、拒絶し、拒絶し続ける。 一生、そのような歩みである。

「天国に行ったら、もう、ものすごいでしょうね。このサタンからの、ずっと思いに来る、 攻撃から完全に解放されるよね。」
「サタンもいないしね。罪もないしね。天国って、どんなに、すごいんでしょうねえ。 イエス様がおられて、永遠に楽しみ、喜んで、愛と喜びで満たされて。」
「う〜ん、天国って、どんなんだろう。いつか、このサタンとの戦いから、解放されるんですね。」目を覚まして、しっかり見張って、戦います。