今度の特別集会に講師として、来教下さるクレイグ先生は、15人の孤児を引き取って育てておられる。
詩篇20:10「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。」の御言葉によって。
特に婦人達には、大変なインパクト。「ひえー、すごいですねえ。」「そうよ、自分の子供育てるだけでも大変なのに。」
「自分の子も育てられないのに。」日頃、育児で悩み多い婦人達、まさしく、シーン。
聖日礼拝後は、教会で昼食会。姉妹方が作って下さる。ある日のおかず。ソーセージが、点々と黒い。不審げに、
じとっーと見入る。とある兄弟「えー!ちょっと、あんたあ、これ、なんねえ?ゴマがついとんねえ?」
作り主「ほーよね。あんたあ、ゴマは何とゆうても、身体にええんじゃけえ。何にでも、ゴマ振ったら、おいしゅうなるんじゃけえ、
あんたあ、知らんのんね?」「ほんなもん、知らんわいねえ。ほんまなんねえ」「ほんまなんだって。ごまかすって言うじゃないねえ。
そこからきとんよね。」?!?!
「いっさいのことを愛をもって・・」
今夏も、ひときわの猛暑、花栽培の話題だった。花は難しい。鉢も難しい。必ず枯れる。婦人達「花が、どうしても
枯れるんですよねえ。」「そう、水をやってても枯れる。何でですかねえ。」一人の花の達人「水をやる時にね、
愛してるよ。大きくなってね。」って、愛してるって、優しく花に話しかけるんですよ。
「それだ!」「ああ、面倒なのうと思いながら、してちゃだめですよねえ。」
「主よ、他の人でなく、私を変えて下さい」
一人の婦人「聖書に、夫を愛し、心から尊敬し、賞賛し、従い、歩調を合わせて行くように、あるので、従えるよう
祈って下さい。自分には出来ない。小さい頃から、父が酒乱だったため、男性に従うとか、愛するとかいうと、「負ける」という
敗北感がくる。男性に対して、勝ち負けでしか見れない。夫に従うのが、すごく嫌で、感謝も素直に表現できない。
嫌味という、逆の形でしか。でも、神様に新しくされ、変えられたいです。」
すべての事を益として、秩序を回復し、いつも建て上げて下さる、素晴らしい神様です。家庭を祝福しようとして
下さっています。
「心の直ぐなる者は・・」
青年男子:素直に自分の気持ちを、表現する事の大切さと、責任を教えられた。以前から、心が屈折していて、素直に自分の
気持ちを言えないできた。なぜか、心と反対の事を言ってしまう。そして、相手を怒らせてしまい、嫌な思いをさせてしまう。
ますます、自分も嫌われる。その繰り返しだった。神様は、こんな自分に気づかせ、変えて下さっている。感謝。
この間、会堂掃除をしていたら、一人の姉妹が手伝ってくれた。内心は、ものすごく嬉しかった。
だのに、素直に言えない。口から出た言葉は、「突然どしたんや、雨が降るでえ」。言われた姉妹は、
いい気がするはずがない。シラーっとした中で、掃除を終えた。聖霊様からの示し。次に機会がきた。同じ姉妹が、又、
手伝ってくれた。今度は、言えた。「有り難う」。すると、姉妹も嬉しそうに、主の恵み当たりに漂い、祝福の中で、楽しく
掃除の奉仕ができた。