あなたへの月(猫てんのわがまま)



明けて翌日。
捲簾は早起きしてピクニック用のお弁当を用意してから一旦仕事へ出かけた。
スケジュールと現在受注している業務の進捗を確認し、社員達へ指示を出してから昼前に帰宅する。
急な休みに対して社員達は不平を言うこともなく「任せて下さいっ!」と頼もしい返事と共に、事務所から送り出された。

「ただいま〜」
「にゃっ!」

自宅へ戻れば愛猫はすっかり準備万端。
いつものお出かけスタイル、白衣に風呂敷バッグを背負い、玄関で捲簾の帰りを待ち構えていたようだ。
出かけるのを待ちきれず、ソワソワと長い尻尾を振り回している。
早く早くと言わんばかりに、前足でペシペシ叩いて捲簾を即した。
「分かってるって!ちょっと荷物持ってくるから待ってろよ」
「うにゃんっ!」
捲簾はダイニングへ入ると、朝テーブルに用意しておいたお弁当の入っているバスケットを手に取る。
もう一つのトートバッグにはレジャーシートと水筒が入っていた。
「あとは…オッケーだな?」
てんぽうが強請ったおやつは、ちゃんと風呂敷バッグに入れてある。
「お待たせ〜、出かけよっか?」
「にゃっ!」
元気良く返事をする猫を、捲簾は片手でヒョイッと抱えた。
猫はそのまま捩り昇って、捲簾の肩へ乗っかり直す。
「鍵は持ってるし、他に忘れモンねーよな?」
「うにゃ?」
捲簾は周囲へ視線を巡らせ荷物を再度チェックした。
折角のピクニックだ。
用意していたのに何か忘れたりしたら、楽しい気分も半減するかも知れない。
猫も首を傾げて考え込んでいるが、コレと言って思い浮かばないようだ。
「あ、そっか。いちおうリードは持って行った方がいいよな?」
「にゃぅ?」
捲簾は玄関先にぶら下げてあった猫用のリードを取ってトートバッグへ入れる。

猫は猫でも中身は天蓬。

どこか逃げる訳でもないのでリードは必要ないが、世の中の大多数はそう思わない。
希に猫が苦手な人もいるので、犬同様リードをしておいた方が余計なトラブルは起きないはず。
それに出かけた公園で捲簾同様、ペットを連れて遊びに来ている人達も居るだろう。
そんな時相手のペットがてんぽうに向かって威嚇や襲いかかってくる危険が無いとも限らない。
てんぽうの為にもとりあえずはリードをしていた方が安心だということだ。
捲簾の心情を猫も充分理解しているので、動きづらいがリードを付けられても文句は言わない。
「さてと、出かけっか!」
「にゃーっ!」
レッツゴーと前足をビシッと突き上げる猫に微笑みながら、捲簾はマンションの駐車場へ下りていった。






てんぽう曰く『デート』の場所は、車で10分ほど走った場所にある区営公園だった。
少し前に出来たばかりのソコは、ドッグランや広い芝生の敷地もあるペットと暮らす人々には最適の遊び場所になっている。
今日も平日昼前にもかかわらず、ペット連れの人達を結構見かけた。
公園の駐車場へ車を止めた捲簾は、いちおう猫用リードを首に掛ける。
「苦しくねーか?」
「にゃっ!」
大丈夫だと猫は頷くのを確認して、捲簾が座席のロックを解除した。
「そっち回ってドア開けてやるから」
捲簾は荷物を持って車から降りると、助手席側へ回ってドアを開ける。
少し半身を屈ませれば、ぴょーんと慣れた身軽さで猫が肩へ飛び移った。
駐車場を見渡すと割と車が止まっている。
「平日なのに…遊びに来てる人多いんだなぁ」
「うにゃぁ〜」
「確かに天気いいからのんびりするにはもってこい、か?」
「にゃう〜」
捲簾は猫と話ながら、ゆっくり遊歩道へ入っていった。
桜の木が植樹され、もう少し立てば壮観な景色になるだろう。
少し先には梅の花が綻んでいる。
「こんな近場に良いトコ見つけたな、てんぽう?」
「うにゃんっ!」
歩いてる途中にあった案内板を確認すると、もう少し歩けば芝生広場があるらしい。
「てんぽう腹減ったか?」
「にゃっ!」
「そっか。広場に着いたら昼飯にしような?」
「にゃぁ〜」
遊歩道ですれ違う人達がてんぽうを眺めて一様に目を丸くした。
犬ならまだしも、猫で服を着て尚かつバッグまで背負っているのが珍しいようだ。
みんながニコニコと近寄ってきて、猫の頭を撫でていく。
満更でもない様子の猫は、愛想良く喉を鳴らしたり話しかけられて返事をしたり、ご機嫌に尻尾をプンプン振っていた。
そうして何人かとすれ違いながら歩いていると、視界に一面の緑が開ける。

「うっわー…ひっれぇ〜」
「うにゃー…」

あまりの広さに、捲簾と猫はぽかーんと呆けてしまった。
ちょっとしたサッカー場なら軽く3面は取れるだろう広大な敷地。
一面青々とした芝生が敷き詰められ、あちこちでペット連れの家族達がお弁当を広げて楽しそうだ。
フリスビーに向かってダッシュする大型犬も何頭か遊んでいる。
歩道脇に転々と生えている緑葉樹の木陰はどこも満員御礼だった。
捲簾はキョロキョロと広場を見渡し、まだ誰も場所を取っていない少し小さめの木を見つける。
「てんぽう、あそこにしよっか?夏みたいに熱中症の心配はねーけど、木陰の方がいいからな?」
「にゃにゃっ!」
少し足早に空いてる木陰まで近づいて、捲簾が持っていた荷物をその場へ下ろした。
トートバッグからレジャーシートを出すと、大きく広げて荷物で固定する。
「さてと。メシの準備するから待ってろ…よ?」
捲簾はお弁当の入ったバスケットを開けながら、下ろした猫を振り返った、が。
何だか様子が変だった。
ぐぐぐーっと背中を伸ばして腰を上げ、ご自慢の尻尾がピンと立っている。
一体何をする気なのか?
「おい、てんぽう?」
捲簾が声を掛けた途端。

「うにゃああああああああーーーーーっっ!!!」

猫が白衣を翻し、物凄い勢いで猛ダッシュして行った。
あっという間に広場の端まで走り去る。
あまりに唐突すぎて、捲簾は唖然と小さな身体を見送ってしまった。
少しすると今度は。

「うにゃにゃにゃにゃにゃにゃああああーーっっ!」

同じ勢いでまた捲簾の元へ走り戻ってきた。
「てんぽう…お前何しちゃってんの?」
興奮気味にフンッ!と鼻を鳴らす愛猫を、捲簾が呆然と見下ろす。
しかし。

「うにゃああああああーーーーんっっっ!!!」

捲簾が引き止める間もなくまたもや絶叫しながら、猫はドドドドドーッと広場の端まで全力疾走していった。
広場を走っていた他の犬達もビックリしたのか、猛然と走り去る猫をきょとんと見送っている。
「にゃぁーんっっ!!!」
と、遠くの方で得意気に跳ね上がる猫が陽射しの中でキラリと光った。
それはそれは楽しそうに見える。
「………運動不足?んな訳ねーだろ、おい」
捲簾は眉間へクッキリ皺を刻んだ。

猫は犬のように散歩の必要はないし、それほどの運動量も必要じゃない。
しかしてんぽうの中身は天蓬。
れっきとした人間だ。
本体の天蓬は出不精で面倒臭がり屋で、趣味は読書と不健康極まりない生活を送っていたが、身体を動かすこと自体が苦手な訳ではなかった。
捲簾の様に身体を動かすことが好きで日々トレーニングを欠かさないという訳じゃないが、気が向けば本持参でジムへ通ってバイクを漕いだり、軽い筋トレは日課にしていたはず。
そうじゃなければ平然と自分より体躯のいい捲簾を軽々と抱き上げ、あまつさえベッドへ押さえ込むなど無理に決まってる。
猫になって捲簾宅へ居候してても、夜は腕立てやら腹筋を欠かさずしていた。

…それプラス、スキンシップ以上の夜の過度な運動。

それでも天蓬には充分な運動量じゃなかったようで。
とりあえず飽きるまで好きにさせておこうと、捲簾は嬉々として走り回る猫をそのままに、昼食の準備を始めた。






「おーい、てんぽー!メシの準備できたぞ〜」
広場をグルグル走り回ってる猫へ、捲簾は声を掛けた。
「にゃ?」
気付いた猫が振り返り、ウキウキ跳ねながら捲簾の元へ戻ってくる。
「にゃふぅ〜」
「お疲れ。走り回ってストレス解消になったか?」
「にゃっ!」
コクリと猫は頷いてシートの上に座ると、背負っていたバッグを後ろ足で叩いた。
「はいはい。おやつを下ろすんだな?ほら、前足貸して。泥拭いてやっから」
捲簾に言われて猫は素直に前足を交互に差し出し、お手ふきで泥を拭って貰う。
そして目の前に小さなカゴが差し出された。
「うにゃ?」
「ま、ピクニックだしな?いつもの猫缶やカリカリエサじゃ味気ねーと思って」
パカッとカゴを開ければ、可愛らしいサイズのおにぎり弁当が現れる。
オカズも猫用に薄味に調理された肉団子や煮魚の肉と魚中心で、プラス天蓬の大好物だし巻き卵。
おかかを塗した俵おにぎりがちょこんと入っている。
「にゃぁー…vvv」
猫の瞳が嬉しそうにキラキラと輝いた。

ぼたぼたぼたーっ!

「…てんぽう、涎」
「にゃう〜んvvv」

猫が前足で濡れた口元を拭うのに苦笑しつつ、捲簾は用意したお皿の上へお弁当をカゴから出してやる。
「ほら、食えよ」
「うにゃぁ〜」
捲簾に即されて、猫は肉団子へ齧り付いた。
美味しそうに猫が食べ始めるのを眺めて捲簾は微笑む。
自分もお手製三角おにぎりを豪快に頬張った。
冬から春へ変わり目の空は、幾分高く澄んでいる。
心地よくそよぐ風も思ったより寒さは感じなかった。
「なーんか…久しぶりだなぁ。こんなのんびりすんの」
「にゃ?」
捲簾のつぶやきに猫は皿から顔を上げると、ラベンダー色の瞳を瞬かせる。
その途端。
捲簾が思いっきり噴き出した。
「おまっ…何で口ん中に弁当溜め込んでんだよっ!リスじゃねーんだからっ!」
猫の頬は詰め込まれたお弁当でポッコリ膨らんでいる。
ゲラゲラ笑い転げる捲簾を横目に、猫はもごもご口を動かし詰め込んだお弁当を漸く飲み込んだ。
「ほい、水」
持ってきた容器へミネラルウォーターを注ぎ、猫の方へ差し出してやる。
「そんな慌てて食わなくたって誰も取らねぇっての」
「…うにゃん」
がっついてしまったのがちょっと恥ずかしかったらしい猫は、そっぽを向いて顔を洗い出した。
「急がねぇんだから、もっとゆっくり食えよ。消化に悪いだろ?」
「にゃっ!」
猫はコクンと頷いて、またお弁当を食べ出す。
捲簾の分までそっと前足を出して横取りしようとしたり、笑い合ってついついご飯に噎せ返ったり。
にぎやかな昼食時間を捲簾は愛猫と楽しんだ。
美味しいお弁当を充分堪能してから捲簾と猫が満腹のお腹をさすって、シートの上へゴロンと転がる。
並んで雲一つ無い空をぼんやりと見上げた。

「いー天気だなぁ」
「にゃぁ〜」
「何か腹いっぱいで眠くなってこねー?」
「うにゃん」

仰向けに横たわる捲簾の上へもそもそと猫が乗り上げてくる。
「どした?やっぱ寒いか?」
「にゃっ!」
そんなこと無いと猫は首を振った。
小さな頭を捲簾は指先で撫でる。

「なぁ…てんぽう」
「にゃ?」
「また…いつか…こうやってのんびりしたいなぁ」
「うにゃ〜」
「一緒に来れると…いいよな?」
「にゃ…」

捲簾が儚い微笑みを浮かべた。
その視線は猫を通り越して、もう一人の自分へと向けられているようだ。
「うにゃっ!」
猫は何度も何度も、力強く頷く。
捲簾へ、そして自分へも言い聞かせるように。
何度も、未来へ向けて。

絶対絶対また来ましょうね?
今度は桜の季節に、僕と捲簾で。






「…あともう少しだけ、待ってて下さいね?」
「え?」
ぼんやりと空を眺める捲簾へ、天蓬が車椅子の上から声をかける。
ベンチに座る捲簾の前へ回ると、そっと両手を差した。
捲簾が戸惑いながら少し冷たい掌に触れると、強く握りかえされる。
「僕リハビリ頑張りますから。早く自分で立ち上がれるようになって、歩けるようになって。そうしたらまた一緒にお弁当持ってあの公園へピクニック行きましょうね?」
「てん…ぽ…っ」
「今度の桜は無理そうですけど、次の桜の季節までには…きっと捲簾を抱き上げられるようになってますからっ!」
「ばーか…無茶すんじゃねーよ」
捲簾は一瞬顔を顰め、それから鮮やかな笑みを浮かべた。



Back