何で、こんな試練が・・答えがわかった!!


一人の婦人の、試練に次ぐ試練を通して、共に、神様の素晴らしさを教えられました。


ある婦人が、赤ちゃんを願いに、願って、妊娠を知りました。大変な喜びでした。10ケ月間、楽しみに、 楽しみに、待ちました。
その赤ちゃんを、無事出産したのですが、その赤ちゃんは、誕生4時間後に、亡くなっってしまったのです。
喜びの絶頂から、大変なショック、悲しみと、傷み、辛さを味わいました。いつまでも子供を思う度に、 涙が溢れて、なかなか立ち直れませんでした。

「なぜなんだろう。なぜ、一度生まれて来て、神様は、取られたんだろう。」 悶々とした試練の中を通りました。

『一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を 結びます。』ヨハネ12:24

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを 働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』ローマ8:28

その時は、子供の死の理由はわかりませんでしたが、これらの御言葉を信じました。 そして、大変、慰めを受けました。

その後、驚くべき答えが与えられました。

子供の死から、7ケ月ほど立った時、突如、脳腫瘍が発覚しました。
子供の死から、やっと立ち直れそうな 矢先、そこへ又、次の試練でした。脳の事ですから、死も覚悟しました。
でも感謝なことに、神様は安らぎを与えて下さり、なおも益として下さる事を信じることが出来ました。 心は平安に守られました。

そして、次の事実が判明したのです。

その腫瘍は、何年も前からあったのですが、その間、 不妊治療をしていたため、飲んでいた薬によって、血液中のプロラクチンというホルモン値が抑えられて いたのです。
その事によって、病気がずっと発見されないでいました。ですから、まずその薬の服用を止めることが 必要でした。

それは、私が妊娠をする、ということです。
それによって薬を飲まない期間が1年近くできて、 プロラクチンの値の抑制が解かれ、やっと検査時に、異常値として表われてくれたのです。
そして、子供の死によって、ずっと出ていた母乳を止めてもらおうと、病院へ行き、この病気が 見つかりました。どれ一つ欠けても、ダメだったのです。
改めて、神様のお導きを深く感ぜずには、いられませんでした。

この死をも覚悟した、病気を与えられた事によって、初めて、信仰をはっきり、周囲に 証しし、クリスチャンである事を、鮮明に出来ました。
この私の病を通して、証しを通して、一人の友が、もう一度イエス様に立ち返り、 教会へ行くようになりました。

「神様は最善しかなさらない。今は、試練に見える事でも、きっと将来、大きな祝福につながるに違いない。 神様にすべてをゆだね、すべてを信じて、ついて行けばよい」 という確信が与えられました。

それと、もう一つ、信仰は温室の中では育たない。
試練があるからこそ、神様に心を注いで、祈ることが出来る。やっぱり試練は必要です。