高校生の時、生まれて初めて、行った教会。そこで、聞いた聖書のお話。
印象深く心に残っています。 講壇に立たれたのは、日系二世の宣教師でした。
その先生の奥様はアメリカ人。夫妻の間に、3歳の一人の息子がいました。
可愛い盛りでした。
その子供に、不慮の事態が襲いかかったのです。
ある雨の日の事、車にひかれ、そのまま亡くなってしまいました。
しかし、家に帰ると、もう家の中の何もかもが、子供の思い出につながります。 又、思いがけずも、その相手が、アメリカ人男性で、奥さんが日本人でした。
もう苦しくて、苦しくて、これ以上どうもできず、ある時、一人きりで、部屋に入りました。
そのお話に、心が、ぐいぐい引き込まれて行きました。
その先生は、実際に起こった出来事を話して下さいました。
それは全面的に、相手側の過失でした。突然の事で、その先生は、悲しみのどん底に、叩きのめされてしまいました。
しかし、相手の男性に言いました。
「私はクリスチャンです。ですから、私はあなたを許します。」と。
何を見ても涙、涙でした。夫人は泣き続けたまま、「家内は、息子の部屋へ、もう、よう入りませんでした。」と言われました。
夫婦で、泣いて暮らしました、と。
そんな時、先生の心にふと、思いがきます。「ああ、あの時、雨さえ降っていなかったら。彼がもうちょっと気をつけて運転してくれてたら。」
そして、彼には、全く同い年の一人息子がいました。つまり、どちらも混血で、又、奇しくも、顔がそれはよく似ていました。
彼の息子を見るたびに、自分の息子を見るようでした。
辛い思いが、つのり、こんなはずではない、思いが湧き上がります。
神様の前にひれ伏して、何もかも心の状態のすべてを、告白して祈りました。
その時、光のように、聖書の中の御言葉が臨んできました。
イエス様は、その先生に、言われました。”七度を七十倍するまで。
翌朝すぐ、先生は、相手の男性の家に行きました。そして言いました。「私を許してほしい。」と。
弟子がイエス様に質問した個所です。「主よ、兄弟が私に対して、罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」
”赦すだけでは足りません。赦す上にまだ
愛しなさい、と。
「はい、主よ、わかりました。」涙があふれて仕方がありませんでした。私の心は完全に溶かされてしまいました。
口では許すと言いながら、心では、あなたを憎んでいた。こんな私を、どうか、許してもらいたい。」
相手の男性は、もうそれは驚きました。
二人は、抱き合って男泣きに、泣きました。
そして、その男性は言いました。「あなたの信じている神を、私も信じたい。」
その場で、その男性は救われました。あれから、もう何十年も立ちますが、彼は、今もなお、私の最も素晴らしい親友の一人です。
イエス・キリストは、神のたった一人の子供でした。
あの十字架は、あなたの罪の身代わりに、キリストがかかったものです。
父なる神は、そのたった独りの子供を、十字架につけて、殺されました。
どうして、ご自分の子供を、殺されたでしょうか。
それは、私達の罪のためです。
人を憎み、妬み、嘘、偽り、高慢・・。
その罪を持ったままですと、永遠の滅びがあるからです。
身代わりに、ご自分の子供を殺すほどに、それほどに、あなたを愛された。
これが、神の愛であると知り、私は、この日、 イエス・キリストを信じました。
Copyright(C)1996 Taeko Shibayama