秋田弁の散歩道 6

  

 


ではる (出る・出向く)

「はえぐ ではれ」   
早く出ろ、の意。風雲急を告げる事態で、トイレの前でピョンピョン跳ねながら催促するあれだね。地中から埋蔵金が現れるのも「ではる」だし、用足しに出向くのも「ではる」だ。漢字で書けば「出張る」なんだろう。最近では代議士の娘さんも選挙にではるようになった。この辺でも立つらしいよ。(H18.12.30)


てっぺ (手一杯・沢山)

「てっぺ やがんなった くせして」   
手一杯世話になったくせに、の意。どうやら後足で砂をかけるようにして行った人への恨み節ですかね。「てっぺ」は「手一杯」が縮まったものと考えて間違いないでしょう。「精一杯」は「へっぺ」と言いますね。このような短縮形の言葉は案外多いようです。(H18.12.24)

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てっかり (斜視)   

斜視のことをこう言ってましたね。最近はこういう類の言葉はタブーなのか耳にしなくなりました。差別的で不適切という判断なんでしょうね、それでも斜視は現にある訳ですからねえ‥‥。他にもトラホーム等の眼病を「めぐされ」「めっぱ」、左利きを「左ぎっちょ」など体に関する言葉は色々ありましたな。でも、目腐れ等と言っちゃあ気の毒だよね。(H18.12.12)


ちりぽり (ぽつぽつ)

「ゆぎっこ ちりぽり おぢできだな」   
雪がちらりほらりと落ちてきたな、の意。「ちりぽり」はその「ちらほら」とか「ぽつりぽつり」といった意味、まあアバウトに把握しとけば良い。その雪ですが、暖冬の年と豪雪の年が極端すぎる。地球の神経が壊れてしまったのじゃないかと思いますよ。以前はもっと平均していたように思うけどね。一晩で雪っこがドバッと降るながって参ってしゃうな。(H18.12.4)

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ちっちゃけ (小さい)

おが ちっちゃけな」   
あまりにも小さいな、の意。この「ちっちゃけ」だが「ちゃっけ」とも言った。省エネで頭の「ちっ」を取っちゃったんだろうか。ま、言葉を端折るのは今に始まったことではない。最近流行の公募で決める建造物の名前などにはカタカナ造語で酷いのがあるからね。そんなのに比べたらちゃっけえちゃっけえ、まだ許されるよ。(H18.11.27)


ちょっこら (一寸・少し)

「ちょっこら 行って来っが」   
ちょっと行って来ようか、の意。「ちょっこら」は一寸用足しにと言う場合に用いることが多い。物を少しと言う場合は「ちょぺっと」とか「ちっとこ」などと言う。ああ、ご飯のお代わりを少しは「さっと」と言ってたな。怪我などをして「痛でべ」などと言われると「さっとな」なんて痩我慢をしたものだった。何故か少しを表す言葉は多かった。(H18.11.19)

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だおらだおら (ふにゃふにゃ)

「だおらだおらって しかっとせ」   
ふにゃふにゃして何だ しっかりしろ、の意。「だおらだおら」は竹竿などが撓ってたわたわする様を言う言葉で「だおだお」とも言う。勿論そういう場合にも用いるが、どうもしゃっきりしない人に対して用いることが多かったように思う。昔も今もそんな人は多い。そういう自分も日曜なんかは全く「だおらだおら」の一日だったもんな。(H18.11.12)


だんこなし (意気地なし)   

これは専ら男に対して言う。「だんこ」は俗に河童に抜かれると言う「尻子玉」のこと。きっと男にとっては大切なモノなんでしょ、それが無いってんだから大変だ。「女の腐ったような奴」に通じそうです。本来の意味は、「だん」は拒否の意味で「だんこなし」は諾否をはっきりとしない煮え切らない人のことだそうな。だけど私は尻子玉の「だんこ」の方が分かり易くって良いな。意気地なしのことは「じぐなし」とも言います。(H18.11.7)

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たくらんけ (間抜け)

「あほ たくらんけ」   
阿呆間抜け(又は馬鹿)の意。人を罵る言葉でたいした意味はない。「たくらんけ」を漢字でどう書くのかも知らない。ましてや語源などは知る由もない。何も知らないままに、腹立ちまぎれに人を「たくらんけ」と罵ったものだがそれは「生まれそごなれ」とか「くされたまくら」「ほいどっけし」と言うのと同類だ。それにしても罵詈雑言ってやつは多いなあ。(H18.10.29)


−だば (−なら)

「おいだば え」   
俺ならいらない、の意。この「だば」は意外と活躍している。「〜なら」の他に単に「〜は」にもなるし、「〜には」や「〜では」などの意味にもなる。その辺のところはその時の話の調子で極く自然に使い分けている。この用例にうっかり「んだば」(それなら)と書いてしまって、ん? 「んだ」で一つの言葉だなと思い直し、慌てて書換えた。微妙だな、どうなんだろう? よぐわがらね。(H18.10.23)

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だい− (誰−)

「だいが いねが?」   
誰かいないか?、の意。「だいも いね」と「だいも」なら「誰も」、「だいさ」なら「誰に」、「だいだ」なら「誰だ」と言った具合。代打はだいだ? な〜んて、我ながら馬鹿な駄洒落。変ったところでは「誰でも彼でも」を、湯沢市では「めんじもごんじも」と言うと本にあった。が、これは知らない。(H18.10.16)


そごなれ (役立たず・出来損ない)

「この 生まれそごなれ」   
これはご存知、この生まれ損ない、の意。満足な事が出来ない人を罵倒する言葉でこればっかりは全国共通だろう。万事こんなで以前は言葉が荒かった。しかし当世は差別語だ何だと言葉だけは丁寧になりましたね。テレビなんかでも若い芸能人などの会話で最上級の敬語や丁寧語を使ったりしています。思わずどんな高貴な御人なのかと目を上げると、ピアスなんかをつけたつまんねえ顔。(H18.10.7)

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そげ (そうか)   

こっちが散々話をした挙句に、たった一言素っ気なく「そげ」と言われると途端に拍子抜けがしてしまう。話し言葉は抑揚で印象がガラリと変わるから、思い入れたっぷりな「そーげー」だとこれは感に堪えない「なるほどなあ」と言ったところか。しかし、実際には前者の方が多かったかな。そう、誰しも人の話を聞くのは自分が話す程には熱心でないものなァ。ひどいのになると耳を穿ったり、鼻を穿ったりしてるもんなあ。(H18.9.25)


そいだば (それでは・それなら)

「そいだば やざね」   
それでは駄目だ、の意。やり方が拙いとこの「そいだば やざね」と言われ、それはこうするものだと教えられることが多かった。今はお互いに干渉しないということが暗黙のルールなのか見て見ぬ振りが多いようです。そのせいかどうか、何とも窮屈そうな書き方の人がいます。今は子供の頃に、家でも学校でも鉛筆の持ち方なんて注意しないんですかね。「そいだば やっか」と言うと「それならやろうか」の意味になる。(H18.9.17)

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せっこ (おかず)

「せっこ が」   
何かおかずは無いか、の意。「せっこ」の「せ」は「お菜」のことで「さい」が「せ」1音に縮まってしまったのではないかと思う。「こ」は「がっこ」(漬物)「おじげっこ」(味噌汁)などと同じ接尾辞である。さて、この「せっこ」今思うと本当に貧しいものでした。(H18.9.10)


 (〜は・〜だろう)

「それせ 先生よごしだ」   
それは先生が渡してよこした、の意。「せ」は秋田弁の世界ではちょこまかと顔を出す言葉だが不思議と私の持ってる秋田弁の本には載っていない。載ってないという事では「い」と「す」の見出し語もない。尤もこの「せ」も、「せ」とも「しぇ」とも聞こえる曖昧音だ。これを語尾に付けて「ばぐだべせ」と言うと「嘘だろう」と「〜だろう」や「〜だなあ」の意味になる。別に「俺だば」と主語の「〜は」には「だば」を用いる言い方がある。我輩は猫である、は「俺だば猫だべしゃ」になるのかな。又は「俺せ猫っこだ」かな。(H18.9.2)

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 (やれ)

「早く せど」   
早くやれってさ、の意。「せ」は「為せ」と命令の意味で用いているが、何故「せ」なのかは皆目見当もつかない。「早く せ」だと少し語気が強く「早くしろ」の意味になる。「ど」は本人の発言ではなく第三者の伝言を意味する、その分ちょっと緊迫感が薄れてしまうかな。話の途中で「んで せ」と言うと、「それで な」と話の接穂の役目を担う別の言葉になる。(H18.8.29)


 (〜です/丁寧語)

んだす」   
そうです、の意。秋田でとにかく便利だと思うのはこの「す」ですね。碌に役に立たない膏薬と違って何にでも尻にペッタンコと付ければ、それだけで立所に丁寧語になってしまうんですから。こんな便利な言葉は使わにゃ損々。「んだす」「んだすか」「んでねす」とやってれば絶対失礼にはならない。「んだなんす」と言えば「左様で御座居ます」と言ったところか、前回の「なんす」とは違う言葉だ。(H18.8.13)

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 (する)

「なんす どごだ」   
何をしようとしてるのだ?、の意。この「す」は秋田弁と言うよりは古語の「す(為)」とみるのが順当だろう。かっては一般的に使われたのだろうけれど、今では標準語の日常会話では耳にしない。それだけに用例のような話し方をされると如何にも方言といった印象を受ける。(H18.8.7)


すっけ (酸っぱい)

「このがっこ さっと すっけな」   
この漬物は少し酸っぱいな、の意。当時は漬物はほとんど自家製で、烏賊の塩辛なども家で作ったものだった。特に胡瓜の漬物はあっさりしていて夏には打って付だった。ただ難を言えば味が変わりやすいことか、直ぐに「すっけく」なってしまう。そうそう、胡瓜などは井戸に放り込んでおいて、遊びから帰ると塩を付けて丸かじりにもしたものだ。コーラだのポカリなんてなかった時代である。(H18.7.31)

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すっぺ (しっぺい・酸っぱい)

「あいがって すっぺ はらいだ」   
あいつにしっぺいをはられた、の意。この場合の「すっぺ」は指先でパチンと弾くあれだ。不意に頭などにやられると結構痛いものでした。子供同士が悪戯でやる外に、宿題を忘れた子などに先生が時折これをやったものですな。そうそう高校ではチョークを投付ける先生がいましたよ、そのチョークを拾わせ教壇まで届けさせて すかさずすっぺを一発だった。他に梅漬など酸っぱいことも「ウワーッ すっぺ」と言います。(H18.7.24)


すかっと (すっかり・全て)

けるったっけ すかっと持ってった」   
やると言ったらすっかり持って行った、の意。「すかっと」には跡形もなく全部のニュアンスがある。綺麗サッパリで気分もすかっとしたかも?。冗談は置いといて、この「すっかり」の言葉は「でらっと」「すてっと」「すぺっと」「がらっと」「じょくっと」「じっかり」「ぺろっと」などの他に、「しっぺかっぺ」など私の知らない言葉もまだ多数あるらしい。そんなの知んなかっぺだもん。(H18.7.16)

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しなぶる (しゃぶる)

「しなぶってれば アイスボンボンとげる」   
しゃぶってればアイスボンボンが融けてくる、の意。それにしてもアイスボンボンなんて、用例を考えていて突然思い出した。安くって長持ちして、それこそ庶民の氷菓子だった。それにも増して母の乳房の遠き日の感触もあったのかも知れない。今になるとあのゴム臭さも妙に懐かしい。(H18.7.9)


しゅで (ひどい)

「しゅで 雨だった なや」   
ひどい雨だったなあ、の意。勿論土砂降りのこと。「しゅで」は「ひどい」の音変化か、同じく「ひで」と言う言い方もありこれなら解り易い。学校でたまにスカート捲りが流行って、悪戯された女の子が「しゅで〜ェ」なんて言ってたものだ。一度公園で会社の女の子の写真を撮った事があったが、念入りに化粧をした顔が反射で白とびした写真を見てたった一言「ひで〜ェ」。彼女、今頃はもうオバサンだろうな。(H18.6.26)

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じぇんこ (お金)

「じぇんこ こさ おぐや」   
お金をここに置くよ、の意。婆様が独りで片手間にやっている駄菓子屋などでは、客が菓子を木箱から勝手に取出してそのガラス蓋の上に代金を置いたりしたものだ。思えばあの頃既にセルフサービスがあったんだ。「じぇん」は銭で、「こ」は接尾辞。秋田弁では尻にこの「こ」を付けることが多い。爺っこに婆っこ、嫁っこ、子っこと言った具合だ。(H18.6.19)


じゃじゃぼっこ (ままごと)

「おっ 独りしてじゃじゃぼっこ やっでだな」   
おや独りでままごとをやってるね、の意。大概は二人でやるものだろうけど、独り言を言いながらのいじらしいのも案外あったものだ。何で「じゃじゃぼっこ」なのかと思ってたら「じゃじゃ」とは中世の女房言葉に由来する母親のことらしい。それで「お母さんごっご」なんですねえ。道理でじゃじゃぼっこは女の子のはずだ。ところで男の子はお父さんごっごなんてやらないなァ、電車ごっごなんてのがその変形だったのかな。(H18.6.12)

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しなじれ (しぶとい)

「あいんだば しなじれ して」   
あいつはしぶとくって、の意。他人のおやつをパクッと喰ってしまって、口に餡子が付いているのに俺は知らない喰っていないと言い張るような奴だ。私は音から「しな」を「しね」、「じれ」を「ずるい」と感じ取り、どちらかと言うと「なまずるい」の意味に思っているが、「しなじれ」は「しなり強い」というのが本当らしい。とは言うものの、マイナスのイメージにより多く使っていたように思うな。どうも褒め言葉ではなかったようだ。(H18.6.4)


しなっと (そっと・そろっと)

「しなっと やれ、しなっと」   
静にそっとやれよ そっとだよ、の意。小魚や蝉などを捕るのはもとより、珍しい切手を剥がす時など勢込んでやると大概は仕損じる。静に少しずつ少しずつそっという感じを「しなっと」と言った。人に注意をする時もやんわりと婉曲に言うことを「しなっと言う」と言う。私なんかは鈍だから「しなっと」言われると注意されてるとは露知らず、「びっきの面さしょんべん」だったなあ。そんな時には単刀直入に「ずげっと」言われたものだ。(H18.5.29)

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こじける (すねる・ひねくれる)

「あれだば すんぐこじける もな」   
あの子は直にすねてしまうんだものなあ、の意。今はどうか知らないが、この一寸したことでプイと横を向いてしまう子が随分いたものだ。すねるのが当時は一つの流行だったのかも知れない。今のような直にキレルと言うのからすると世話がなくってよっぽど増しに違いない。同じような意味で「むじける」と言う言い方もある。(H18.5.21)


したって (でも)

「したって ほしてもの」   
だけど欲しいんだもの、の意。そうは言ってみたところで「したって しょうがねべ 我慢へな」と言われるくらいが落ちであることを分っているものの、この「したって、したって」を繰返していた。その点今は何一つ不自由が無さそうなのに「したって ムカつく」など、相変らず「したって」の出番に事欠かないようだ。(H18.5.11)

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さい (しまった)

「さい、わすいでだ」   
しまった 忘れてた、の意。この「さい」は重ねて「さいさい」と言ったり、「さっさ」と言ったりもする。しかし、「さい」の方が切羽詰った「しまった」のニュアンスが強い。大体口数が多くなるほど得てして真実味が乏しくなるのが常だ。その点秋田弁は短い言葉が多いから真実がぎゅうっと詰っているのかな?、そんたらごどもが。(H18.5.1)


こび (汚れかす)

「洟こびつげで」   
洟をつけて、の意。どういうものか当時は洟を垂らしている子が多かった。それを着物の袖で拭うものだから鼻の下や頬に乾いた滓が残り、袖は黒ずみテカテカに光っていた。この乾いた汚れなどこびり付くものを「こび」と言った。釜の底についたお焦げも、釜の尻につく煤の塊も「こび」である。そう言えばこの煤の塊は意外に硬い物で時折包丁の背で削ぎ落としたりしたものでしたし、お焦げに塩を振って握り飯にしたのも案外美味いものでした。(H18.4.23)

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けらいね (あげられない)

「それ けねが」「けらいね」   
それを呉れないか、いや遣られない、の意。「けらいね」は「呉れられない」で、ストレートに「遣らない」と言う場合は「けんね」と言う。「あんたえ(家)さだば嫁っこにけらいね」とか「おめさだば、けんね」と言った具合だ。農家さだば嫁にやらいねと言っていたのはつい先日のことでしたな。「けんね」(又は「きゃんね」)にはまた「弱い」と言う意味もある。弱虫とか、ひ弱な子を「けんね子」と言ったりする。(H18.4.17)


こさ (ここへ)

「こさ 」   
ここへ来なさい、の意。「ここさ」とも言うが、一音端折って「こさ」と言う方が断然多かった。そして「こさ」と言う場合にはどうも「ごしゃがいる」シチュエーションが多い。一方「こっちゃ」と言われた時はおやつなど何がしかの恩恵に浴す時が多かったようにように思うが、確かなことではない。「こさ ねまれ」と言うのは親切で言っているので叱っているのではない。でも自分の場合は座るのもおっかなびっくりだったかなあ。「こっちゃ」は「こっちへ」の意。(H18.4.8)

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げっつ (尻)

「これ げっつ だして」   
これ 尻をだして、の意。夏、行水の後などは暫し裸のままで逃廻ったものである。幼少の頃は大方は母の手縫の着物を着ていた。で、何と言ったかしゃがむとパカンと割れて尻が出るモンペがあってあれは可笑しいけど便利なものだった。「げっつ」は「けっつ」とも言う。濁らない方が幾分上品な気分だったのだろうか?、そんなことは有るまい。(H18.4.3)


きんな (昨日)

「きんな げんげ おへがったねが」   
昨日は随分遅かったじゃないか、の意。「きんな」は「きんにゃ」とも発音する。毎度のことだがこの辺の表記はすこぶる曖昧である。時に、おへがったと言うと大方は午前様の意味で用いることが多い。酒の消費大国の地位は未だ健在らしく、秋田出身と言うと「いける口」というのが通り相場らしい。いける口は何処の出身の人もお互い様で、ただブレーキが利くか利かないかの違いだと思いますけどね。(H18.3.27)

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げんげ (随分・大分)

「げんげ とえだねが」   
随分とれたじゃないか、の意。魚釣りとか山菜採りの成果に感心して「ほう!」と言った感じかな。これには予期に反してと言うニュアンスが含まれている場合がある。人を「あいだば げんげだ」と言う場合には、そんな人だとは思わなかった「随分だねえ」との意味になる。それはそうと、この冬はげんげ雪が多かったせいか春の陽気がこれまたげんげ待遠しい。(H18.3.20)


ごっぱ (下駄の歯につく雪の塊)

「ごっぱ つで あるがいね」   
雪がついて歩かれない、の意。「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」と言うがあれは嘘だと思う。確かに何歩かはそうだろうが、たちまち歯と歯の間に雪が引っ付いて、見る見る重なり十センチ程の厚さになってしまう。そうなるともう一枚歯の足駄と同じで、天狗でもなきゃとても歩かれたものじゃない。数歩行く毎に立ち止ってその雪を落すのである。その雪の塊を「ごっぱ」或は「ごっこ」と言った。しかし、そんな時に何で又下駄なんか履いたんだろう、遠い遠い思い出だ。(H18.3.12)

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きゃんね (弱い)

「なんと きゃんね こだごど」   
なんと弱い子だなあ、の意。「きゃんね」は弱々しい・虚弱だといったニュアンスがある。喧嘩などで負けて泣き出すと「きゃんねな」と蔑まれた。男児はかくあるべきとの規範があったのか、そう言われると恨めしげに泣き止んだものだ。ま、その後も暫くはヒクヒクしてたけどね。(H18.3.6)


かでる (子守をする)

「ぼどご かでて けれな」   
坊やの子守をして頂戴ね、の意。家に幼子がいるとその子守は上の子の仕事だった。遊び盛りの子供は何とかして逃げ出そうとすることもあったが、何時しか当然の役目として受け入れていたように思う。遊びの仲間に入れることは「かだへる」と言った。「かでる」は古語の混ぜるの意の「かつ」と関係があるらしい。しかし「かでる」「かだへる」と使い分けていたのは私の育った地域だけだろうか。(H18.2.26)

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かやぎ  (貝焼)

おどさん かやぎっこ そんまだからな」   
お父さん、貝焼はもうすぐだからね、の意。「かやぎ」とは20センチ以上もある大きな帆立貝の殻を鍋代わりにして小魚などを煮て食べること。大勢で食べるには不向きだが親父の酒の肴には丁度手頃なんでしょうな、季節の魚と野菜に味噌で味付けをしてたものでした。「かやぎっこ」なんて今はもうないけど、その名には懐かしい響を感じます。食物だから一段とそうなのかな。(H18.2.19)


かど (鰊)

「さ、かど 焼いでかへるからな」   
さあ、鰊を焼いて食べさせるからね、の意。何で「にしん」を「かど」と言うのかは知らない。よく「ひろっこ」と一緒に煮て食べた記憶がある。季節々々に出回る魚が決まっていて、「かど」は冬から春先にかけてのまさに春を告げる魚だった。以前北海道旅行で鰊御殿などと聞いたが秋田でもよく獲れたものらしい。それが今では店頭の魚の産地は外国名が多い。どうしたんだろうねえ。(H18.2.12)

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がおる (疲れる)

「雪掻きがって まるんで がおってしゃった」   
雪掻きをしてすっかり疲れてしまった、の意。あゝ疲れたと言うのは「こえー」と言うから、「がおる」は精根尽きたと言うか体力がなくなった状態の場合に多く言う。風邪で寝込み起き上がる力もないような時など「風邪ひいで がおった」と言う。土方仕事のもっこ担ぎで、へとへとになった時も「がおった」である。(H18.2.5)


おどゆび (親指)

「おどゆび 猫がって かっちゃがいだ」   
親指を猫に引っ掻かれた、の意。「おど」は親父のことで、親指をさすこの表現には抵抗がない。しかし何故か母親をさす「あば指」はない。他を探してみたら人差指を「あらあらゆんび」、小指を「かんたらゆんび」とか「こんどもゆんび」などと言う所があるらしい。「こんどもゆんび」は子供指でなるほどと思うが共に会話では聞いたことがない。(H18.1.28)

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おっしゅかける (けしかける)

「おいどさ おっしゅかげだ もんだ」   
俺に(犬を)けしかけた、の意。犬は芝犬など雑種の小形犬が多く、子供の遊び友達で危険はなかった。戯れに犬をけしかけるのは小鳥や猫で、人にけしかける事など殆どなかったが、けしかける掛け声は何故か知らないが「おっしゅ」である。馬の「ハイシードードー」みたいなものだろうか。(H18.1.21)


おじゃさいね (手に負えない)

「もっちゃくちゃって おじゃさいね」   
乱雑で手がつけられない、の意。さしずめアパート住まいの不精な独身男性の部屋とでも言った所でしょうかね。多くは人に対して用い、我が儘で聞き分けのない子供を「ものわがらねして おじゃさいね」などと言う。それにしてもこの冬は稀に見る大雪で、いやいや家の周りも屋根の上もそれこそ「おじゃさいね」ほどの雪だなや。(H18.1.14)

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おべたぶり (知ったか振り)

「まだ おべたぶりして」   
また知ったか振りをして、の意。「おべた」は「覚えた」で「知っている」位の意味である。教室なんかで手を挙げる子を、あの「おべたぶり」と陰口をたたいたりもしたが多分にやっかみの気持もあったのだろう。その辺は「えふりこぎ」とこき下ろすのと一脈通じるものがあるかも知れない。他人を褒める事は慨して誰も好まなかった。思えば田舎の子は皆団栗だったなあ。(H18.1.8)


おもせ (面白い)

「おもせがったな」   
面白かったな、の意。「おもせ」の他に「おもへ」「おもしぇ」と発音する人もいる。この「おもしぇ」という発音を子供心に何故か「ぜぇんごくせ」と感じていたのが今になると可笑しい。当時と比べると世の中が一変し、全ての事が当時の想像を絶するもので、それこそ「おもせしてなもかもなんね」毎日の筈だがそんな感動や感激を感じなくなったのはどうしたものだろうか。(H18.1.1)

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