bQ乾裕幸著「古典俳句鑑賞」より
手をついて歌申し上ぐる蛙かな 山崎宋鑑(やまざきそうかん)
[意味]蛙が両手をついて鳴くさまは、ちょうど歌人が貴人の前にかしこまって和歌を詠じているようである。
[解説]宋鑑(生没年未詳、1540年頃没)は室町期の連歌師。「犬筑波集」を編み俳諧の始祖に擬せられる。伝統を破る談林風の異体に対し正風性を志向した。
和歌の世界では、蛙は歌を詠む生きものとして扱われてきた。宋鑑の句はその伝統を正しく継承し、その上、蛙の姿態にまで観察の目を凝らし具象性があり、新しい目で蛙の伝統を捉えている。
落花枝に帰ると見れば胡蝶かな 荒木田守武(あらきだもりたけ)
[意味]春風に誘われるように桜の花びらがはらはらと散る。とその中の一片が、不思議にも舞い上がって枝に帰るではないか。よく見れば、蝶々が飛び上って枝に止ったのだったよ。
[解説]守武(1473〜1549)は伊勢神宮の長官。史上初の千句俳諧「守武千句」の作によって宋鑑と共に俳諧始祖の一人とされる。
落花が枝に帰るという自然界の法則に反する現象をまず述べ、実は蝶々が舞い上がったのだと種明かしをして、人々をあっと思わせる機知的操作が一句の眼目。「伝燈録」の「破鏡重ねて照らさず、落花枝に上り難し」によった謡曲「八島」の詩章「落花枝にかへらず、破鏡再び照らさず」を踏まえたもの。
お座敷を見れば大略神無月 武田元理(たけだげんり)
[意味]一座を見渡せば大方髪の無い御入道ばかり、まことに神無月ですねえ。
[解説]元理(生没年未詳、1566年以後頃没)は大徳寺の長老。守武・宋鑑と並び称される和歌・連歌・俳諧作者。
俳諧の発句を所望され、居並ぶ人達が僧形であることから「神無月」に「髪無」を掛けた即興句。その上、神無月とて神祗はいず、釈教の人ばかりの意もある。
いそぐとておやに先だつこの葉哉 武田元理
[意味]急用があって道を急ぐとて、親に先立って子が歩くというのが表面の意。
[解説]木の葉の「木」に「子」を掛け、木の葉は親に先立って死急ぐ子のように散ってゆくの意味がある。このような風体の句が貞門俳諧の主流をなしている。
春の日や日永の宿の霞酒 豊臣秀吉(とよとみひでよし)
[意味]なかなか日の暮れぬ春の日、その名も日永の宿に立寄って霞酒を飲めば、酒の名にふさわしい霞があたりに漂っている。
[解説]秀吉(1537〜1598)は多くのお伽衆に恵まれ連歌や俳諧をよくした。
「日永の宿」は東海道にあり名詞の「日永」を掛ける。「霞酒」は不透明な濁り酒で霞に譬える。「春の日」「日永」「霞」と春の季語が三語も重なっているが、日永ののんびりした気分がよく表れている。
漆色に似せてぬるでの紅葉かな 大村由己(おおむらゆうこ)
[意味]ぬるでの紅葉は、もともと漆の一種だけあって漆色に似せて塗られたような色合であることよ。
[解説]由己(1536〜1596)は安土桃山時代の文人で秀吉のお伽衆。
「ぬるで」は白膠木でウルシ科の小喬木、秋に紅葉する。「塗る」の語を掛けている。色々な名木の紅葉がある中で、新しい素材である白膠木の紅葉に着目したのが俳諧。
はむ鳥のはしばみならす茂りかな 細川幽斎(ほそかわゆうさい)
[意味]榛の茂りの中で鳥が木の実を啄む嘴の音が聞こえてくる。
[解説]幽斎(1534〜1610)は安土桃山時代の大名。歌人・歌学者として名を馳せ、松永貞徳らを指導した。
「はしばみ」は榛、カバノキ科の落葉灌木、「嘴喰」に掛ける。季語は「茂り」で夏。
涼しさや榎もやらぬ木蔭哉 細川幽斎
[意味]暑い夏の日中、直射日光を避けて榎の木蔭で休らっていると、あまりに涼しいので、そこを立ち去ることができない。
[解説]「榎」に「得退き」を掛ける。当時の俳諧は縁語や掛詞で仕立てるのが常であった。この句は、榎−得退き に実感が出ている。
香は四方に飛梅ならぬ梅もなし 松永貞徳(まつながていとく)
[意味]馥郁たる梅の香が四方に飛び漂う。これもまさしく飛梅。とすると飛梅でない梅はないということになる。
[解説」貞徳(1571〜1653)は地下における和歌・歌学の第一人者。俳諧の宗匠として全国に多くの門人を擁し、貞門派と呼ばれた。
「香は四方に飛」に「飛梅」を掛ける。菅原道真の「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」を踏み、飛梅伝説の超現実性を信じていない句として珍しい。
梅の句では惟中の「文を好むきてんはたらく匂ひ哉」がある。「文を好むき」好文木は梅の木。学問を好むからさぞや機転も働くことだろう。
鈴虫は声にまじらぬなまり哉 松永貞徳
[意味]鈴虫はリーンリーンと美しい音色で鳴き、その鳴声には訛がない。
[解説]「鈴虫」に「錫」を掛け、「なまり」に訛と鉛の両意を効かせている。錫は光沢があって美しく、鉛の鉛色と対照的であることを意識して、鈴虫の美しい音色の表現に手の込んだ言葉の斡旋をしている。
篝火も蛍もひかる源氏かな 野々口立圃(ののぐちりゅうほ)
[意味]篝火も蛍も共に光るが、又共に光源氏物語の巻名でもあるなあ。
[解説]立圃(1595〜1669)は連歌の名門猪苗代家の出身、雛人形の細工を家業とした。
「篝火も蛍もひかる」「ひかる源氏」と言葉が繋がる。源氏物語の巻名に「篝火」も「蛍」もあり、それを踏まえた知巧的な句。成る程なあと感心させるところが当時の俳句として優秀な点であった。
颯々のすずしさや此の松の声 野々口立圃
[意味]颯々とこの松に吹く風の音がとても涼しい。
[解説]「颯々」は風や雨の音をいう。謡曲の「雨月」に「住吉の岸うつ波も颯々の鈴の声、ていとうの鼓の音」とあり、この「颯々の鈴」を「颯々の涼しさ」ともじったもの。もじりも当時の俳風の特色だが、単なる言葉遊びだけでなくこの句には松吹く風の涼しさを実感として伝えてくるよさがある。
百鳥は音を入れにけり郭公 松江重頼(まつえしげより)
[意味]人々の待ちに待った郭公が鳴き出したので、鶯などほかの諸鳥は遠慮をして鳴き止んでしまった。
[解説]重頼(1602〜1680)は京の商人。「犬子集」の編集をめぐって立圃と対立し、貞門風ながら新しい俳風を示した。
「音を入れる」は鳴き止むの意、「郭公」は「ほととぎす」。「時鳥はかしましき程鳴き候へども、まれに聞き、珍しく鳴き、待ち兼ぬるやうに詠みならはし候」とその一声は非常に貴重なものとされた。その伝統的本意に忠実な一句。
西鶴の句は「からすめは此の里過ぎよほととぎす」と、姦しい鳥めは早く立退けと促す。
いひだこもはひわたる程や須磨明石 松江重頼
[意味]須磨と明石の間は、かの飯蛸も這い渡る程の距離である。
[解説]蛸は明石名産。源氏物語須磨巻の「明石の浦はただはひ渡るほどなれば」を踏み、「はひ渡る」から明石の蛸を連想したのが面白い。
芭蕉にも、明石の蛸の句に「蛸壺やはかなき夢を夏の月」又、源氏物語の文句を踏まえて「かたつぶり角ふりわけよ須磨明石」の句がある。
春立やにほんめでたき門の松 斎藤徳元(さいとうとくげん)
[意味]春が立ち、日本は目出度い新年を迎えた。人々は二本の門松を立てて今日のよき日を祝っている。
[解説]徳元(1559〜1647)は戦国末期の武将、後に出家。重頼と親交があった。
歳旦吟は時の平和を祝し、目出度く詠むのが本意。春−立つ−門松、二本−日本 と掛詞が重複するがこせついた感じがなく、大らかにうたいあげている。
初雪と是をいはばや若白髪 斎藤徳元
[意味]若白髪だからこれを言うなら初雪と言うべきだろう。
[解説」白髪は霜に見立てるのが普通、ここは若白髪だからと雪に見立てた。言葉遊びながら、そこには老いの自覚がのぞく。
ほこ長し天が下照姫はじめ 杉木望一(すずきもいち)
[意味]イザナギ・イザナミ二神の国生み神話を姫始めに見立て、何と長い矛だろうの意。
[解説]望一(1586〜1643)は初期伊勢俳壇の重鎮。盲人で勾当の位を得た。
句は、天が下−下照姫(和歌の始祖)−姫始め という掛詞から成る。「ほこ長し」は天の逆鉾、謡曲「逆鉾」に「昔、イザナギイザナミの尊、御矛をさしおろし給ひ、(略)矛のしたたり凝り固って国となれり」とあるが、これを猥雑な意に解し「姫始め」に接続した。姫始めは新年初めて夫婦が交わる事、春の女神の姫始めである。
帰らずば都の人やうれしかり 鶏冠井令徳(かえでいりょうとく)
[意味]春になっても雁が北国に帰らなければ都の人はどんなにか嬉しいことだろう。
[解説]令徳(1589〜1679)は貞徳門の古参俳人。
「うれしかり」は「雁」に掛け、上の「帰」と結んで「帰る雁」となる。この句は京都に遊びに来た名古屋の俳人が主催し興行した俳諧の発句で、雁は名古屋衆を意味する挨拶の句である。
もし有らば雪女もや白うるり 末吉道節(すえよしどうせつ)
[意味]「白うるり」と言うものがもしこの世に存在するならば、それは雪女のことでもあろう。
[解説]道節(1608〜1654)は摂津平野の末吉船で有名な豪商、貞徳の門人。
徒然草六十段の「この僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。とは何者ぞ、と人の問ひければ、さる物を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん、とぞ言ひける」による。若しあれば雪女がそれだろうとする道節のユーモアが出色の句。
七せきをあけてもどすな鳥の声 山本西武(やまもとさいむ)
[意味]夜明を告げる鳥よ、関の戸を開けさせて牽牛星を帰らせるな。
[解説」西武(1610〜1682)は貞徳の高弟。家業は綿屋。
「七せき」は七夕。「せき」に「関」を掛ける、「鳥の声」は「関」と縁語。関路の鳥の声は夜明を告げる、その事を念頭に置いて読む必要がある。古人は七夕の二星に同情した句を多く作っている。
これはこれはとばかり花の吉野山 安原貞室(やすはらていしつ)
[意味]桜の咲き乱れる吉野山はとても素晴らしく、ただ「これはこれは」と驚くのみで褒める言葉もない。
[解説]貞室(1610〜1673)は貞徳子飼の門弟。家業は紙商。
「これはこれは」は古浄瑠璃の常套語。また驚いた時に発せられる日常語であり、いわゆる俗談平語によって吉野山の本意を見事に詠み切った秀作。芭蕉に「我言はん言葉もなくていたづらに口をとぢたる、いと口惜し」と絶賛された。
地主からは木の間の花の都かな 北村季吟(きたむらきぎん)
[意味]東山から見下ろすと地主権現の桜の間から、賑しい京の都が望見される。
[解説]季吟(1624〜1705)は歌人・歌学者で古典注釈に力を注ぎ、幕府歌学方にもなった。
「地主」は東山清水寺の神、地主権現。「木の間の花」に「花の都」を掛ける。謡曲「田村」の「あらあら面白の地主の花の景色やな、桜の木の間漏る月の」を踏まえている。
をるとがはいちやや紅梅も老木哉 加藤磐斎(かとうばんさい)
[意味]子供が紅梅の老木の枝を折った。その科をいちやが一身に負うのであるが、いちやも老木同様に老いている。そう厳しく責めないでやって欲しい。
[解説]磐斎(?〜1674)は季吟と並ぶ歌人・歌学者。
「をるとが」は折る科。「いちや」は乳母・下女の通り名、「いちや紅梅」と熟して用いられはしためのことを言う。いちやは良家の子女に仕えその過失の罪を肩代わりさせられた。「老木」は紅梅の老木に「負ひ」を掛けた。
西鶴の句に「花にきてや科はいちやが折りまする」がある。
寒雲を隔てし鐘かほととぎす 高島玄札(たかしまげんさつ)
[意味]ほととぎすの声を待ちに待ってるが、寒雲を隔てた鐘の音のごとくなかなか聞こえてこない。
[解説]玄札(1594〜1676)は江戸の貞門古参俳人。
謡曲「熊野」の「鐘は寒雲を隔てて声の至ること遅し」を踏まえる。「声の至ること遅し」が省略されており、こうした手法を「ぬけ」と言い、談林俳諧で多用されるようになった。
山田守る僧都はわらは姿かな 高島玄札
[意味]よく実った山田を害鳥から守って立っている案山子は、藁で出来ていて子供の姿をしている。
[解説]「僧都」は案山子。「童」に「藁」を掛ける。又、続古今集の「山田守る僧都の身こそ悲しけれ秋はてぬれば訪ふ人もなし」を踏まえる。
その案山子も最後は「水風呂の下や案山子の身の終」と燃やされて終る。内藤丈草(1662〜1704)句。
硯石かはく間もなし花ざかり 高井立志(たかいりゅうし)
[意味]見事な花盛りでその絶景を和歌や俳句に詠む。それで硯石が乾く間もない。
[解説]立志(?〜1681)は紀州藩の畳職、後に浪人して江戸住。立圃門。
千載集の「我が袖は塩干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」を踏まえる。「沖の石」を「硯石」に転じたのがみそ。花盛りを賛美する心が余情。
竈に鍋の数見ん猫のつま 岡村不卜(おかむらふぼく)
[意味]人なら頭にかぶる鍋を、猫だから竈にかかる鍋の数で見よう。
[解説]不卜(?〜1691)は未得門の江戸俳人。
近江国の筑摩神社で、女性が枕を交した男性の数だけの鍋を頭にかぶってお参りする祭礼がある。伊勢物語の「近江なる筑摩の祭りとくせなむつれなき人の鍋の数見む」を踏まえる。竈と猫は縁語。「猫のつま」は春の季語で発情期の猫。俳諧の原義は滑稽であるがそれを地で行ったような句。
風のそふ夕立ややねをまくり切 蔭山休安(かげやまきゅうあん)
[意味]風に吹き立てられた夕立が家の屋根を切りまくるように降る。
[解説]休安(生没年未詳、17世紀半ば)は大坂天満宮住。季吟の門友であろう。
「まくり切」は切りまくること。「夕立」に「太刀」を掛けている。言葉遊びながら実感もある。
ながむとて花にもいたし頚の骨 西山宗因(にしやまそういん)
[意味]美しい花の梢をひねもす眺めていたので首の骨が痛くなってしまった。
[解説]宗因(1605〜1682)は大坂天満宮連歌所宗匠。新風談林派の盟主。
新古今集の「眺むとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけり」を踏まえ、甚だしい意の「いたく」を「痛し」に転じ、俗語「頚の骨」を接続した。その意表をついた転換が見事。
雪にとめて袖打ちはらふ駄賃かな 西山宗因
[意味]旅中雪に遭い、馬をとめさせて馬子に駄賃を払うの意。
[解説]新古今集の「駒とめて袖打ち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」を踏まえる。本歌の雅を俗に転じた滑稽。
な折りそとしかるに一枝の花の庭 西山宗因
[意味]庭の花の枝を折ってはならぬと叱ったにもかかわらず、あまりの美しさについ一枝手折ってしまった。
[解説]謡曲「芭蕉」の「然るに一枝の花を捧げ」のもじり。「然る」に「叱る」を掛ける。この作者のもじりの手際は価千金。
哀れしれ霜よりしもにくつは虫 松山玖也(まつやまきゅうや)
[意味]霜が降りると虫の声は次第に弱まりついには死絶える。その虫の哀れを知れ。
[解説]玖也(1623〜1676)は大坂の俳人、もと重頼門。大坂俳壇の創設に力あった一人。
謡曲「定家」の「あはれ知れ霜より霜に朽果てて」の「朽ち」に「くつは虫」を掛けた。霜に滅び行くくつわ虫の運命の哀れさ。
秋来ぬと目薬ほどやけさの露 梶山保友(かじやまやすとも)
[意味]今朝目薬くらいの小粒な露が降りてて秋の到来を知らせてくれた。
[解説]保友(未詳、1644〜1704年頃)大坂の富商、もと重頼門。大坂俳壇の重鎮。
古今集「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を踏む。この歌を踏まえる句は多いが、これは意表をついた転じ方をしている。
落葉の寺社残りなく冬木哉 伊勢村意朔(いせむらいさく)
[意味]洛陽の寺社の樹々がすっかり葉を落し、全て冬木になった。
[解説]意朔(未詳、1624〜1681年頃)は大坂の商人、貞徳門。初期の大坂俳壇の重鎮。
「落葉」は「洛陽」に掛ける。謡曲「放生川」の「洛陽の寺社残りなく拝み廻りて候」を踏まえたあっさりとした仕立てである。
同じく其角に「月華や洛陽の寺社残りなく」の句がある。月の季節にも、花の季節にも残りなく拝み廻ったの意。
薬喰や七日干ざらん料理鍋 伊勢村重安(いせむらじゅうあん)
[意味]薬喰の肉を七日間も食べ続けたので、鍋の乾くひまがない。
[解説]重安(生没年未詳、1684年頃没)は大坂の仏師、もと梅盛門。宗因を盛り立てて大坂俳壇の創設に尽した。
「薬喰」は寒中スタミナをつけるために鹿・猪などの肉を食べる事。新古今集の「河社篠にをりはへず干す衣いかに干せばか七日干ざらん」による。
秋の野や紅ゐくくる土龍 高滝益翁(たかたきえきおう)
[意味]秋の野が紅葉している、その紅の地面の下にうごろもち(もぐら)が潜る。
[解説]益翁(1605〜?)「紅ゐくくる」は紅色に絞り染めすること。新勅撰集の「秋は今日くれなゐくるる立田川逝く瀬の浪も色変るらむ」に「潜る」を掛けた。この掛詞は当時流行した。
霜夜の鐘六つ無病に寝覚哉 井原西鶴(いはらさいかく)
[意味]明け六つの鐘が鳴って霜夜が明けた、子供が健やかに目覚めて起きてくる。こんな幸せがあろうか。
[解説]西鶴(1642〜1693)は浮世草子の作者として有名。本来は俳人で談林俳壇の雄。
昔大黒舞の歌詞「五ついつもの如くに、六つ無病息災に、七つ何事なうして」を踏まえた。西鶴には三児があり、この句は女児髪置の祝い(三歳)の折に詠まれたものと思われる。
しれぬ世や釈迦の死跡にかねがある 井原西鶴
[意味]この世は全く意外なものだ、あれほど無欲を説いた釈迦が死んでみると後に金が残されている。
[解説]釈迦一代の遺教八千巻を金子八千貫に取成し、金次第の世間を風刺した。諺に「釈迦の私銀」とあり、意外な事の譬え。私銀はへそくりのこと。釈迦の経も西鶴にかかると金に変る、ここが西鶴の得意とするところ。
河の紅葉ふみ分けて鳴くかじか哉 井原西鶴
[意味]谷間の岩間に棲む河鹿は、散り浮く紅葉を踏み分けるようにして美しい音色で鳴く。
[解説]古今集の「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」を踏まえ、鹿は奥山の紅葉を踏み分けて鳴くが、河鹿だから河の紅葉を踏み分けて鳴くと洒落たもの。
千金につりがね惜しむくれの春 岡西惟中(おかにしいちゅう)
[意味]春宵一刻値千金の今宵、花を散らす釣鐘の音に千金の春を惜しむ。
[解説]惟中(1639〜1711)は漢学者・歌学者、談林派の論客で他派と論争を繰り広げた。西鶴のライバル。
新古今集の「山里の春の夕暮来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける」を踏まえ、「つりがね」の「ね」に「値」を掛けている。
同じく西鶴には「ぞちるらん上を下へと花に鐘」の句がある。「上を下へ」は落花繽紛たる様をいうが、同時に上句の「ぞちるらん」を下へ移し「花」に付けよとの指示。鐘の音に花は繽紛と散るであろうの意。
常矩の句「蛇之助が恨みの鐘や花の暮」は花見酒をまだ飲み足りないのに、もう入相の鐘が鳴るとの恨み節。
そこで重頼の句「やあしばらく花に対して鐘つくこと」その鐘しばしお待ちあれ。
幽山は「花を踏んでたたらうらめし暮の声」その鐘を鋳造したタタラ(大型のふいご)が恨めしい。「花を踏んで」は和漢朗詠集「花を踏んで同じく惜しむ少年の春」より。
春宵一刻値千金では其角の「夏の月蚊を疵にして五百両」がある。夏の月は蚊が出るので疵物半値。
寝させぬは御身いかなる杜宇 田代松意(たしろしょうい)
[意味]ほととぎすよ、私を寝かせないのはあなたは一体いかなるお方なのですか。
[解説]松意(生没年未詳、17世紀後半)は江戸談林派の首領格。
句は、ほととぎすの本意とされる鳴く声を寝ずに待つ心を詠む。謡曲「箙」の「御身いかなる人やらん」を踏まえている。談林は異端とされたが、本意に忠実であった点では伝統的・保守的であった。
同じく岸本調和(1638〜1715)の句は「子規子規とて寝入りけり」今か今かと待っているうちに寝入ってしまった。
越智越人(1656〜1736頃)は「寝られぬに啼てくれるな杜宇」悩み事があってただでさえ眠れないのにこれ以上鳴いてくれるなと、全く逆の発想。
哀れとおもへ三疋の猿山桜 菅野谷高政(すがのやたかまさ)
[意味]人々は皆花見に浮かれているのに、見ざる、言わざる、聞かざるの三猿にはそれが出来ない。これは哀れと思うべきもの。
[解説」高政(生没年未詳、1702年に60代半ば)は京都の俳人。奇矯な俳風から伴天連社高政と呼ばれた。
金葉集の「もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし」を踏まえる。
花のあなや紅くくる唐辛子 前川由平(まえかわゆうへい)
[意味]煮豆腐の香味の唐辛子にむせんで鼻の孔が赤くなってしまったわい。これは唐辛子によるくくり染めと言うべきだな。
[解説]由平(未詳、1661〜1711年頃)は大坂の俳人。西鶴らと同輩。
古今集の「ちはやぶる神代もきかず竜田川から紅に水くくるとは」による。「紅くくる」は紅色のくくり染めに染める事。又、「鼻をくくる」から「鼻」と「くくる」は縁語。
馬下踏やひけどもあがらず厚氷 田中常矩(たなかつねのり)
[意味]庭に履き置いた馬下駄が厚氷に閉ざされて、引張っても上がらない。
[解説]常矩(1643〜1682)は京都の俳人。
謡曲「兼平」の「深田に馬を駆け落し、引けども上がらず打てども行かぬ」を踏む。「馬」を「馬下踏」に変え仰々しく表現したもので、あまりの馬鹿らしさに笑いが止らぬという次第。
芋洗ふ女に月は落ちにけり 池西言水(いけにしごんすい)
[意味]早朝、百姓女が小川で芋の泥を洗い落としていると、彼方に月が沈んで夜が明けはなれてゆく。
[解説]言水(1650〜1722)は奈良に生れ江戸で活躍した。元禄名家の一人。
徒然草に、空を飛んでいた久米の仙人が洗濯女の裾をからめ上げた脛の白さを見て、神通力を失って墜落したという話がある。句はそれを踏まえ、月が女の脛に目が眩んで落ちたというのである。
そよりともせいで秋立つことかいの 上島鬼貫(うえしまおにつら)
[意味]立秋には涼しい風が吹くというが、そんな気配が全くないのにこれで立秋とはまことかいの。
[解説]鬼貫(1661〜1738)は摂津伊丹の人、元禄名家の一人。
古今集の「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」に対抗した句作り。口語調の作品として著名な句である。
春や来し年や行きけん小晦日 松尾芭蕉(まつおばしょう)
[意味]今年はまだ小晦日だというのに立春を迎えた。気の早い春が来たてまったのか、旧年が年内に早く去ったというべきか大いに迷うことである。
[解説]芭蕉(1644〜1694)は説明の必要がないくらいに有名。
古今集巻頭の「年の内に春は来にけり一年を去年とや言はん今年とや言はん」を基調として、伊勢物語の「君や来し我や行きけん思ほえず夢か現か寝てかさめてか」をもじっている。陰暦では旧年中に立春を迎えることがあり、年内立春といった。芭蕉19歳の時の作で機知にあふれている。
月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿 松尾芭蕉
[意味]旅のお方、月の光を道標にこちらへいらっしゃい、旅の宿をして差上げましょうほどに。
[解説]謡曲「鞍馬天狗」の「奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる、こなたへ入らせ給へや」の「花」を「月」に切替え、「入らせ旅」に「入らせ給へ」を掛けている。謡曲の風雅な文句を用い宿の客引の言葉に仕立てた滑稽。貞門風の作である。
宿りでは宗因の「宿れとは御身いかなるひと時雨」がある。これは謡曲「江口」の「御身はさていかなる人にてましますぞ」を踏む。
秋風や藪も畠も不破の関 松尾芭蕉
[意味]不破の関跡に来てみれば、今はその跡形もなく藪となり畠と変じて、ただ蕭条たる秋風が吹き渡るばかりである。
[解説]古今集の「人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにしのちはただ秋の風」を踏まえ、荒廃の語を用いずにその様を詠出した「ぬけ」の蕉風化である。不破の関は荒廃した哀歓の歌の歌枕。
柴船にこがれてとまる蛍かな 宝井其角(たからいきかく)
[意味]熱い思いに身を焦し、漕がれ行く柴船に蛍がとまる。
[解説]其角(1661〜1707)は芭蕉の高弟。芭蕉没後、奇警な見立てや謎めいた句作で洒落風と呼ばれ江戸俳諧の主流を占めた。
謡曲「兼平」の「世のわざのうきを身につむ柴船や、たかぬ先よりこがるらん」による。「こがれて」に漕がれて・焦れてを掛ける。其角には謡曲の詞句を巧みに用いた作が多い。
手のうへにかなしく消る蛍かな 向井去来(むかいきょらい)
[意味]愛する妹の命が掌の中で悲しく消えてゆく、何という辛さ。
[解説]去来(1651〜1704)は儒医の子、後に在京して芭蕉に入門。
妹千子(ちね)の追悼句。千子の辞世吟「もえやすく又消えやすき蛍かな」から。蛍は和泉式部の「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」の歌以来、魂の象徴となっていた。
尚、これに対し芭蕉は旅先から「なき人の小袖も今や土用干」の追善句を去来に寄せている。
子や待たん余り雲雀の高あがり 杉山杉風(すぎやまさんぷう)
[意味]雲雀があまりにも高い空に舞い上がって囀っている、地上では子供が待っているのであろうに。
[解説]杉風(1647〜1732)は幕府ご用達の魚商。江戸の住、芭蕉のパトロン的存在だった。
万葉集の「憶良らは今はまからむ子泣くらむそれその母も我を待つらんぞ」の本歌取り。
|