[日々思うこと・感じることバックナンバー]

「家庭・・この地上の天国!!」


イエス様を信じて救われた、いろいろな婦人方が、生い立ちを話してくれます。

Aさんは、3才の時に、母親に男性ができて、家出をした。父親はアル中で、十代の時には、何度も 自分が身元引受人となって、警察へ父を引き取りに行った。
妹は父の借金返済で、高校を中退した。 3才の時別れた母親には、いつも殴られていた。殴られた記憶しかない。
子供が出来た時、自分が母親と全く同じ事をしているのに、愕然とした。子供を殴って殴って 痛めつけていた。
あれほど母親にされて嫌だったのに、自分が同じ事をしている。 母親に捨てられたという傷があり、捨てられるのが恐いから、自分から捨てるという残酷な事をしてしまう。 家庭をどう築いてよいかがわからない。子供をどう育ててよいかがわからない。

Bさんは、高校の時に、父親が女性をつくって、家を出た。母親も実家に戻ってしまい、一人で家に住み、 一人でご飯を食べ、通学した。「よく、グレなかったねえ」「いいえ、グレてました。髪を茶色に染めて、 非行に走ってた。長刀クラブだったんですけど、いつも相手を父親だと思ってもう力一杯、 長刀を振り下ろしてた。 それで、ストレス解消してた。あの時、クラブが無かったらどうなっていたかわからない。」
家庭がなかなか築けない。どうしていいかわからない。親に捨てられ不安が絶えず心の底にあり、 夫にしがみついてしまい、過干渉になってうまく夫婦関係が築けない。

Cさんは、思春期の頃、親に隠れて、ありとあらゆる非行を行っていた。それが明るみに出た時親は世間体を取った。
親に捨てられたと感じた彼女は、自暴自棄の結婚をしてしまった。自分が産んだ子供なら信じられるのではと、 子供を望んだが、育児が出来なかった。
どう育ててよいかわからなかった。 親に言われて、ズタズタに傷ついた、全く同じ言葉を、子供にぶつけている自分に慄然とした。

Dさんは、小さい時に母親が亡くなった。甘えることを全く体験せずに育ち、夫と気持ちを通い合わせる事が 出来なかった。
自分の気持ちを話す、というその気持ちを話すことができない。どう話してよいかが 皆目わからなかった。

Eさんは、お酒を飲んだ父親によく殴られた。母親は、仕事で早朝に出て、夜、帰宅する毎日。
母親自身が職場で大変さに、家事労働で疲れ果てる日々。甘えたいのに、甘えられないで、 我慢に我慢を重ねた彼女は、 20代になって、精神障害が出てしまい、病院へ。
「先日、30才にもなって、爆発してしまい、今までの鬱積した何もかもを 母親にぶつけてしまいました。」すぐに翌日、母親に謝りました。
でも、素晴らしい神様は、 それをも益として下さって、母親との心の触れ合いとされ、母親はなんと教会に、 聖書の学び会に来てくれたのです。


神は家庭を創造された。家庭を通して、天国の喜びと麗しさ、素晴らしさを現したいと願われた
夫婦が愛し合い、秩序があり、両親の愛と平和、温もりの中で、子供が育まれ、健全に成長して行く。
その子供達が、次の世代を担い、又、神の栄光現われる家庭を築き上げて行く・・神の素晴らしいご計画。

「家庭」が神の栄光を現すものであれば、サタンが黙っているはずがない。サタンは必ず家庭を破壊する ために、攻撃してくるはずである。
無残に破壊されている多くの家庭。崩壊寸前の家庭。何が家庭であり、何が愛なのかが、わからない、子供が 育てられないという多くの婦人達。

又、その親自身が、何が愛であるかが、わからずに育っている現実。又、その親と・・逆上れば切りがない。
どこかで、断ち切られて、完全に新しい歩みが始まるはずである。それが、イエス・キリストの身代わりの 死である十字架。

”だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。”Uコリント5:17

”私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちが もはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。”ローマ6:6


Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、皆、人生途上で、イエス・キリストに出会った。
まず自分自身を、命をかけて愛して下さったお方を知り、今までの罪を赦され、新しいいのちを 性質を与えられ、 何よりもイエス様につぎ合わされた。
生きる喜びと、安らぎを知り、癒しの中に、新しく、新しく造り変えられる日々を経験する。
主は、愛するとは、学ぶことだと教えて下さる。愛を学びなさいと、言われる。

”神は愛です””愛は神から出ているのです”神様から教えてもらわない限り、誰一人本当の愛など知らない。
素晴らしいイエス様と共に、自分の内にある、古い性質と、瞬間々戦いながら。
しかし、ここにある、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。

「私達、いつもいつも希望があるよね。失敗も多いけれど、必ず、神様が、素晴らしい、祝福に満ちた家庭を建て上げて下さる、という。
自我に死にながら、神様からの訓練を受けつつ、神様ご自身が、家庭を、愛と温もりに満ちた天国に築き上げて 下さると、心から信じることができる。
そして、自分が変えられているという、大きな現実。 自分の事しか、考えられなかった者が、夫を愛し、子供を愛する者に変えられている。 感謝で、感謝でならない。」


”主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。
・・あなたが早く起きるのも、遅く休むのも 、辛苦の糧を食べるのも、
それはむなしい。
主はその愛する者には、眠っている間に このように備えてくださる”
詩編127:1