主にある姉妹から嬉しい便りが届いた。
仕事上の事で悩みがあり、不安と思い煩いの中で、長い間落ち込んでいた。
1997/1/7
経済上の不安や、将来の事や、これ以上一歩も進めなくなってしまった。
落ち込みが来ると、何も出来なくなり、家の中にこもってしまった。若い頃からそうだった。
仕事も家事も育児も、一切出来なくなってしまった。
自己嫌悪に陥り、毎度の同じ事の繰り返しに、挫折感、焦燥感におおわれる。
絶対絶命で、このままでは自分は完全にだめになると、心底感じた。
最後の砦である神様に向かった。よりすがった。心の内をすべて打ち明け、疲れ果てている事、休みたい事、
祈りは叫びとなった。
もうこれ以上やって行けない、現れて下さい、神様に出会いたいと、切なる祈りを献げた。
2、3日、打ちひしがれて、でも必死で、神様の御前に祈り続けた。
あなたがぶどうの木ではなく、わたしがぶどうの木だ。あなたは頑張る必要がない。私の内に休みなさい、と、
とうとう現われて下さった!
そして、何もかもが、すべての事が感謝に変えられた。今までの挫折も、失敗も過失も、何もかも、本当にあって
良かった。
益、益、益、何もかもが益。本当に苦しみを通って良かった。苦しみがあったから、ここにたどり着き、こんな
にも喜びが体験できた。
その時、今まで何度も聞いた御言葉が、全く新しく臨んできた。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。わたし
を離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネ15:5
神様の御手が、完全に自分の上に置かれていると感じた。
自分が頑張る必要はないんだ。休もう。主の内に。そう決心した時、今まで経験した事のない、川のような平安が
どっと押し寄せて来た。
今まで一度も感じた事のない平安。澄みきった深い川の流れのような、動く事のない平安。
「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを知っています。」ローマ8:28
もっと前でも、後でもなく、今、この時の癒しが、神様の最善の「時」であった
何もかもが感謝で、何もかもが新しく、満ちて溢れています。この喜びを伝えたく、お便りしました、と。
恵みに恵まれ、こちらまで引き上げれられ、喜びで満ちました。
「また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だと
いうことです。」ヤコブ5:11
そして、叫び求めること、神様に心の底から叫ぶなら、必ず答えられる。
今、悩みや苦しみ、悶々とした中に、試練の中に、いる兄弟姉妹達、絶対に大丈夫神様の御手の中にある。
どんなひどい所を通っていようと、神様の「時」に必ず、引き上げられ、結末を見る。
神様は何も私達に求めておられない。
「神様助けて」と、この叫びだけを求めておられる。