あなたは高価で尊い


一人の婦人が話してくれました。

・・・小さい頃から、両親の喧嘩が絶えず、家庭は、不和と争いの日々でした。
物が飛び交い、家の物が次々と壊され、もう目茶苦茶でした。
両親の言い争いが始まると、いつもベッドにもぐり込み、耳を閉じました。

両親の罵声、怒声を聞きたくない。物が壊れるのを見たくない。
目も耳もふさぎました。夜に大げんかが始まると、朝には、家の様相が全く変っていました。 惨憺たるもので、家の中は、見るも無残な光景でした。
悲しみと無念、失望、怒り・・様々な感情が合わさり、胸が苦しくてたまりませんでした。
それを決して見たくないので、ベッドにうずくまっていました。

やがて、辛い事があると、ベッドから出られなくなりました。学校へも行けずに、うずくまっていた事もあります。
結婚し、子供も与えられましたが、その傷と痛みは、大きな後遺症をもたらしました。
問題、悩みが来る度に、ベッドから出られなくなるのです。どうしても出られないのです。
家事も育児も、放り投げ、ベッドにうずくまっている状態が続きました。
家は荒れ放題、子供にはかろうじて、食物だけ与え、世話もせず、放ったらかしでした。

出来ない、自分がどんなに頑張っても出来ないのです。
もがき、あがき、いら立ち、苦しみました。自己嫌悪に陥り、どん底でした。
自分の怠惰だと、自分を責め、自分が大嫌いでした。自分を受け入れられないのですから、子供を受け入れらるわけがありません。
子供に当たり、厳しく叱りつけては、ストレスを子供にぶつけました。 そんな自分をますます嫌悪しました。

そんな折り、聖書学び会に誘われ、“行きたい!”と強く思いました。
心から、何かを、救いを求めていました。続ける内に、打ちひしがれ、妻として、母親として、主婦として失格、 だめな人間と思っていた私に、強い光が差し込みました。神様が臨んで下さいました。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』

こんな私が? 高価? 私を愛してる? 本当に?
神様の深いご愛に、慈しみに、初めて触れました。イエス・キリストを信じました。
少しづつ、手を取って導いて下さいました。心の傷がいやされました。全きいやしを経験しました。 真っ暗な心に、光が、愛が、温もりが点ぜられました。

今、心の奥底に、深い川のような安らぎが、あります。何があっても決して動じる事のない安らぎです。
いつも深い安堵感と喜びが、そこにあります。 家事、育児、その時、その時の為す事に、「心」があります。
『わたしは、いつもあなたと共にいる』と約束された、イエス・キリストが、まさしく共におられるからです。
ですから、生きる事が暖かく、嬉しいのです。心があるから、温もりがあるのです。 完全に変えられました。子供が愛しくてたまらなくなりました。・・・

あなたは、高価で、尊いのです。どれほど高価なのですか? それはイエス・キリストの、いのち・・それが、あなたの価値です。 神の目に、あなたの価値です。

なぜなら、神は、あなたの罪の身代りに、ご自分のたった独りの子供である、イエス・キリストを殺されたからです。 あなたを永遠の滅びから、救うために。

あなたの命と引き換えに、あなたを救うために、イエス・キリストの命を差し出されたのです。 それほどに、あなたは、神から愛されています。