わたしはあなたを愛している


                                        「頑張れと、言わないでくれ!僕は嫌だ!ものすごく、嫌だ!!」

息子が、ある日、突然叫びました。意外でした。自分では、言っているつもりは、無かったからです。
しかし、自分の言葉を、よく考えると、悪い点を取って来た時、「悪い点でもいいよ。ま、頑張りんさい。」と、 いつも言っていたのです。

そして、自分の心の内を、よくよく考えました。
すると、「悪い点でもいいよ」と言いながら、心の中では全然思っていないのです。
「もっと、良い点を取れい!」と、しっかり思っているのです。それが、「頑張れ」となって出ていたのだとわかりました。

そんな親の欺瞞が、子供に大変なプレッシャーをかけ、追い詰めていたのです。
でも、ちゃんと気持ちを言ってくれたので、感謝でした。自分では、全く気づかないのですから、 もっと、もっと追い込んで行ったと思います。
子供を、受け入れているつもりで、決して、受け入れてはいない。 頑張らなければ、今のあなたではだめと、子供を否定し続けている、自分を、見せられました。

ある男性が話していました。

「結婚した頃、妻は、全然私の思い通りでなく、 望む事はしてくれず、望まない事はするんです。
妻に、こうあって欲しいという、私の思いが、強くあった。 細かく要求し、彼女を変えよう、変えようとしていました。
すると、妻がどんどん、生彩を失って行くのです。持ち前の明るさが、すっかり消え、暗い表情で、萎縮して行き、 彼女は全く自信を失い、損われて行ったのです。

そんな妻を見て、私は、神様に、間違いを教えられました。
神様は私を、このままで愛して下さったではないか。 全くの無条件で受け入れて下さっている。
私は、そのままの妻を愛していない。条件つきでしか愛していない。
私は、妻をこのままで、愛そうと、決心しました。彼女が変わっても、変わらなくてもよい、今のままの妻を愛して行こうと、 心に決めました。
すると、驚くべき事が起こったのです。妻は、素晴らしく開花し始めたのです。
生き生きと輝き、彼女の彼女らしさが、良さが、それは見事に花開きました。」

私達はしばしば、相手を愛しているのではなく、相手の良い所を愛しているのです。
そして、それは、自分にとって都合の良い所であり、結局は、自分を愛しているのです。

この自己中心、自我こそ、あらゆる争い、不和、欺きの根であり、『罪』と言います。
この『罪』があるため、私達は人を、真に愛することが出来ないのです。どこまで行っても、 自分を愛するだけです。自分しか愛せないのです。

こんな私や、あなたのために、神は、独り子イエス・キリストを、この世に送られました。
そのキリストは、あなたの、その『罪』を背負い、十字架で死なれました。
それは、キリストが、代わりに死ぬ事により、あなたの『罪』を赦し、解放するためでした。

なぜ、代わりに死なれたのですか。それほど、神は、あなたを愛されたからです。
あなたそのものを、愛して下さっているお方が、ここにおられます。
肩書き、所有物、才能、すべてを除けた、あなた自身を抱きしめ、愛しておられます。
良いも、悪いも、すべて引っくるめた、そのあなたを、丸ごと受け止めて下さっています。

そのままでいいのです、どうぞ、そのままで、この方のもとへおいで下さい。
一つの条件もなしに、無条件で、あなたを愛し、迎えて下さる、この方のもとへ。