特別伝道集会「愛がわかった!」

「真実な愛」のテーマで、先日、特別伝道集会が開かれました。

講師は、ビル・クレイグ宣教師。来日20年、15名の孤児を養子として迎え、実子2名、計17名。子育て、まっただ中。
聖書の詩編27:10「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。」の御言葉を生きておられます。
その事実もですが、もっと驚いたのは、何の特別な様子もなく、大仰さもなく、淡々と、全く当たり前に、その「愛」を生きておられた!
目の前に見た、その インパクト!
「愛とは、何か」という前に、もうすでに、「ここに愛がある」!!でした。 まさしく解答を、目の前に見た、といった感じでした。 「愛とは、日々呼吸をして生きているように、当たり前のこと」。こんな事を人に感じさせてしまうな んて、これって、尋常ではないと思いますが。愛とは、抽象的な、観念的なことではなく、きわめて具体的で、日常的なことだと教えられました。


「5つのパンと2匹の魚」のお弁当を、持っていた少年が、そのすべてをイエ ス様のもとに持ってきた。大切な弁当だった。持てるものすべてを献げた。
それは、彼の余すところなく、すべてであった。その献げられた弁当を用いて 、主は奇跡をされ、どんどん、どんどんパンは魚は無くならなかった。なおも満 ち溢れて、12のかごまで一杯になった。エリヤに、水とパンを求められた、や もめ女は、それを食べて死のうとして、残していた一握りの粉を献げた。(T列 王17:12)
すべてが無くなった後に、満たされた。水と粉を残していた時ではなかった。 飢饉のまっただ中、かめの粉は尽きなかった。
箱をかつぐ祭司たちの足が水に入った時、水はせき止められた。足が水る前で はなかった。(ヨシュア3:15)


お金が無いこと、対人関係での悩み、仕事の悩み、すべて神様はあなたを試し ておられる。そこで、自分をかわいそうに思えば、思うほどあなたは癒されない 。ますます自己憐憫に落ち込み、自分を閉ざして自己中心になる。人に目を向け て、人の事を考えて行くなら、あなたの問題は、あっという間に解決する。
阪神大震災で、私の家は半壊しました。母親と子供の二人で暮らしている教会 員の家は、全壊しました。私の19人の家族は、ちょっと大変で不便でした。し かし、私は、神様の前に決心しました。その全壊した姉妹の家を先に建てよう。 その家を建てるまでは、自分の家は建てないと。家内も賛成してくれました。そ の姉妹の家は、この夏に完成しました。今度、私は自分の家を直します。


メッセージの中で、何か、はっきりと「愛」が見えてきました。 愛とは、大変に簡単明瞭で、人を先にすること。そして、愛するとは自分に死ぬこと。自分に 死ぬことなくして、神様も、人も愛することは出来ないこと。
自分を守り、自分を保留しているなら、結局、最後まで中途半端なクリスチャ ンであって、愛することもできず、神様もわからないということ。「すべて」を 献げた少年、「最後の」粉を献げた、やもめ女、岸いっぱいに水のあふれるヨル ダン川に、足を踏みいれた祭司達。

道がはっきりと見えます。自分を愛して、最後のところで、自我を保留するな ら、ずっとこのまま。イエス様と自分が共に死んでいる十字架を見上げて、日々 、自分に死ぬ、歩みを選び取って行く時、初めて生きる。自分から目を離して、 神様を見上げ、人を顧みる時、私は満たされ、私は喜びに溢れる。


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