日本人でただ一人のF1での表彰台に登った男、鈴木亜久里のお話。 1990年、ラルース・ランボルギーニの鈴木亜久里、この年の日本グランプリでの 出来事・・・・確かに、スタート直後のセナとプロストの接触リタイア、ベルガーの スピンオフ、マンセルのギァボックストラブルで、2強のマクラーレンとフェラーリ が消えたとはいえ、亜久里は表彰台に登ったのは日本人でただひとり、この時終盤に ピットから、燃料が足りないと亜久里に無線が入ったそうです、だから、プッシュを やめて優しい走りにしなさいとの事、その時、亜久里はピットに向かって「なんで、 燃料が足りないのぉ〜」と聞いたそうです。 帰って来た答えが「周回遅れになると思って、その分の燃料しか積んでいない!?」 との答え??? チームとしては、マシンがまさか、亜久里がまさか、入賞なんて、まさかでもしない なんなら、トップとは1周遅れを想定し、52周分の燃料しか積んでなかった・・・ でもよかった亜久里は無事に3位表彰台でした。 さて本題 その亜久里が1995年に鈴鹿のS字コーナーの入り口で大クラッシュをして、ヘリ で病院へ搬送されたの、覚えている人も多いでしょう・・・ あの時の真相を亜久里の口から聞きました、2コーナーの立ち上がりでリミッターに 当たる時間がドライバーにとってのステータスなんだそうですが、あの時非常に調子 が良くて、結構長い時間、リミッターに当たってたそうなんです、LEDがパッパッ パッパッパッとついて行くのがきれいで見とれていたら、左のリアタイヤがコースを 2コーナーのアウト側のダートに落ちていた、「うん、あれは、単なるよそ見運転」 だそうです・・・・あはは、見ている方は、車のトラブルとか、いろいろと想像して いたのに。。。単なる、よそ見運転とは。。。。 まっ、みなさぁ〜ん、よそ見運転には気を付けましょう、だってプロドライバーでも 事故るんだものぉ〜 CSフジテレビ721 2000年F1バトルトーク より |