救いとは


1救いとは、どんな意味ですか。

「罪」からの救いの意味です。罪の罰(火の硫黄の燃える池)と罪の力、支配(悪魔)からの救いです。
「神は、私たちを暗闇の圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移して下さいました」コロサイ1:13

2なぜ救いが必要で、誰が救い出すことができ、どのようにすれば救われますか。

すべての人は生まれながらに罪人で、罪を持ったままだと滅びが待っているからです。永遠の死、地獄にその報いがあるからです。
「罪から来る報酬は死です」ローマ6:23

イエス・キリストしか、他に救える人は一人もありません。
「この方以外には、だれによっても救いはありません」使徒4:12

十字架で身代わりに罪の罰を受けて下さった、イエス・キリストを信じるなら救われます。 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」使徒16:31

3この救いを拒否すれば、どうなりますか。

罪の報いのために、永遠の滅びが待っています。身体は一度死に、塵に帰り、魂は火と硫黄の燃える池で永遠の苦しみを受けます。
「・・不信仰の者、人を殺す者、不品行の者・・者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である」 黙示21:8

4神が愛なら、罪の罰を与えずに赦さなかったのでしょうか。

神は愛と同時に、完全に正しい義なる方、又、聖なる方です。ですから、罪を罰っさなければ義なる方でなくなって しまいます。道徳は崩壊してしまいます。 裁判官が犯罪をいい加減に扱い、きちんと裁判しなければ、正しい裁判官ではないように。
義であり、愛である神には、愛する人間を罪の罰から救い出す方法が、一つだけありました。 それが、たった独りのご自分の罪の無い御子イエス・キリストを身代わりに罰っすることでした。 それを信じることにより、人間を無罪放免にされました。

5もし罪を犯さなかったなら、罪の罰はなかったのですか。

つまり、神の戒めを完全に守れたなら、罰は無いでしょうが、世界中に一人もいません 「義人はいない。一人もいない」ローマ3:10「すべての人は罪を犯したので」ローマ3:23

6誰一人、神の戒めを守れないのなら、なぜ戒めが与えられたのですか。

人間に自らの罪をわからせるためです。正しい戒めがないと、自分がどんなに罪深いか知る事ができません。 鏡に映る時、自分の姿がはっきりわかるように。
「あなたの隣人を愛しなさい」を実行してみて下さい。 絶対に出来ない自分を発見するでしょう。自分がどんなに自己中心で、自我に満ちた罪深い者かがわかるでしょう。

7神が全能であるなら、なぜ罪を犯さない人間を造らなかったのですか。

罪を犯さない人間を造る事はできたでしょう。しかし、それはロボット、機械です。罪を犯さないという選択しか無いからです。 神は、人間をロボットには造られませんでした。自由意志を与え、選択する力を与え、自由意志で、自発的に喜んで、 神を選び、神に従うことを望まれました。 「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置くあなたはいのちを選びなさい」申命記30:19

8人間は、何とかして自分で自分を救う事は出来ないのでしょうか。

できません。泳げないで溺れている人が、自分で助かるのは不可能なように、罪にまみれて、悪魔の支配下にある人間は、 自分でどうする事も出来ません。
誰か、救出者が必要です。そして、イエス・キリストがその十字架上の死で成し遂げて 下さいました。ただ、感謝して、救いを受け取るだけでよいのです。

9教会に行っている人や、聖書を読んでいる人、幼児洗礼を受けた人は、救われているのですか。

いいえ、教会に行く事で救われるのではありません。行いで決して救われません。 イエス・キリストの流された血に、心から信頼し、信じる者だけが救われます。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨハネ1:7


この救いはプレゼントです。
あなたが誕生プレゼントをもらう時、どうされるでしょうか。
引き換えに、お金を払うでしょうか。 いいえ、「有り難う」と言って、受け取られることでしょう。プレゼントとは無代価です。
そのように「救い」は 神様からの贈り物です。一方的にあなたに差し出されています。

あなたの罪の身代わりに、イエス・キリストは十字架上で命を捨てた。それほどに、あなたを神は愛しておられる。 あなたが、罪をもったまま滅びてほしくないからである。
それゆえに、この救いがあなたの前に差し出されています。「有り難う」と受け取られれば、あなたのものです。
一切の罪が赦され、無罪放免とされ、天国が約束されています。すべてプレゼントです

どうしてですか?神が愛だからです。
これを「愛」というのです。