秋田弁の散歩道 4

  

 


あぐ (灰)

「ほれ、もぢさつだ あぐっこ ほろげ
ホレ餅についた灰を振い落せ、の意。今では元日に雑煮を食べるくらいのものだが、子供の頃はよく餅を食べた。豆を入れて搗く豆餅とか、吊るして乾燥させた干し餅などがあったなあ。炭火で焼くとぷ〜ぅっと膨れ、終いに狐色に焼けた表面が割れてその間から再び真白なのが雪だるまのように膨れ上がるのが何とも面白かった。魚は殿様さ焼がへれ、餅はやっこさ焼がへれ、なんて言ってたように思うが今ではもうよく覚えていない。(H16.12.25)


わんざに (わざわざ)

「それ わんざに やったなだど」
それはわざわざやったのだぞ、の意。やっと探し出してわざわざそこへ用意して置いたのに、片付けられてしまったとか、わざわざやっておいたのに無に帰してしまうなんてことは間々ある。反対に、そうすると相手が困ってしまうことが分っていながら「わざとやる」場合がある。こんな時は「わんざとやる」と言う。後につく「に」と「と」で全く逆になってしまう。(H16.12.19)

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むたっと (一生懸命に)

「むたっと かかった もな」
一生懸命にやったもんな、の意。「むたっと」と言うと、声も出さずに一心不乱の様を連想してしまう。あの棟方志功が顔を擦り付けんばかりにして版画を彫っているような場面である。尤もこんな所に棟方志功の名を借りると、青森からクレームが飛んでくるかも知れない。でも、ことほど左様に「むたっと」と言う言葉にぴったりなのだ。きっと津軽弁では又違った表現があるのだろうな。(H16.12.11)


ままんで (まるで・殆んど)

「ままんで わだもん みでだ」
まるで自分の物みたいだ、の意。この場合の「自分」は一人称の私ではなく、私以外の誰かなんですね。その人が他人の物も我が物のように、と言ってるのですがそんな人っているんですよね。又、農作物が台風の被害を受けた場合も「ままんで だめだ」(殆んど駄目だ)なんて言います。「ままんで」だと、殆んどだが多少は残った物もあるのかな。「すかっと やらいだ」と言うとすっかり駄目で跡形もない、そんな感じになりますかねえ。あゝ「でらっと」と言うのもありました。(H16.12.3)

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ひっしこぐ (一生懸命にやる)

「ひと ひっしこいでるのに」
私が一生懸命になってやってるのに・・・、の意だが、必死になってやってるのに、と言うのと同じだ。必死は方言ではないから「こぐ」が秋田弁なのかな。しかし私は子供の頃から「ひっしこぐ」を一纏めにして秋田弁と捉えていた。一生懸命にやることを「けっぱる」と言う所もあるらしいが、この言葉はあまり聞いた記憶がない。「がりっとやる」なら頻繁に聞いた。「こぐ」は動作や行動を言うものらしく「ばすこぐ」「屁こぐ」等と言う。尤もこの「こく」は「放つ」「言う」等の俗語としても一般的だ。(H16.11.28)


そくっと (そっくり・全部)

「そくっと もってがいだなや」
そっくり持って行かれてしまったよ、の意。泥棒さんに持って行かれたのか、片付けを頼んだら要る物まで持って行かれたのか、とにかく意に反して綺麗さっぱりと持って行かれてしまったようですな。こんな、そっくり すっかりを私らは「そくっと」と言うが、濁音で「ぞくっと」と言う人もいる。濁音になると何やら根こそぎと言った印象ですな。その点「そくっと」は発音からも「そっくり」に近いように感じられるのだが。大して違わないか。(H16.11.19)

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すこたま (沢山・物凄く)

「すこたま なってだなや」
沢山生っていたぞ、の意だがその沢山の程度が問題である。「すこたま」と言う場合は、物凄く生っていたと言うニュアンスがある。叱られた場合でも「すこたま ごしゃがいだ」と言うと、生半可な叱り様ではなかったことを意味する。これに感情が入ると「すこったま」と、つまるこの「っ」に思いっきりの力を入れる。会話の中では「しこたま」と発音する人もいる。「す」か「し」かは判然としない。秋田弁の本の中には「す」の見出しが無い本もある。(H16.11.14)


ける (やる)

「これ けるがら 泣ぐな」
これをあげるからもう泣くな、の意。小さな子供をあやすにはこれが一番手っ取り早いんですかね。このシチュエーションはよく有りましたな。これと言ったってナニ大した物が有る訳じゃない、釜にへばり付いたお焦げだったりすることがある。何かと一瞬泣き止んだ子供も、こんな物を見せ付けられた日には仕切り直しで更に大声で泣出したりする。「けるがら」を「けるあんて」と言う言い方もありました。(H16.11.7)

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かだっぱり (強情っぱり・片意地)

「まんず かだっぱりだ ごとせ」
何とまあ強情っぱりなんだろう、の意。この「かだっぱり」は子供と言わず、大人と言わず結構居たもんですな。それが道理も何も無くただ我が強いだけの片意地が多かったように思うがどうなんだろう。どうも話せば分るの精神、いやお互いが分るような理路整然とした話合いの態度と言ったものは希薄でしたね。兎角、欲得は古今東西、物事の根本に違いないが、それを我田引水などと農事に関る言葉で表現されているのが何とも妙な巡り合せですな。(H16.10.31)


あがめろ (赤剥・皮膚が赤く剥けること)

「わい、あがめろだねが いでべ」
おや 赤剥けをしてるじゃないか痛いだろう、の意。今でこそこの「あがめろ」の肌を見ることはないが、冬場は多かった。素足でゴム靴を履くなんて事が多かったせいかも知れない。霜焼(雪焼)には誰でもなったし、ゴム靴に擦れて踵の皮膚がペロリと剥けるなんて事は茶飯事だった。又、飲屋等で財布をはたいて「あがめろだなっす」等と言ってましたな。そんな用法もありました。(H16.10.23)

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わっぱか (割当・ノルマ)

「さ、わっぱか やるが」
さてと割当の仕事をやっつけるか、と言ったところ。仕事などで今日はこれこれとやり遂げる分量を割当てることを「わっぱか」と言う。標準語では何と言うのか、適切な言葉が出てこない。仕事では、わっぱかを仕上た人は時間内であろうとも当然帰って良いことになっている。それだけにこのわっぱかになると猛然と取組み、通常よりも早く出来る。早いがともすると雑になることもある。単調な作業にメリハリを付けるためか農作業にわっぱか仕事が多かった。(H16.10.17)


んて (沢山)

「舞茸んてあってせ おらハ おもへして」
舞茸が一杯あって俺はもう面白くって、の意。茸でも山菜でもうまく行き当ると一ヶ所で「ひとへ」背負うほど採れるものらしい、それが醍醐味なんでしょうな。そのせいかこの宝の在処ばかりは一子相伝どころか、誰にも教えないものと聞く。「ひとへ」は同じく沢山の意味だがこちらには背負いきれないほど沢山の意味がある。してみると「んて」と「ひとへ」ではどちらの方が量的に多いのだろう? あまりにも多いの意味では「おが」がある。(H16.10.8)

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ゆーい (ワーイ)

「ゆーい ごしゃがいだ
ワーイ叱られたぞ、の意。所謂ワーイワーイと囃し立てるあれだ。様あ見ろいった気持も多少はあるかな。一人が囃し立てると周りもこれに同調し、数人で取巻いて囃し立てるなんてことがよくあった。大体は他愛のない事がもとでその場限りのことでありふざけての事だが、言われる方は愉快なものではなかった。しかし、忘れ物をした時などはこの「ゆーい」ではなく、「はいったー、何と?」と言って一緒に心配をしたものだ。「はいったー」は「大変だ」「マジかよ」と言ったとこかな。(H16.10.2)


めんけ (可愛い)

「おや めんけ子だごど だいさ似だ」
おや可愛い子だねえ誰に似たのかな、の意。だいさ似だ、なんて言ったら今なら問題発言になるかも知れないが、これはその子に対する呼びかけで慣用句みたいなもの。もとより親も一向に気にしない。時には反語として用い、悪戯で手に負えない子を「まんず めんけごどめんけごど」と言ったりもした。また、可愛い子を「めんこ」と言うが、これにはお気に入りのニュアンスもあって、先生から特別に目を掛けられている子を「先生のめんこ」なんて言ったものだった。(H16.9.25)

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まどう (弁償する)

「おめ それ まどえど」
お前それ弁償しろよ、の意。「まどう」の他に全く同じ意味で「まよう」という言い方もある。実はこの「まどう」古語辞典に「まどふ」(償ふ):つぐなう・弁償する、と載っている歴とした古語なのでした。それを何故「まよう」とも言うのかは不明だが、どうやら古語の影響があるらしい。古語辞典に「まどふ」(惑ふ)と「まよふ」(迷ふ)があり、中古以後同義で用いられるようになって「まどふ」は文章語になったとある。その辺を混同したのじゃないかと思うがどうだろう。(H16.9.18)


へる (入る・入れる)

こさ へるべ」
ここに入ろうよ、の意。腹さへる・学校さへる・風呂さへる・と入ることは何でも「へる」だったが、液体を甕や桶などに入れる場合は「あける」と言った。さて、「はいる」と「いれる」だが共に「へる」で済ましてた。入るの「へる」は「へ」にアクセントがあり、入れるのはアクセントがなく平坦。ところが一般に言う「ら抜き」には、秋田弁には「ら抜き」ではない確固たる違いがある。「泥棒さへる」のは犯罪行為で、「泥棒さへね」はしないこと、「泥棒さへれね」のは出来ないこと、「泥棒さへれる」は逆にその能力があることを意味し、しっかりと使い分けている。(H16.9.12)

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ぱっち (めんこ)

「お、ぱっち あそぶで」
おい面子をやろうよ、ぐらいの意。「あそぶで」を少し丁寧に訳すと「遊ぼうよ」になるかな。これは学校と言わず、家に帰ってからと言わず実によくやった。後になって小さなぱっちが流行った。名前を忘れたが今の50円硬貨位の大きさで、これは壁に叩きつけその跳ね返りの距離を競った。何れの場合も勝った方に没収されるのが決りで真剣なものだった。「ぱっち」では風を送るために、上着の釦を外したり袖口の使い方など、他ではしたこともない工夫を凝らした。(H16.9.4)


ねぶて (眠い)

「オリンピックかって ねぶてなや」
オリンピックのせいで眠いなあ、の意。「ねぶて」は「ねふて」とも言う。何もオリンピックが悪い訳じゃあんめえ? と言いたい所だが開催地が時差の大きい所で、しかも日本が金を取れそうな種目ともなるとしょうがないかな。反対に寝そびれてしまうことは「ねそける」と言うし、居眠は「ねぶかぎ」又は「ねふかぎ」だ。(H16.8.29)

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なんも (何にも・どう致しまして)

「難儀かげだなや」「なんもだ」
ご難儀を掛けたね、いえどう致しまして、の意。「なんもだ」は他に「なんもなんも」と重ねて言う場合もある。又は、「おが、喰もの が」「なんもね」と言った具合に「なんも」は打消しの言葉である。一方では「なんもかんも なるもんでね」等と、どうにもこうにも成る物じゃないと言う「どうにもこうにも」の意にも用いる。このように働き者のなんもである。(H16.8.22)


とぎ (骨)

「どれ とぎっこ とってけらな」
どれ小骨を取ってやろうな、の意。以前は魚が主で、肉なんて滅多にお目に掛るものではなかった。「骨まで愛して」という歌が流行った頃、秋田弁で「とぎまで愛して」と歌った陽気な婆さん達がいた。最近では「大きな古時計」の秋田弁バージョンがシャンソンを聞いてるようだと受けてるそうな。この骨の場合の「とぎ」の「ぎ」の発音は鼻濁音である。それに対し「togi」の濁音では「なんと とぎなぁ〜」と「随分遠いなぁ」の意味になる。(H16.8.15)

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たばこ (一服・休憩)

「さ、たばこに っと」
さあ一服するぞ、の意。最近はあまり聞かなくなったが以前は初中終言ったものである。田植だったか農作業で「たばこ」になると朴の葉で包んだご飯が出た。黄粉がかかっていてとっても美味しかった記憶がある。又笹巻(粽)の頃もあり、子供には たばこ=食べ物 で楽しみの一つだった。「煙草休み」の「休み」を省略した形などと言う解説を聞くまでもなく、煙草即ち一服と言うのは直感的に理解が出来る言葉だ。(H16.8.8)


じゃける (すねる・いじける)

「あれまだ じゃけで しまったで」
あいつはまたいじけてしまったよ、の意。一緒に遊んでいて何かからかわれたとか、悪戯されたとかでプイと仲間から離れてしまう、そんな時にこの「じゃける」と言った。腕力を持って敢然と立向う者もいたが、このプイという決断も少なくなかった。ここでは「いじける」と訳したが決して臆病にはなっていない。多勢に対する意思を持った反抗であった。実際こうなると仲間の方が何とかなだめ様としたものである。(H16.8.1)

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こちょがす (くすぐる)

「わぁー、こちょがすな」
わぁー くすぐらないでくれー、の意。幼児をあやす時に良く「こちょこちょこちょ」などと言ってくすぐったものだが、あのこちょこちょだ。で、くすぐったいことは「こちょぐって」と言った。小学生の頃は悪戯で、後ろからそっと近づきこのこちょこちょを良くやった気がする。くすぐったいよりも、むずつく様な感じだったろうか。そんな事も遊びの中の一つだった。そう言えば、大勢で押倒して胸や腹にこれをやるのを解剖なんて言ってたっけ。(H16.7.24)


きゃり (お釣)

「きゃりっこ こさ置ぐがらな」
お釣をここへ置くからね、の意。村の駄菓子屋は玄関口ほどの間口の小店だった。店番の婆様は立って来ることはせず、釣銭を手の届く菓子箱の上にチョンと置いたものだ。末尾の「こ」は何故か知らないが秋田弁では多用する、「どじょっこ」に「鮒っこ」、「花っこ」に「雪っこ」と言った具合だ。「きゃり」は「返り」即ち「返し」だろうと思っている。(H16.7.17)

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おっす (挨拶の言葉:よっ!)

「おっす!」「おっす!」
これは注釈のしようが無い。道で行き会い、互いに片手を挙げて「よっ!」「よっ!」と挨拶を交すあれである。それが何で「おっす」なのかは知らない。これが固有の秋田弁であるかどうかも知らない。とにかく高校に進学したらこれだった。同輩、先輩はもとより、先生に対してさえもこの「おっす」で当初は大いに面喰った。兎に角、朝であれ、夕であれ、挨拶はこの一語だけだった。別れる時は「せば」である。(H16.7.10)


いわげる (断る・詫びる)

へば 一緒にあんで いわげで けるか」
それじゃ 一緒に行って断ってやろうか、の意。しかし、談判決裂の断固とした断りじゃなく、多分に詫びながらと言うニュアンスがある。まあ、良家からの断り難い縁談を婉曲に断るようなものだろうか。そう、「いわげる」は文字通り「言分け」することなのだ。文字で書くと「えわげる」「ゆわげる」など如何様にも書ける位に、この「い」の発音は得体が知れない。(H16.7.2)

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んか (嫌だ)

したって んかかったもの」
でも嫌だったもの、の意。嫌だは一般的に「んた」と言う。この「んか」はそのバリエーションの一つだろうか、どちらかと言えば多くは女性が用いる。うら若き女性の取って置きには「やんた」が有る。品を作って「やんた」なんて言われると、つい「お、そか そか」てな具合に・・・。なる訳ないだろ、そんな。(H16.6.25)


もよす (装いをする・支度をする)

ちゃっちゃど もよえや」
さっさと着なさいよ、の意。子供はとかく着替えに時間がかかる。特別愚図ってるつもりは無いのだが何故か手間取ってしまう。これは朝の忙しい時や出掛ける時などのお母さんにはじれったいものらしい。こんなのは大体上の子が下の子の面倒をみていたように思う。「もよす」は標準語の「催す」に関係があると思われるが、専らこのように着支度をすることを言っていた。(H16.6.19)

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ほろぐ (ふるう・はたく)

ぐ ほろだいで へってな」
良く叩いて入って来いよ、の意。この用例で実は一寸困った。「ほろだいで」は「ほろだぐ」の活用である。ハテ、「ほろぐ」の活用は何だっけ? どうも「ほろって」と言ってた様な・・・。「ほろぐ」も「ほろだぐ」もパタパタと振るい落とす事を言う同義語でこりゃ双子の兄弟だね。職人さんなんかが一休みする時には、よくめだれ(前掛)をほろってたもんだったな。(H16.6.11)


ぶったらぐ (打据える・ぶちのめす)

おが いっきなってれば ぶったらぐや」
あまりいい気になってるとぶつぞ、の意だが「ぶったらぐ」は「ぶち叩く」の方がぴったりだ。又、「ぶっからめる」と言う場合もある。こちらはよりエスカレートして「ぶちのめす」或いは「ぶっ倒す」位に当たるだろうか。どうも殺伐とした言葉が多いが、私の育った所が農村で偶々そうした環境だっただけだ。上品な言葉も決して無くは無いだろうが生憎と知らない。県南で聞く「おざってたんせ」なんてのは、抑揚からしてかったるくてどうも性に合わない。(H16.6.5)

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ぬがす (追い越す)

「そえどご はえぐ ぬがへ」
そいつを早く追い越せ、の意。運動会などでこんな場面が間々ありましたかな。追い越すのが「ぬがす」なら、追いつくのは「かっつく」と言う。運動会では競り合っていれば「ぬがせ」の、離されていれば「かっつげ」のと、声援やら怒号やらが姦しかった。ついでに、こてんぱんに打ち負かすことを「きゃんこ」にすると言った。(H16.5.29)


ちょぺっと (少し・ちょっぴり)

「ちょぺっと なめって みだ」
ちょっぴり舐めてみた、の意。食物等をねだる時によくこの「ちょぺっと」と言った。本の爪の先程といったニュアンスだろうか。同じ少しの意では「さっと」とも言う。軽い卒中になると「さっと中った」と言う。他には「ちょっこら」と言うのもあって、その辺に一寸出掛けてくるのを「ちょっこら行ってくる」と言ったりする。少しに当たる言葉はこの他にも土地土地に色々あるらしい。(H16.5.22)

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さっさ (しまった)

「さっさ わがらいだが」
しまったばれたか、の意。「さっさ」は一寸頭を掻いて済ませる、そんな程度である。「あら」とか「あらら」でも良いのかな。「わがらいだが」は直訳すると「知られてしまったか」に当たる。これは案外頻繁に言っていた。遊びだろうと、悪戯だろうと、後で誰かに言われると「わがらいだが」といった具合だ。別段隠し事でもないのに今になるとおかしな表現だったと思う。(H16.5.15)


くびかがり (首吊・首くくり)

「あので くびかがりしたど」
あそこの家で首吊をしたそうだ、の意。どうにも相応しく無い言葉かも知れないが、そろそろ知ってる秋田弁の種も尽きだし、思いついたら透かさず・・・ と言った具合になりつつある。とは言え、どうしたものかこの首かがりが多い。発生件数はわが国でトップクラスだそうだ。その刹那の心境を知る術もないが、その決心を他に向けることは出来ぬものだろうか。(H16.5.8)

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あんべ (行こう)

「山さ あんべ」
山へ行こうよ、の意。今時分山へ誘われたら差詰山菜採りだろう。尤もこれはあまり人を誘わないものらしい。穴場は秘中の秘なのだろう。秋田民謡に確か「あね 山さ行ごで 行がねがで、今 蕨っこさがりだ・・・」と歌うのがあった。堅い秘事もあねさんになら心を許すのかな?、否、何が秘事なのかは知らない。この歌詞では「行ご」と言ってるが、どこかに一緒に行こうと言うのはやっぱり「あんべ」だったな。(H16.5.3)


みっちり (一生懸命に)

「さ みっちり やれど」
さあ一生懸命にやりなさいよ、の意。気を入れ直してやれよと言った雰囲気ですかね。
この「やれど」はここでは軽い命令形だが、伝言にも用いられ、その場合は誰某がそう言ってる又はそう言われたとの意味になる。例えば「残業してこれやれど」なら、残業をしてこれをやってしまえと言われた、てな具合だ。「みっちり」の方は念のため国語辞典を開いて見たら載ってましたね、て事は純粋な秋田弁じゃない?。(H16.4.25)

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ぬぎ (暖かい・暑い)

「なんと ぬぎぐなったな」
随分暖かくなりましたね、の意だがこれには少し説明が要る。春先のポカポカと暖かくなったのばかりではなく、汗ばむ位の暑さをも「ぬぎ」と言う。但し、真夏の炎天下でジリジリと焼かれている時に口から出る言葉は「アッチー」だ。こんな時には「ぬぎ」とは言わない。その辺が微妙だ。今日だばぬぎして、桜が一気に咲いた。何と一日とも言われねすもな。と、ま 今のどこだば「ぬぎ」の内だすな。(H16.4.18)


つんぶ (田螺)

ばんげさ つんぶでも とって
夕食の汁のみに田螺でも捕って来い、の意。まだ早いが初夏の頃にもなると田んぼの中に田螺が這い回っていた。これを長い棒の先に杓文字を取り付けては捕まえたものだ。実際には田螺よりも笊を持ち出して泥鰌や小鮒を捕ることの方が多かったが、カドミ事件を境に誰も捕らなくなった。農薬のせいで、背骨の曲がった泥鰌が急に増えだしそれを目の当たりに見ると口にする気にはならなかった。その後田んぼから田螺や泥鰌が消えた。蝗や赤蜻蛉、蛍も消えた。(H16.4.10)

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せがら (それから)

「せがら なしたなや」
それからどうしたのよ、の意。この「せがら」は「そえがら」とも言った。せの場合はせに若干の長音が付き、「せぇがら」と書くとより実際の発音に近づく。尤もこのせも正しくは「せ」でもなく「し」でもない曖昧音である。「そ」にしても似たようなもので「せ」にも「し」にも近い「そ」であった。と言うよりもその第一音はアクセントのない弱い音なのでどうでも良かったのだろうか。こうした五十音では書き表せない発音が多かった。(H16.4.3)


いだまし (痛ましい・惜しい)

おが 死んだどや いだましねがぁ」
奥さんが亡くなったそうだ痛ましいなあ、の意。自分と同時に他人の心情に対しても用いる。幼子を亡くした母を慮って「なんぼ いだましべな」と言った具合だ。主に痛切な感情を表す言葉なのだが、目に入れても痛くないような可愛がり様の時にも用い「いだましして 嫁さだば けらいねべ」等とも言う、この場合は「惜しくって」の意味。子供が用いる場合は専らこちらだ。「いだましして かいね」(勿体無くて食べられない)とばかり、金平糖を何時までも握り締めていたものだっけ。(H16.3.27)

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よござ (主の席)

「きんにゃ よござさ ねまったっけ ごしゃがいだ
昨日親父の席に座ったら叱られた、の意。小学校の何年の頃だったか初めて聞いて知った言葉で、その時は、じゃあ縦座って言うのもあるのかな、なんて思いながら聞いていたものだ。「よこざ」とは囲炉裏端の主人の席のことだが、奥さんの席をよこざと言う所もあるらしい。又、客の座る席だったり、上座だったり下座だったり所によって一定しないようだ。何れにしても囲炉裏端のことには違いが無い。かく言う我が家ではそんな言葉はなかったが何時からか座るべき場所は決まってましたな。(H16.3.20)


むす (屁をひる・知らん顔をして隠す)

だいが むしたべ」
誰か屁を放ったな、の意。この場合の屁はあの豪快な屁ではない。音も無く、何処ともなく臭い来る方である。これには思い出がある。中学一年の春、休み時間に近くに居た女生徒の一人が突然私の顔を見て「むした〜」と言い出したのだ。それ以後彼女達からMrならぬムシターの称号を貰うことになるが、私じゃない。その時、誰も何の臭いも感じてないのだから、多分言い出しっぺの彼女に覚えがあったのだろう。「むす」は炊いたご飯を蒸らすことで、転じて都合の悪いことを隠して知らん顔をすることにも用いるそうだが、その用法は知らない。(H16.3.12)

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べっちょ (べそ)

「あれ べっちょ かいで」
あらら泣きべそをかいちゃって、の意。最近は子供に接する機会もないせいかべそをかいた顔にはとんとお目にかからなくなった。大体人見知りをする子なんてのも少なくなったのではないだろうか。してみると今時べそをかく子なんてのは幼稚園に入る前の本の一時なのかも知れない。ま、以前もそんなものだったのかな。兎も角この「べっちょ」、如何にもそんな濡れて湿った感じがする。幼児の瑞々しい顔だから良いのだ。(H16.3.6)


にっこしょい (荷背負い)

「にっこ」は荷である。秋田弁では「めんこ」に「ぼっこ」に「がっこ」とよく「こ」を付ける。「しょい」は背負うことを言う。以前は稲藁、米、柴、杉の葉等何事につけてもよく背負って運んだ。これらを背負うための藁製の背当てもあった。小学校でも年に一度杉の葉拾いがあって、その日ばかりは人よりも大きな束を競ったものだ。あの頃は生徒を動員して秋の一日、落ち穂拾いや蝗捕りなどもあった。(H16.2.27)
【追記】単に荷を背負って運ぶ人の事ばかりでなく、結納の祝い樽を運ぶ若者をも「にっこしょい」と言うのだそうだ。これは知らなかった。他に「樽っこしょい」と言う所もあるそうだ。(H19.6.21)

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どっこ (滑って遊ぶための下駄)

朝のテレビニュースで、下駄で雪の上を滑っている山形からの映像があった。
「すべり下駄」と言ってたが、これは「どっこ」じゃないですか(ある本に「そりがっぱ」の名で載ってた)。尤も山形のは下駄の底が平らで一面に竹を貼ったものだが、我々が遊んだのは逆三角形の底に一本の鉄を打ち付けたものだった。これだと不安定なので底が平らなのもあった。それには橇のように二本の鉄を打ち付けてあったが名を何と言ったか思い出せない。しかし今時あんな物を持ち出すとはねえ。(H16.2.19)


ざふか (杜撰)

「これだば ざふか だで」
これじゃ杜撰だよ、の意。これは子供の頃に慣れ親しんだ言葉ではない。初めて耳にしたときは雰囲気から「The 不可」だとばっかり思い、洒落た物言いをする人だと思ったものだ。その後どうやら、出鱈目、いい加減、の意味だと理解したのだが、どの辺に分布している言葉なのかは未だに分からない。でも今でも時折聞くし、その語感にはスパッと一刀両断の観があるすな。(H16.2.14)

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ぐっぐど (さっさと)

「ぐっぐど あげ さ」
さぁさっさと歩きなさい、の意。決して上品な言葉ではない。私が「ぐっぐど」と言うと家の上さんは眉をしかめる。それを言うなら「ちゃっちゃど」と言うんだそうだ。道幅一杯に広がって行く手を塞いでいる集団には、つい「ぐっぐどどげ」と言いたくなる。そうだ、このぐっぐどにはチョッピリ怒気がブレンドされていたんだ。総じて濁音にはごつさが感じられるな。何故か秋田弁には濁音が多いように思う、が、その割には刺々しさがないのが不思議だ。(H16.2.7)


おが (あんまり・母さん)

そいだば おが だべしゃ」
それじゃあんまりだろう、の意。「げんげ」とも言った。「げんげ だねが」と言えば「随分じゃないか」ぐらいの意味。「げんげ」には意外だなと思うニュアンスも含まれていたろうか。そんな事はあまり意識をせずに両方とも使い、「おがってば、あまりってば、げんげってば、ちんけだ」なんてふざけていた。又、「おが」は母さんのことをも言う。これはアクセントで使い分けた。あんまりの方は「お」にアクセントがあり、母さんの方は平坦で若干「が」にアクセントがあったかな。(H16.1.31)

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めっこ (生煮え・めっかち)

「なんだ めっこ だねが」
これは両方の意味がある。大方は生煮えで芯のあるご飯のことで、なんだ炊けてないじゃないかの意味で用いる。もう一方は片目のこと。「かため」で「固め」なんだろうか、まさかね、でもひょっとしたら有りかな。この「めっこまま」標準語では何と言うのだろうか。とんと思い至らない。今でこそ電気釜にしろ、ガス釜にしろ、ご飯炊きでしくじることはあるまいが、その以前めっこにしてしまうのはなにも秋田に限ったことじゃあるまいにと思うのだが。(H16.1.24)


びゃっこ (少し・ちょっと)

「どれ おれさも びゃっこ けでみれ」
どれ俺にも少し呉れてみろ、の意。実はこの「びゃっこ」は吾が地方の言葉ではない。就職し、県南から来た同期の奴からこの言葉が飛び出した時には面食らった。が、言葉とは面白いもので聞いてる内に自然に解かるようになった。一説によると「少しばかり」の「ばかり」の部分だけが残って変化したのだそうな。吾が方では「ちょぺっと」と言う。今になってみるとちょぺっとと言うのは、如何にもちょっぴりと言う感じはあるもののどうにも幼児語めいた感じがする。(H16.1.17)

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ねっちょくせ (執念深い)

「あえだば ねっちょくせ してな」
あの人は執念深くてなあ、の意。「ねっちょぶけ」とも言うらしい。こう言われては立つ瀬が無いような語感が「ねっちょ」にはある。「ねちねち」に鳥もちでも混ぜて捏回したような濃厚な粘着性を感じる。それに何とも湿っぽいのだ。
似た言葉に「ねちょくちょって」と言うのがあった。これは、ぐずぐずしてはっきりしない方だ。「いづまで ねちょくちょって いるなだ」そう言われるのは決まって男の子。まだ、男らしさ・女らしさが求められていた。(H16.1.10)


でじっと (でんと・どっかり)

「まんず でじっと 座ったもんだ」
やれやれ どっかりと座り込んでしまったよ、の意。これは良くありそうな場面だ。「まんず上がれ」「んだばちょっと」と上がり込めば知れたこと、次は当然「まんずいっぺ」となる。昔の奥方は諦めてたんですかね。都会で暮らす甥御さん宅へ前触れもなく立ち寄った村の旦那が、主人は会社だから夕方に出直してと若い奥さんに門前払いに遭い「まんず東京の嫁っこだば」と話題になった。当時は相当なカルチャーショックだったろうけど、今なら当たり前かな。(H16.1.4)

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