[印象深い出来事バックナンバー]

アメリカ旅行で教えられたこと


和子さんの証し


ずっと以前に、多恵子先生が証しを掲載して下さったので、覚えておられると思います。 私は、自己顕示欲の大変強い子供でした。優秀な姉と、常に比較されて育ったせいでした。 又、私は、何もかもが、姉に劣っていたので、劣等感のかたまりでした。その劣等感の裏返しで、 絶対に人より上でなければならないとの、強迫観念がありました。

そんな風で、すべてが勝ち負けとなり、絶対に負けたくない。勝たなければ気が済みません。 そして常に、自分が、中心でなければ気が済まず、いつも不安で、不安定で、 この大きな劣等感に、おしつぶされそうでした。

自分が中心で、すべてを支配していないと、 心の安定が保てません。頑張る事で、人の愛を得ようとしました。 比較の中で育ち、本質的に曲った性格になって行ったと思います。

高校留学、大学、KDD入社と、順調に進みましたが、常に人には、強さしか見せず、 肩ひじ張った生き方をしてました。その中、主人と結婚し、渡米。アメリカでも絶対にアメリカ人に負けまいと、 主人に無理を言って、 大都市に移り住み、いわゆる日本の大企業と言われる所で頑張って来たのですが、 初めての妊娠をきっかけにイエス様との出会いを与えられました。

しかし、私の信仰生活における『成長』というものが全くありませんでした。今思えばよくわかりますが、「私を変えて下さい」との態度で、神様に向かった事が一度も無かったのです。 自分の都合が悪いと、神様をシャットアウトし、ただ、自分の欲望を遂げて欲しいという態度でした。

そして、自分の欲望で、進路を選択した事から、みこころをはずれてしまいました。段々、 教会へ行かなくなり、その頃から、何もかもが狂って行きました。夫婦仲が冷めて行き、それで、 私はこの世のもので、自分を満たそうと、完全に的はずれな方向へ、向かって行きました。

それは、加速度的に、突進し、止まりませんでした。この世の名誉、地位、賞賛を求め、仕事上の、華やかな世界で、錯覚と幻想の中に迷い込んで行きました。劣等感が自分の存在の根底にあったため、すべてのものが劣等感の対象となり、自分の親も、自分も、自分の夫も、何もかもが、深い、癒されない劣等感のとりことなり、ますます泥沼に深くはまり込んで行きました。

しかし、仕事で、どんなに賞賛や評価を受けても、何も満たされない。華やかさの陰で、 癒されようのない虚しさの中にいました。何がどうなれば、よいのだろう。 離婚して、夫が変わればよいのか、いや、そんな事ではだめだというのも、わかっていました。

あらゆる事が錯覚の中に混乱し、もう、自分の事しか考えられませんでした。私は、 夫を見下すようになり、夫への気持ちは冷え切っていました。何の感情もありませんでした。 罪意識すらありませんでした。心の底から虚しく、イライラして、虚栄と虚勢の中にいました。

何もかもが秩序を失い、方向を見失い、的をはずれて、壊れていました。夫の心はどんどん荒れて、 すさんで行き、お酒にのめり込んで行きました。柔和な、愛情深い彼を、そうしたのは私でした。

私の態度が、ますます、彼をそうさせて、追い詰めて行ったのです。私の心も、すさみ切っていました。歯車が狂い、もう、何もどうする事も出来ませんでした。

そんな時に、岩国転勤が来たのです。もう私はついて行く気はありませんでした。 これを機に別居を考えていました。しかし、今思えば、すべては奇しい神様の導きでした。

親友の忠告により、私が夫をどんなに傷つけていたか、初めて我に返ったのです。恐ろしくて、恐ろしくて、すぐ岩国に飛んで来ました。そして、フェイス教会で夫婦揃って教会生活は始めたものの、神様から余りにも離れてしまっていた、私は、うつろでした。

そんな時に、赤ちゃんが亡くなる衝撃的な事件が起き、脳天打ち砕かれるようでした。 それをきっかけに、覚醒され、神様に立ち返らせられました。 その時から、裕子が集っていた日本人集会に出るようになりました。

以前から、何か心惹かれるものを感じながら、心がつっ張っていて、素直に行けなかったのです。 そこで、芝山夫妻と出会い、どんどん親しくなって行きました。毎週、欠かさず出るようになりました。生まれて初めて、自分の内で、御言葉が生きたものとなりました。生き生きと、自分が、真に『生き』始めるのがわかりました。

いのちとなって、溢れ出ました。霊的な事柄の意味が次から次へと、まるで洪水のようにどっと押し寄せ、 一つ一つが真に心から理解できました。目が開かれました。

どんどん、どんどん、驚く ばかりの勢いで、霊の糧が吸収できました すべてが、何もかもが、新しいものでした。私が信じていたものは、これだったとの確信が 心に湧き上がり、嬉しくて、嬉しくてたまりませんでした。

喜びが心に湧き上がり、暖かい温もりで心が一杯になりました。 余りの私の変わり様に 夫も驚き、ただただ目を見張りました。

一番の感謝は、岩国へ導かれた事でした。来た時は離婚寸前、心も、信仰も、家庭も、何もかも、もうすでに崩壊していました。奇跡が起こり、夫婦が、信仰が、家庭が建て直されました。

そして、1996年、再びアメリカ転勤となりました。芝山夫妻に強くつながっていた私は、 アメリカへの帰国に非常に抵抗がありました。でも、祈る中、神様にすべてを任せる事を教えられ、 とにかく不平を言わずにアメリカに帰る事により、素晴らしい教会を与えられると信じ、帰国しました。

ワシントンDCから約30キロ南、ウッドブリッジに素晴らしい家と、バプテスト教会が与えられました。 今までの教会に比べると大きな教会で、岩国フェイス教会で非常に重宝がられていた私は、 居場所が無いようで、非常に寂しい思いをしました。

でもその中、自分が何人でも無いのに、神様は私を愛して下さる事を学びました。 アメリカは本当に恵まれた国です。教会が町のあらゆる所にあり、聖日礼拝があり、 サンデードレスで着飾った人々が、レストランをいっぱにします。 私も、週3回、教会に通う典型的クリスチャンとなりました。

かつて、岩国でビンビン経験した、神様の「愛」、「力」、「奇跡」というのは、遠のき、とても落ち着いた日々の中、私の心は外側だけを気にする、神様から遠く離れた、みじめなクリスチャンとなって行きました。

仕事、家、素晴らしい夫、子供達はクリスチャンスクールに通い、外側から見ると、これ以上言う事のない、 幸せな生活にも関わらず、心の中は、暗く、暗澹たるもので、負け犬のようでした。

どうして、経済的に恵まれ、幸せな家庭に恵まれ、能力を発揮でき、やり涯いのある 重要な仕事もあるのに・・どうして、こんなに惨めで、不幸せで、 敗北の生活なんだろう。外側を作ろうとすればするほど、私の霊的生活は、 更に深く落ち込んで行き、もう限界でした。

その時、前からずっと祈り続けていた、一つの願いが心に止まったのです。それは、先生達をアメリカに招く事。そうだ、先生方をアメリカに呼ぼう。先生方は伝道生活始まって以来、一度も二人で休暇を取られた事がない。神様だって、7日目はお休みになった・・。そして、何よりも私自身が、その交わりを求めているのがわかったのです。

先生方の訪問は、やはり神様が与えて下さった贈り物でした。交わりを通して、自分がルールを作って行き、どんどん、自分をがんじがらめにしていた事に、気づかされました。

ルールを守る事によって、神様に近づくのではなく、その前に、自分を正直に神様の御前に持って行く事。自分の姿を認める事、そして、神様のなさる事、恵みをただ見つめる事、これが心の平安につながるのだという事を、もう一度、見ることが出来ました。 あんなに遠い離れた所にいた神様が、暖かい私のお父様に変わりました!! 先生達、有難う。 私達のために、常に祈ってて下さったのでしょうね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 和子さんが、小さい頃からの傷が、キリストに出会って癒されて行った。キリストの「癒し」を経験する のは、「傷」の中であること。
裕子さんは、突然、家主から家を出るよう言われ、小さな子供二人を連れて、路頭に迷うごとき 悲しみを経験。その「悲しみ」の中で、キリストの「慰め」に触れた。
傷や悲しみ、苦しみ、痛み、そのような中でこそ、キリストの慈しみ、力、愛、慰めを経験できる ことを教えられる。

『ほむべきかな。主。主は包囲された町の中で、私に奇しい恵みを施されました』詩編31:21