秋田弁の散歩道 5

  

 


えぶて (煙い)

「生木でねが えぶてなや」   
生木じゃないか煙いなあ、の意。以前は囲炉裏で柴や薪を燃したものだった。ともすると燻りその煙が室内に充満して堪らず外へ逃げ出すことがあった。そんな時の雪に埋もれた外界の空気は意外と旨いと感じた。焚火でも煙から逃げると煙が追いかけるのを見て「けぶは男さ行ぐ」等と言って笑ったものだ。煙ってこの世に思いを残した女の化身なのかねえ。世に煙ったい人っているけどね、女とは限らない。(H17.12.23)

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えふりこぎ (恰好つけ・見栄っ張り)

「秋田衆だば えふりこぎだ」   
秋田県人は恰好つけだ、の意。「えふりこぎ」は体裁の良い恰好をしたがる人のことで、さしずめ「ぶりっ子」とでも言ったらよかろうか。用例は巷間でよく言われることである。他県人ではなく当の秋田県人自身がしたり顔で言うところが面白い。確かに、県外や外国に物見遊山に出かける人が多い反面県内に観光客を呼込むことにはどうも熱心とは見えず、近県に比べると総体的に派手好きの観はある。なまじ「秋田美人」などと言われたばっかりに駕籠に乗ってしまったのだろうか。(H17.12.15)


いましがだ (たった今・ついさっき)

「いましがだ おめさ 電話あったなや」   
たった今お前に電話があったよ、の意。ほんの一足違いでその電話は切れてしまった。こんなほんの少し前を「今し方」と言うが、まさにそのもの。今では標準語の会話や文章では「今し方」なんて言葉は殆ど使われないが、秋田弁では健在なんですねえ。物持ちがいいんですかねえ。古いと言えば、秋田弁には朝鮮半島の古語が残っているとも何かで聞いたことがありましたよ。(H17.12.10)

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いった (〜のような)

「そいった もんだ」   
そんなものだ、の意。頼み甲斐がなく当外れのシチュエーションだが、この語は方言とは言えないかも知れない(かなり好い加減)。この「いった」の変形で「そんた もんだ」という言い方もあってこの方がよっぽど方言らしい。又、「そんたら」と言う場合もあり「そんたらごど へば だめだべ」などと言う。厳密な区別はないもののそんたは単数形で、そんたらは複数形のようだ。これ、錯覚かな?。(H17.12.2)


いがべ (よかろう)

「そいで いがべ」   
それで良いだろう、の意。「が」が消えて「いべ」という言い方もあるし「べ」とも言う。秋田弁ではこの「い」と「え」の発音が曖昧で区別できない。この所大問題になっているビルの強度不足事件も「そいで いがべ」ってやったんだろうな、多分。あの一級建築士も名前がなァ、秋田弁ならさしずめ「あねはん いがで」と訝しく思うところだ。「いがで」は「大丈夫か?」位の意味。(H17.11.26)

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いぶりがっこ (燻し大根の沢庵)

「いぶりがっこ 」   
漬物をお上がり、の意だが、この「いぶりがっこ」は訳しようがない。恐らく標準語にはない代物だ。その昔、外に干せずに(多分雪のせいで)天井から吊るして置き煮炊の煙で燻製みたいになった大根を沢庵漬にしたもの。今ではこれがお土産になり、わざわざ40日間も燻し続けて作るのだそうだ。一寸風味があってよいものである。「がっこ」は漬物全般を言う。香の物からの「雅香」かと私は思っていたが、これは当てにならない。(H17.11.19)


いちゃいちゃて (弱々しい)

「あいだば いちゃいちゃて してな」   
あれでは弱々しくってな、の意。この危なっかしくって役に立ちそうもないと言う意味で、人と物の区別なくどっちにも「いちゃいちゃて」を使う。人ならふやけたような奴とでも言ったとこかな。また「いちゃいちゃする」という言葉があるがそれと関係があるのかどうかは知らない。近頃のテレビでよく見る仕草や物言いが女みたいな男、あんな「いちゃいちゃて」のは、当時はまともに相手にされなかった。その点、今は良い時代なんだろうなァ。(H17.11.12)

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あぐで (悪態)

「はらわりどで まんず あのあぐで」   
腹が立つからとあの悪態の吐きよう、位の意。「あぐで」は「悪態」の単純な訛と思う。「あぐ」だけだと、歩く「あぐ」と灰の「あぐ」がある。歩く意味での「あぐで」は「歩こうよ」だし、「あぐが」は「歩こうか」、「あぐど」は「歩くぞう」だ。「あぐど」には「踵」の意味もある。これを「まぐまぐてぐ」ならず瞬時に分るんだから秋田県人ってわりと「さがしけ」んだ。(H17.11.7)


あぐど (踵)

「あぐど あがめろに なった」   
踵が擦り剥けた、の意。「あぐど」は何やら悪いことを連想しそうだが単純に踵のことである。辞書にも踵を「あくと・きびす」などとあるから本来は標準語なのだろう。用例は、足に合わない靴で踵の皮膚が擦り剥けてしまった、因幡の白兎状態をいう。あの頃の靴はゴム靴で、しかも素足で履いていたのでそんな事が起きた。今はもうそんな事はないし、踵なんて殊更に意識をすることもない。そう言えば靴のサイズは足袋と同じに「文」だったな。(H17.10.31)

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あまし (あまり)

そいだば あまし いぐねな」   
それじゃあまり良くないな、の意。この、あまり・あんまりの意味では「おが」という語もあるが、「あまし」はそれよりも穏便な気がする。「おが」だと多少度を越した度合の印象があるのに対し、「あまし」は本の少々と言ったニュアンスだろうか。とは言え、こうして用例を書いているとどうも否定的な用法が多いように思う。秋田弁がそうなのではなく、これは偏に凡人の性だろうか。もっと前向きな内容の用例を用いないとな。これだばあましいぐねな、うん。(H17.10.23)


あます (吐く・もどす)

「バスさ酔って あました」   
バスに酔ってもどした、の意。最近はそんなこともなくなったが、以前はバスに乗ると気分が悪くなることがよくあった。今でも船は苦手だ。特に小さな釣船はてきめんで港を出た途端に船べりに掴まってあましてしまい、後は死んだように横になったままだ。そんな事のために金を払うのが馬鹿らしく、以後船釣はプッツリとやめた。「あます」がこの意味で使われるのは「余す」の転化だろうか。(H17.10.15)

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あっこ (あそこ)

「あっこさ いぐが」   
あそこに行こうか、の意。一々何処其処と言わなくとも「あっこ」で通ってしまうところが良い。時に、あちらとか向うと言う場合の「あちら」を「あっち」と言うが、秋田弁では方向の「〜へ」を「〜さ」と言うので「あっちへ」が「あっちさ」となり、さらに縮まって「あっちゃ」になる。こちらへは「こっちゃ」、因みにそちらへは「そっちゃ」だ。で、「あっこさ」だがこれはどうしてかこれ以上には縮まらない。この「さ」は特定の場所を指す「〜に」だからと言うことでもなさそうだが・・・。全く「あっちゃこっちゃ」だ。(H17.10.4)


あんべ (塩梅・具合)

そいだば あまし あんべいぐねな」   
それではあまり塩梅がよくないな、の意。物事の具合、予定の都合や体調の善し悪し、勿論食べ物の味具合も全てこの「あんべ」だ。ベリーグーなら「あんべ いい」と言うことになる。「あんべ」は「塩梅」の訛とみてほぼ間違いがないだろう。一緒に行こうと誘うのも「あんべ」だが、この場合の「ん」は無声音に近く「あべ」とも聞こえる。(H17.9.25)

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あしゅ (アヒル)

「あしゅ 卵もった」   
アヒルが卵を産んだ、の意。通っていた小学校の中庭にアヒルが放し飼いになっていた。校舎に遮られ外へ飛び出すことはなかった。産んだ卵の行方がその後どうなったかは定かでない。村にも飼っている家があって十数羽のアヒルが一団となってガーガー鳴きながら川まで歩いて行くのを良く見た。家の人が付いている訳でもなく、それこそアヒルの意のままに川に行き夕方にはまた揃って家に帰った。そういう習性なのか今思うと不思議な光景である。(H17.9.19)


おっしゅ (なんと)

「おっしゅ そいだば は」   
なんと それじゃもう、の意。「おっしゅ」は「なんと」とか「おやまあ」或は「おっと」と言う「吃驚したなもう」と驚いた時に用いる感動詞で特に意味はない。最後の「は」も同様で「何をか言わんや」と呆れ気味の「は」である。「もう」とでも訳したら多少否定的な響きが感じられるニュアンスを幾分か感じ取って貰えるだろうか。「なんと は」と言ったら「何ともはや」位の感じかな。いずれも咄嗟に口をついて出る音である。(H17.9.12)

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わり (ごめん・悪い)

「わり、わり」   
ご免ご免、の意。約束に遅れた時など、頭を掻き掻き「わり、わり」と言いながら現れるあれである。「わり」は「悪い」であり、そのものズバリ「おめが わり」と言う場合もあるし、何か手伝って貰った時などの「有難う、すまないなぁ」の意味で「わりなぁ」と言う用法もある。この言葉は現在も比較的多く使われている。ご免なぁ、と軽く謝るときには「ごめなぁ」と言う言い方もあるが、「わり、わり」の方が万事軽くって良いのかも知れない。(H17.9.4)


よばる (呼ぶ)

「あえどご よばるが」   
あれを呼ぼうか?、の意。遊びをしていてもっと誰か居ると良いと思う時がある。「よばる」と決まったら、今のような携帯の時代ではないから皆でぞろぞろとその家まで出向いて行った。そういう点では「誘う」の意味合いが強い。単純に呼びかける場合の「大声でよばる」こともあるが、「ご祝儀(結婚式)さよばる」など招待することも「よばる」と言う。(H17.8.27)

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よいんでね (容易でない)

「今日だばあっちして よいんでね」   
今日は暑くて大変だよ、の意。容易が縮まって「よい」になったと思うのだが「ん」は何だろう? 接尾語みたいなものだろうか。「そんだば」(それならば)などと言った使い方をする。ともかく、楽でないこと、難儀なことを一纏めにして「よいんでね」と言う。また、一筋縄ではゆかない手強い相手のことを「よいんでね奴だ」と言ったりもする。これには傍若無人な「だんじゃく」な奴も含まれ、悪い方に過ぎると「やばっち奴」となって大方は敬遠することになりますな。(H17.8.21)


ゆんべな (昨夜・夕べ)

「ゆんべなの雨 ひでがったな」   
昨夜の雨は凄かったな、の意。「ゆんべな花火さ行っだ」などとも言うから、夕方から深夜にかけての広い時間帯を指すと思う。「夕べ」の訛とみると理解し易いし当然夕方の意味も含むがその夕方なら「ばんげ」と言う方が多かった。発音はかなり曖昧で「よべな」と言う人もいた。又、夜間の表現では「よんま」と言うのがある。これは漢字で書くと「夜間」で、それこそ丑三つ時の頃かとも思うが全くもって確かな事ではない。何れ寝てしまった後のことなど、何時頃なんて時間的な概念は必要がなかったのだろう。(H17.8.15)

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やっこ (乞食)

「あのやっこ まだ来たや」   
あの物貰がまた来たよ、の意。今はもう見かけることもないが、子供の頃にはしょぼしょぼ歩く乞食の人がいたものだ。実際は裕福で我々よりはよっぽど上等な暮しをしているのだと大人から聞かされ不思議に思ったものだ。その真偽はともかく、日常の会話ではもっぱら相手を罵倒する言葉として用いた。「エーイ、このやっこ!」と言った具合である。「やっこ」ばかりではなく「この、ほいど」だの「この、かまっけし」だのと悪態をつく言葉には事欠かなかった。思えば秋田弁ってのはお上品でないんだなあ。(H17.8.8)


やめる (痛む)

「風邪ひいで 頭やめる」   
風邪をひいて頭が痛む、の意。「やむ」とも言う。秋田で頭がやめるのは風邪よりも飲み過ぎの方が多いかも知れないな。しかし最近では昔みたいな馬鹿飲みをする人が少なくなった。経験はないがドブロクはとかく頭が痛くなったものらしい。海水浴などで日焼けした後、風呂に入ると体中がビリビリするがこの沁みる事は「やめる」ではなく「しょむ」と言う。(H17.7.31)

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やがなる (世話になる・邪魔になる)

「なんとハ いっつも やがんなってな」   
いつもいつもお世話になってね、の意。面倒を見てもらい厄介をかける事を言うと同時に用例のようにそのお礼の意味で用いることもある。何かを貰った時などにもよくこんな言い方でお礼を言ったものだ。一方、邪魔だという意味でも使い「そさいれば やがなるなや」なんて言ったりもした。(H17.7.24)


やっけ (軟らかい)

「今日のまんま やっけな」   
今日のご飯は軟らかいな、の意。多少お粥のような具合なんでしょうかね。新米は水加減が違うのか軟らかくなり勝ちでした。竈で炊くご飯の火加減は始めチョロチョロ中パッパ・・・なんて言いましたが、付きっ切りと言う訳には行きませんから目を離している隙にタイミングが外れ焦してしまったり、反対に芯のある「めっこ飯」になったりしたものでした。(H17.7.15)

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やげ (やけど)

「おじげっこで やげなったで」   
味噌汁で火傷をしちゃたよ、の意。不用意にゴクンと一飲みにして目を白黒させた経験がある。舌や喉の火傷の他に、火から下ろしたばかりの鍋をひっくり返してしまうことがある。囲炉裏の自在鉤に鍋を吊るして食事をしたこともあったが、このような物は民具の展示場にでも行かないと見ることができないなあ。(H17.7.9)


やぐど (嘘っこ)

「やぐど だや」   
嘘っこだよ、の意。これは小学生の頃に遊びの中で聞いたきり、それ以後はとんと耳にしない言葉だ。チャンバラなどで一方が熱を帯びてくると危険を感じてか相手方がよくこう言ったものだった。(H17.7.2)

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もったりまげだり (やったりとったり・無意味に繰り返すこと)

「もったりまげだり なだもんだ」   
「もる」は食器に盛ることであり、「まげる」はそれを返して元に戻すことである。そんな状態で一体何とした事だ、の意。一度決まりかけた話をぶり返してああでもないこうでもないと一向に前に進まない時などにこの「もったりまげだり」と言う。総じてうじうじと煮え切らない話し合いを言う場合が多い。これはその様な行動に対しても用いる。(H17.6.24)


まるぐ (束ねる)

「はえどご まるいで けるが」   
早いとこ束ねて帰ろうか、の意。以前は稲であれ、枯柴であれ、みんな縄で「まるいで」背負ったものだ。ところがこの「まるぐ」ということを最近はトンとしなくなった。そんな仕事もなくなったが、当世は指定のビニル袋が幅を利かせ、日曜仕事でたまの剪定の枝くずなんかもこの袋のお世話になる。そんな具合だからすっかり腕が鈍ってしまい、一寸太目の枝を束ねようとしても束がグズグズになって締まらない。こんなはずじゃなかったと思うのだが。(H17.6.18)

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まやっと (ぼんやりと・漠然と)

「そご まやっと あんべいぐ しゃべんねば」   
そこをぼかして上手に話さないと、の意。「まやっと」は、春は曙じゃないがもやもやっとして漠然とした状態を言う。角が立たないように柔らかく言うそんな話し方もあるが、それを通り越して一体何を言ってるのかそれこそ雲を掴むような全く要領を得ない話をする人も多かった。そんな時は「そんた まやっとした話だば駄目だ」と罵声が飛んだ。(H17.6.11)


まやがす (ごまかす)

「見でどで まやがせば やざねど」   
誰も見てないからと言って誤魔化してはいけないよ、の意。子供の世界では何かを一寸ちょろまかすような場合にこの「まやがす」と言った。どさくさに紛れて有耶無耶にしてしまうような語感がある。時代劇なんかでも不思議な妖術をまやかしと言ったりしている。してみると「まやかす」は欺くことを言う標準語なんだろうけど、普段の会話では聞くことがない。これも使われなくなった言葉の一つだろうか。(H17.6.7)

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まぐれる (転げる・めくれる)

「沢さ まぐれで おぢでった」   
沢へ転げて落ちてった、の意。山間部の狭い道路では軽自動車が川に転落したなどどいう痛ましい事故が起きることがある。どういう訳か老人の方の場合が多いんですね。それと山菜採りの事故、斜面を転げ落ちて一命を落とす人がいます。風でスカートがめくれ上がるのも「まぐれる」と言う。「まぐれで げっつ めいだ」なんてね、でもあの短かなぴったりしたスカートではもうあれ以上はめくれ様もないか。(H17.5.28)


ぼだ (塩鮭)

「ぼだっこ 焼ぐが」   
塩鮭を焼こうか、の意。昔はとかく塩辛いもので食事をした。この「ぼだっこ」もそうだが塩辛、漬物、梅干とその塩辛さと言ったら一通りのものではなく、これ一口で茶碗のあらかた六七割方のご飯は喉を落ちていったものだ。それに味噌汁もこれまた結構塩辛かった。減塩運動の進んでいる昨今でも、食堂などでしょっぱいと感じることが多い。塩味が薄いと美味しくないという人が多いのも事実だ。「ぼだ」は別名「塩引き」や「猫またぎ」とも言う。(H17.5.22)

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はやす (切る・刻む)

「それはやして おづげさ 入れでけれ」   
それを切って味噌汁に入れてちょうだい、の意。「はやす」はまな板できざむような場合に言う。魚を捌く時もこの「はやす」で良かったように思う。そんなことで、はやすと言うと上手な包丁捌きと、美味しい手料理を連想してしまう。ところが最近ではその包丁のない家もあるのだとか。代りに鋏で切ってしまうのだそうだ。なるほど便利かも知れないが、目覚め時のあのトントンというまな板を打つ音も捨て難い。(H17.5.17)


はさむ (切る)

「ここ さっと はさんで けねが」   
ここを一寸切ってくれないか、の意。細い物或いは小さな物を切ることを「はさむ」と言った。この用例は床屋でも通用する。しかし今の若い人には「挟む」でサンドイッチかハンバーグでも連想してしまいとても通じないだろう。そう思いながら、物を切る鋏は何で「はさみ」と言うんだろうとふと思った。念のため国語辞典を開いたら「鋏む:鋏で切る」とあった。もしかしたら秋田弁じゃないのか???。(H17.5.9)

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ばぐ (嘘)

そいだば ばぐだねが」   
それじゃ出鱈目じゃないか、の意。「ばぐ」は一応「嘘」の意味だが「出鱈目」の方がピンと来るように私には思える。何れ真実ではないのだから結局は嘘だけどね。嘘は「ばす」と言うのが一般的だ。さらに「やぐど」と言うのがある。これは「嘘っこ」ぐらいの意味で子供の遊びの時によく言ったものだ。嘘にどうしてこんな色々な言い方があるのか少々不思議に思っている。それにしてもなんで「ばぐ」なんて言うのか漠として分からない。(H17.5.1)


はいった (大変だ)

「はいった、おら 知らねど」   
大変だ、僕は関係ないからね、の意。初めの頃は一体何が入ったのか皆目見当もつかなかったが、これが大変な見当違い。何か失敗やまずい事が起きると冒頭に先ずこの「はいった」の第一声があった。大変と言う意味よりも困り事に反応した「しまった」とか「まいった」と言ったようなもので「さっさ」よりも強く「さあ困った」くらいのものだ。そうした素直な困惑とは別に、失敗をやらかした子を取り囲んで「はいった、はいった」と囃し立てたりもしたが今で言ういじめの走りだったのかな。(H17.4.22)

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はっちゃがる (跳ね上がる)

「おら、たまげて はっちゃがった」   
私は驚いて跳ね上がった、の意。「おら」は男でも女でも用い「おらだば」という言い方も多い。「はっちゃがる」は如何にも反射的に飛び上がる雰囲気があって面白い表現だと思っている。また、髪の毛や木の枝が行儀悪く跳ね上がっている時にもそう言う。標準語で「はねっかえり」と言うのは秋田弁ではどう言うのか知らない。秋田おばこに跳ねっ返りは居ないということではないと思うが・・・。一般的にそういう人を女も男も一纏めにして「きかね」と言っている。(H17.4.16)


なした (どうした)

「一体 なしたなや」   
一体どうしたのよ、の意。「何とした」が「なした」に転訛したのじゃないだろうか。しかし中国の反日デモが随分荒れてますね。今日のテレビニュースでは日本大使館に投げ込まれた物が散乱し少し異常ですね。それに出動した警察官は止めるような行動は一切してないし、それこそ中国は一体なしたなやです。日本も数十年前には盛んにデモがあったものですが、すっかり落ち着いた今の日本から見るとまるで野蛮人といった感じがします。あれでオリンピックの開催は大丈夫なのかなぁ。(H17.4.10)

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なでかで (何としても)

「なでかで おめでねば やざね」   
何が何でもお前じゃないと駄目なのだ、の意。「なでかで」は何としても或いは是が非でもの意味だが、元は「何でも彼でも」じゃないかと思うのだが・・・。ナンデモカンデモが縮まってナデカデだと考えると理解が早い。しかし何だね、近頃隣国の反日感情とやらが強いね。歴史問題がどうの反省がどうのと見てきたみたいに言ってるようだけどどうなのかな? それこそ、なでかで日本人が悪い と三つ子の魂に刷り込まれてるのかねえ。(H17.4.3)


たごつく (つかまる・取りすがる)

「あいさ たごつでで 助かった」   
あれにつかまってて助かった、の意。取りすがるとか縋りつくと言った意味合いが強い。風雲急を告げる事態の観がありますな。標準語でも「掴む」は握る程度なのに対し「掴まる」と言うとしっかりと取りつく状態を言うのと同じ。溺れそうな時や満員列車のデッキなどにしっかりと掴まる事の外に、大事な人から見放されないように縋りつくことをも言う。こんな場合の「たごつく」は何とも切ない。(H17.3.27)

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たんぺ (つば)

「そさ たんぺへば だめだべ」   
そこに唾をしちゃだめだろ、の意。痰をペッと吐くからたんぺかな等と馬鹿な事を思ったがよもやそんな事はあるまい。唾と痰では秋田でも自ずと違う。と言いつつ、痰を何と言っていたか覚えがない。汚いついでで恐縮だが大人にはチンと手鼻をかむ人がいたものだ。曲芸でも見るような不思議な思いで見たものだが、今では流石にそんな人は見かけない。芭蕉の句にこんなのがあった。「手鼻かむ音さへ梅の盛り哉」(H17.3.20)


しゃっけ (冷たい)

「あや しゃっけごど」   
あら、冷たいこと、の意。「あや」は感嘆詞の一つで大して意味はない。「あら」とか「おやまあ」くらいのものだ。さて、本題の「しゃっけ」は落語でも「ひやっこい」などと言ってるところをみると、土地によって多少の音変化がある程度でそんなに特異な方言ではないだろう。指先が「しゃっけえ」と言って息を吹きかけるだけでは足らず、後で却ってしゃっけくなるのも知らず口の中に突っ込む子供が多かった。何故か手を擦り合わせて暖めるなんて事はしなかったな。(H17.3.12)

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しょむ (しみる)

「水しょんで ぐっちゃりだ」   
水がしみ込んでびっしょりだ、の意。冬場は小屋に薪を取りに行ったり、土間で一寸履くのは自家製の藁沓だった。今のサンダルのような気安さで履いたもので、保温性はあるし雪には沈まないし重宝な物であった。しかし、これが雪解時になるとどうし様もないくらい水を吸った。又、あかぎれのまま風呂に入ってピリピリとしみて痛むのも同じく「しょむ」と言う。あかぎれではないが海水浴の帰りに銭湯に寄り、勢い良く飛び込んだ湯船でカチカチ山の様な思いをした事がある。(H17.3.5)


しび (術・方法)

「それ こしゃるしび おへるが」   
それの作り方を教えようか、の意。これは「すべ」が訛ったものだろうと思っているのだがどうだろうか。今はIT講習等と言って、パソコンの「ちょすしび」を習う年配の人が多い。先日インターネットの講習で私の英語の発音は「やざね」とやったら意外と喜ばれた。方言は面白がる人がいる反面、これを嫌う人も案外多い。内に秘めた色々な思い出があるのだろう。「しび」は他に手足のあかぎれの意味もあり「手さ、しび切れだ」などと言う。これは「ひび」の訛りだろう。(H17.2.27)

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しが (薄氷)

「しがっこ はったな」   
道路の水溜りや小川などに氷が張った、の意。「しが」は一般に薄氷のことを言う。製氷屋の作るあの厚い氷はやはり「氷」で「しが」ではなかった。会話の中では共に語尾に「こ」を付けて「しがっこ」「氷っこ」と言うのが普通だった。屋根から垂れ下る氷柱は「たろんぺ」と言って区別していたが、これは「たろんぺっこ」とは言わず何故か「こ」を付けなかった。しがっこと言えば童歌の「どじょっこふなっこ」を思い出す。「春になれば しがっこも解けて・・・」と歌ったものだ。(H17.2.19)


しね (固い・噛切れない)

「この肉 しねな」   
噛んでも噛んでも噛切れない肉のことを言うのであって、決して「死ね」ではない。この「しね」はゴツゴツと固いのではなく、むしろしなやかな柔かさはあるものの噛切れない筋のような固さを言う。念のために調べたら「撓る」に通じ、底に強さを秘めている状態を言う、とあったが、その様な使い方はしなかったように思う。専ら噛切れない食べ物を「しねなあ」と言っていた。しかし、一方ではしぶとい奴を「しなじれ」と言った。これは紛れもなく「撓り強い」ことである。噛切れない肉も確かにしなじれ奴だ。(H17.2.12)

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がへ (体力・勢い)

「なんだ がへ ごど」   
なんだ弱いなあ、の意。今冬は稀に見る大雪で屋根や通路の除雪が大変だ。これは結構な力仕事で体力のない者はすぐにへたばってしまう。そんな時に言うのがこの「がへね」であって、弱々しい様を言う。「がへ」は「がへね」が一般的で「がへある」とは言わなかった。体力旺盛で勢いのあることは「がへつえ」と言ったように思うが、普通はそのものズバリ「馬力つえ」とか「馬力ある」と言ったものだ。(H17.2.6)


かまっけし (破産者・唐変木)

「この かまっけし」   
「かまっけし」は「かまどっけし」が縮まったもの。「竈かえし」で竈を覆す、即ち財産を失う、つまり破産をすることですな。勿論そう言う意味でも用いるが、用例の場合は相手を罵る単なる罵詈雑言。この唐変木とか、この役立たずと言った意味だ。古来、竈はかなり重要なものだったとみえ「竈を持つ」と言ったら世帯を持つ事だし、「竈を上げる」は一財産築き裕福になる事を言う。(H17.1.30)

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からぴっぴ (ゴム風船)

「おいも からぴっぴ ほして」   
自分もゴム風船が欲しい、の意。梵天祭をはじめ村の祭には、飴細工や色々な玩具の露店が並び、この「からぴっぴ」は一際色鮮やかだった。丸いのと棒状のがあって、棒状のは折り曲げミッキーマウス等を形作っていたが、専らロケットの様に飛ばして遊んだものだ。この様なゴム風船を「からぴっぴ」と言っていたが、さて紙風船は何と言っていたのか記憶が定かではない。尚、俺はおれ・おら・おい等と様々に言っていた。(H17.1.22)


がんじぇね (頑是無い)

「まんず がんじぇね もんだごど」   
まあまあ頑是無いものだこと、の意。頑是無いは辞書にも載っているので、「がんじぇね」は単純にその訛なんだろう。幼児が聞分けのないのはある程度やむを得ない事かなと容認するケースが多い。従って「がんじぇね」にはそうした幼児よりも分別のつく年代に大人気が無いなあと言った感慨を持って使われる事が多い。とは言え高齢化の昨今、そうはなりたくないものの、歳と共にがんじぇねくなる人が多いんだすな。(H17.1.16)

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おっぱ (しっぽ)

「あの犬の おっぱ な」   
あの犬の尻尾は立派だな、ぐらいの意。最近は人気があるのかどうか知らないが、秋田犬の尻尾はくるりと丸まっていて愛嬌があると同時に堂々とした風格も備えている。そう言えばもう随分「おっぱ」なんて言葉は聞いていない。身の周りに尾のある動物が少なくなった。聞かないと言うと「金魚のうんこ」なんてのもそうだ。くっついて歩くにも第一その子供が減ってしまった。(H17.1.10)


あがし (灯明)

「神さんさ あがしっこ あげるが」   
神様に灯明を点けようか、の意。お正月も早三日、本当にあっという間に時間が経ってしまいます。最近は神棚や仏壇の明りを自分で点けることもなくなっていました。子供の頃は父に言われて、井戸から若水を汲んだものでしたけどね。それなのにふっとこんな用例が浮ぶのも歳のせいでしょうかね? 思う事は我が子にも一筋の光明が差さないかとの願いです。(H17.1.3)

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