打つも果てるも火花のいのち【跋】(抜粋)
もう二度と逢えないから。 だから、あの時一度だけ触れて諦めた。 逢えなくても声が聞けなくても、それでも。 ずっとずっと天蓬のことを想って生きていこう。 きっと愛せるのは天蓬が最初で最後だ。 天蓬へ自分を与えた時から報われない想いだった。 自分はもう大人で。 天蓬は将来を嘱望されている前途輝かしい少年で。 どう考えたって二人の未来が交じり合うとは考えられなかった。 本当は笑って突き放したかったけど、出来なくて。 眠っている穏やかな天蓬の顔を忘れないよう瞳に焼き付けて、そのまま置いて出て行ってしまった。 本当は、怖かったから。 もし天蓬が目覚めて自分に笑いかけたら、きっともう手放せなくなる。 まだ何も知らない天蓬の将来を握り潰すのなんか簡単だ。 そういう意味で、捲簾は既に軍内部の情勢に通じている。 だけど。 そんなことをしてしまうだろう自分を何より嫌悪した。 きっと自分自身を永遠に許せないだろう。 どんなに欲しくても、どんなに願っても。 自分のモノに出来ないなら捨てるしかなかった。 そう。 俺はあの時天蓬を捨てたんだ。 天蓬と離れてから随分長い時が経っている。 まだ未成熟だった少年も、今では見違えるほど大人に成長しているだろう。 きっと何もかもが変わっているはず。 姿も、声も、想いも。 ソレを目の当たりにして思い知らされるのを、捲簾は何より一番怯えていた。 愛しているのは自分だけだと絶望したくない。 逢わなければ捲簾の天蓬はずっとあの頃のままだったから。 「…なーんて。大概俺も女々しいよな」 いい加減さっさと覚悟を決めるしかないだろう。 天蓬が今どう想っているかなんて関係ない。 今でもずっと天蓬を愛している。 あの時天蓬が自分を愛してくれたから、じゃない。 天蓬を愛してる理由なんか最初から無かった。 「ま、それに。グダグダ考え込んでても『俺の天蓬』じゃねーかもしんねーし?」 冷静に考えれば、まずありえない。 あのマイペースで物臭だが意外と頑固で直情傾向な天蓬が、高慢な上級神達の中で上手く立ち回れてるとは考え辛い。 そういう意味で出世とは無縁そうだ。 ましてや自分の階級さえ飛び越えて、最上級士官の元帥職なんて。 たまたま天蓬と同じ名前と言うだけかもしれない。 「俺ってバカみてぇに動揺しちまって…読みは同じだけど字まで確認しなかったしなぁ〜っと」 軽い口調で自分に言い聞かせながら回廊を進むと、漸く元帥閣下がいらっしゃるという部屋まで辿り着いた。 さすがにまだ執務中のせいか辺りは静まりかえっている。 捲簾は僅かに緊張しつつ、目の前の扉を軽くノックした。 しーん。 返事はおろか反応さえ返ってこない。 捲簾は緊張で身体中に入っていた力を一気に抜いた。 「何だかなぁ…違う部屋か?この部屋だってきーたんだけど留守か…お?」 試しにドアノブを捻ると鍵は掛かっていない。 とりあえず居るかどうか確認しようと、捲簾が無防備にドアを開けた。 ざざざざざざーーーっっ! 轟音と共にドアを破壊し、部屋の中身が一気に雪崩出てくる。 構えていなかったおかげで、捲簾は膨大な書物とガラクタの津波に飲み込まれてしまった。 どうにか身体の上の物を跳ね除け、その場に愕然とへたり込む。 事務官が教えたのは元帥の物置だったのか。 呆気にとられていると、視界の隅に何かが入った。 視線を向ければ、積み重なった書物の間から手が覗いている。 中から一緒に雪崩れてきたのか、はたまた自分のように巻き添えを喰らったのか。 捲簾は溜息を漏らしながら、埋まってる辺りの書物とガラクタを適当に取り除いた。 すると。 「てん…ぽ…?」 捲簾は思わず息を飲む。 中から現れたのは類を見ない美麗な男、だ。 その容貌に捲簾の鼓動が大きく脈打つ。 透き通るような白い肌に艶やかな少し長めの髪。 今は閉ざされているその長い睫に縁取られた瞼の奥には、深いラベンダー色の宝珠が嵌めこまれているはず。 どれもこれも捲簾の記憶と寸分違わない。 ただ記憶より体躯は逞しく、しなやかに成長していた。 名前を呼びたいと焦るばかりで、捲簾は声を詰まらせる。 触れたくても指が震えて動かない。 ぽっかり。 突然目の前で倒れている男が目を開けた。 身体の上の書物をそのままに勢いよく起きあがると、ぼんやり頭を掻いている。 捲簾が瞬きも忘れて見守っているのに気づいたのか、男はゆっくり視線を合わせた。 どうやらまだ寝惚けているらしい。 久しぶり。だとか、随分大きくなったなぁ。とか…逢いたかった、とか。 色んな言葉が脳裏で錯綜する捲簾に、男が漸く口を開く。 「………で?貴方は?」 捲簾は溢れ出そうになった沢山の言葉と想いを、そのまま苦々しく飲み込んだ。 |