[印象深い出来事バックナンバー]

アメリカ旅行記


「アメリカ、どうでしたか!」皆が皆、会うと一番に聞いて下さり、手紙、電話、メールでも。 お祈りが、感謝でならず、ここでまとめて報告します・・

                                  3/14朝、成田から立つ。乗り継ぎは疲れるからと、和子さんが直航便を手配してくれる。アラスカからカナダ上空を飛んで、ワシントンへ。ロッキー山脈で、陽が昇り、夜が明ける。鮮やかな閃光、まぶしく輝く日の出を見た!感動。見事な自然は偉大。ミシガン上空、地図によると、あの辺がグランドラピッズ、湖の形がはっきりと見える。H姉の住んでる所・・。H姉〜〜!!

3/14 午前9:30 ワシントンDCのダレス空港に降り立つ。和子さん夫妻が出迎えに。4年半振りの感激の再会。わあ〜会えたんだ!!嬉しい〜!! ディボー家は車で30分ほどの郊外。木々に囲まれた閑静な住宅地。700坪の敷地に建つ3階建て。裏は木々の間をリスが走り回る。初めて目の前でリスを見た。なんと可愛い〜。紅葉の季節は、家の周囲、それはもう見事、素晴らしいよと。大好きな紅葉。頭の中で、紅葉した木々の風景が広がる。今は、葉が落ちてしまっていて、新緑の季節を待っている。

でも、その当り一面の、落ち葉の枯れた光景も、何かしっとりと、不思議に心落ち着く。小川がチョロチョロと流れていて、小鳥のさえずりが聞こえる。あとは何の音もない。私道なので車も入らない。人も見ない。静寂そのもの。 「わあ〜、いい所ねえ。静か〜。ものすごく落ち着く。」「ほんと!良かった!!休んでもらえるね!!」と和子さんが喜んでくれる。庭にテーブルと椅子のテラスがある。バーベキュー用だとか。「夏はね、朝、デボーションにいいんだよ。」ほんと、デボーションに最高そう〜。

広い3階建てで、玄関が一段高くなってる。中で階下に下りるが、でも本当は1階。その階下の広い部屋。大人用と子供用のベッドがあり、ドレッサーに、タンス、応接セット、テレビ、レンジの生活用品が整えられている。バス、トイレ付き。 和子「ここね、ミッショナリーのために作ったの。ファローの宣教師さんが来られた時、泊まれるように。それで、子供用のベッドも置いてあるの。もう自由に使って下さいね。そのためなんだから。」

豊かに与えられた家を、こういう風に献げて、神様に仕えている夫妻の姿に恵まれる。 その部屋はひときわ感謝だった。階下で、家族と切り離されているから、全く気兼ねなく、8日間、心底くつろがせてもらった。神様の愛と恵みを、もう一杯にひしひしと感じつつ。

すぐに、昼時。シージェイは、私達の迎えのために、午前中休んで下さっていた。「じゃ、行ってきます!」と出勤。和子さんに「え!CJの昼食は?」和子「ああ、忘れてた。お昼は?」 CJ「いや、いい、大丈夫。ゆっくり話をするといいよ。」と、なんと優しい。 和子さん、気を遣ってくれ「多恵子先生、疲れてそう。休んだ方がいいよ。」に甘えて、昼から何と、翌朝まで寝倒した。そう、出る前に、全部の事務処理をし、バタバタと家の片付け、掃除をし、不在時の手はずを整え、忙しかったかも知れん。

翌日、CJが休暇。恐縮でならない。和子さんはフルタイムの仕事。その朝は6:50に出勤。 「えー!こんなに早いの?」「今日は会議なの。」和子さんを見送る。朝の外気は、ひんやりと気持ちいい。もう、朝は小鳥の声がそれはにぎやか。森にいるよう。

滞在中の食事はすべてCJの手作り(CJも仕事してるよ)。料理の鉄人!料理が大好きだとか。いい夫さん。朝はCJオリジナル特製グルメオムレツ。ガーリックを炒めて、風味を出し、卵に、バジル、玉ネギ、トマトを弱火で、ふんわかと焼く。これが美味〜。私のコーヒー好きを知って、滞在中、CJが「タエコセンセイ、カフェ?」と、1日中、気にかけて頻繁に入れてくれる。ほんとに繊細で優しい。

毎回「手伝いましょうか」と申し出るが「大丈夫」。和子さんに話すと「ダメ。彼なりの思い入れがあって、やり方があるから入れない。それでもう任せ切ってる」裕子さんも、以前御馳走になった。「あの、ガーリックを切る時の、CJの真剣な目!気迫!すごいよ。もう入れない世界だよ」(笑) 夜はターキイの丸焼きをするからと。アメリカの伝統的もてなし料理なんだと。食事しながら、CJの救いの証しを聞く。小さい時からのクリスチャンではない。結婚後、イースターに誘われて夫婦で教会へ行った。その時、夫婦が、別々にどちらもが同時に信じ、救われたと。「すごい。奇跡だ!」

それからも紆余曲折あり、色々な所を通ったが、今、心から神様に感謝している。イエス様が心におられ、日々生きた交わりがあり、喜びがあり、神様を知った事に感謝でならないと。共に主を喜べる喜び。 食後、ジョージ・ワシントンの育った家に案内してもらう。総司令官として独立を成功させ、アメリカの初代大統領になった人。ワシントンが亡くなった頃の、200年前の家の様子をそのまま復元してある。家、奴隷の部屋、馬屋、庭園、農場・・。庭園が広くきれいで、緑が溢れてる。

木々と小高い丘の緑に囲まれ、背後にポトマック川がゆるやかに、たおやかに流れていて、絵画のように美しい風景。思わず見とれる。小雨が降ってて、空気がひんやり冷気を帯びてて、雨のポトマック川、しっとりと情緒があった。 CJが、もうずっと私達を気遣ってくれる。CJの愛情をひしひしと感じる。会話していても、黙っていても、その繊細な優しい気遣いが、しんしんと伝わり来る。心がずっと温かい。

大変な愛妻家で、運転しながら、しょっ中、和子さんの職場に電話する。 スリッパを買いに寄ってもらうが、店に無い。親切に次々と何軒も。その度に、和子さんに電話して「スリッパは、どこへ行けばいいんだ?」ここもダメ、ここも無いと電話。夕食の段取りに電話。携帯片手に、マーケットの駐車場を回りながら、狭い所に巧みに車を入れる。よく神経を両方に使えるものだと感心しながら見てる。 CJとの会話で、日米双方、理解不能な事が出て来ると「ok、和子に聞こう」とすぐ職場に電話。え!仕事中なんじゃろ?いいのかい?と思うが、日米の差か?! それも、係が出るらしく、毎回「こちらディボーのハズバンド」と言ってる。

和子さんに「CJはいつも電話するんだ?」「もう頻繁に。電話取る人が、いいご主人で、いいわねえといつも言う。私もしょっ中、CJに電話するけどね。」へえ〜。 考えられん。スリッパだ、晩ご飯だと職場に電話て?!「でも、仕事してるんでしょう?」「そう、忙しい。すごい忙しい時など、で、用件!用件は!用件を早く言って!!なんて愛想無い(笑)全部の決定に、私も入れようと思ってくれて、有難いんだけど・・。」「CJはいつ電話しても、全く変わらない。何度してもいつも『ハァ〜イ』って、優しい。」わかる。うちの夫も同じだわ。いつも全く変らないで優しい。

仕事を休まれるのが心苦しいから、適当に自分達で観光すると、事前に言った。和子「アメリカを知らないから、そんな事言うんだよ。全く動けないんだって!私達が通勤で車使うでしょ。車で30分の、その駅までの手段が何も無いんだから。」ほんとだ、と大笑い。最寄りの駅までが、電車バス何も無い。これじゃ陸の孤島。本当に車が無いと生活不可能。裕子さんが、車壊れて、泣いて泣いてパニクったわけがわかる。日本じゃ、車無くても支障無いもんね。

翌日は、和子さんが休暇。恐縮。ワシントンDCへ向かう。ケネディで有名な、あのアーリントン墓地。ここは、とても来たかった所。緑の芝生に、数知れない白い墓碑が、整然と並んでいる。バスでないと回れないほど広大。見渡す限りに、遥かに続く緑と白のコントラスト。清潔できれいで明るい墓地。中2の時、初めての宇宙中継で、ケネディ大統領暗殺が報じられた。強烈だった。忘れられない。あの時、映っていたアーリントン墓地。そのケネディの墓を見る。

沢山の無名兵士の墓が並ぶ。30分置きに雨の日も風の日も、昼も夜も兵士が立つ。365日昼夜全く休む事なく、交代で見張る。和子「あれは大変だと思うよ。凍るような雪の日も、大雨の中も夜中も24時間、兵士が交代で立ってるよ」無名兵士への敬意だとか。ひときわ印象深かった。 テレビで見るホワイトハウス。リンカーン記念堂は、驚くほど巨大なリンカーンの像。「何だか偶像にされ てるみたいだね」「本意じゃないだろうにね」。あのゲティスバーグ演説が、壁一面に彫られている。

ベトナム戦争戦没者の全員の名前が彫られた碑。「家族や友人なんだろうね。名前を見つけて泣いてる光景、祈っている光景をよく見るよ。」こちら側には朝鮮戦争の碑。「大二次世界大戦の碑が無いのが今、問題になってる。」 これらが一つになって、木々に囲まれ、芝生が広がり、大きな公園になっている。人々がベンチで憩っていたりの、落ち着いた雰囲気。ここにもリスが走り回ってる。

駅に戻って「ね、お昼を食べよう」と和子さん。屋根が驚くほど高い、風情のある、大きなきれいな駅。何か心惹かれる趣きがある。駅や空港って、一種独特の雰囲気がある。行き交う人々に人生模様を感じてしまうような・・。 その中に世界の料理店がズラーと並ぶ。「もうどの国の料理でもあるよ。どれがいい?」中国、韓国、ロシア、スペイン、メキシコ、フランス、イタリヤ、ドイツ、南米・・ほんとに各国の料理が並ぶ。なぜか、一致して寿司となる。ワシントンまで来て、寿司食べんでもって? 食後、スペースミュージアムへ。ライト兄弟から、現在まで、あらゆる飛行機の展示。月面着陸の様子も展示してある。世紀の月面到達。30数年前? 明け方テレビの前にいた事を覚えている。

夫がもう生き生きと、それは楽しそう。目が輝いている。和子「男の人はそうなんだ。うちのCJも飛行機好きだよ。何か、全然興味無いよね。」(笑) 朝からの見物で、歩き疲れた和子さんと私。飛行機は知らん、椅子を見つけるのに必死。進行方向の椅子を見つけては、救われたとばかり、二人で倒れ込む。夫は喜々と見回ってる。

夫「ああ、もっと見たいけど時間が無いし、待たせるの悪い」「待ってるから見て来たら。」「でも、1日中でも、見たいから切りがない。」ふう〜ん。帰り、電車の中で、パンフレットを見てて「あー!!」何?「大二次世界大戦の何何があったー!!」は?「しまったー!!ミスしたー!!ああ〜もう一度行きたいー」ふう〜ん。 楽しい観光だった。夜は、CJによるメキシコ料理、タコス。「これ、岩国にいた佐古兄が、よく作ってくれたよね」と思い出話に花が咲く。滞在中よく話した。岩国の思い出を大笑いしながら。

「あの頃、毎週、夜中の0時まで交わったね。皆、もう凄じく喋りまくってね。いつも多恵子先生が疲れ果てて、もう眠そうな顔してたよ」(笑)「そう、頭モウロウ。もう12時過ぎたから、そろそろ帰ろうよってね。すると、今から、コーヒー飲みに行こうって、皆で行く。」 「多恵子先生達も行こうって、誘うと、明日、朝から集会あるんだからダメって。」「毎週、帰宅が午前1時回ってるんだもんね。月曜すぐ朝から集会だしね。大変だったよ。」(笑)

和子「あの頃、楽しかった〜、あの岩国集会の後、裕子としょっ中明け方まで交わってたよ。ファミレスは2時までじゃない。その後、行く所が無いから、ベース内を、車で20キロでグルグル回って交わる。不審者で呼び止められた。」(笑)「夜中の3時に、そりゃ不審者じゃわ。」

土曜は早天祈り会。CJが教会でいつもはゆっくり交わるのを、早々に帰宅。私達のために別種オムレツを作ってくれる。又、風味が違うのだ。CJ本当に有難う。午前中、CJはCSの準備。身振り手振り豊かで楽しく、もう子供達に「ミスターデイボー、ミスターディボー」と大人気とか。

午後、4人でジーザス書店へ出る。街を走ると特徴があり、全部の店が平屋。レストラン、ストア類全部。2階建てが一つも無い。「土地があり余り過ぎて、上に建てる必要が無いんだよ。」 教会も並ぶ。どの教会も数100人集うとか。「こんな近距離に教会が立ち並び、それで数100人づつ来てるなんて、クリスチャン人口すごいじゃないか。」「でも、アメリカはサンデークリスチャンも多い。習慣で教会へ行く。救われて、真に神様と交わりある信仰持ってる人は、ぐっと数が減ると思う」

翌日曜は教会へ。和子さんファミリーの通うバプテスト教会。家のすぐ近く。というより、 教会のすぐ近くに、家を捜して引越した。人生のベースが、教会にあるディボー家。

800人教会で、アメリカでは大きくも、小さくもなく中規模だとか。そこは、教会が学校をしていて、 礼拝は体育館でする。バスケットボールのリングがあって面白い。「礼拝堂より、まず先に若い人達のために学校を作ろうとの、パスターの考え。小学校から高校まであって、教員全員クリスチャンで、教会の人達の子供が行っている。勿論、進化論は教えない。御言葉に立った教育がなされている。」 「日曜、教会へ行って、月曜も教会の学校へ通って、じゃあずっと教会と家の往復なんだ。」 「そう、だから、ものすごく守られる。悪いグループと群れるチャンスが無い。子供達にとってはここは環境的にすごく良い。本当に感謝してる。今頃、アメリカではもう公立の学校はひどい。酒、タバコどころか、銃に薬物、もう凄じい状態。とても行かせられない。」

「うちの教会はスタンダードが高い。常に罪をはっきり指摘し、罪から離れるようにとのメッセージ。 すごく耳が痛いけれど、自分にとっては必要。パスターがいつも言う、今頃は、罪は言わない。愛しか語らない教会も多いって。」「健全な教えに耳を貸そうとせず、自分に都合の良いことを、だね。」「聖書的、福音的、根本的教会に導かれてすごく感謝してる。」

座ると、教会の方々が、次々と来て自己紹介され、握手、ハグで歓迎して下さる。必ず、握手かハグをする。スキンシップ。ほとんどが家族で来会。広い体育館が、みるみる人々で一杯に埋まる。 礼拝が始まり、CJも和子さんも夫婦で聖歌隊。講壇の背後で、賛美している。 メキシコ宣教師が帰国していて、報告をされる。この教会の一つの特徴は、全世界に沢山の宣教師を遣わしている。又、多くの宣教師に宣教献金もしているので、常に誰かがファローで戻っていて、毎週、宣教報告があるという。うわあ、すごい!素晴らしいと思う。ロシアや沖縄にいたという宣教師さんにも出会う。 エゼキエル3:16〜 見張り人のメッセージ。私達はそれぞれ自分の置かれた場で、親なら子供に対して、 又、近所や周囲の人々に対して、見張り人とされている。罪に対して、警告し、主の十字架の救いを伝えて行かなければならない。「警告を与えよ」。それは罪、それは神様のみこころではないと、はっきり警告をしなければならない事を心に語られる。招きでは、特に決心した人々が前に出て、自分で祈りの時を持ち、又、自分の席へと退かれる。

朝拝終了、愛さんは無く、皆一斉に帰宅。CJがそのまま私達をレストランへ。バイキングで食べ放題。日本円にすると1人\700。安い。面白いのは、ハーイ!ハーイ!と次々に会う人、あの人もこの人も教会員と教えてくれる。教会がそのまま移動したような・・。 「和子さん、教会の人全員知ってるの?」「ううん、知らないよ。全然知らない人も多い。店で、この人教会の人だったかな〜?とか。わからない。でも、パスターは全員知ってるよ。すごいよ。パスターは、日曜にメッセージにだけ出て来て、そこで会うだけ。平日は全部スタッフがしてる。」

夕拝は6時。一旦帰宅した人々が再び集る。朝拝と同じほどの人数が集ってる。 和子「うちの教会の特徴は、聖日礼拝と水曜祈り会の人数が同じ。だから、皆、夕拝にも祈り会にも来てる。これってすごいよね。」「うん、ものすごい!!ことよ!ちょっと無いよ。」

夕拝では、証しを頼まれていた。賛美に続き、夫の証しが始まる。和子さんが通訳。日本の土壌はアメリカと全く違う事を話す。アメリカがどんなに恵まれているかと。イエス様を信じて、伝道者の決心をした時、親に勘当された。家を出て、行く所がなく教会の事務所で宿泊した。開拓伝道に出た時、当時は他教会も小さく、サポート等は無理で、自分で働いて伝道するつもりだった。

母教会からの、愛の献金3万円を手に、皆の祈りに送り出され、カバン二つ持って出た。広島に着いて、住まいを捜せど捜せど、すでに埋まっていて全く無かった。駅のベンチで寝た事。裸電球の3畳間を与えられて、どんなに嬉しかったか。次に、集会所を郊外まで、捜し回るが、宗教関係が一切ダメで、2年間全く無かった事。集会始めて、6年を経て10名の教会員になった事。

神様から、新会堂建設の導きを受けたが、お金など無い。金持ちも一人もいない。もう、頼るは神様、ただ祈りしかなく、祈りに祈った事。24時間連鎖祈祷をし、夜はアメリカの姉妹達が、回り持って引き受けてくれ、24時間祈り続けた事。

若い子達も、皆が一丸となって、持っているものを全部献げた事。痛みと犠牲を伴った献げ物をしようと、乗物に乗らないで歩き、ジュースや菓子や雑誌を我慢して、又、買いたい物も我慢して、皆で、献げに献げた事。皆が一致して、信仰と祈りに立った事。和子さんが、このヘリテイジ教会へも、祈りの要請をし、皆も当時祈って下さった事、そして、会堂が完成した事。

10年単位を、1、2行で、簡単にしか話せなかったが、夫は「あの沢山の人達が、皆がしーんとして、よく聞いておられるので、驚いた。」和子「多くの人達が泣いてた。CJも泣いてた。家を追い出された事や、開拓伝道の事など、全く知らなかったって。アメリカじゃ、どれ一つ取っても、絶対に考えられない事だから、すごい衝撃で、大変なインパクトだったと思うよ。」

5〜10分でが、25分!! 和子「こんなに皆が、静まり返って聞く事なんて無いよ。驚いた。毎週宣教報告があるけど、ちょっと長くなるともうソワソワザワザワし出す。うちのパスター、時間に神経質な人なのに、今日は、もう、すっごい真剣に、じいっーと聞いてたよ。驚いた。」

証しの後、前に立ったパスターが「私達は恵まれてる、恵まれてると思っているが、天国に行くと、先のものが後になり、後のものが先になる。彼や、日本のクリスチャンは、天国で素晴らしく報いられるだろう。」宣教師による報告もあって、時計を見ると、パスターのメッセージの時間が5分しか無い!に、皆、大爆笑。

礼拝後、沢山の方々が、本当に良かった、感動した、心に深く響いたと来られた。広島の新会堂のために、ずっと祈ってたという方々が来られ、ビックリした!和子「先生を、日本語を勉強してる青年が独占してたけど、沢山の人達が話したくて、後ろにズラッーと並んで待ってたんだよ」 そして、一人の韓国の婦人が「今日の証しは本当に良かった、私の心に深くに訴えた。神様から語られた。ご家族に献げたい。」と私の手に、小切手を握らせて下さった。ビックリする。500ドルも献げて下さっていて、水曜集会に行った時に、お礼を言うと、微笑みながら、天を指差して「ノー。ヘブン、ヘブン、礼はヘブンに言って。」と言われる。

その姉妹と話すと「イエス様によって生かされていて嬉しい。救われて感謝。神様は素晴らしい。心に喜びがある。」主を喜び合える。全くの初対面なのに、心が真に通う。イエス様の血の力はすごい!「韓国の母が仏教徒。ものすごく頑固で強くて、イエス様を受け入れない。ずっと救いのために祈ってる。祈ってくれ。」「それは祈る。」「私も、広島の教会のために祈る。」

和子「ちょうどピッタリのタイミングだった。うちの教会の新会堂が近く着工する。経済的に、もうものすごく豊か。もう裕福。だから、計画して蓄えると建つ。それが、掲示板にちょっと報告されているだけで、皆、建つのも知らない。皆で、祈って、一致してっていう事、すごいインパクトだったと思う。うちの教会のために、ものすごくタイムリーで良かった。」

広い教会駐車場の土地に、建つという。和子さん宅の700坪の土地、プラス3階建ての大きな家で、当時の日本円にして2300万ぐらい。「だからねえ、広島の新会堂が79坪で、5300万なんて言っても、こちらの皆、全然信じらんなくて、もう、何だか、わけわかんないんだよ。」(笑)

知らん間に、新会堂が建つなんて、そっちの方こそ、信じられん!!!! どういう事なん???

私達が帰国した次の聖日も、「色々な人達が私の所へ来て、先生の証しに感動した事を話してたよ、休暇まで神様に用いられて良かったね。」とメールをくれていた。

教会が学校を作り、教員全員クリスチャンで、御言葉に立った教育が自由にできて、知らん間に新会堂が建って、沢山の宣教師を全世界に送り出し、社会の中で、神様や聖書が土台として発想があり、考え方がなされる。 ラジオをつけると、1日中メッセージと賛美が流れていて、ほんとに恵まれてる。日本と根本的に何かが違う。夫と話す。やっぱり、アメリカの国って、神様に祝福されてるんだよねえ。建国の時から、神に祝福されてる、その祝福だよねえ。

和子「日本とは全然違うよ。全く違う。聖書や神様が一般日常会話で、自然に自由に語れる。それが普通。クリスチャンはすごく住みやすい。」考え方、発想が、神様や聖書が土台で、そこから始まる。そこが違う。1%の日本。だいたい、神からしてわからない。八百万の神々がうごめいていて。まことの神様の説明から苦労する。社会の中での、クリスチャンの大変さ。目に見えない世の勢力は凄じい。逆潮流の中を、一人で全反動を身に受け、上って行くような。

帰って話してたら、「この世での証し。もう、物凄いエネルギーが要りますよね。この世の勢力は凄じい。もの凄いですよね。この世の、目に見えない勢力と戦いながら、もう消耗して、まあ実も少ないし、気の遠くなるほど時間はかかるし、何かクタクタですよね。」(大笑) 「いやあ、そういうの、日本じゃ全然、全く無いじゃないですか。考えられないじゃないですか。そいういうのが、実際あるという事自体が、もう、ものすごく励まされますよ」

和子「どちらにとっても、日米双方にとって、素晴らしい祝福として下さったんだね!!」

翌月曜、和子さんが1泊2日のニューヨーク旅行を手配してくれていた。 裕子さんと落ち合うため。朝5時半に出て、ワシントンDCから列車に乗る。最寄りの駅まで車で行くが、もう延々渋滞。動かない。えー!だって、まだ5時代だよ? アメリカでは、とにかく8時間、職場におれば良い。早く引けたいから、皆、早く出勤するそう。4時にはもう帰宅してるとか。

3時間、列車の人に。ニューヨークに到着し、駅からホテルまでタクシーで。大阪みたいに、両サイドは駐車車輌で埋められ、真ん中の車線をビュンビュン走る。渋滞で車がひしめく。その中をどんどん追い越す。もう接触しそうで恐いー。前と後部座席の間が完全に仕切られ、小さな窓が開いてるが、夜になると、完全シャットアウト。防犯のためだそう。 Bちゃん「でしょう!!私、ニューヨークでタクシーに乗ってて、ぶつけられたんですよ。あの運転、絶対恐いですよねえ。ムチ打ちになったんですよ。」

和子さんが、わざわざ私達のために、日本語ガイドによる、バスツアーを予約してくれていた。 ブロードウエェイ、タイムズスクエア、エンパイアステートビル、マジソンスクエア、ウォール街、今までよく耳にしていた名前、 次々に通り過ぎる。

そのガイドが、グッチだ、ルイ・ヴィトンだ、日本の芸能人の誰それが、あの店に行った、この店に来た、延々続く。高級品が安いだ、うまいレストランだ・・もう、うるさいから黙っててくれい、そんな事、聞きたくない!と内心。和子さんも全く同じ事を思ってたと。

それが5番街に達した頃、この辺はゲイが多く、ゲイの大きな集まり日があり、その日にはこの5番街を、ゲイが大集団になって練り歩く。その向い側はレズの大集団で・・7色の旗が店に立てかけてある所は、ゲイしか入れない。ゲイ専門店。あそこも、あそこも、ここも・・7色の旗が。

その説明が気持ち悪いのだ。異様なものが漂い来る。苦痛でその場から逃げ出したい。嫌なものを押しつけられる。その場にはっきりと感じた、暗闇の支配する世界、死。

その瞬間、光のように、神様が見えた。CJと和子さんとの主に在る交わり、愛、優しい配慮、教会に感じた、神の聖さ、真実、真理、光。聖い神様。それまでの5日間、クリスチャンだけに囲まれ、天国のような、恵みに恵まれた環境の中にいたのだ。

しかし、その満ち溢れた「恵み」を、真に「恵み」として認識できたのが、死に触れた時だった。サタンの暗闇に触れた瞬間、すでに輝いている光が鮮明に認識できた。こういう事なのかも知れない。光がわかるために、神様は闇を許しておられる。

ちょうどその前に、和子さんと罪の事を話し合っていた。 和子「うちの教会でね、海外宣教に出ていた宣教師が、現地の女性を導いている間に、間違いを犯した。不淪関係になった。 それが発覚した時、パスターはすぐに、その宣教師を本国に呼び戻した。そして、すぐに、もう次の日に、噂が噂を呼んで間違った情報が伝わる前にと、教会で、男性と女性に分けて、パスターが男性達に、牧師夫人が女性達に、はっきりときちんと、事実を説明した。そして、この件に関して、質問があれば何でも答えると。対応がもう即座で、すばやかったよ。

次の日に、その宣教師が、皆の前で悔い改めを表明した。皆も赦して、今は一信徒として、神様に仕えている。何のわだかまりも、全く何も無い。すごいよね。事実を正しく知らされるから、私達もきちんと赦せる。罪が真に赦される事を見せられた。ほんとに教えられた。」 「パスターの対応が立派だわ。尊敬するよ。」

フェリーで島に渡り、あの自由の女神を見た。フェリーから見る摩天楼がまさにニューヨーク。ワシントンDCとニューヨークって全然違う。空気が違う。「政治の中心と経済の中心の違いなんだろうね。」

夜の街に出る。「おうどん食べよう!」。ニューヨークで、何でうどん食べてるんだろ。しかし、美味しい〜と3人で感激。ブロードウェイ、タイムズスクエアと散歩する。「夜、歩いて大丈夫なの?」「うん、危険で絶対に歩けない所もある。ここは大丈夫。」真冬のごとくに、とにかく寒い。エンパイヤーステートビルからの絶景をと、言ってくれたが、余りの寒さに引き揚げた。

翌朝は、裕子さんとの再会!もう何年、5、6年振り? 昨年、離婚の大変な苦しみを通った。どんなに会いたかったか。着いた時に電話で話した。裕子「もう嬉しくて嬉しくて!先生、聖書と聖歌を持って行くからね!セントラルパークで、賛美して集会しようね!」裕子さんの住むロードアイランドからニューヨークまで、バスで4時間。バスは危ないんだとか。和子さんが、サポートするから列車でおいでと言っても、バスが安いからと。

前回、バスで和子さん宅へ行った時、後ろの席の黒人の手が、窓際の隙間から、前に伸びて来て、裕子さんのバッグを奪おうとする。「しっ!しっ!」と、バッグをしっかり抱きかかえ、手を払いのけ続けた。裕子「『この恥知らず者!!』と言ってやったよ。」

ええっー!!ちょっと!何という世界。そんな恐いー!! 和子「だから、普通、バスは乗らない。裕子に列車でおいでと、しつこく言ったんだけど。」裕子さん、迷惑かけたくないと思ってるんだ。経済的に大変で、ギリギリの中でやり繰りしている。 「仕事休んで来ると、裕子、給料が無いんだよ。雪で休みが続いた時も、すごく不安そうだった。前に車の故障で、30万要るという時、お金が無くて、崖っぷちだった。泣いてて心底神様にすがった。すると欠陥車だとわかって、メーカーで全部無料修理してもらえた。神様のみわざを見た。」 「アメリカの家はセントラルヒーティング。裕子は節約のため、それを使わないで、料理で熱したオーブンを開けて、その熱で部屋を暖めてる。昨年の暑い夏も、クーラー無しで通した。」

異国の地で、夫がおらず、小さい子供達を育てている、裕子さん、どんなに大変か。「着いたら、ホテルまでタクシーでおいで」と和子さんが言っても「大丈夫、歩いて行く」「じゃあ、私達の方から迎えに行く」「大丈夫」どこまでも、迷惑かけないようにとの、裕子さん。

感激の再会。抱き合う。裕子「ニューヨークで会えるなんて!!もう、不思議で、不思議で、夢みたい。神様すごいー!!」「ニューヨークで、こうして一緒に歩いてるなんて、ほんと信じられない!」

店に入り、座った途端、裕子さんどっと泣き出す。実はその前夜ハプニングが。家主から突然、4月中に家を出るように言い渡された。もうパニック。バスの中、ずっと泣きながら来た。不安で不安で、おいおい泣き続ける。 3人で励まし慰めていると、落ち着いて来た。「漠然とした恐怖に襲われて、混乱しているから、一つ一つ必要を具体的に紙に書き出して、祈り求めながら、心に留まる御言葉を書いて行けば、神様のみこころが鮮明になって来るよ。」「わかった、そうする。」笑顔が戻る。

一段落して、今までの離婚に至った経緯、心情を話してくれる。あの厳しい試練のまっただ中、もう、ひと息、ひと息、息をするのがやっとだった事、乗り越えさせて下さった事。経済的にパニクった時、必ず必要与えて下さった事。まさしく、信仰によって生かされている裕子さんを見る。 来る前に話した。和子「息をするのがやっという、裕子、そんな所を通ったんだなあと。私にはわかんないものねえ。このクリスマスに会った時、もう全然違う裕子だった。以前の裕子と全く違う。」「わかる気がする。異国の地で、一人で働いて、二人の小さな子供を育ててるんだものねえ。必死だよねえ。そりゃ、変わるよ。」

裕子「先生達、アメリカはどう?」「もう、和子さんちで、すっかり憩わせてもらってる。」「あの部屋いいでしょう!全然気兼ね無くてね。私も泊まったよ。クリスマスにね、元主人が子供に会いに来た。それで、行く所の無かった私を、和子さんが受け入れてくれて(涙声)呼んでくれた。感謝で感謝で、もう有難かった。あの一部屋が、うちの家、全部合わせたより広いんだよ」(笑) 和子「裕子がね、先生達を、アメリカに呼ぶと言ったらもうビックリして。あんな忙しい先生達が絶対来るわけ無いって。だって、来て欲しいんだもん。そんなの言ってみないと、わかんらんじゃんって。次にね、本当に先生達来るよって言ったら、もう裕子驚いて、信じられないって」(笑)まさしく、天のお父様が会わせて下さった。あんなに会いたかったのを、真にご存じで。

セントラルパークで集会予定が、余りの寒さで無理。マクドナルドのテーブルで、4人で聖書を開いて、夫が御言葉を語る。Uコリント1:から、試練と慰めは天秤のようで、試練が重いと、慰めも深い、必ず慰めを用意していて下さる。試練と共に慰めも来る。裕子さん、ずっと泣いている。皆で、裕子さんのために祈った。裕子「ずっとここにいたい。離れたくない。」帰りのバスの時刻になり、抱き合って別れを惜しむ。心満ちる、イエス様中心の祝福に溢れた交わりを下さった。

日本でも、兄姉方が祈って下さってた。「姉妹達との交わりが祝されますように」祈りの答え!! 和子「良かった!!裕子、元気になって帰ったね!時がピッタリ!ほんとは前日来る予定だった。神様だね。やっぱり、牧師の語る言葉ってすごいと思った。すごい力がある。良かった」

私達も列車に乗り、夜11時、和子さん宅に帰着。翌日、裕子さんから明るい声で電話。 「すっかり落ち着いた。神様が見えた。大丈夫。あれから帰り、バスの中で、この日のために、先生夫妻をわざわざ、私のために日本から送って下さった。これが神様の慰めだとわかった。」(笑)和子「でも裕子、神様が見えたんだ。ドツボにいたのが、神様に再び焦点が合ったんだ」

別れ際に印刷物を渡した。「すぐ、かわらばんを読んだ。沖先生の三原宣教の証しを読んで沖先生も辛い所を通ったんだなと、強く心に来た。私も、その4月からの三原信仰約束に祈ってあずかりたい。」 涙が出そうだった。お金が無い事を知っている。生活が大変なのを。裕子さんのその気持ち、犠牲に、心が恵まれる。そんな献金と祈りで、三原宣教がなされる事が、誇りで、嬉しい。

沖先生が三原宣教決心したものの、これからの事も不安、そんな時、一番最初に三原献金をしてくれたのが、この裕子さんだった。アメリカから愛の献金を送って来てくれた。どんなに励まされた事か。神様からの、大きな慰めと励ましだった。余る中からでなく、生活すらままならない中からの、犠牲的な献げ物は、周囲を大きく恵んで、神様の栄光を現わして行く。

最後の日。CJが又、又、休みを取ってくれる。朝食は、メキシコ料理ブリトーを作るからと。電話がしょっ中かかる。受話器を肩に置き、話しながら料理する。しばし応対して、今、僕は、ブリトーを作ってるんだと切る。前にも、オムレツを作ってる最中だと、次々切ってた。堂々と、と言うよりも、全く自然に、今、僕は料理中なんだと言う、男性が新鮮だった。

事に料理が出来上がる。私よりずっと丁寧。どれもこれも上手で、美味しい。 最後だから、行きたい所は無いか、どこでもいいよと言ってくれる。クリスチャン書店へ行く。マーケットに寄った時、CJがクッキーを買った。「コレ、カズコサン、スキデス」。細やかな行き届いた愛情に、もう、う〜んと、うなってしまった。いつもいつも、和子さんを思ってるんだ。

夜、もう一度、祈り会へ出席出来る恵みに感謝。子供達も出席している。まさに、聖日礼拝と同じように、人々で埋まっていた。CJがソロで、特別賛美。心にしみ入る歌声だった。水曜集会は、子供は強制はないが、親が来るから、皆来るとか。だから、水曜は宿題が一切無し。教会が学校だから、いいねえ。 集会前、又、人々が次々と、挨拶と握手をしに来て下さった。日曜の証しに恵まれてと、皆が言っておられた。私達もこのヘリテイジバプテスト教会に、来れた事が大きな祝福だった。

帰宅して、最後の夜。CJ、和子夫妻と私達の4人で交わる。イエス様がそこにおられた。涙で、心が、真に通い合う素晴らしい交わりの時とされた。

和子「もう一度、神様のもとへ帰れた。岩国にいた時、神様との生き生きとした交わりがあった。心に喜びがあって、いつも暖か〜いものを感じていた。それが、アメリカへ来ていつしか見失ってた。教会へは行ってるけど、神様から離れていたのがよくわかった。

いつも恐い。恐い神様になってた。自分はいつも基準に達していない。だから罰されるとしか思えない。まず、自分は生活面が出来ていないから、祈ってもだめだ、答えられないと思ってしまう。CJに電話して、つかまらない時など、恐怖。神様は私がダメだから、CJを取られたんだとパニックになる。刈り取りだって。いつも恐怖だった。

皆に、あなたは素晴らしい夫に恵まれて、経済的にも恵まれて、仕事にも恵まれて、あなたほど幸せな人はいないと言われる。でも、私の心は、全然ハピーじゃない。私の心はいつもアンハピーだった。いつも恐怖で、喜びが無くて、不幸せだった。神様、ごめんなさいで、もう、何が、ごめんなさいなのかもわからない。もう全部、ただただ、ごめんなさいで。いつも自分は足らなくて、基準に達してなくて、自分のすべてがダメで。こんな自分は受け入れられないと、祈りも出来ない。

今回、来てもらって、岩国の私がよみがえった。ニューヨークで、裕子が落ち込んで、恐怖と不安でパニックになって泣いて来た。それが、数時間の交わりの中で、裕子があんなに変わるのを、目の前で見た。目の当たりに、神様を感じた。

神様の愛は無条件で、私がどうであれ、神様の愛は変らない。変らず、愛し続けて下さってて、失敗しても、転んでも大丈夫で、抱きしめて下さってる、暖かい神様が戻って来た。以前、岩国にいた時、神様に心を打ち広げて、正直に祈ってた。嫌な事は嫌、出来ない事は出来ないと、全部正直に神様と交わってた。

失敗した時も、罪を告白すると、真に赦されるのがわかった。暖か〜い、平安が心に一杯に満ちて、赦された実感があった。すぐそばに神様がおられるのが感じられた。心がいつも暖かくて、嬉しかった。あの祈りも、全く無くなってた。もう一度、あそこに戻って、始めたい。」泣きながら、話した。

その前に、和子さんと夫と3人で、和やかな中で、互いの生い立ちや、子供の頃の事、色々な事を語り合った。 和子「うちの家、メチャクチャでね。父はワンマンでお酒を飲んでは、いつも怒ってた。母を殴ってた。もう父が恐くて、恐くて、ただ恐かった。親の愛情がわかんなかった。いつも、ちゃんとしないと、罰が当たると言われ続けた。今は良くても、必ず悪い事が起こると言われ続けた。天の神様が見てて、罰が当たる、罰が当たると、もう凄い恐怖だった。だから、神様も恐いと思ってしまうんだと思う。」

「多恵子先生は何で?小さい時に、神様はきっと暖かくって、大きな方で、包み込んでくれて、って、何でそんなイメージが持てたの?何で?そいういうの、私なんて、絶対考えられない。神様はもう恐い、恐い人だった。」「でも、結婚して、CJはあんなに違うのに?」「CJは全く違う。でも親って根深いんだよねえ。いつまでも引きずる。自分の中に古い人と新しい人の二つがあるのが、もう、はっきりわかる。古い、根強いものがあるのがわかる。」

そして、夫が「今回、CJと和子さんが私達を招待して下さって、神様の導きを確信できて、来れました。ご夫妻の愛、親切、好意を心から感謝しています。二人が休みまで取って下さっていて恐縮で、交わりや観光で、くつろいだ時を与えられ、休息の時とされました。 CJと言葉はわからないが、心が通い合った。教会も見学出来て、新会堂のために祈っていて下さった事に驚き、沢山の祈りの中で建てられた事を改めて知れた。ここへ来て、和子さん家族が守られて、神様に仕えている姿を見れて、嬉しかった。神様が与えて下さったこの旅行に、交わりに本当に感謝でした。」

CJ「本当に来てもらって良かった。証しを聞いて心打たれた。感動した。聞けて良かった。和子が先生達を呼びたいと言った時、賛成だった。ほんと全然嫌じゃないし、本当に良かったし、来て貰いたいと思った。 ところが、ちょうど、仕事がものすごく忙しくなって、大変で、和子はどんどん休んでくれと言うし、和子はもう会いたくて、会いたくて、待ち続けてるが、僕は先生達を全然知らなくて、よくわかんないし、仕事とでプレッシャーになってた。 神様に祈った。空港に迎えに行って、会った瞬間、それらの思いが全部吹っ飛んで無くなった。心が喜びで溢れ、滞在の間、本当にもてなしたいと思った。

次の日、案内した時も、自分が日本語が出来なくて、よくもてなせない。でも、言葉は話せなくても、本当に心が通じ合うのを感じた。今回来てもらって、和子が岩国で、日本人集会に集って、突然変ったわけがわかった。自分自身、もっともっと神様を求めたいし、神様に従って行きたい。もっともっと、良い父親になりたいと思った。本当に、本当に、来てもらって良かった。」CJも泣いていた。

「私は、あのガイドを通して、暗闇に触れた時、ディボー家に、神様の聖さと光を見た。家庭が神様に守られ、栄光を現わしている事を見て、感謝でならない。初めて交わったCJの真実に触れて、本当に心温められた。」

『見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が 輝き、その栄光があなたの上に現われる。』イザヤ60:2

CJと交わるのは初めて。岩国のフェイス教会で、役員をし、司会をしていた、模範的クリスチャン。 CJとの交わりの祝福を祈っていた、祈りが答えられた!! 最後に、涙ながらに4人で祈った。 イエス様が真ん中におられた。心通い合う。素晴らしい交わりとされた。背後の、皆の祈りに答えられて・・。

和子「早かったー、あっという間だった。先生達が来るのが、もう嬉しくて、嬉しくて、待って、待って、楽しみで待ち続けてた、あの待ってた時が、一番幸せだったぁ・・」ああ、そんなに待ってくれてたんだ・・。

渡米直前に、ミシガンにいる姉妹がビデオ「レフトビハインド」を送って来てくれた。 再臨の映画を見たというので、それは見たいと言うと、コンビニにあったと、すぐ送ってくれた。

字幕スーパーが無いので、よくわからないが、主人公がパイロットで、飛行機の中で再臨が起こり、突然人々が消え、パニック。帰宅すると、クリスチャンだった奥さんと息子が消えている。娘と取り残され、反発しながらも、どうしても真実を知りたい。教会では、副牧師が取り残されて、自分は人々を教え、説教もした。しかし、自分は取り残され、皆は行ってしまった。救われてなかったらしい。ワンモアチャンスを欲しいと、悔い改めて、ひざまずいて祈る。牧師が、ビデオに再臨とその後の解き明かしを残しており、主人公達も神に行き着く。

もう一人の主人公、青年ジャーナリストが、人々が突然消えたり、不可解な事件の数々から、何が起こってるのかを探る。平和を約束する反キリストの出現、神殿建設計画、世界食料供給コントロール計画等に、聖書の記述と、現実がピッタリと一致する事に愕然とし、神に行き着く。トイレで、神に祈る箇所が印象的。「神よ、かつて一度も祈った事がない・・しかし、僕にはあなたが必要だ。それが、わかった。僕はあなたを信じる。」この場面に感動。真に神様を求めるならわかるんだ。

その昼の外出時、CJが車の中でラジオをつけると、力強い御言葉が聞こえて来る。「え!ラジオからメッセージ?」「クリスチャンの放送局が5つあって、どれも1日中、説教や賛美を流している。僕はこの局が好きで通勤途上に聞いてる。心がとても和むんだ。」「5つも!」「そう、好きなのを選べる。」 ラジオから流れて来る、御言葉を聞きながら、強く感じた・・それが何だか象徴的で、この世界に、真理が一つあって、神は明らかにしておられ、御声を発し続けておられるんだと。一つの正しい御声があり、語り続けておられる。もし、聞こうとするなら、必ず聞こえて来ることを。そして、自分自身が神様に出会えた事が、嬉しくて、嬉しくて、感謝が湧き上がる。

そのビデオ、わからない箇所を聞きたくて、アメリカまで持参。和子さんと一緒に見る。「あ!これ知ってるよ。この本読んだよ。ティム・ラヘイ牧師が、聖書をベースにして、物語に作ってるんだよ。もう、アメリカで大ベストセラー。」「レフトビハインド」って「取り残された」って事?「そう」再臨に取り残された。物語は面白かった。良い顔をした反キリストが、国連を牛耳って、食料供給コントロールにより、世界を支配しようとする。「ふう〜ん、こんな風にも出来るんだ」

最後の夜、2時まで和子さんと話した。「いいご主人だね。CJは本当に神様が大切で、神様を求めてて、神様に従おうとしてる。その心がすごくわかる。だから、心が通う。」「そう、CJは神様をずっと求めてる人、渇きがあって、どんどん神様求めて行く。素晴らしいなといつも思う。尊敬できる。私、ほんとに感謝が足らない。」

最後に、一緒に祈った。和子さんの霊的な事、裕子さんの家の必要、すべて心を注ぎ出して祈った後、平安が心が広がった。御父は聞いて下さった、確信に満ちた。

翌朝、帰国日。空港に送ってくれ、仕事に直行。携帯の番号を教えてくれ「万一、何かあったら、すぐ電話してね。もし、飛ばなかったら、すぐ迎えに来るからね。」(笑)

最後まで、細やかな心遣いを有難う。韓国の姉妹の小切手を、CJが換金手続きしてくれ、最後の夜、これはディボー家からと、広島の教会と、私達家族への献金まで。私達を招待するため、今まで蓄えていたものだと。主に在る愛を本当に有難う。

沢山の思い出と、暖かい温もりに心が一杯に満たされて、ワシントンを後にした。 成田までの間、滞在中の数々のシーンが次々によみがえる。心が恵みの余韻で満たされている。

夜、広島空港に近づいた頃、真下が、真っ黒の絨毯に、色とりどりのキラキラ光るビーズを敷き詰めたよう。思わず、「あなた!綺麗!」と叫ぶ。眼下を彩る光輝くビーズに、見とれていると、山の中へ入り、着地体制へと。

おお、帰って来た。山の空港だ。一つの光が、大きな輪をゆっくり描いて、飛行機を誘導している。その光を目当てに、光に導かれて、その光通りに、飛行機は、無事着地した。光の方向を見ると、一人の係員がサーチライトを照している。無事着地を見届け、ライトを消した。何だかとても印象的だった。大きな光があり、常に、光に導かれて歩む、私達の旅路。そして、私達が、真っ暗なこの世の燈台である事を、願っておられる、神様のお心が、ヒシヒシと迫り来る。

空港に降り立つと、中国組3人と、え!何で?M兄が笑って立ってる。「札幌に出張してて、今、ちょうど降り立ったところなんです。」周郎「出口をずっと見てたら、村上兄が歩いて来るんじゃけえ、ビックリしたあ!」(笑)

中国へ奉仕に行った3人組が同じ日に帰国。帰路途上、乗せてくれる事になっていた。心弾んで第一声「中国、どうだった!!」。すべて首尾良く、大成功!!わあ〜良かったー!!「アメリカはどうでしたか?」夫が「もうあり過ぎて、何から話していいかわからない。」(笑)ほんとにそうだ。車中、中国とアメリカの、溢れる祝福が飛び交い、恵みの雨。

空港からの送迎付きで、無事帰着。皆に祈られて、その祈りに答えられて、素晴らしい恵みに満ちた最高の旅行とされました。本当にお祈り有難う!! 祈りが感謝でならず、その方々のために、このアメリカ旅行記を書きました。書くのも大変だったが、読むのも大変だー。(笑)

滞在の8日間、別世界の、のどかな静けさの中で、夫婦でゆっくりさせて頂きました。“何も考えなくてよい”これが一番大きく、最高の安らぎでした。CJと和子さんの愛情と親切、そして、その背後の、神様がしっかりと見えました。CJ&和子さん通しての、神様からのプレゼントであり、神様の私達への愛。愛されている!喜びに満ちました。

神様有難う。CJと和子さん有難う。教会の兄弟姉妹達有難う。祈って下さった沢山の方々有難う。博子姉が言ったように「イエス様に再び会う時、一つだけ問われる。それは、あなたは私の愛を、どれほど受け取りましたか?」。ただ受け取ります。そして、有難う!! 『すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。』ローマ11:36

そして、ディボ-夫妻に神様からの報いが豊かにありますように。 『このわざを証拠として、彼らはあなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らにまたすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。』

そして、この旅行のテーマは、神様のお心は何だったのかな、と考え巡らした時、神様が一番、 みこころとされたのは、『交わり』。CJ、和子さんとの交わり。裕子さんとの交わり。 教会の人々との交わり。本当に、本当に、行って良かった!!

和子さんに渡米の導きを祈ってくれと、言われた時に与えられた御言葉。 『あなたがたのところへ行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています』ローマ15:29 『あなたがたに書くべきことがたくさんありますが、紙と墨でしたくはありません。あなたがたのところへ行って、顔を合わせて語りたいと思います。私たちの喜びが全きものとなるためにです。』Uヨハネ12

ワシントンDCで、沢山の桜の木を見た。これが、あの有名なワシントンの桜、ポトマック川沿いの桜。 和子「そう。4月には、それはもう見事だよ。毎年ものすごい観光客。アメリカ全土から、どーっとやって来る。通勤する者には、渋滞渋滞で迷惑だけどね。」(笑)

まだ寒くて、裸の木々。これが開花したら、どんなに見事だろうー。綺麗だろうなー。その場で、想像して、桜の花を咲かせた・・。 昨日、テレビのニュースで、あのワシントンの桜が咲いたと、放映していた。あ!咲いたんだ!

今まで、単にアメリカ、漠然とアメリカに過ぎなかった。しかし、CJと和子さんのいるワシントン、 それが、私にとって「特別」なものになっていた。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している”。 「特別」だと言って下さる、イエス様の愛が、そのまましっかり、自分に返りつつ・・