暗黙情事2(抜粋)


「おいっ!元帥っ!目ぇ開けて寝てんのかよっ!」
「は…はい?」
「ったく…掃除終わったから下りて良いつってんの」

既に割烹着を脱いだ捲簾が咥え煙草で一服している。
「やれやれ。漸く終わりましたかぁ〜」
「…誰のためにしてると思ってんだよ、コラ」
「お腹空きました」
「あ〜はいはいっ!メシなメシッ!何が食いてーの?」
「チャーハンに餃子に海老シュウマイにタマゴスープにチンジャオロースに鶏とカシューナッツの炒め物にチマキにアワビの姿煮と〜」
「…どんだけ食う気だ?」
「貴方の料理はどれもこれも絶品ですから」
「お褒めに与り光栄至極」
「あ、デザートはツバメの巣のココナッツスープかマンゴープリンでお願いします」
「満願全席でも作らせる気かよ…」
「まぁ適当にお願いします」
「ご期待に応えましょ。つーかいい加減机から下りたら?」
天蓬は未だ机の上でしゃがんだまま動こうとせず、ヘラッと愛想笑いを浮かべた。
捲簾が不審気に眉を顰めると。
「………足が痺れて動けないんです」
「はぁ?」
「こんな狭い所にずーっと座ってたので痺れちゃったんですよっ!」
「…世話が焼けるなぁ」
「誰のせいだと思ってるんですかっ!」
「掃除しねーあんたのせい」
「うっ…」
逆ギレして喚く天蓬をあっさり黙らせると、捲簾は天蓬の脇へ手を差し入れ軽々と持ち上げた。
そのまま運んでソファへ座らせる。
「コーヒー煎れ直してやっから、メシ出来るまで待ってろよ?」
「…何だか寝ちゃいそうなんですけど」
「あ?まぁーた本読んで寝てねぇのかよ」
「いえ…その…」
図星を突かれて歯切れ悪く視線を泳がせる天蓬を睨んでから捲簾が少し考え込む。
「ちょっと待ってな」
天蓬にそう告げると、捲簾はキッチンの方へ消えていった。
言ったとおりに程なく茶器を持って戻ってくる。
ローテーブルへ茶器を置くと、天蓬が興味津々で覗き込んだ。
「お茶ですか?」
「いんや、漢方。昂ぶってる神経を鎮静させる効果とか、目の疲労にも良いんだよ」
「へぇー…貴方が漢方に詳しいなんて初耳ですね」
「武神将として嗜み程度はな。出陣中に必要なら現地調達が基本だろ」
「成る程…ところでどんな漢方なんです?」
「さぁ?名前は知らねぇ。俺も下界の人間に効能を教えて貰っただけだし」
「…そんな不確かなモノを僕に飲ませようと?」
天蓬が厭そうに顔を顰めると、捲簾は苦笑混じりに肩を竦める。
「効き目は確かだって。俺も東方軍に居たときは他の連中にも飲ませたし」
それでも納得できない天蓬は、急須の蓋を開けて鼻を近づけた。

匂いは悪くない。
熟れた甘い果実のような。

「味も悪くねーよ。ちょっと舌に渋みが残るけどな」
捲簾は急須を手に取ると、グラスへ中身を注ぎ込む。

濃く深い、血が酸化したようなエンジ色。

「何か…スゴイ色ですねぇ」
「いかにも効きそうだろ?」
「確かに…」
「まぁ、飲めよ」
「はぁ…」

カップを差し出された天蓬は、恐る恐る口を付けてみた。
口中に広がる爽やかな甘い味。
確かに味に癖はなく、舌に残る渋みも気になるほどではない、が。
一口飲んだ天蓬はカップを見つめて瞠目した。

この味、知っている。

「どーした?」
「僕…この味に覚えが…何でだろう?」
「ふーん…」
「初めて飲んだはずなんですけど。何処で…」
困惑する天蓬に、捲簾は微かに笑みを浮かべた。

二度目だから知っていて当然だ。

「捲簾が下界の人間から教わったのを僕が知るはずもないし…」
「東方軍でも俺の隊に居た連中しか知らねーよ」
「東方…軍?」

天蓬の脳裏で何かがざわめいた。
下界への出陣は軍によって警戒領域が分かれているため、同じ地へ同時に降りる事はない。
連携して任務を遂行するのは、他軍から応援要請を受けたときのみ。

応援…東方軍?

記憶の欠片が僅かに蘇る。
「ずいぶん前に…ウチの軍が東方軍へ応援要請したことがありましたけど」
あの時、白竜王の応援要請で派遣されてきた小隊の隊長は。
「この実な。磨り潰して傷口に塗れば麻酔の効果もあるんだよ」
「僕は妖獣に弾き飛ばされた勢いで崖から落ちて、意識がもどった時は全て片付いてたと…」
「…ココに来てあんたは俺と会うのは初めてだけど、俺は初めてじゃなかった」
捲簾の告白に、天蓬は手を叩いた。
「そうだ…確か捲簾大将隊だってっ!」
「そーゆーこと」
可笑しそうに捲簾が口端を上げると、途端に天蓬が眉間に皺を寄せる。
「まさか…そんな前から貴方に貸しがあったなんて」
「時効なんかねーから何時でも返してくれていーぞ?」
「うっ!また焼き肉ですか?」
焼き肉屋での豪快な食べっぷりを思い出して、天蓬が頬を引き攣らせた。
今月は新しい本を大量に発注かけてしまったので、懐的にかなり厳しい。
どうしようかと煩悶していると天蓬は、捲簾が身体を寄せてきたのに気付かなかった。
フッと天蓬の顔に影が落ちる。
唇に触れる濡れた感触に、驚いて目を見開いた。

捲簾の熱い舌が、ゆっくりと天蓬の唇を舐める。

驚愕のあまり硬直していると、捲簾の掌が頬を包み込んだ。
いつもと変わらない精悍な男の顔なのに。
双眸を眇めて微笑む表情は艶やかな色香を放って扇情的だ。
無意識に天蓬の喉が生唾を飲み込む。

「何なら身体で返して貰おうか?」
「捲簾大将…っ」
「捲簾、だ。天蓬」

掠れた甘い吐息ごと名を呼ばれ、天蓬の鼓動が大きく跳ね上がった。
覚えのある熱がジワジワと腹の奥で燻り出す。
今まで男に欲情したことなど無かった。
だけど。
目の前で淫靡に微笑む捲簾の蠱惑に逆らえない。

「天蓬…おいで?」

天蓬は目の前の男を掻き抱くと、衝動のままに唇へ噛みついた。