旅のエピソード 2001   うさぎ

Prolog


メルボルンへの旅 2001年9月17日〜9月22日(わずか6日間の旅です)

出発まで

7回にわたり毎年実現していた我々夫婦の「熟年海外探偵団」もついに今年は挫折か?となかばあきらめていました。
介護が必要な妻の父を我が家に引き取って早一年。旅行もままなりません。
毎日の父の世話で、最近の女房殿は疲れもたまり、精神的にも大分煮詰まってきています。
「このまま行ったら、介護する側が倒れてしまう!どうしても、気分転換が必要だ!」
とか、何とか言いながら、半ば無理矢理計画を立てることに・・・。
旅行に行っている間は、義父の世話は義兄夫婦に委ねる前提ですから、あまり長期の計画は無理な事で、 今回はまず、ヨーロッパは見送りです。
「結局また、シアトル・ポートランドかそれとも近場のアジアかな?」 ネットで安いチケットを探しているうちに、マレーシア航空ニュージーランド往復@68,800円 というのを発見!

「初春のニュージーランド、安いでえ!」二人の目が輝きます。初めてのニュージーランド。おまけに、マレーシア航空なら ノースウエスト・KLMと提携でマイレージが100%つきます。
ところが残念。クアラルンプールからニュージーランドへ乗り継ぎ便が隔日就航のため、どうしても帰日が 週をまたいでしまいます。義父は月〜土は昼はデイケアーセンターで面倒を見てくれるので、義兄夫婦への負担を軽くするためにも この間に行って帰って来るのがベストです。
結局、同料金で選択できるオーストラリアのパース、アデレード、ブリスベン、シドニー、メルボルンの中から、初めてで、 ゆっくりできそうなメルボルンが最後に残りました。

最終的なスケジュールは、
9月17日(月)関空発 → クアラルンプール乗り継ぎメルボルンへ(3泊)→ 9月21日(金)クアラルンプール乗り継ぎ関空へ(9月22日(土)着)

総飛行時間片道13時間、トランジットタイム約3時間半の片道16時間半の旅です。

いよいよ出発

チケット、ETASという電子ビザも無事取れて、留守中の大まかな段取りも済ませ、「さあ、ぼちぼち準備しなければ・・」と言い出した時に、 9月11日衝撃のアメリカ同時多発テロ発生です。
アメリカ便の欠航、各種団体ツアーの中止などの状況が続きますが、怖いもの知らずの二人には、旅の中止などという選択肢はありません。
「アメリカ行きの計画だったらアウトだったね」と言いながら航空会社に電話して、「17日のクアラルンプール−メルボルンは間違いなく飛びますね?」と、 ちゃっかり飛行の確認をして、いよいよ出発の17日です。

今年から、我が家の最寄り駅JR西宮駅前からも空港行きのリムジンが出ています。 海外旅行には極めて便利な環境になったのです。
朝のバスは、アメリカの航空機テロにも負けずに、勇敢にも命を賭ける乗客達でほぼ一杯です。(もちろん我々2名も同様です)

今回は、十分余裕を持って関空到着です。何しろテロの影響で荷物のチェック等時間がかかるかもと、万全の対応です。
手荷物検査は厳しかったものの、入出国カードも廃止になったせいか?チェックインもスムーズに完了し、いつもの通り出発案内の電光掲示板の前で記念撮影。
その後はゴールドカード専用ラウンジで、ゆったりとくつろぎます。
おっと、いつもここで調達する日本茶ティーバッグが、2〜3袋しか出ていません。
我々だけでなく、多くの方々がここで旅行中の日本茶を調達したと見えて、ラウンジ側も防御策として 常時2〜3袋しか出していないようです。

初めて乗るマレーシア航空、クアラルンプール行きのMH53便は、関空12:00(正午)発です。
ジャンボではなくA300で、座席も2−4−2でゆったりしており、我々も窓側2席を確保しています。
(窓側とはいっても、いつもの通り、なぜか翼の上なのですが・・・)

定刻よりやや遅れて、機はクアラルンプールに向け出発。約6時間半のブロイラータイムの始まりです。

・もっとガラガラかと思いきや、機内は95%位埋まっています。(やはり日本人が多い)

・マレーシア航空のスチュアーデスは、皆若くて可愛い。民族衣装風の制服もなかなかです。

・イスラム教の国の飛行機ですから、豚肉料理はなし。食事はチキンかビーフ限定です。(なかなか美味しかった)

・さすがテロの影響。食事にはプラスチックのフォークとスプーン、箸しかついていません。ナイフは無しです。

・介護疲れの妻、単なる年の私も共によく寝ます。でも、なぜか食べ物が来るとパッと起きて食べ、  食べ終わるとまた「グー、グー」。

KLIA(クアラルンプール国際空港)

マハティールのもと国威をかけたKLIA(クアラルンプール国際空港)着は夕方6時(日本時間7時)前。
二度目のKLIAですが、何にもないところに広がる大空港です。市内まで約70km。現在は陸の孤島状態です。 やむを得ず、お茶を飲んだり、お店を見て歩いたりして、4時間弱のトランジットタイムを過ごします。 (とにかくデッカイ空港なのは確かです)

メルボルン・アデレード行きのMH129便は、最新鋭のB747で乗客も多そうです。
出発時間が近づいたところで、突然に出発ゲートが変更になります。

今度のゲートはかなり離れたサテライトです。 機内手荷物扱いのキャリーを引っ張って新ゲートに向かうと、ムービングウオークに沿って長蛇の列が見えます。
「何事が起きたのか?」 我々も列の後ろの方に並びますが、列は遅々として進みません。 様子をうかがうと、どうやらゲートで徹底したチェックが行われているようです。

考えてみれば、イスラム圏から、早々とアメリカに対する全面協力を打ち出したオーストラリアに向かう飛行機です。 狙われても不思議はないわけで、徹底したチェックが不可欠なのでしょう。
センサー付きのゲート通過は当然として、赤ちゃんからお年寄りまで、例外無しの係員によるボディチェックがあります。 手荷物もX線検査の後、開けてチェックされ、女性の化粧ポーチの中も全て調べられます。 更にその後パスポートのチェックがあります。
何しろジャンボ機の乗客ですから、4〜500人近くいるわけで、いつ出発できるのか?時間は刻々と過ぎてゆきます。
もう一つゲートが開けられ、「こちらからもどうぞ」と言う声に、喜んで新しい列に並びます。 どうやらこの数ならチェックインは早そうです。
ところが、我々の前の20代(?)の男性は、色浅黒く、どうやらアラブ人らしい。 案の定、ゲートの屈強な係員達の態度が改まって、滅茶苦茶厳しいチェックが始まります。

このアラブ人のおにいちゃん、鈍くさいというか、運が悪いというか、手荷物のボストンバッグを開けると、 中からぼろ布に包まれた真鍮の古い燭台なんかが飛び出して、もう、大変。
「これは何にするのか?」「オーストラリアには何しに?」矢継ぎ早に厳しい質問が飛びます。 すべてバッグの中身が取り出されるうちに、銀色のプラスチックの袋の口を絞ってリボンをかけた、プレゼント風の品が出てきます。
「中身は何ですか?開けても良いですか?」一応了解を求めながらリボンが解かれます。 中からクッキーの丸い缶が現れます。「お土産なんです」という説明を聞きながら、 係員は蓋のシールのテープに剥がした跡がないかどうかを1cm刻みくらいに詳細にチェック。
すったもんだの末、やっとアラブのおにいちゃんはパスします。

さて、私たちの番です。係員達は緊張が解けたのか、飛行機が遅れるのを恐れたのか? 我々二人は手荷物も開けることなくパスです。
乗機してみると、くだんのアラブのおにいちゃんは、私たちのすぐ後ろの席でした。 後で隣の人と話しているのを聞くと、レバノン人でオーストラリアには休暇で行くところだとか・・・

長い長いトランジット・タイムの後、長い長いチェック・イン・タイムがあって、やっと、目的地メルボルンに出発できそうです。
最新鋭のB−747。エコノミーでも座席毎にTVゲームも出来るパーソナルTVが付いています。 ところが、やはりマレーシア航空(?)。スイッチが入らず見られないTVもあるのです。
現に窓から二席占めた私たちの隣通路側に座った中国系マレーシアンのビジネスマンは、 携帯端末で仕事をしたり、TVを見ようとしたり、色々やってましたが、TV故障で結局他の席と交換してもらっていました。 おかげで、私たちは3席を二人で気兼ねなく使えて、「ラッキー!」でした。

面白い映画を見たり、前の席のカップルが「スーパーマリオ」で遊ぶのを覗いたり、色々食べて、飲んで、眠っているうちに、 飛行機はオーストラリア大陸を斜めに横切って一路メルボルンを目指します。 飛行時間7時間半、クアラルンプールとの時差2時間です。

オーストラリア大陸の上空で、窓からすばらしい日の出を見ました。
何枚もデジカメで撮ったのですが、この記録媒体が後で読みとり不能になってしまい、結局日の出の写真を含め、 9/17〜18日のデジカメの写真はパアになりました。(ざんね〜ん!)


(to be cotinued・・・お話はこれからです。)

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