「最近、うちの子のクラスで、いじめが発覚したんです。
親なんですよねえ。一番大切なのは、親なんですねえ。
だいぶ、前からだったらしいんです。その子に、どうして今まで、言わなかったのと言うと、『いいんだ。お母さんがいるから、いい。
お母さんが、いつも、僕を励ましてくれるから、いいんだ。』って言ったそうなんです。
学校じゃないですよねえ。外で、何があっても、家庭が、暖かければ、安らぎと憩いのある、オアシスであれば、愛に満ちていれば、
子供は、家庭に戻れば、いやされる。
そこで、慰めを、新しい力を得て、又、次の日、立って行ける。」
・ 一人の婦人が話してくれました。
小さい時から、親に、常に姉と比較されて育った。姉は優等生、自分は劣等生。
姉は美人、自分は器量が悪い。底知れぬ劣等感が、心に据えられ、植え付けられ、歪んだ性格が形造られて行った。
親に受け入れてもらえなかった、その深い傷は、大人になっても、尾を引いた。
しかし、人に、どんなに評価され、賞賛を得ても、決して、心を満たすことはなかった。
親に認められたい強烈な欲求、親に拒まれた、その傷は、思いのほか深かった。
仕事に就いた時、眠っていた才能が、見事に開花した。地位も賞賛も欲しいままにした。
その能力は、周囲の羨望の的であった。
家庭を持った時に、その傷が形となって噴き出した。無意識に、夫と子供に向けられた。
心の根にある傷が、怒りとなり、夫と子供にぶつけて行った。痛めつけて行った。
優しい、良き夫を、全く愛することができなかった。子供を育てるすべが、わからなかった。
愛することも、愛されることも、『愛』というものを、知らなかった。
歪んで、屈折した心は、自分では、どうする事もできなかった。どうにもならなかった。
そんな時だった。隣人に誘われるままに、教会へ行ったのは。
神様の愛を知るほどに、強い、硬い、頑なな心が、砕けて行った。
そして、神様の愛を日々体験するに至って、喜びと安らぎに満たさた。
初めて足を踏み入れた教会で、生まれて初めて、神の愛を知った。その時、イエス・キリストを信じた。
自分の劣等感、心の歪みに気づき、その傷を直視できた時、真に、心が、変えられるのがわかった。
神様の愛に溶かされ、いやされて行くのがわかった。親を許すことができた。
親を受け入れる事ができて、恨みと憎しみが、愛情に変えられた。
夫を愛し、子供を愛することが、少しづつ、できるように、心が変えられて行った。
心すさみ、離婚をすでに決意していた、崩壊した家庭・・・
その家庭を、神様は、建て直し、建て上げ、喜びと感謝で満たして下さった。
愛は神から出ているのです。
真の愛は、人間の内には存在しません。自己中心な、自己愛に基づく愛しかないのです。
神のあなたへ愛が、事実として、現わされています。
醜い『罪』・・憎しみ、妬み、高ぶり、敵対心、偽り、悪意・・しか無いのです。
たった独りの、ご自分の子供であるイエス・キリストを、十字架につけて、殺された。
あなたの『罪』を、身代りに、キリストの上になすりつけて、見殺しにされました。
ここに愛があるのです。
あなたも、この愛を受け取られませんか。何もかもが、建て直され、築き上げられます。
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