無声慟哭(抜粋)
「いい加減前ぐらい合わせろっ!破廉恥なっ!」 「おっと、すまねぇ」 宰蔵が顔を背けたまま怒鳴ると、往壓は可笑しそうに喉で笑いを噛み殺した。 面倒そうに袖へ腕を通すと、放っていた帯を手繰り寄せ適当に結ぶ。 「で?朝っぱらからこんな所までどうしたんだ?」 「何が朝だ。もうすぐ昼九つになる」 「…もうそんな時間か」 「竜導、大体お前はなー…」 にゃぁ〜 「あぁ?」 足許から聞こえてきた鳴き声に宰蔵が視線を落とした。 いつの間にか大きな黒猫が入りこんでいる。 大人しく土間へ座っている猫に往壓が苦笑を浮かべた。 「何だ?また水飲みにきたのか」 立て膝を崩した往壓は立ち上がり、水瓶から茶碗へ水を入れると、猫の目の前へ置いてやる。 猫は礼を言うように小さく鳴いて、差し出された水を美味しそうに飲んだ。 足許の猫と往壓を宰蔵が交互に眺める。 「竜導、猫なんて飼ってるのか?」 「飼ってる訳じゃねーよ。最近長屋に住み着いてる猫だ。たまにフラリと来ちゃー水を飲んで行くだけさ。まぁ、コイツのおかげで最近鼠は減ったな」 「ふーん…そうか」 水を飲んで満足したらしい猫は往壓を見上げて小さく鳴くと、また勝手気ままに出て行った。 「この辺りの鼠は旨いのかねぇ。あの猫…初め見かけたときは痩せ細ってたくせに、いつの間にか見る見るでっかくなった」 外を見遣って大欠伸を漏らす往壓を腕を組んだ宰蔵が呆れて眺めた。 「全く…そんな暢気に欠伸してる場合じゃないぞ」 「何かあったのか?」 「お頭がお呼びだ」 「小笠原さんが…ねぇ?」 往壓は僅かに視線を背後へ流す。 「何だ?不満か?」 「いや、そうじゃねぇよ。小笠原さんの呼び出しってことは…妖夷絡みか」 「そうだ。私は先に前島聖天へ行くからな。いつまでもだらしない格好をしてないで、さっさと顔洗って来るんだぞっ!いいな?」 「おいっ!アビは?声掛けたのか?」 出て行こうとする宰蔵を往壓が慌てて引き留めた。 往壓の声に宰蔵は敷居を跨いだまま振り返る。 「アビは江戸元がもう呼んだ。お前が最後だ。だから早く来い。お頭をお待たせするんじゃないぞっ!」 往壓に向かって指差して念を押すと、今度こそ宰蔵は走り去っていった。 「おーい…外した引き戸は戻せよなぁ」 仕方なさそうに肩を竦めた往壓は土間へ降りて、宰蔵に外された引き戸を嵌め直す。 敷居へ建具を合わせていると、背後の枕屏風がガタリと揺れた。 「…宰蔵は気付いちゃいねぇよ」 口端を上げて振り返ると、屏風を押し退けた放三郎が憮然とした顔で出てくる。 「竜導お前…頭の上に草履を放り投げることはなかろうっ!」 「隠す暇が無かったんでね。あの勢いじゃ何時宰蔵が踏み込んでくるか分からなかったじゃねぇか」 「そうやも知れぬが…」 「さすがに宰蔵にゃ目の毒だろうし…なぁ?」 放三郎の姿を眺めて、往壓は可笑しそうに肩を揺らした。 肩から半襦袢を引っかけただけの放三郎が、忌々しそうに舌打ちする。 予期せぬ宰蔵の来訪で、激しい遂情の余韻に耽っていた放三郎と往壓は、吃驚して身体を起こした。 狭い一間長屋の部屋では隠れる場所などあるはずもない。 大慌てで押し込まれた枕屏風の裏で、放三郎は声を殺してじっと隠れていたのだ。 「全く…人を間男扱いしおって」 「寝込み襲ってきたのはあんただろ」 「…訪ねてきた人の顔を見た途端、布団へ引きずり込んだのは誰だ?」 「最近の明け方は冷えていけねぇや」 「戯れ言を申しおって」 全く悪びれない往壓に呆れながら、放三郎は身支度を調える。 その間に往壓は布団を部屋の隅へ寄せて片付けると、火鉢の炭へ火を入れた。 水を入れた鉄瓶を五徳へ置いて放三郎を見上げる。 意味深な笑みを双眸に閃かせる往壓に、放三郎は眉を顰めた。 「………何だ?」 「来訪の本意は?逢い引き?それとも…」 「呼び出しだっ!」 放三郎が真っ赤な顔で往壓の頭を殴りつける。 痛みで頭を抱える往壓の傍らに、放三郎は怒りのまま腰を下ろした。 ちらりと恨めしそうに見つめてくる往壓を、放三郎は睨み返す。 「殴るこたぁーねぇだろ」 「馬鹿なことばかり申すからだ」 「今更照れるような仲じゃねぇし?」 「照れてなどおらんっ!」 「はいはい」 火箸で灰を掻く訳知り顔の往壓に放三郎は再度拳を握るが、ふと我に返って怒りを解いた。 いちいち楽し気に若輩な放三郎の青さをからかう往壓へ殊更むきになる必要もない。 「とにかく。前島聖天へ早く参れよ」 刀を掴んで立ち上がろうとする放三郎の袂を往壓が引き止めた。 「まぁ、座わんなよ。茶を一杯飲むぐらいはいいだろ?どうせ行き先は一緒なんだ」 「竜導…」 「それにしても。妖夷の噂なんざ聞かねぇが」 妖夷が現れれば明らかに『気』が変わる。 異界との歪みを往壓は誰よりも敏感に察知するのだが。 「かもしれん、ということだ」 「あぁ?」 |
はい、寸止め。
続きのエロエロは本をお買い求め下さ〜い、宜しくね。