秋田弁の散歩道 3

  

 


こしゃる (こしらえる)

そんま こしゃで けるがらな」
直にこしらえてやるからな、の意。何でも父がそんな事を言ったような記憶がある。何を作ってくれたのかは覚えがない。そんな事を言う父でないのが、言ったので印象に残ったのかも知れない。この「そんま」も曲者で、実現した試しがない。それは十分承知していながら矢張り心待ちにしていた。そしてそれ以上に、そう声をかけられたことが嬉しく、急に父が近くに感じられ、それだけで満たされていた。(H15.12.28)

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かす (におう)

「くせ かす」
直訳すると、くさい臭いがするだが、何か臭うなと言ったところだ。この「かす」は「香・す」だろうと思っている。とすれば雅語の類で厳密には方言ではないかも知れないが、この際は秋田弁ということで良いだろう。同じように、漬物を「がっこ」と言う。これも「雅香」だと勝手に決めつけている。但し勝手に私がそう思うだけで何の根拠も無い。本当は「香の物」からの転化らしい。只、こんな響から方言も満更捨てたものじゃないなあと思うのである。(H15.12.21)


よっこ (用事)

「よっこ あるがら ちょっと 
用があるから一寸来い、の意。小学校の五六年の頃と思うが、学校に賊が入ったとかでクラス全員が中庭に出て賊の手掛り探しをしたことがあった。無論担任の引率のもとにである。四十数名が一時間花壇の隅々まで掻き回して結局何も発見できなかった。今考えると誠にもって不思議な出来事で、真意がどこにあったのか知る術も無いが、中々緊張感に満ちエキサイティングな時間であった。その校舎は既に無く、今は公民館が建っている。(H15.12.13)

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きゃんこ (こてんぱん・貝)

「なんと は きゃんこに さえだで」
何ともはやこてんぱんにされたよ、の意。今でこそスポ少なんてのがあって、小学生でも他校の生徒と交流試合をやるが、私らの頃は校内だけが唯一の世界だった。こんな場面は運動会位だったなぁ。帰ってからの遊びは部落(決して差別語ではない)内だけの事だったし、隣部落との抗争なんてことも無かった。交流の場が広がったのは、幾つかの小学校が集まる中学になってからの事だ。「きゃんこ」はまた貝の事をも言った。二枚貝のことで、螺旋状の田螺などは「つんぶ」と言ってましたなあ。(H15.12.7)


だんぶ (蜻蛉)

「おっき だんぶ きだど」
大きな蜻蛉が飛んで来たぞ、の意。「だんぶ」と言うと、私はなぜか「やんま」を連想する。そんなら赤蜻蛉を何と言うのかと突っ込まれると窮してしまうのだが。矢張り「だんぶ」は蜻蛉一般を指すのだろう。遊びでの所謂蜻蛉釣には専ら蜘蛛の囲を使ったものだった。夏の夕、行水を使っている脇をやんまが往ったり来たりしてたのは懐かしい思い出である。「だんぶり長者」という民話があった。気にも留めずにいたが、どんなのか今度読んでみたい。(H15.11.29)

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 (家・良い)

「えさ いぐ」
直訳では「家へ行く」だが、「家に帰る」の方がしっくりする。会話で家と言ったら大概断らずとも自分の家を意味するのに、どう言う訳かわざわざ「おらえ」と言う言回しが多い。この辺の背景をいつか知りたいものだと思っている。それとこのような一音の言葉も多い。シリーズで集めてみるのも面白いかも知れない。「え」は他に「あの おなんこ えな」なんて言い方もする。「あの娘さん好いなぁ」と言ったところか。この道ばかりは都会も田舎もない。(H15.11.22)


しょっぽねけし (性悪)

「あれだば しょっぽねけしで せ」
あの人は性悪でねえ、の意。この言葉は案外頻繁に聞いたように思う。性悪と言ってもどの程度のものか、頼み事をして断られると大体相手をしょっぽねけしと決めつけていた嫌いがある。本人に「この しょっぽねけし」と言う場合もあるが、話しのついでに他人へ吹聴することの方が多かったのではあるまいか。この「しょっぽね」本来は「根性」のことで「どしょっぽね」等と全国的に通用してるが、「けし」が付いて「性骨」が曲がっちゃって「性悪」になったものだろうか?。(H15.11.15)

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がすくう (弾みを食らう)

「がすくって 落ちだで」
弾みを食らって落ちてしまった、の意。自分自身でそうなるよりも、相手に仕掛けたり逆に仕掛けられたりの方が多かった。仕掛けるのは「がすかへる」で、今では「フェイントをかける」と言った方がピッタリするだろうか。仕掛けられるのは「がすかへらいる」だ。他愛の無い遊びの中でのことである。本で調べたら、がすかへるは嘘をつくの意味で用いる地区が有るそうだが、それは知らない。おらほだば、嘘だば「ばす」だもんな。(H15.11.8)


ぴっぴ (笛)

「俺さも ぴっぴ かへで」
僕にも笛を貸してくれよ、の意。祭の露店で面や笛などの玩具を売っていたが、笛は細い竹細工の粗末な単音のもので、直ぐに飽きてしまいそれぎりになってしまったものだ。飽きても又、山で笹竹を切っては笛を作った。この自分で作る方は飽きもせずに繰り返したものだった。学校で希望者が練習をしたのが「笛」で、この玩具の笛や先生のホイッスルは「ぴっぴ」だと思っていた。無意識の内に音階の有無で区別していたのかも知れない。(H15.11.2)

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ちょす (いじる・からかう)

「これどご ちょへば だめだど」
これをいじっちゃいけないよ、の意だが、触っちゃいけないの意味合いが強いかな。用例を書いて気が付いたが、ちょすは終止形で、活用は「ちょさず」「ちょしたり」「ちょす」「ちょすとき」「ちょせば」「ちょせ」となる筈なのに「ちょへば」となるのが面白い。因みに命令形は「ちょへ」だ。他にからかうの意味も有って「ぼっこどご ちょへば だめだど」等と言う。ぼっこは赤ん坊から幼児位までの子供だが、地域によっては小学生位までも言うらしい。(H15.10.25)


すてっと (すっかり)

「すてっと 忘れで しゃったもんな」
すっかり忘れてしまったものなあ、の意。それでも良いが、忘れていて申訳ないと言った気持かな。すてっとには、一切合切全てのニュアンスが強いように思う。今は無いが川反にキャバレーが有った頃「財布の中味をすてっと持ってがいだ」とか、火事で「すてっと焼がいでしゃった」などと話すのを聞いた。それにしても、この「すてっと」の発音にはそんな雰囲気が良く合っているような感じがする。(H15.10.16)

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ほいど (卑しい人・乞食)

「まんず ほいど だがらしぇ」
と、さて、実は適切な言葉が浮かんでこない。この用例の場合は乞食とは少し違うニュアンスなのだ。乞食には「やっこ」と言う別の言葉もある。この場合は、食べさせても食べさせてもまだ食べたそうにする、卑しい、そういう人を指す。なんせ卑しいからなぁ、とでも言ったところか。ほいどは他に目に出来る「ものもらい」をも言う。物貰いだから乞食か?、多分そうではあるまいと思うが、何故そう言うのかは分からない。又「ほいどっけし」と罵声を浴びせることもある。(H15.10.5)


べご (牛)

「ばがけ べご だねが」
四、五歳の頃だったと思うが、未だに忘れ得ぬ出来事がある。或る日往来を来る牛が目に入った。で、思わず口走った「あっ、牛だ!」。その声に一緒にいた子供が数人バラバラと家から飛び出して来て「何、ウシだど? どれ、どごだ?」。私の指差す先を見て、件の子供達が言った言葉がこれである。「馬鹿ったれ! ベゴじゃないか」と言うと同時に私の頭をポカポカとどやしつけて、さっと引き揚げて行った。何かと殴られるのは毎度の事だったが、不思議とこの事だけを鮮明に覚えている。「ベゴ」と言う音がそれ程強烈だったのだろうか。(H15.9.27)

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ぶぐ (本来鋭利な物が潰れて鋭くない様)

「このやすだば ぶぐで だめだで」
このやすじゃあ (先が)潰れてて駄目だよ、の意。やすとは、魚を刺して捕らえる道具で、鍛冶屋さんが作って売っていた。夜になると若い衆がカンテラを下げてよく川魚を捕りに行ったものだ。獲物は鯉や鯰で、真っ暗な川面にカーバイトの明かりがちょろちょろと動き回っていた。子供は仲間に入れてもらえず、太目の針金の先を尖らした物を竹の先につけた手製の弓矢で専ら蛙を狙っていた。細い葦を尻に差し込まれ、パンパンに膨らまされた蛙こそとんだ災難だったろう。(H15.9.20)


へんじぇど (せいせいと)

「ひとりして へんじぇど やってれ」
独りで思い通りにやってなさい、の意。この「へんじぇど」は何の制約もなく、せいせいのびのびとした世界である。「独りでへんじぇどした」と言う、独りになってせいせいした気持ちと言ったら分かり易いかも知れない。何時もは兎角口うるさいのに、悪戯でも遊びでもへんじぇどやってれと言い残して置いてきぼりにされると、のびのび所の話ではない。どさ行ったなだべ、なしたなだべ(何処へ行ったのだろう、どうしたのだろう)と心中穏やかならざる事この上ない。(H15.9.13)

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こえ (疲れる)

「あいー こえで」
ふ〜疲れた、の意。テレビのCMで右肘を突出して「アイー」なんてやってるが、こんなギャグに使えそうなのが秋田弁には結構転がってるかも知れない。今年は例年よりも夏日が少なく過し易い夏だった。夜は安眠できたし、エアコンも殆ど使わずに済んだ。それでも今時分になるとやっぱりこえーことには違いが無い、「こえ」にはこんな「だるい」の意味もあったな。元々は筋肉が疲労で強張ることを言ったものらしい。「今日のまんま(ご飯)こえな」なんても言う。この、こえは生煮えで硬いことで、そんなご飯のことを「めっこ」と言った。(H15.9.7)


もふん (すっぽんぽん)

「もふんで いべ」
ふりちんで良いだろう、の意。川辺なんかで遊んでいて急に飛込みたくなった時はこんな具合になる。海パンなんて洒落た物を持っている子供なんてそうざらには居ない、大概は赤フンだった。それとて始めから泳ぎが目的で行った時の事で、急ごしらえの時はすっぽんぽんでエーイと飛込んだものだ。そんな川も今では水も川べりもすっかり汚れ、泳ぎはおろか釣りをする人さえも見かけない。(H15.8.29)

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ぶっす色 (紫色)

「おめ ぶっす色 だや」
お前顔色が悪いぞ、の意味合い。遊びに夢中で川に長いこと浸かっていると、唇が葡萄のような黒味を帯びた紫色になったものだ。当然顔も青みを、いや蒼白かな になり、それを通り越すと紫色になった。これは冬の戸外でも同じだ。無茶をしたものだが本人にはそんな意識はなく、周りの者が皆で岸に上げて休ませたりしたものだ。ところで何でぶっす色と言うのか皆目見当もつかない。毒薬に附子と言うのがあるそうで、これに中るとそんな顔色になりそうだなと独りで想像している。(H15.8.23)


あやわり (体裁が悪い・みっともない)

そいだば おが あやわりなや」
それじゃとっても体裁が悪いなあ、の意。「あや」は模様のことの「文・綾」で多分間違いないだろうと思うが、飛箱の跳び方があやわりとか、チャンバラで斬られ方があやわりとか、授業の図画の構図や配色など色んな場面で言っていた。美意識が豊かだったんですかね。それは置いて、この場合の「あや」は方言と言うよりも古語が残っていたと言うべきか。方言なんて多かれ少なかれそうした性質が有るのかも知れない。他に「あや」には既婚婦人を指す場合と、感嘆詞の場合が有る。(H15.8.17)

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おど (父さん)

「おどだば 町さえって いね」
父さんは町へ行ってて留守だ、の意。母さんのことは「あば」と言った、他に「おが」とも言っていた。父母の呼称については県内でも多くの言い方があるらしい。古くは農家と町家、武家によっても違ったものらしいが、詳しいことは知らない。子供の頃に聞いたのは農家で専ら「おど」「あば」であった。間々、父のことを「どー」と言うのを聞いたが、「おど」にしろ「どー」にしろ、元は「おとう」で一緒なのではないかと思っているがどうだろうか。(H15.8.10)


のだばる (うつぶせになる)

「そさ のだばれば やがなるなや」
そこにうつぶせになると邪魔だなあ、の意。だが、ハテそうだったかしらん。うつぶせと言う体の向きには然程拘らなかったように思うのだが、そうだったのかなぁ。疲れて兎に角ゴロンと横になるのは「ながまる」と言って腰を伸ばす雰囲気があった。それに対して、ぐうたらでゴロゴロするニュアンスが「のだばる」にはあるように思ったが、これは私の個人的な印象だったかも知れない。「やがなる」は人の「世話になる」の意でも用いられる。(H15.8.5)

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てぶっけ (不器用)

「おらだば てぶっけで しぇ」
俺は不器用でなあ、の意。てぶっけの「て」は手である、然らばぶっけは何だろうと思ったらある本に「惚け」とあった。尤もこのてぶっけ、こんな素直な発音ではなく県内でも所によって大分違うらしい。西国の方でも「てんぼー」等と言うらしく、以前映画で観たような気がする。上の用例は、ある職人さんの言葉で記憶に残っていたものである。職人さんがてぶっけの筈もないが、歳と共に若い者に遅れを取るようになり、つい出たものであろう。(H15.7.27)


ぜぇんご (田舎)

「なんだ ぜぇんごもん だな」
なんだ田舎者だなあ、の意。「ぜぇんごもん」と同じ位に「ぜぇんごくせ」とも言った、こちらは田舎臭いの意味になる。どう使い分けたのかは今となっては定かでないが、ぜぇんごもんは当人を、ぜぇんごくせは当人の一部(所作等)を言ったものだろうか。「着てる物がぜぇんごくせ」とか「ぜぇんごくせまね」等と言ってたように思う。とは言え、言ってる本人も歴としたぜぇんごもんに違いは無いのだから目屎鼻屎であった。ぜぇんごは在郷でもある。(H15.7.12)

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こんにゃうち (苗投げ・苗を投げる人)

「ほい ええ こんにゃうち だごと」
良いこんにゃ打ちだこと、と言うことだがこの「こんにゃうち」どう訳したものか。田植えの時には苗を前もって撒いておき、足りなくなると田の畦からポーンと放ってやったものだ。早乙女は四五人が横一列になって植えてゆき、投げ手は一人。かなりのコントロールが要求されたと思うのだが、立上がった早乙女の胸元に見事に決まっていた。時には受方によって苗束の水が受手の顔にビシャッっとはねたっけ。(H15.6.29)


うるげる (ふやける)

あまし はってれば うるげで しゃうど」
あんまり入ってるとふやけてしまうぞ、の意。鴉の行水と言うが、こちらは長湯。後が支えて困ったことであろう。風呂もそうだが川に入ったまま長いこと遊んでいると指先が凸凹になったものだ。水の分子がどうとかでそんな風になるそうだが、そんな事は知らず「指がうるげだ」と言っていた。「うるがす」と言うと水に「浸す」ことであって、ふやけるまではやらない。が、物事を決めずに放っておくことも、うるがすと言うなぁ。(H15.6.22)

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めめ (めまい)

「おめの話 聞でれば おら めめしてくるで」
お前の話を聞いていると私は眩暈がしてくるよ、の意。こんな事ってありますなあ。他にも子育ての頃、近所の子供達が集まった日にはそれでなくとも狭い家の中、全くめめのする思いだった。時にこの「めめ」、めまいのまい[mai]が、め[me]と縮めて発音されるようになったという感じがする。よく雪国は寒いから極力口を開かない発音をすると言われるが、そんなもんだろうか。私はその説は嫌だな、そんなに横着じゃないぜ。(H15.6.14)


にかにか (にこにこ)

「なして そんた にかにか してるなや」
どうしてそんなに にこにこしてるのよ、の意。他人が幸福そうににこにこしていると、どう言う訳か気になるものである。悲しげにしてるのよりは余程声をかけ易いが、勿体振られてついこいつと思ったりする。なに、大概は聞くまでもない詰まらない事なのだが。似たような語に「にやける」がある。これは、にやにやする方で自ずと雰囲気が異なる。(H15.6.7)

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てたぱた (あっという間)

そいだば てたぱたったっけ でぎだっけど」
それならあっという間に出来ちゃったよ、の意。この「てたぱた」という表現を面白いと思った。元は動く様の擬態語なんだろうが、「どたばた」や「どさくさ」よりも軽快で然もユーモラスで良い。好きだなこんな言葉。秋田弁では、ともすると濁音の多い話し言葉の中でこのように半濁音を伴なう言葉なんて珍しいのではないだろうか。(H15.5.31)


そんだら (そのような・それなら)

「そんだらごと 言ったがって・・・」
そんな事を言っても・・・、の意で甚だ困惑している体である。この「そんだら」は結構広い意味に用いていたように思う。「そんだら、そうすべ」は「それなら、そうしよう」だし、「そんだら な」なら「それじゃあ な」で別れの挨拶になる。尤もこれは「へば」の方が一般的だったろうか。「そんたら」と濁点の無い言方もあって、こちらは専ら「そんたらごと・・・」の用法が多かった。うん、さようならに「そんたら」は無かったな。(H15.5.25)

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けり (靴)

「このけり あど だめだな」
この靴もう駄目だなぁと言うこと。長けり、短けりと記憶にあるのはゴム製の靴ばかりだ。擦減ることもあるが引っ掻傷などで裂けたり穴が開いたりすることが多かった。そんな時は自転車屋で修理してもらい、継接のゴム靴が流行だった。自転車屋さんが修理に使ってた鑢は鮫か何かの皮だったな。そんなことも本の一時でゴム靴の修理は急速に消えていった。次には革けりの登場となって、靴屋さんでの修理はしばらく続いたなあ。(H15.5.17)


えへる (すねる・ふてくされる)

「すんぐ えへで あんだもの」
すぐ拗ねてああだもの、の意。拗ねて黙んまりと言うよりも、わざとらしい態度をとる様を言ったように思う。これはちと小憎らしい。親も周りも口うるさかったし、子供も何かと手伝いをさせられた。いや、当然の分担として頭数に入っていた。まあ今と違って塾なんてものは無かったし、田舎の学校では宿題なんてものもたいして無かったのかな。成績なんかよりも労働力としての価値の方が高い時代だったんだろうな。(H15.5.11)

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ゆっちめがす (大騒ぎする)

「ゆっちめがして 飲んだなや」
直訳すると、大騒ぎをして飲んだなあと言ったところだが、ここは当然夕べは飲んで大騒ぎをした、それ位飲んだというニュアンスになる。よく腰が抜けるほどと言うが、足腰が立たなくなる人が実際にいたものだ。正体がなくなるのも困りものだが、どこか妙に愛嬌が有ったのは何故だろう。最近ではそんな飲方をする人は見かけない。それでも花見の時期には救急車で病院に運込まれる人がたまにはいるか・・・。(H15.5.6)


みだぐね (みっともない)

あまし みだぐねまね すんなや」
あんまりみっともない真似をするなよ、の意。武士は喰わねど高楊枝、でもあるまいが物の少ない時代はどうも精神面を重視したきらいがある。特に恥を嫌った。その点今はおおらかだ。オレ流と言うのか他人の目を意識しない。尤も今でも恥の概念が無い訳ではなく単に基準が一寸変わっただけなんだろう。こっちはみだぐねなぁと思っても、これがクールなんだと大威張りだもんな。(H15.4.27)

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ひやみ (怠け)

「まんず ひやみこぎ だごど」
なんて怠け者なんだろう、の意。終戦後の頃はまだ若勢(下男)を置く農家があった。疲れて寝入ってしまったり寒くて火の側に寄ったりすると、こう言って仕事に追立てたものらしい。学校では「ひやみまり」と言った。テニスボールのような柔らかなゴム毬なのだが、寒い時は空気が抜けたようになってまるで弾まなくなった。それでも我々にとっては貴重な遊び道具だった。その毬で遊んだ三角ベースが懐かしい。(H15.4.19)


 (ない)

「なもね」
単純明快、何んにも無いの意。この「ね」は頻繁に聞いた、兎にも角にもないないづくしではあった。又この「ね」は何にでもよく付く。やざねがんぜねほじねみだぐねと言った按配で、否定を表す。それとは別に周辺、近辺を指すとも言う。確かに山の麓の辺りを「やまね」と言い、そこに住む人をも指すがさしずめ「山根」だろうか、だけどこの用法が秋田弁かどうかは知らねがったなや。(H15.4.12)

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つまけり (つまずく)

「そこで つまけり してしゃってよ」
そこで躓いてしまってよ、の意で多分に転んでしまった事が感じ取れる。舗装なんて言葉も知らないご時世だから雨が続くと泥濘になり日照りには土埃が舞上がる状態で、路面に凸凹や石ころがあるのは当たり前だった。草の生えてる道では草を結び合わせ、誰かつまけりしねべかと固唾を飲んで今や遅しと待構えていたものである。(H15.4.5)


さきた (さっき・先刻)

「さきた おめさ おなんこ 来たったや」
さっきお前を訪ねて女の人が来てたよ、の意でこれは穏やかでない。こんなのは用例だから書いたものの、実際にこんなことは無い無い。流石に男女七歳にしてなんぞとは言わなかったが、周りの口は殊の外うるさかった。あゝ一度あったな、同級会の知らせだった。それが今は女の子が男の子を誰某ク〜ン!って呼ぶんだもんなあ。(H15.3.29)

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きかね (きかん気・勝気だ)

「まんず きかね わらしだごど」
どうにもきかん坊な子だねの意で、勝気と言うよりも強情なと言った感じもあるかな。大体は喧嘩っ早い子を「きかね」と言っていたような・・・。中学に入った当初、失礼な奴がいて最初が肝心と受けて立とうとしたら、脇から「おやぁ、きかねごと」と冷やかされ事なきを得たことがあった。そう言えば大分きかね政府の国もあるもんだね。(H15.3.21)


いっつに (とっくに)

「バスだば いっつに 行ったや」
バスならとっくに行ったよ、の意。今でこそ滅多にバスのお世話になる事が無いが、子供の頃はこれが唯一の交通機関だった。タクシーなんてものも有ったが、これはお医者様とか特別の人が乗るものだと信じていたものだった。そのバスも普通は乗らなかったな、一里位なら当然の事として何の苦も無く歩いたものだっけ。(H15.3.15)

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やめなる (嫌になる・頭が痛い)

「おめの話聞いでれば やめなるな」
「やめ」は「病」即ち、お前の話を聞いていると病になりそうだ、の意でもう嫌になってしまうと言った所だ。頭が痛いと言ったらぴったりだろうか。三月は希望の月でもあるが又何かとやめになる月でもある。進学も就職も転勤も・・・。この月には人生の転機が集中しているようで、無事に抜けると一先ずほっとする。(H15.3.8)


まめ (元気)

「あば まめだべ」
お母さんはお元気でしょう、の意。「まま喰ったが」と共に朝に晩によく耳にしたものだ。「まめだか?」は心配してと言うよりも挨拶の一つだったのだろう。「まま喰ったが」もそうだが、今ならこんなことを言おうものなら余計な事をと以後絶交にもなり兼ねない。そう言えば韓国の映画でこの「まま喰ったが」と言うシーンがあった、無論韓国語でである。ふと親近感を感じたのであった。(H15.3.2)

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ばっけ (ふきのとう)

「ばっけ でだな」
これはまた何の愛想も無い、単純にふきのとうが出たと言うだけのことだ。ばっけは実にポピュラーな言葉で学級の文集や会報の誌名によく登場する。言い易いのに持ってきて雪解間もない早春にいち早く顔を出すので愛着があるのかも知れない。薬味に使っても良いが、一個丸ごと飴色になったのを旅館でご馳走になったことがあった。大変美味しくて、こんな調理の仕方があったのかと驚いたものである。(H15.2.21)


なんた (どんな)

「あば なんただ?」
母さんどんな具合だ?、といった所だ。「なんたあんべだ」或いは「なんたもんだ」等とも言う。ついでに母のことはあばの他に「おが」「おがっちゃ」「おがはん」「かが」「あや」又これらの変形等と多い。これに比べたら父なんてのは寂しい限りだ。第一母のことは気遣っても父のことまでは気が回らないものな。唯一頼みの奥方までもが亭主の賞味期限は十年等と言出す始末。一体なんたあんべになってるなだべが。(H15.2.14)

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たろんぺ (氷柱)

「みれ まんず おっき たろんぺだごと」
ご覧、何とも大きな氷柱だこと。の意。家の造りにもよるのか氷柱の付具合は家によって違う。雪の多い地方に行くと凍滝のような氷柱がすっぽりと家を覆ってしまい、壮観だが住む人には堪らないだろう。比較的に寒気の緩い私の所でも出来る。放って置くと屋根から部屋に水が廻込む(すが漏りと言う)原因になったり、窓ガラスを割ったりもする。この氷柱でチャンバラをやったり、しゃぶったりしたがどんな味だったかは思い出せない。(H15.2.7)


さんだらぼっち (桟俵)

「さんだらぼっちで 道つげで 
桟俵で道をつけて来い、の意。桟俵とは藁で作った俵の蓋で冬は雪踏に使った。この場合、桟俵を付けたまま俵を二つに切って長靴のように履いた。空缶に紐を付けて履いて遊んだあの要領である。かんじきのような按配で、これで降積った雪を踏固めて道をつけたものである。二列に菊の紋のような跡がくっきりと続いて美しいと思ったものだが、翌日には跡形も無く消えてのっぺらぼうの雪野原であった。(H15.1.31)

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かっちゃま (逆さま)

「なんと そいだば かっちゃまだで」
なんとそれでは逆さまだよ、の意味だ。かって貰物の絵画の天地が分からず困ったことがあった。時折上下を逆にして観るとそれはそれで中々乙なものである。似た言葉で「かっちゃます」があるが、これは水などを掻回すこと。話合等で余計な事を言って混乱させることにも言う。尤もこの場合は「もっちゃめがす」とも言うが。そんなことで「かっちゃま」と「かっちゃます」は親戚同士かと思うがどうだろう。(H15.1.25)


あける (空にする・注ぐ)

「ささ ぐっと あげれ」
さあさあ ぐうっと飲乾して、と言ったところだ。あげれ は杯を空にしろと言う事。いやコップかな、酒が進むと何時の間にか大きな入物になってしまう。花見時などは救急車で病院に担込まれる騒ぎが起きたものでした。これが「甕さあげれ」と言うと、甕に注ぎ入れろの意で、空にするとは丸っきり逆の意味になってしまう。何やらだまし舟みたいな言葉で、何でだろうと不思議に思う。(H15.1.19)

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ゆっこ (湯・風呂)

「さ、ゆっこさ あんべ
さあ、お風呂へ行こう、の意でこの場合は当然のこととして富士山の絵のある銭湯を指す。銭湯は遠くて少々億劫である反面楽しみでもあった。行くのは何時も母と一緒だった。何時だったか同級の悪童共と一緒になり、いつも通りに母に続いて入ろうとしたら、彼らが嫌だと言い出しそれが男湯に入る切掛になった。ドライヤーなんて無く、冬は家に帰着くと髪がパリパリに凍っていたが不思議と風邪なんかひかなかった。(H15.1.11)


ぬぐう (拭く)

まがしたどご これで ぬぐえ」
こぼした所をこれで拭きなさい、の意。拭いた後はポイではない。当然揉み出して何回も何回も使うのだが、揉み出すなんて言葉にも郷愁を覚えるのは時代だろうか。さてこの「ぬぐう」考えてみたら、汗をぬぐうとか口をぬぐうとか一般的な言葉だった。あまり耳にしなくなったので方言と錯覚してしまったが、口をぬぐって知らん顔などは何時の世でも健在に違いない。しかし、その場合の語感としては、やっぱり「拭く」よりも「ぬぐう」だな。(H15.1.4)

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