印象
[印象深い出来事バックナンバー]

VICTORY IN JESUS

                          
「喜ぼう!!」祝福満ち溢れたたお葬式

『わたしは、よみがえりです。いのちです。』(聖書)
 


ある初夏の朝、朝食の用意をバタバタしている最中、ふと留守録に気づく。
教会の婦人からだった「Aさんのベビーちゃんが死にそうです!危篤です。首の骨がグチャグチャで、頭の骨も折れています。今、 病院です。父親は警察にいます。 祈って下さい!とにかく祈って下さい!」

悲痛な感じの声で、6:30となっていた。早天祈り会の最中たったので、留守録になっていた。
びっくりして、何がなんだかわからず、近辺の他の婦人に電話する。
「ええっ!知らないです。私、今からすぐ病院へ行ってみます。」
何がどうなったんだろう、訳がわからない。その日は、出れない。神様に向かって祈り叫びながら時間が過ぎる。

その事で頭がいっぱいに一日が過ぎる。
生まれて数ケ月のベビーちゃんは、その夫妻の初めての子供。若い父親はアメリカ人で、母親は日本人。
一家で日本に来て、父親は、一般の日本の会社で働いていた。が、言葉は全く通じず、それに夫婦仲がうまく行かず、喧嘩が絶えない。
大変なストレスが、許容量オーバーになってしまって、お酒に逃げ、酔いつぶれる日々だった
その日、酔っ払った状態で、泣いたベイビーちゃんを、理性を失って、投げつけてしまった、ということのようだった。
夫妻にとっても、周囲にとっても、大変な衝撃的な出来事だった。

午後「ベビーちゃんはもう手の施しようがなくて、天に召されるのを皆で見守っています。 教会の姉妹達と宣教師の先生がここにいます。皆で、祈ったり、讃美歌を歌ったりしています。 ベビーちゃんの母親は、とてもしっかりしています。守られています。今夜、皆で 徹夜で見守るつもりです。」

深夜に、婦人から 涙声で「たった今、ベビーちゃんが天に召されました。」
「それから、素晴らしい事がありました。ベビーちゃんの父親とおばあちゃんが、イエス様を信じて救われました!!」
Aさんが、このような大変な中で『導いて!!導いて!!主人 とお母さんを、イエス様のもとに今!導いて!』と必死に全身で訴える。
皆、ハッとして、 「もうどう語ったらいいかわからず、とにかく、祈り会で先生が新しい人に話していたその通りを聖書から 話したんです。そしたら、お母さん、『信じます』って言われたんです。」
もう一人 の婦人「ご主人に話したんで すが、ご主人 信じる』って。」
このような中で、本当に神様の奇跡のみわざに、神様の愛に、恵みに心から感謝し、主をほめたたえました。

翌朝、日曜日で、アメリカ人教会で夜、お通夜の集会があった。
小さな小さな棺の中で、赤ちゃんが手を組んで、溢れるばかりの花に囲まれていた。
その数週間前に、夫妻で教会へ来て下さった。礼拝中、子守りのをしてあげて、ずっと腕の中で抱いていた。とても信じられない。
じっと見つめる。 涙が溢れそうになる、その瞬間、ハッとする。何かが閃光のように光った。そうだ、ベビーちゃんはもうここにはいない。
イエス様の御腕の中で、イエス様に抱かれて、最高の喜びと安らぎの中に、最高の幸福のまっただ中にいるんだ。
何か心が、ものすごく引き上げられて、イエス様で満ちて行くのを感じた。

翌日は、 宣教 師の先生 が英語でメッセージ、主人が日本語でメッセージ、翌日、日米合同葬儀となった。
朝、早天祈り会で、「このお葬式に、どうか主の栄光が現われますように!主の栄光が輝きますように。 主が栄光を受けて下さいますように。」と、大変な事態の中での、非常事態の中での葬儀式、ただただ、主の素晴らしさが現れるように、 必死でひたすら祈る。

「イエス様、今、この場に、あなたの栄光を現わして下さい。」祈りながら、厳粛な中で、葬儀が始まる。
アメリカ人男性が司会に立たれ、賛美を導かれる。一番始めの賛美が、ヴィクトリー イン ジーザス。
「ヴィクトリ!!」そう!勝利!勝利なんだ!目が天に、イエス様に引き上げられる。
そう、なんという勝利。罪にも、サタンにも、死の恐怖にも、死そのものにも打ち勝った勝利。 死をも、のみ尽くすイエス様のいのち、永遠のいのち。誰も、何ものも引き離すことのできない神様の愛。
何という救い、測り知れない恵み、頭をかけ巡る。

『死ぬべきものが、いのちにのまれてしまうため・・』Tコリント5:4

宣教師の先生が挨拶された。ものすごく大きな声で叫ばれた「喜ぼう!!祝福だ!!」。
「なぜなら、ベイビーは今、イエス様に抱かれて、最高の幸福の中にいるのだから。」
そして、「この事を通して、ベイビーの父親が救われた!母親のママが救われた!二人の魂が永遠の滅びから救われた! 神様に感謝しよう!」と。

この時、一瞬、何か天国が見えたようだった。自分の霊がものすごく引き上げられて、満ち満ちて行くのを感じた。
涙が溢れて、溢れて止まらなかった。イエス様がここにおられるのを感じた。
霊が満たされて、満たされて、イエス様に包まれて、まるで天国にいるようだった。
何という救いなんだろう。何という恵みが、今、ここにあるんだろう。人を破滅させようと、罪を、死を、あらゆる悲惨と害毒をもたらす、 サタンがイエス様の十字架によって、打ち破られている。
ヴィクトリ! 『死は勝利にのまれた』Tコリント15:54
サタンに、死に対しての、『キリストの勝利』がここに、今、ある。心が溢れた。

『私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。』

死ぬことも益です、勝利です。もう二度と、決して、この世界には戻りたいと思わない、素晴らしい栄光と喜びと賛美と平安、 イエス様のご臨在に満ち満ちた場所へ移されるのですから。

ハドソン・テーラーの奥さんが亡くなった時、ハドソン・テーラーは、 あまりにも満ち満ちた神様の臨在に囲まれて、心が聖霊の平安と喜びに引き上げられ、満たしに満たされて、妻も天国でこれほどの喜びがあるだろうか、と思うほどだったとか。

『私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。』ピリピ1:23

『私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。』Tコリント5:8


“キリストのために生きることも、キリストのために死ぬことも益です。

   あなたこそ、私のいのち、喜び、力、避け所、すべて、我が主イエスよ。

        キリストのために生きることも、キリストのために死ぬことも益です。”


目に見える形で、この世界に存在しなくなるのは、確かに残された者にとっては、大変な寂しさと悲しみと辛さだけれど。
それは残された者にとっての事だけであって、天国へ移されている魂には、最高の愛と喜びと恵みと平安の中に、今、いる。
そのことに、心から慰められます。永遠の希望があります。


『眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。 あなたがたが他の望みのない人々にように悲しみに沈むことのないためです』                                   (Tテサロニケ4:13)

・・・望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。・・


式が進み、皆が順番に献花します。
ベビーちゃんの母親がお友達へ語る言葉に心打たれました。「子供は大事にしてねお願いね。 私に代わって、絶対に子供だけは大事にしてね。」
子供を持つ姉妹達、皆が、神様からの言葉として、受け取らせられました。

無事、お葬式が終了しました。口々に「いいお葬式でしたね。恵まれましたねえ」。素晴らしいお葬式でした。
恵みが満ちて満ちて。 恵みの感動の余韻が、静かに漂います。

『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、 それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。』ヨハネ12:24

神様は、このベビーちゃんの死を、絶対にむだになさらないと、信じています。
この大きな犠牲の上に、更に更に豊かな多くの実を結ぶことを信じています。


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・ 教会の婦人と話していました。
「私のお葬式の時には、黒(喪服)は無しにしてもらって、服は普通でね、赤でも黄色でも何でも。 神様への大喜びと賛美と感謝に溢れたお葬式にしてもらいたい。遺言に書いとこうかしら。」