[信仰体験談バックナンバー]

あなたはどこへ向かっていますか


冷たい空気がピンと心地良い、街は冬景色。

以前に、58才の婦人が来会、心の内を話して下さいました。

「子供達は独立していて、夫は何の不足もなく、経済的には豊かです。仕事もしていて、張りもあるはずなのです。
何もかも整っているのですが、だめなのです。 虚しくて、虚しくて、何をしても心の奥底が空虚で、もう泣き叫びたいほどです。
楽しみを見つけたらと言われ、旅行、趣味、好きな事に打ち込んでみるのですがだめです
もう、耐え切れない、表現しようの無い虚無感です。」

私達は、どこから来て、どこへ行くのでしょうか。

こんな話があります。
受験勉強の虚しさに悩んだ中学生が、母親に質問した。「何のために生きるの?」「そんな事考えなくていい、とにかく勉強。 勉強が第一。勉強しなさい。」
高校に進学して、先生に尋ねた。「僕らは、何のために生きているのですか」
「そんな事、考える暇があれば勉強せよ。今は勉強。大学に入ってから考えよ。」
大学に入って教授に尋ねた。すると「もう大人なのだから、そんな事、自分で考えよ。」

なぜ答えられないのでしょうか。それは、大人も、わからないからです。

しかし、聖書には、はっきりとその解答があります。
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』 (イエス・キリスト)

世界中の多くの人々が、まさに、その解答を得て、生きる目的、意味を知り、生き生きと、喜びに溢れて、心満ち満ちて、 真に生きがいある人生を送っています

 あなたは、どこへ行きますか。
やがて、必ず、あなたに、『死』が訪れて、あなたを、愛する人々から引き裂きあなたから、何もかも、すべてを奪い去って行くでしょう。

ある人の父親は牧師でした。癌で亡くなる一週間ほど前、こんな事を言われたそうです。

「夕べ、天国の夢を見てね、その光景はまるで結婚式のパーティのようだった。あそこへ、行くんだなぁと思うと、楽しみになってね。 だから、私の告別式ではウェデングマーチでも弾いてもらって、結婚式の賛美歌を歌ってもらいたい、そんな気分なんだ。」

最後は意識が無い状態でしたが、そんな中で、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。主の御名はほむべきかな。」 と言って、主を賛美しながら天に召されて行きました。

神の愛・・それは、神が、罪とその結果からくる、様々な悲惨と 死の恐怖に縛られた私達一人一人のために、イエス・キリストをこの世界に贈って下さった愛。

そして彼は、十字架上で、あなたの罪を背負い、あなたの身代りに、命を捨てられた。
生きる目的を、意味を、喜びを、死への解答を、あなたに、与えるために。