「ほめること」

     

教会の一人の婦人が、話してくれました

教会の育児学び会で、学んだ“ほめて育てること”本当に大切だなあと、考えさせ られました。
ある日、子供に、夕食後のテーブルを拭くよう、頼みました。クリーナーをつけて、それは一生懸命に、拭いてくれました

終了後、見るまだところどころ汚いのです。
でも、「とてもきれになったね。有難う。」と言いました。「まだ、汚いじゃない!」と、言いたいのをぐっと抑えて。後で、自分が拭けばよいと思ったからです。
すると、それから、毎日です。何も言わないのに、食後は、必ずテーブルを拭いてくれるようになりました。

子供にとっては、親がほめてくれることが生きる力です。子供が欲しいのは、親の関心、親の賞賛なのです。親です、親を求めているのです。


ある婦人は、小さい頃、親に、姉と比較されて育ちました。
姉は、すべてにおいて優秀で、美人。それに引き替え自分は、劣等生で、ブスと、劣等感のかたまりで育ちました。 親に一度も認めてもらえませんでした。

その彼女は、大人になってから、眠っていた才能が輝きました。仕事において、能力を発揮し 有能で、地位と名誉をほしいままに手にしました。

しかし、この世の、いかなる賞賛も、決して心を満たすことはありませんでした。
小さい頃の劣等感がぬぐいさられず、どんなに実績と評価があっても、癒されない劣等感は、 彼女をむしばみ、心をすさませて行きました。

親に評価されなかったというところに、心の歪みと屈折の原因があったのです。
神様に出会って、自分の心が照らし出され、見えてきました。まず、自分の心の歪みに 気づくことができました。
本当の親である、神様の愛に触れ、神様を知るに 至って、心が少しづつ癒され、新しくされて行きました。

親への恨みも、はっきりと赦すことができました。心が変えられて、親への愛が与えられ、 心に、今まで経験したことのない、安らぎと喜びを見い出しています。


わたしの目には、あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。


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