政府税調答申の評価           

はじめに
 1994年6月21日、政府税制調査会は、「税制改革についての答申」を発表した。今回の答申は、昨年11月に発表された中期答申「今後の税制あり方についての答申−『公正で活力ある高齢化社会を目指して』−」を踏まえて税制改革の基本的な考え方と具体的な方向付けを中心に提言したものと位置づけられている。
 しかし、答申では所得税減税を実現する税率表や消費税の税率水準が提示されておらず、具体的な内容に乏しいものである。具体的な方向付けを行うものとしながら、所得税の税率表や消費税の税率が提示されなかったことは理解に苦しむところである。すでに、新聞紙上等では、巷間伝えられている消費税7%と独自に仮定した所得税の税率表のもとで所得階層別の損得勘定が民間機関の試算としておこなわれているが、あくまでも一定の仮定にもとづくものであるため、税制改革が実現したときの負担状況を正確に示したものとはならない。先の抜本的税制改革においては、税調答申の提示した具体案にもとづき、いくつかのシミュレーション分析がおこなわれた。その結果「年収600万円以下増税」という部分のみが関心をよび、中曽根内閣のもとでの税制改革の挫折の原因のひとつとなった。それが、今回の答申において具体像がしめされなかったことにつながったのかもしれない。だが、おなじ所得税の減税規模であっても課税最低限と税率表の区分などの組み合わせは無数に存在し、それぞれ所得階層間の負担水準や所得税減税による経済効果も当然異なってくる。具体案を提示することにより、議論が税制改革による一時的な損得勘定のみに矮小化されること恐れがあるとして、政府税調が定量的な分析を放棄したのでは、より質の高い税制改革の実現は不可能であろう。
 残念ながら、具体案が提示されなかったため、試算結果に相当な幅が生じることが予想される定量的な分析は避けて、今回の答申で表明された税制改革の基本的な考え方と消費税の「益税」問題などの個別の検討課題についての定性的な評価を行うことにしよう。

1.基本的方向の評価
 まず、税制改革の基本的な方向についての評価から行うことにしよう。今回の答申においては、昨年の中期答申において示された「公正で活力ある高齢化社会を実現するためには、個人所得課税の累進緩和と消費課税の充実を柱に、所得・消費・資産等の間でバランスのとれた税体系を構築し、社会の構成員が広く負担を分かち合うことが重要である」という基本的な考え方を踏まえて「@高齢化社会を支える勤労世代に過度に負担が偏らないよう、世代を通じた税負担の平準化を図り、社会全体の構成員が広く負担を分かちあう税制を目指す、A高齢化社会においても安定的な経済成長を持続させるため、国民一人一人がその活力を十分発揮することのできる税制を目指す、B安心して暮らせる高齢化社会を構築するため、社会保障などの公共サービスを適切に提供しうることのできる税収構造を目指す」としている。
 この基本的な考え方については、筆者も異論がないところである。しかし、その具体的な実現の方向として、「所得税の累進緩和を通じた負担軽減と消費税課税の充実」のみが唯一の選択肢であるかのように取り扱われていることには疑問を呈さざるをえない。今回の税制改革の出発点が、平成不況の景気対策としての所得税減税が(多くの論者が所得税減税の景気対策としての効果は小さいとしながら、それでもなお所得税減税を主張するという奇妙な状況のなかで)絶対の前提条件とされたため、安定的な税収の確保のみを最優先し、税率の引き上げのみで巨額の税収を簡単にあげられる消費税の税率引き上げが安易に選択されたのではないだろうか。しかし、「中期答申」自身が述べているようにそれでは、「所得・消費・資産のバランスのとれた税体系」とはいえない。
 税調答申にも指摘されているように、現在の所得税中心の税体系のままでは高齢化社会における勤労者、特に40歳代から50歳代の勤労者、の負担がこれまでよりも増大することは明らかである。この勤労者への加重な負担を避けるためには、高齢化社会においては、老人や若い独身者などの負担を増やさざるをえない。そのための有効でかつ簡単な方法のひとつが消費税率の引き上げである。消費税ならば、現行の所得税制のもとではほとんど税を負担していない老人や若い独身者でも税を負担せざるを得ない。これにより、税調答申に述べられているように、 「個人の一生すなわちライフサイクルを通じた税負担、あるいは各世代を通じた税負担」は平準化される。
 しかし、消費税の税率の引き上げのみで高齢化社会の広く社会の構成員で負担を分かち合うという考え方は、課税の基本原則である公平、とりわけより経済力の高い人により高い税負担を課すべきであるという垂直的公平の原則を軽視するものといえよう。同じ老人であっても多くの実物・金融資産を保有し年金以外の現金収入のある豊かな老人と年金収入のみで暮らす貧しい老人がいることを忘れてはならない。現役勤労者への加重な負担を避けるために老人にも負担を課すならば、豊かな老人がより多く負担することが垂直的公平の原則にかなうことになる。豊かな老人たちにより多くの負担を課すためには、資産課税の見直しがなされねばならない。すなわち、納税者番号制度を視野に入れた利子・配当所得、株式等の譲渡所得の総合課税化、相続税の見直しなどがあげられる。答申においては、「総合課税への移行問題」「納税者番号制度」は「今後とも引き続き検討を深めていくべき課題」とされている。資産課税の見直しにより豊かな老人に負担を求めていくには、「納税者番号制度」というあたらしい制度をつくる必要があり、確かに「官民双方に生じる納税・徴税コスト」などの問題等も存在する。しかし、「納税者番号制度」というハードルを超えてでも資産課税の見直しを図るか、それとも消費税税率の引き上げという安易な手段をとるかは、本来主権者たる国民が決めるべき問題ではないだろうか。複数の選択肢のメリット・デメリットが提示されたうえでの、消費税率の引き上げならば国民にとっても納得できる選択となるのではないだろうか。納税者番号制度の導入については、以前から税調答申の検討課題とされてきた経緯がある。我々は、いつになればその検討結果をみることができるのであろうか。
ただし、仮に納税者番号制度を導入し、利子・配当課税の総合課税化が実現できたとしても、税収としてはあまり多く期待できないかもしれない。しかし、大蔵省の「機械的試算」で示された消費税の税率7%は、幾分かは引き下げることが可能になる。
 また、所得税減税の財源の一部は、所得税体系の中で調達することも考えられるのではないだろうか。税調答申では、「1000万円程度を超える所得層については、収入が増加しても限界的な税負担が急上昇するために税引後手取り収入があまり増えず、負担累増感が生じやすい状況をきたしている」として高所得層に適用される限界税率を引き下げることを主張している。税調答申が主張するように、経済学的には人々の労働供給に影響を与えるのは限界税率であることが知られている。したがって、所得税の税率表についてはフラット化し、課税最低限については逆に引き下げるならば、所得税減税の財源の一部を確保しながら、高所得者層の負担累増感を防ぐことができる。しかし、税調答申においては、「中堅所得者の累進緩和のためには課税最低限をむしろ引き下げるべきだとの考え方」を紹介しながら、「少額納税者層に対する消費税率引き上げに伴う負担増への配慮から、ある程度引き上げることもやむを得ないと考える」としている。消費税7%にこだわるなら、課税最低限の引き上げもやむをえないことかもしれないが、消費税の税率の引き上げ幅を圧縮して、課税最低限を引き下げようという発想がないのは不思議である。
 また、納税者の大多数を占める給与所得者にとっては、給与所得控除が課税最低限の一部を構成することになるが、この給与所得控除については、「長期的に据え置かれてきている控除率適用対象収入範囲について若干の調整を行うこともやむを得ない」とされている。しかし、現行の給与所得控除の水準は高すぎると考えられる。前回の抜本的税制改革により特定支出控除として給与所得控除を超えるサラリーマンの必要経費については実額控除が認められることになったことを考えると、給与所得控除の性格はサラリーマンの必要経費と認められたことになる。しかし、現在の給与所得控除の水準は、概算的な必要経費の水準としては高すぎるものとなっている。給与所得控除の存在は、一見するとサラリーマンのみを優遇しているかのように見えるが、実は、青色事業専従者給与に対しても適用されるため、自営業者とサラリーマンの間の税負担の格差の原因のひとつとなっている。したがって、課税最低限の引き下げにあたっては、給与所得控除の見直しをおこなうべきであろう。

2.消費税の制度的な見直し
 以上で指摘したように、今回の税調答申は、所得税減税財源としての消費税引き上げのみが強調され、他の選択肢についてはほとんど触れられていない。しかも、その消費税の税率については大蔵省の「機械的試算」や加藤税調会長の発言では7%という数字しか考えられないかのように伝えられている。筆者も、将来の高齢化社会の巨額な財源をまかなうためには、消費税の税率の引き上げが必要となるという見方に異論を挟むつもりはない。しかし、先に述べたように垂直的公平を重視する立場からは、消費税率に引き上げ幅はできるだけ圧縮すべきと考えられ、また資産課税の充実や課税最低限の引き下げなどによりそれが実現可能だと考えている。さらに、現行消費税の免税、簡易課税、限界控除制度の見直しなどの消費税の個別の制度的な見直しによっても税収は変わってくることになる。そこで以下では、税調答申で取り上げられている消費税に関する個別の課題について論評しよう。
 消費税に関しては、いわゆる「益税」の問題が税調答申においても取り上げられている。答申では「いわゆる益税の解消の視点を踏まえたが必要である。」としており、この点は素直に評価したい。その具体的方向として、「事業者免税点制度」については、「相対的に規模の大きい免税業者には課税業者としての対応を求めていく」としている。消費税における免税点は、零細業者における納税事務負担の軽減と徴税コストの両面から考えてその存在には十分な合理性が存在すると考えられる。ただし、わが国の場合、免税点が諸外国に比べて高すぎるところが問題であり、その点では税調の答申に全面的に賛成するところである。「簡易課税制度」については、「適用上限について、中小事業者の事務負担に配慮しながら、更に引き下げることが適当である。」としている。もとはといえば、簡易課税制度は、インボイス方式を採用しているヨーロッパ諸国において、インボイスなしでの納税を可能にするために中小事業者に認められていたものである。しかし、わが国の消費税は、アカウント方式を採用することで、帳簿上のみで税額の計算が可能であり、簡易課税を採用する必要はなかったのである。したがって、消費税がアカウント方式を継続するならば、簡易課税の全面廃止をすべきであろう。「限界控除制度」については「廃止を含め適切な是正をおこなうことが適切である」とされている。これについては、税調答申に沿って廃止もしくは適用上限の大幅な引き下げが、消費者の持つ消費税への不信感の解消のためにも必要な措置となろう。
 次に、消費税の逆進性の緩和の方策にひとつとして考えられる複数税率化については「単一税率を維持すべきである」と述べられている。筆者の試算では、逆進性の緩和のために食料品に軽減税率を認め3%と7%の複数税率とした場合と消費税の税率を6%に押さえた場合では、ほぼ同じ税収となり、所得階層間の負担構造もほぼ同じになる。したがって、税調答申の主張と同様に7%程度の税率の引き上げならば、単一税率にして、可能な限り税率の引き上げ幅を圧縮した方がよいと考える。ただし、高齢化社会がピークに達するころには、当然これまで以上の財源が必要となり、結果として消費税の税率がヨーロッパなみに10%をはるかに超える水準まで引き上げざるをえなくなる可能性は十分に考えられる。当面は、単一税率でいくとしても、将来的な消費税率の引き上げに対応するためには、複数税率化についての実務的な側面についての検討をいまからおこなうべきではないだろうか。現行の消費税の納税方式では、帳簿上で計算するために、複数税率化された場合、課税品目と軽減税率適用品目を帳簿上で分類する必要がある。このような分類作業は、事業者の納税事務を著しく困難なものにするであろう。むしろ、ヨーロッパの付加価値税におけるように、インボイス方式の方が複数税率化には対応しやすい。 その意味では、今回の答申が「請求書、納品書、領収書その他の取引の事実を証する書類(インボイス)のいずれかを保存することをその要件に加える」としていることは、将来のインボイス方式への円滑な移行の準備として高く評価できよう。

3.おわりに
 最後に、今回の政府の税調答申に関しての全般的な印象を述べておこう。専門的な見地からは、研究材料としての価値は低いと言わざるを得ない。イギリスのミード・レポートやレーガン税制改革の際の財務省案などがいまだに、理論・制度面双方において多くの研究者の研究対象となっていることと比較すると、わが国の税調の役割には疑問を感じざるをえない。わが国の税制調査会は、審議会方式でおこなわれているために専門家グループによる整合的な税制改革案を提示することよりも、むしろ各界の利害を調整する機関としての役割を果たしている。しかし、本来その役目は選挙で選ばれた政治家により国会においておこなわれるべきものではないだろうか。政府の税制調査会の委員には、多くの著名な財政学者が含まれている。なぜ、彼らの卓越した租税理論や税制改革論を利用しないのであろうか。少なくとも昭和61年10月の「税制の抜本的見直しの答申」の頃までは、アメリカの税制改革に触発されたこともあり、多岐にわたる詳細な複数の改革案が提示されていた。いまの税制調査会に、その能力をすべて発揮した整合的で、かつ具体的な改革案の提示を期待しているのは、筆者だけであろうか。