[日々思うこと・感じることバックナンバー]

最近、恵まれました


一人の姉妹が交わりの中で、証しして下さいました。

イエス様に出会って、本当に、ただただ感謝です。イエス様に会っていなかったら、今頃どうなっていたか わかりません。
小さい頃、両親共に忙しく、そばにいて欲しかったのに、我慢して、我慢して育ちました。
正直なところ本当に寂しくて、寂しくてたまりませんでした。でも、我慢しました。愛情が欲しかった、表現して欲しかった 。いつも悲しくて、寂しくて、辛くて、心暗い日々でした。それでも、良い子でいようとしました。 甘えたかった、思う存分甘えたかったのですが、いつも疲れ果てた親に甘える事が出来ませんでした。

それらの感情は鬱積し、しっかりと内にあるの ですが、無い振りをしました。自分のみじめな心を見たくなかったのです。
しかし、実際はあるのですから、いつか感情の、心の、許容量がオーバーに なります。良い子であろうと、頑張って、頑張って、何もかも押し殺して、やって来ました。
しかし、心というのは限界があります。働き出した頃、とうとう切れてしまいました。

被害妄想に陥り、職場の皆が自分の悪口を言っていると思いました。
ある日、本当に聞こえてくるのです。その日、職場に足を踏み入れる事が出来ず、そのまま逃げ帰りました。 それを見て、驚いた母に、病院に連れてゆかれました。

すべてを知り、なおかつ結婚しようと言ってくれた、夫との結婚生活が始まりましたが、夫を傷つけ、傷つけ、痛めつけて行きました。
神様に出会った今、わかります。自分の事しか考えられなくて、どこまでも、どこまでも自己中心でした。
自分自身を痛めつけ、夫を痛めつけ、誰かに攻撃が向かわずにはおれないのです。痛めつけて行くのです。
良い事すら、悪く取ることしか出来ないのです。否定的に、破壊的に、悲観的に、本当に死にまで至ってしまいます。

その心の底は、高いプライドに支配されていて、自分は絶対に正しくて、人を責めて、自分を正当化し、 自分をわかってくれない、周囲が悪いとなるのです。
そして、自己憐憫に落ち込んで行く。人をいっさいシャットアウト し、自分の殻に閉じこもる。それは、しかし楽なのです。心地のいい世界なのです。
恐ろしいほどプライドの高い自分に気づかせられました。

神様に出会って、聖書の学びを始めた最初の頃、御言葉が痛くて、痛くてたまりませんでした。聖書の言葉は 剣のように、私を刺し貫きました。自分の本当の醜い、醜い姿を照らし出しました。決して認めたくなくて、受け入れられ なくて、苦しくてたまりませんでした。

でも、私は決心していました。私はこのまま行けば破滅しかない。決して教会を途中で離れまい。 どんな事があっても続けようと。
自分の心の罪を示されて、はっきり照らし出されて逃れられませんでした。でも、その時、それがイエス様の十字架の血潮で 赦されると、真にわかりました。
そして、逃げないで、避けないで、痛いけれど、苦しいけれど御言葉を聞き続けました
すると、段々、御言葉が私の心を癒して行きました。 神様が、どんどん癒して下さいました。

今、私は全く以前の自分と違います。失敗しても、プライドが傷ついても、落ち込まなくなりました。
あの否定的で、悲観的だった心が、肯定的、建設的、前向きに、はっきりと変えられているのを発見して驚きます。
失敗した時、神様が私の罪を、弱さを教えて、気づかせて下さったと、感謝できるようになりました。
そして、どんな失敗もすべてを完璧に益として下さる神様を心から信じれるので、恐れなくなりました。
不安が平安に変えられました。心が穏やかで、喜びがあります。希望があります。
夫が、周囲が余りの変わり様に驚いています。 神様に出会えた事に、幾ら感謝しても、し尽くせません。