罪を愛する自分の本当の姿


一人の姉妹の証しです。

教会での、罪についてのメッセージ、全部、神様が、私に向かって語られたと、わかりました。
神様は、今、周囲のいろいろな人を用いて、私の「罪」を、明らかにしようとしておられます。感謝です。
自分の中に、罪がある限り、神様との交わりは、あり得ないと教えられました。 実を結ぶことも決してあり得ない。

私自身の罪は、例えば、酒やタバコやギャンブル、放蕩のように、 外側に現われたものではありません。
内側のもので、人の目には見えないから、どうしても隠してしまいます。
又、その罪を正当化して、他人のせいにしたり、あげくの果てには、誰でもやっているからと、無視してしまったりしています。

そして、帰宅すると、ちょうどお便りが届いていました。 その内容は、「神様に従うにも、2通りの道があり、1つは、自我に触れない範囲で、自分の都合の良い範囲でだけ、従う。
つまり、犠牲は避け、嫌な事、不都合な事は逃げ、自我をするり、するりと通り抜け、好きな事だけする。
もう1つは、自分を捨てて、自我に死んで、どんな犠牲を払おうとも、従って行く。」
「自分の都合のいい範囲だけの献身・・」すべて私の事だと、心が痛みました

今日、学んだ事は、口で告白しても、行動が伴わない限り、神様との真の交わりは、戻らない
神様は、その従わない、罪の中にいる私を、愛し続けて下さっているけれど、 絶対に、真の交わりが出来ない。

それは、神様が聖いお方だから。
私の沢山の罪に、正直になり、見つめ、直し、はっきりと告白して、 一つ一つ取り除いて行かなければならないんだと、はっきり見せられました。

それは、外側ではなく、内側の罪、夫に対する態度や、子供を自分の思い通りに動かす事や家事をしたくない事や、 自分の思い通りにならなければ、他人を責める事。

これらは、自分が罪だと知っていて、直せない。
いや直せないんじゃなくて、直したくない罪なんです。
今、よくわかります。変わりたくない、罪深い自分が心の底にいることが。
でも、こんな私でも、神様はしっかりと捕えて、愛して下さっていることがわかります。
よくわかります。自分の罪が恥かしいです。それを愛していて、止められない自分がとても情けないです。

そうです。それらの罪を愛しています。
それが、今、はっきりとわかります。 自分が弱いのではなく、自分自身の中ではっきりと、その罪を愛し、選んでいることが。
止められないでいる自分が、わかります。

こんな私でも、神様はしっかりと祝福して下さっていて、今晩、小学生の長男が、バプテスマを受けたいと、 決心をして、前に出ました。
神様は、本当に素晴らしい!!
こんなに罪深い私に、こんなに大きい恵みを下さった、感謝です。

一番恐ろしいことは、その自分の罪を無視し続けて、自分の中で、その罪と共存してしまうこと。
今日は打ちのめされましたが、感謝も素晴らしかったです。


   自分の肉は、罪を愛している。罪から、離れられないんじゃなくて、しっかり離れたくない。
一番奥底では、本当は、離れようとしていない。そこのところで、サタンに欺かれて、ごまかされてしまう。
罪を愛しているどころか、深く愛している。そう、しっかり神様より罪を選んでいる自分がいる。
罪を、神様の前に持って来ないで、馴れ合って、又、罪にふたをして、逃げる事によって、罪と共存してしまう。
恐ろしい状態がわかります。


神様を愛するとは、罪を憎むこと。神様は、絶対的に聖い方。
天国には、罪がない、この世がない。聖い所。罪を愛するあなたは、天国へ行って、そこにおれるか。
罪を愛する心を、聖霊様によって、断ち切り、捨て、きっぱり罪から離れさせて下さるように。
神様がそうして下さることに、はっきり、同意するように。


taeko_shibayama