[多恵子からバックナンバー]

初めてだけれど、関心のあるあなたへ

・・From TAEKO
「聞く者は生きるのです」

「聖書」は今までに、手にされた事があるか、ないかでしょうか。

私が初めて聖書を知ったのは、中学の国語の時間でした。
その時に、読んでみたいとの強い思いまが。が、きっかけのないまま、やがて、高校生になった時、 友人がクリスチャン。聖書を貸してくれました。

それが、初めて、聖書との出会いです。 そこには、今まで何度か耳にした言葉が。
「あなたの敵を愛しなさい」「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」「心の貧しい者は幸いです」・・
自分とは全く関係のない、かけ離れたものとして、単に抽象的に、観念的に素晴らしいと感銘を受けました。

ところが、旧約聖書の最初に、「創世記」という書があります。人類の一番最初、祖先、アダムとエバが出て きます。これが、もう全く、全然ダメ、お手上げでした。
どう読んでも、ダメ、 神話にしか思えないのです。読めば読むほど、神話です。事実だなんて、絶対に信じられない。

それから、しばらくして、その友人に誘われ、教会へ行きました。
そこで、生まれて初めて、福音(グッドニュース)を聞いて、その場で、イエス・キリストを救い主 として信じました。
自分には「罪」がある事がわかりました。その私の罪の身代わりに、全く罪の無い キリストが十字架で、私の罪の罰を受け、死なれた。
ただ信じるだけで、すべての罪が赦され、 天国へ行ける。なぜか不思議に、すーっと心に入り、理解できました。

その後です!! 奇跡が起こった!
絶対に神話としか、読めなかった、あの「創世記」が、突然神話でなくなった。
聖書が丸ごと生きた言葉となった。そして、聖書が神の言葉だと、信じた時、自分が見る見る 変わって行った。
虚しかった心に、奇跡が起こり、「喜び」が溢れきました。心の内側からです。内側から沸き上がるのです。

「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ 出るようになる。」(聖書)

目がはっきり開かれました。
生きる目的が、意味がわかり、何もかもが新しくなりました。価値観が変わり、 考え方が、発想が変わりました。
天と地ほどに変わった。今、自分の存在が、確かな意味を持っています。かつて何 をしても満足が無くて、どんなに打ち込んでも、充足感が決して無かったその心に、今は一つ一つの為す事が、 永遠につながる、確かな価値と意義を持ったものとして、喜びと変えられた。
何という変化でしょう。奇跡です。確かに、目に見えない心の中に起こった奇跡です。

教会の壮年の男性。
教会へ来るには来るが、聖書の話を、幾ら聞いても、聞いても、わからない。
全くピンと来ず、どうしてもわからない。今までの価値観や固定観念や先入観やいろいろなものが邪魔をする。
余りにもわからないので、ある時、こう考えた。いろいろな思いがあるが、全部、とにかくは横に置いて、 一度、聖書を、聖書の言葉として聞いてみよう。

そいういう態度で、聞き始めると、なんと、今まで決して経験した事のない事態が起こった 聖書の言葉がぐいぐい心に入ってきて、心に触れて涙が出て来た。 目が開かれて、今はクリスチャンとして、同じように変えられた人生を歩んでおられる。


「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」

「知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。
神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることが ないのは、神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと 定められたのです。」

「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」

もし、あなたが、本当に、真理を知りたい、もし神がおられる なら、知りたい、と願っておられる方なのでしたら、 一つの事をお勧めします。

自分の様々な思いを、とにかくは横において、聖書を聖書の言葉として、「聞くこと」です。
もし、求めておられるのでしたら。必ず出会えます。