初心者俳句入門講座・目次

公民館で開かれた「初心者俳句入門講座」の受講記録

講師は、「濤」編集同人 村山 白朗 氏

第1回 俳句の生い立ち、俳句の約束ごと 2月 7日
第2回 定型(十七音)について 2月14日
第3回 季語(季題)について 2月21日
第4回 切れ字について 2月28日
第5回 俳句の作り方について 3月 7日
第6回 俳句会について 3月14日
第7回 受講者の作品発表、講師講評 3月21日

 

 

  第1回・資料

俳句の生い立ち

 俳句の源流をたどれば、和歌からでています。和歌は三十一文字、上の句が五、七、五の十七文字、下の句が七、七の十四文字です。
この和歌が上の句と、下の句に分かれて、連歌というものができました。
 連歌は、上句の十七文字に、下の句の七、七をつけ、また、七、七を受けて、五、七、五の句をつけ、上句と下句とのくりかえしを一定の方式にしたがって、つづける文芸です。

 連歌は南北朝から室町時代にかけて非常に発達して心敬(しんけい)とか宗祇(そうぎ)という有名な連歌師がでてきました。和歌と同じような、みやびやかさ、格調の高さ、幽玄の境地などを理想として、教養ある武士や僧侶などの間にも流行しました。やがて一般庶民にも行き渡りましたが、この連歌の形式を受け継ぎ、その内容に俗語などを取り入れた、くだけた俳諧連歌というものが、松尾芭蕉の生まれるほぼ二百年前から始まったのです。
 この俳諧連歌といわれるものは、ことばとことばの語呂合わせ、掛け合い、尻取りなどを主とするようになり、卑俗な内容になってきました。
 俳諧連歌(連句)では、最初の句を発句といっています。この発句が切りはなされ、独立して作句され鑑賞されるようになったものが五、七、五の俳句です。

 芭蕉の頃には、この俳諧(連句)といわれるものが、一世を風靡していましたが、その傾向はますます卑俗となり、ただの語呂合わせや、ことばの掛け合い的なものが多かったわけです。その頃の俳諧師として鳴らした山崎宗鑑の句をあげてみましょう。

  手をついて 歌申しあぐ かわずかな

蛙は春の季語。蛙がはいつくばっている格好をいかにも手をついて歌を申しあげているようだといったものです。
 この宗鑑の句と、同じ蛙を詠った芭蕉の

  古池や 蛙とびこむ 水の音

とを、比べて見て下さい。すなわち、それまでの発句に共通していた卑俗性から、芭蕉の句が抜けていることがわかると思います。
 発句が俳句と呼ぶようになったのは正岡子規からだといわれています。


俳句の三つの約束ごと

  古池や 蛙とびこむ 水の音     (松尾芭蕉)
  春の海 ひねもすのたり のたりかな 
(与謝蕪村)
  あたたかき 十一月も すみにけり  
(中村草田男)

 これらの俳句には俳句を作る上の約束ごとが、組みこまれています。

1、十七文字、十七音でできていること。
2、「蛙」「春の海」「十一月」という季節のことば(季語)がはいっていること。
3、「古池や」の「や」、「のたりかな」の「かな」、「すみにけり」の「けり」を切れ字といって、この切れ字が入っていること。


質疑応答のメモ

★美しい心、感動する心、楽しむ心 を持ち続けるように心掛けたい。
★歳時記、国語辞典、古語辞典 を用意すること。特に歳時記はポケット版でなく本格的なものが良い。
★新聞、雑誌など他人の作品を読んで勉強する機会を多くすると良い。
★作句は、普段見たもの、感じたことを忘れないうちにメモしておく習慣をつける。その場で一気に俳句にする必要はなく、後でそれらを集めて俳句という料理を作る。
★台所俳句が流行ったときも有った。その様な身の周りのことを詠むのも方法。
★秋田の独特の風土に着目して、秋田の俳句を詠んでみる。梵天、竿灯などの俳句は出尽くし皆同じような句になって、もう詠めなくなった。そこで新しい工夫、発見が必要。
★俳句は楽しみながら、面白味をもって詠むようにしたい。
★俳句はそのときの閃きも大切。
★わずか十七文字だから、何でもかんでも入れようとせずにあっさりと表現する。
★一人で本などで勉強してもなかなか進歩しない。句会などで人の批評を聞くことも良い。
★先生の若い頃の作「通草の実中のぞかせて村は過疎」で下五が「過疎の村」では説明になる。
★先生の近年の作では、「喜雨浴びる地べたのごとき貌のべて」が第九回全国健康福祉祭俳句大会で特選賞と正賞になっている。農民の土にまみれた獣のような顔を「貌」で表現した。
★季語の季節と太陽暦の関係
   春 立春〜立夏の前日 (2月4日〜5月5日ころ)
   夏 立夏〜立秋の前日 (5月6日〜8月7日ころ)
   秋 立秋〜立冬の前日 (8月8日〜11月6日ころ)
   冬 立冬〜立春の前日 (11月7日〜2月3日ころ)

 



 

 

第2回・資料

定型(十七音・十七文字)について

 俳句は私たちが見たもの、感じたことを十七文字の短い韻律(しらべ)にまとめることです。十七文字という短いことばにまとめるところに、俳句のやさしさ、また、難しさがあるといえます。
 この十七文字という、短い詩形を形作る上に、「季語」「切れ字」などという要素も生まれたといえます。つまり、私達の感動を縮めて、ずばりと見る人に訴えるための条件として、「十七文字」「季語」「切れ字」があるといえるでしょう。

  いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

作者の正岡子規は、短い生涯の大半を病床で過ごしました。
 雪の降る日、作者は病床の中から、看病をしてくれる人に、どの位雪が積もったかということを何回となく聞いたという俳句です。
 この俳句は、一度あるいは二度、読者がこれを読めば、すぐ胸にひびいて、覚えこんでしまうようなしらべのよさがあります。
 この俳句のしらべのよさということを高浜虚子は、「俳句は胸にためているいろいろな思いをひと息にもらすようなものである。」といっています。しらべが悪くては「ひと息に」というわけにはいきません。

 芭蕉はまた、「俳句はこがねを打ちのべたように作るのだ。」とも言っています。
 俳句はすっきりと、形よくできあがらなければいけません。そのためには、ひと振りの太刀を作る刀鍛冶のような修練と努力とが必要です。
 俳句の十七文字は、五音、七音、五音の韻律でできています。その五、七、五音を「上五」「中七」「下五」とも呼んでいます。これが十七の基本の形です。

 新傾向俳句 明治41年大須賀乙字が「俳句界の新傾向」という論文を発表したことに始まる。

 自由律俳句 大正3年荻原井泉水は定型と季題を廃した自由律を提唱し、中塚一碧楼も自由律へ動き、新傾向俳句は分裂し終焉を迎える。

  草青々牛は去り             (中塚一碧楼)
  毬を持つ少女等が手は林をなしておよげり (荻原井泉水)
  せきをしてもひとり           (尾崎放哉)
  分け入っても分け入っても青い山     
種田山頭火)

   定型句(参考)
  ぬく飯に落として円か寒玉子       (高浜虚子)
  しづかなる一日なりし障子かな      (長谷川素逝)


質疑応答のメモ

★俳句は、悲しいとか嬉しいとかの直接的な言葉を使わずに、その思いを表現する。
★読む人によって解釈が異なることもある。前書きを付けることはかまわないが、俳句会では付けない。
★俳句は一句だけではない。一つのことでも、色々な方面から何句でも詠んでみる。
★俳句は文語体が主。最近では口語体で素直に表現したものも多い。
★俳句はそのものを説明してもだめ、散文的になってもだめ。また、新聞の見出し調や、演歌調ではだめ。
★あまり難しい漢字を好んで使うのは良くない。
★過去、現在のことにはこだわらない。
★季節は歳時記に従うのが約束事。しかし地方の季節には歳時記とズレがあり、現実の季節を詠むのも止むを得ない。
★上達には、俳句会などに出て他人の批判を仰ぐことが大切。
★自分の作品が活字になる喜びを味わう。

 



 

  第3回・資料

季語(季題)について

 俳句には季語(季題)があります。季語とは四季の自然、生活、行事など、自然・人間・文化のあらゆる事物から、日本人の美意識によって選ばれた、すぐれた言葉であり、詩語です。

 季語の発生は古く千年以上も前から花・月・雪・ほととぎす・紅葉など和歌の題が作られ、連歌の季題から俳諧の季題へと受け継がれ、長い歴史の中で、庶民の生活から詩趣のあるものが選ばれ、積み重なって、俳句の季語となったのです。俳句には、一句の中に季語を一つ入れる約束があります。

 日本は四季が規則正しく移行して、気象の変化に伴い自然現象が極めて美しく変ります。又日本人は自然の美しさ、季節の美しさに感動する性質を持ち、季節に敏感な性情を有するから、一つの季語から、自然現象はもとより、人事、行事にいたるまで、さまざまの事物を想い浮かべることができます。
 季題は、春、夏、秋、冬、新年の天象、地象から動物、植物、生活文化まで、あらゆる事物があり、俳句を作るとき、一句の中心になるものです。正岡子規は、「季語の連想力によって、はじめて十七文字という短い詩の世界が広い外界を獲得するのだ。」と言っております。

 一句の中に、季語を二つ以上入れることを「季重なり」と言います。中心となる季語が二つあると焦点がぼやけてしまいます。また、一句の中に春の季語と夏の季語というように、季節の違う季語を入れることを「季違い」と言って、異なる季節が詠まれているために、春の句か、夏の句か混乱を起します。
 一句の中心は季語が一つであるという事をしっかり頭に入れておきましょう。

 歳時記

 俳句を作るには手帳と鉛筆があればよいが、もう一つ必要なものは歳時記である。歳時記は、季節感を表す言葉を集め、解説し、例句をあげた季語の辞典です。春・夏・秋・冬・新年に分けられ、さらに時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物に分類され、自然と文化の百科事典とも言えるものです。
 美しい日本語によって四季の自然、行事が説明されています。

 歳時記の古いものは、和歌の題から俳諧の季題へと発展した十七世紀に、季題を整理集成した季寄せ風の「花大草」「山の井」などが作られました。松尾芭蕉は、北村季吟の「増山の井」を使用していたと言っている。「増山の井」は寛文三年(1663年)の初めての季寄せ(歳時記)です。

 俳諧が連句から発句中心に移り、季題も増えてきた十九世紀初めに滝沢馬琴は「俳諧歳時記」で季題を、四季別、月順に収録・解説しました。これを増補した藍亭青藍の「俳諧歳時記栞草」は季題を3420余。例句も増訂して、現在の歳時記とほぼ同様のものになりました。

 他に、携帯に便利な「季寄せ」があります。昔は歳時記を季寄せと言いました。現在の歳時記と同じように季語が分類されておりますが例句がないか、あっても少なく、おおむね小型本でポケットに入ります。

 歳時記には、実際の季節と季感に違いのある季語があります。太陽暦と太陰暦によるずれですが、俳句を作るときは歳時記に従います。歳時記には、さまざまな言葉が載っており、読むのが大変楽しみです。

 季語の一例として、春の季語に「山笑ふ」があります。春になると山が薄緑に明るくなることを言い、「春山淡冶にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如く」の臥遊録、その他、中国からとったものです。春に対し冬の季語に「山眠る」があり、夏の季語に「山滴る」秋の季語に「山粧ふ」があります。


質疑応答のメモ

★歳時記は常に机上におく。(歳時記の季節は第一回の質疑応答を参照)
★歳時記は、例句の多いほうが勉強になる。
★季語は、歳時記に副題が色々あるので最も適切なものを使う。
★地方の歳時記の季語は、全国的には認められていないものがある。
★経験のない季題を出された場合は、間接的な経験(テレビや本など)や想像をもとに創作する。
★最初は感動したことを書き、十七文字にまとめ、季語を確認して俳句にする。
★感情が先に出ると失敗する。
★読む人が分かっていることは言わない。(冬、と言ったら誰でも考えるような事柄)
★分かりきったこと、決まりきったことは俳句にならない。(雪が白い、冷たいなど)
★十七音に、拗音「ゃ、ゅ、ょ」は一音と数えないが、促音「っ」は一音に数える。
★勉強は他人の作品を多く読むこと。選は創作なりと言う。

 



 

  第4回・資料

切れ字について(切れ字は俳句を強くする)

 俳句は、十七文字、有季(季語を入れること)という性格の上に作られますが、その外に「切れ字を入れる」あるいは「切れる」ということがあります。
 切れ字を文字通りあらわしているのは、十七文字のことばにつく「や」「かな」「けり」などです。

 花散るや 瑞々しきは 出羽の国   (石田波郷)
 野分して しづかにも熱 いでにけり (芝不器男)
 鎌倉の 松杉さわぐ 二月かな    (木津柳芽)

 これらの俳句の「や」「けり」「かな」が切れ字です。
「切れ字」とは文字通り、そこでことばが「切れる字」ということです。

 前記の波郷の俳句では、上五「花散るや」でことばが切れて、中七、下五の句につづく訳です。

 野分して しづかにも熱 いでにけり
 鎌倉の 松杉さわぐ 二月かな

この二句の「切れ字」は、下五についていますから、この俳句は、それぞれ上五、中七で述べたことを最後にいい切っている、とどめをさしているといえるでしょう。
 別なことばでいえば、切れ字のあるところでことばは切りはなされ、切りはなされた部分は、ちょうど竹の節を一刀両断して、読者の目の前に突きつけているようなあんばいです。

 「切れる」という性格も、俳句の特徴です。
これは三十一文字の短歌とくらべてみれば、案外説明しやすいかも知れません。

 天の原 ふりさけみれば 春日なる

同じ十七文字でも、この短歌の十七文字は切れていません。「三笠の山に いでし月かも」とつづくわけです。
 俳句の十七文字は、決して後につづきません。後につづく気分をふくませたり、期待をさせたりしません。
 十七文字で、作者のいうべきことをいい切ってしまうのです。

イ、切れ字の性格

 「切れ字」は作者が「いい切る」ことです。
ところが、同じ切れ字でも初心者にも納得いくような切れ字、使いやすい切れ字と、特殊な意味が加えられたために、よほど慎重にことばを置かなくてはならない句法とがあります。

 わが船の マスト灯れる 無月かな  (景山筍吉)

月のない夜、航海している船のマストに、ぽつんと灯がともっています。灯がともっているだけに、広々とした暗い海の上の、月のない夜が、かえってすさまじいというのです。
 この俳句の切れ字は、もちろん「無月かな」の「かな」です。一句を下五で切ったために、無月はいっそう深さを増すようです。

 菊の香や 奈良には古き 仏たち  (松尾芭蕉)

 この句は「菊の香」に切れ字がついています。それから「奈良には古き仏たち」ということばがついています。
 「菊の香」と「奈良には古き仏たち」が、どういう関係にあるのかということは、句の中では何も説明されていません。
 上五につく「や」という切れ字には、このような使われ方が多いのです。これらの「や」は作者の詠嘆とか命令とか願望とかをあらわすために使われるといわれますが、そういう分類を並べてみても実作の手がかりにはなりません。やはり、俳句をくりかえし、くりかえし味わうことです。この俳句では「菊の香」のもつ情趣と、「奈良には古き仏たち」ということばの持つ情趣が、それぞれ微妙な匂いをもって独立しながら、それが一句のなかでひびき合い、交流し合い、高い複雑な強調をしているのです。
 つまり、「菊の香や」といいはなしてひと息つき、菊の香のもつ情調をただよわせるうちに、その情調が「奈良には古き仏たち」という情調で受けとめられ、俳句ができるわけです。

ロ、二つの切れ字は殺し合う

 「や」「かな」「けり」などというあからさまな切れ字は、その切れ字が受けたことばを強く見る人に訴えます。それだけに、十七文字の中に、同じように強い切れ字が二つもまざっていることは、一句の中のことばの勢いを分散させ、強いことば同士で殺し合う結果になりかねません。
 特に一句の中に「や」と「かな」を使うことは避けなければなりません。「や」「けり」という切れ字が一句の中に使われている例はかなり見られますが、その場合の俳句も、散漫な感じを与える結果になってはいけません。

 降る雪や 明治は遠く なりにけり  (中村草田男)
 胸の手や 暁方は夏 過ぎにけり   (石田波郷)

「降る雪や」の句は、明治回顧といった場合に、必ずといっていいほど引用されます。句が作者を離れて、独り歩きだしているようなものです。後句は「胸の手や」と置くことで、作者の状況を説明しています。目を覚ました後の、うつうつとした心よ。胸の上に組んだ手を、しばし解かずにいる放念のときよ。朝もはや、夏は過ぎ行こうとしている事だ。
 ですから「や」「かな」とか「や」「けり」など、切れ字を二つ使うことはしない方が無難でしょう。

ハ、かくれた「切れ字」

 俳句には十七文字の中に、切れる要素があるといいましたが、たしかに、「や」「かな」「けり」のところで切れていることは、はっきりわかります。しかし、「や」「かな」「けり」が使われていなくても、切れている個所がたくさんあるのです。
 すこし注意して、つぎの俳句を読んでみましょう。

 小公園 蟆子をつぶしに 来し如し   (細川加賀)
 口きいて くれず冬濤 みてばかり   (鈴木真砂女)
 のびのびと ゆくみみずあり 喜雨の中 (中田みづほ)
 野薊に ぴしりぴしりと 夕立きぬ   (内藤吐天)

これらの俳句のどこが切れているかを説明します。
 「小公園蟆子(ぶと)をつぶしに来し如し」は、「小公園」で切れてます。
 「口きいてくれず冬濤みてばかり」では、「口きいてくれず」で切れてます。
 「のびのびとゆくみみずあり喜雨の中」では、「ゆくみみずあり」で句は切れるわけです。
 「野薊にぴしりぴしりと夕立きぬ」では、「野薊に」でいったん切れ、最後の「夕立きぬ」で切れているのです。

 「や」「かな」「けり」を使った俳句は、いかにも古くさい感じがします。しかし、俳句というものには、切れ字的性格があり、これを習得することによって、すぐれた俳句が詠めるようになるのです。

補足説明

 俳句には「切れ字」と言う固有の方法があります。五音、七音、五音の三分節のいずれかの終りに、「や」「かな」「けり」などの助詞、助動詞及び体言(名詞)、活用語の終止形などが付いて、意味が断切している語を「切れ字」と言います。
 切れ字は、形式とリズムに変化を与え、意味を断定し、俳句に大切な完結性を持っております。
また短詩形ゆえに表現できないことを、断切による沈黙の間に暗示、連想させる効果と言葉の強調、余情、詠嘆などを表す働きと俳句に気品を添えます。
 連歌師宗祇は「発句切字十八之章」で「哉」「けり」「もがな」「し」「ぞ」「よ」「せ」「や」「れ」「つ」「ぬ」「へ」「す」「いか」「に」「じ」「け」「らむ」と切れ字を十八に整備しました。


質疑応答のメモ

★切らないと散文になってしまって、俳句にならない。
★切ることによって(一呼吸おいて)広がりがでる。
★季語が二つある場合は焦点を一つに絞る。(季重ねの句は作らないようにする)
★最初はあまり考えないで、何句でも作ってみる。
★類句がある場合は前作が優先する。(大会では悪意がなくても没になる)
★俳句を作っていると自然を見る目が違ってくる。
★俳句は、日記・年賀状に添えるなどの効用もある。


受講者の初めての俳句

☆ 今回は受講者の互選、講師の添削は次回に行います ☆

五点 露天風呂灯に映える春の雪
五点 覗くやに川面にし垂る猫柳
三点 寒星や音慎しみて仕舞風呂
二点 木の根もと大きく空きて春告ぐる
一点 読むよりも詠みがむづかし凍つく夜
一点 風音や軒端に春の気配して
一点 春日浴び野田の入口牧の句碑
   小禽の寄る術なしか冬の糧
   残雪や兎の跡と犬の跡
   白鳥や凍てつく川面に羽根休め

 



 

 

第5回・資料

俳句の作り方について

 一つの例

 秋も深まった一日、俳句を始めたばかりの主婦達が四、五人、俳句を作りに近くの山に行きました。雑木林が紅葉して、遠くの山の尾根もすっかり秋の気配に満ちています。おしゃべりをしたり、お菓子を食べたり、子供心にかえって歩きながら、俳句を作ろうというわけです。

イ、表現の検討

 雑木林に入ると、秋の気配がただよっています。人気もなく、あたりは静まりかえっています。Aさんは、手帳を開くと次のような句を作りました。

 雑木山 音なく秋の 漂えり(原句)

雑木林が音もなく静まりかえっている秋の感じをうたったわけです。「秋が漂う」というところにAさんは苦心しました。そして「音もなく」ということばを、「雑木山」にも「秋」という季語にも掛けて作ったわけです。
 しかし、この句の「音もなく」といういいまわしは説明的ですし、「秋が漂う」ということば使いも大づかみすぎます。

 歳時記の中に「秋の声」という季語があります。秋になって、ものさびしく聞こえるひびき、風の音、そこはかと木の葉の落ちる音、そのほか総ての秋の気配を言う季語です。つまり「音なく秋の漂えり」という中七、下五の叙述は「秋の声」という季語に十分ふくまれているわけです。
 この句は「秋の声」という季語を使って次のように訂正します。

 秋の声 漂うばかり 雑木山(訂正句)

「漂うばかり」の「ばかり」という表現をみつけるところに、作句の苦心がある訳です。

ロ、俳句上達の手引き

 俳句を作りはじめるきっかけは、「人にさそわれて俳句会に出席してみた」、「病気で寝ているつれづれに新聞や雑誌の俳句欄を見て、自分も作ってみた」といった例が多いものです。
 自分ひとりで作って、その俳句を誰にも見せないで楽しんでいるのも結構ですが、それではいつまでたっても上達しないものです。俳句をより深く知り、上達するためには、指導者を持ち、指導者の添削や選を受けることが必要です。
 又俳句仲間を持ち、お互いに句を作り、見せ合い、批評し合い、認め合ってゆくうちに、俳句の楽しさや難しさがわかり、上達してゆくものです。
 そこで、先ず第一に近くにあるならば俳句会に入会することです。それが何よりも、上達の早道です。

ハ、推敲

 推敲というのは、自分の俳句に手を入れることです。いろいろの角度から検討して手を入れ、ことばを改めたり、吟味するということです。芭蕉から現代の秀れた俳句作者にいたるまで、誰もが必ず行っている事です。
 初心者が自分の作った俳句の欠点を見分けることは、なかなか難しいことです。自分の作った俳句の悪いところが解るようになれば、一人前になったと言えるでしょう。ですから、初心者は自分の俳句を先生に見てもらったり(添削をうけること)、あるいは仲間と見せ合って、お互いに句を直し合うこと(俳句会)が必要になるわけです。
 どこに自分の俳句の欠点があるか、どういうふうに直せば俳句らしく立派な作品になるか。これは、どんなに作句の歳月を重ねても常に心がけなければならないことです。

ニ、文字合せ遊び

 俳句を作る前の練習というか、ことば合せ遊びというか、次の方法でやってみたい。
(1) 各自に短冊三枚(短冊型の白紙)を渡し、無記名で次のような文言を書いてもらう。
(2) A 自分の好きな上五の文句を書く。
    (例)降る雪や・雪深し・雪晴や・冬の朝・冬の川
  B 自分の好きな中七の文句を書く。
    (例)雪は降りつつ・雪の街行く・独り道行く・電話鳴るなり
  C 自分の好きな下五の文句を書く。
    (例)吹雪かな・街明り・雪の夜・鴉鳴く
(3) 各自の書いたA・B・Cの短冊をそれぞれ混ぜる。
(4) A群、B群、C群の短冊一枚づつで五七五の一句を紙に書く。以下その要領で句を書く。

 その結果、俳句でもない、川柳でもない面白い句ができあがる。
各自それぞれの考えた文言が交じり合い、或いは、同一人のA・B・Cが偶然一緒になって一句ができあがあるかもしれない。又A・B・C三人各位の文言が交じってできるかもしれないし、何れにしても面白い一句ができあがる。
こういうのを繰り返すことによって作句する興味が湧いてくるのではないかと思う。又偶然にすばらしい完成された一句ができあがるかもしれない。


受講者の作品添削

(原句)露天風呂灯に映える春の雪
 上手にできました。

(原句)覗くやに川面にし垂る猫柳
(添削)猫柳川の水面と光り合う

 見方としては面白いが元来猫柳は枝垂れはしない。覗くやも無理。

(原句)寒星や音慎しみて仕舞風呂
(添削)冬の夜や音慎しみて仕舞風呂

 最後に入浴するので音をあんまり立てずに湯浴みしたという美しい心である。
音を慎しむゆかしい言葉、露天風呂でないから寒星でなく冬の夜とした方がよいのではないか。

(原句)木の根もと大きく空きて春告ぐる
(添削)土みせて木の根廻りや春浅し

 木の根廻りの雪が溶けて土が出るのを春告げると見たところはいい。然し告げるという詠い方は擬人法的でうまい詠い方だがもう少し俳句を経験したあととしたい。

(原句)読むよりも詠みがむづかし凍つく夜
(添削)読むよりも詠みがむずかし冬の夜

 人の作品を読むのは意味が仮に判らなくとも易いが詠むのはむずかしい。しかもビリビリと凍てつく夜であるから尚更。むずかしさを凍てつくにかけたのでしょうが、然しこれではあまりに厳し過ぎるので、冬の夜にしました。

(原句)風音や軒端に春の気配して
(添削)春浅し軒端にあたる風の音も

 軒端に吹く風音も何となく春の気配を感じたという意味。春の気配して、で八音使われるので(散文的)春の時候 春浅しを使う。

(原句)春日浴び野田の入口牧の句碑
(添削)春日浴び牧場の句碑にしばし佇つ

 少し句が混み合っていて文言が多すぎる。場所を案内する立看板のようである。

(原句)小禽の寄る術なしか冬の糧
(添削)餌なくて庭に来ずなり冬の鳥

 小禽を「ことり」と読ませず、「しょうきん」と読ませると五七五音となる。
意味は今冬は寒く雪も多くその為餌不足で渡り鳥の数が例年より少ないという、小禽が立ち寄る術がないかもしれない冬の糧(餌)が不足だから。
この作品の季語は何かを考えましょう。冬の糧という季語はない。冬という文字が入っているからと思うが、季語にならない。歳時記の冬の動物の項をみると冬の鳥−寒禽がある。渡り鳥のときに言う冬鳥ではなく、一般の鳥の冬、屋外で生活しているものをさしていう。

(原句)残雪や兎の跡と犬の跡
(添削)犬兎足跡しるす残る雪

 残雪を見ると兎の足跡と犬の足跡があるのを発見した。兎は冬の動物、季語だがこの場合足跡だから構わない。

(原句)白鳥や凍てつく川面に羽根休め
(添削)白鳥や羽根を休める川の上
 こういう状況はよく見るが先ず中七は字余り。羽根休めの座五も落ちつかない。
白鳥は冬の動物、季語。凍てつくは冬の時候、季語であるから季重ね。

 



 

  第6回・資料

俳句会について

 俳人は、定期的に(月一回位)に仲間同士で集まって互いの作品を無記名で回覧し、どの句がよいか選び合い(「選句」という)、批評し合います。句会には、第一に場所、第二に人、第三に句会進行のリーダー、この三つが必要です。
 第一に場所(自宅、公民館、コミセン等)が必要です。予約しておく必要があります。
 第二に人(俳句を作る人)が必要です。定期的に句会を開き、勉強し合う仲間です。
 第三にリーダーが必要です。場所の手配、日時の連絡、用紙の用意などを行います。

イ、集 合

 所定の会場に定められた時刻に集まります。会員が向い合うように会議スタイルで着席し、リーダーは上座に座ります。

ロ、用紙の配布

 幹事は会員に短冊(紙片で作ったもの)、選句用紙(普通の白い紙)を配布します。

ハ、出 句

 各人は自作の俳句を無記名で短冊に書き、提出します。人数と時間により三句から十句程度を目安に決めます。原則としてその季節(当季雑詠)に相応しい句を出します。
 短冊の提出にあたって幹事は所定の箱、お盆等を用意し、各人はその中に短冊を内向きに二つ折りして投句します。予め出句締切り時間を設定しておきます。

ニ、清 記

 幹事(書き手)は提出された短冊を掻き混ぜ、同じ人の俳句を分散させます。十人十句を出句すると計百句ですから、それを十句ずつ十人に配布します。すると各自の手元に他の人が書いた短冊(自分のも入っているかもしれません)が十枚あります。
各人はその十句を清記用紙に書き写します。

ホ、清記用紙の回覧及び選句

 書き終えた清記用紙は、それを見ても作者がわからないようになっており、それを全員で回覧します。予め選句の数を決めておきます。
 各人は自分の良いと思った十句なら十句を選句用紙に書き、一番良いと思う句に○印を付けます。そして選句用紙に何某選と書いて幹事に提出します。その時の決め方で天・地・人とか秀逸などを付ける場合もあります。

ヘ、披 講

 予め披講する人を決めておきます。披講する人は毎回交代するのも勉強の一つです。披講者は最初に自分の選句から順次読み上げ、最後にリーダーの選句を読み上げます。読み上げられた句の作者は、同じ句が何回選句されても名乗りを上げます。
 どの句が何回選ばれたか(「得点」といいます)、天・地・人・秀逸とか、○印を手元の清記用紙に書き入れておきます。又リーダーは点数を集計用紙に書き入れて、最後に点数を集計、発表します。

ト、句 評

 選句の結果を踏まえ、作品を振り返ります。初心者が多い場合は、リーダーが一方的に講評しますが、ある程度作句するようになれば、各自一人ずつ自分の選した句や選しない句の簡単な批評をやるようにします。この場合、他人の句を傷つけるような批評や感情に走らないごく普通な心情で、あっさり触れる事が望ましいのです。この場合と雖もやはり美しい心が必要です。よく他の人の句を傷つけて、人同士が感情に走り喧嘩となる事もありえるので充分気をつけた方がよいと思います。


受講者の今日の作品

☆ 今日の作品を読み自分なら、どこをどのようにするかを考えてみます ☆

早春の鉢に咲く花瑞(みずみず)し

木々ごとの御苑の梅の白さかな

障子あけ春日を膝に抱きてゐし

ご殿まり明るく刺して梅の花

軒下や脹雀(ふくらすずめ)に冬日射し

地に枝に触るるやしずく春の雪

春霞墨絵に変える里の山

こもれ日のふりそそぎたりかたくり野

長閑さやぽたりぽとりと水の音

踊り場の窓あけ放つ春日(はるび)かな

 



 

  第7回

受講者の作品発表、講師講評

 今回は、春季雑詠で各自1句を投句し 2句を選句しました。

1 (五点) 川底の石の起伏や春の雲 

2 (四点) 乳母車押す母の背に風光る

3 (三点) 春日和詩吟で祝う披露宴

4 (二点) そちこちに水仙の芽の早やいでし

5 (二点) 雄物川中州に日永とどめおり

6 (二点) 寛政と幽かを読みし彼岸かな

7 (一点) 囀りや今日を占うレモンテイ

8 (一点) 庭さきにかすかに匂う福寿草

9      等圧線まあるく解けて花だより

10      かなたより白鳥(とり)の声降るV(ブイ)飛行


講師講評

全般的に初心者の作としては中々のものです。

1 川底の は、春の川はどちらかと言えば濁っていて 川底の石がはっきりと見えるように水が澄むのは 秋の方が季節感が合います。

2 乳母車押す母 は既に沢山作られていて また何にでも効くので「仁丹俳句」と言います。

3 春日和 は、披露宴なので改めて「祝う」と言わなくても良い。中七を「詩吟朗々」とでもしたらどうでしょう。

4 そちこちに は、水仙は冬の季語ですので 春は「黄水仙」と言います。ですから中七は「黄水仙の芽」でしょうか。下五の「いでし」は漢字の方が分かりやすいでしょう。

5 雄物川 は、「日永」は確かに春の季語ですが、実感するのは夏ですね。ですから下五の「とどめおり」が春にしては極端過ぎるので「滞(とどこう)る」位に柔らかくします。

6 寛政と は、墓石に彫られた薄れた文字でしょうか。中七の「を」が良いですね。

7 囀りや は、現代的な句ですね。レモンテイだから良いでしょうが、レモンだと秋の季語ですので注意して下さい。

10 かなたより ですが、白鳥を「とり」と読ませるのは無理があります。白鳥を見たのでしょうが必ずしも白鳥と言わなくても良いのですよ。春の季語に「鳥帰る」「鳥雲に」などがあります。また「鳥渡る」だと秋になります。来るのと帰るのとの違いですね。歳時記を調べて一番合う季語を探して下さい。


講座を終えて

 今回で初心者俳句講座を終了しました。
これだけでは、まだ良く分かりません。折角ですからもう少し続けてみようと思います。
幸いこの公民館で俳句会が催されていますので、そちらに参加することにしました。句会は第二、第四木曜日で新入会員は四月からの出席になります。
四月からその俳句会の様子などを、新しくコーナーを設けて綴ってゆきたいと思います。 −竹峰−


その後、の新しいコーナー[DIY俳句考