Original Sin(抜粋)


西方軍の出征まで後3日。
軍の待機所は、朝からけたたましい喧騒に包まれていた。
顔面蒼白で顔を引き攣らせ、捲簾大将はじりじりと壁際へと後ずさる。
「ヤだ…俺はぜってぇヤだかんなっ!」
大声で喚き散らして、前方を睨み付けた。
「何子供みたいなこと言ってるんですか。コレは今回出征する者全員に課せられる最重要命令です」
天蓬は大げさに肩を竦めながらも、じわりと捲簾へにじり寄った。
その口調は真剣で厳しいが、何故か天蓬は満面の笑みを浮かべている。
あまりの不気味さに、捲簾はますます逃げながら身体を強張らせた。
ニッコリと微笑む天蓬の右手には、何故か注射器が握られている。
細い針の先から薬品をピューっと楽しそうに2〜3度噴き上げた。
「今回の妖獣は中々やっかいなんですよ。捲簾も調査報告書には目を通したでしょ?」
「見た…見たけどなっ!それと注射が何の関係あるんだよ!」
捲簾はすっかり怯えながら壁に貼りついて、じわりと壁伝いに入口へと移動していく。
「ですから、これは妖獣対策の必需品なんですよ。今回の妖獣は長く鋭い爪や牙から猛毒を出しますから、万が一の保険を掛ける意味で、全員にワクチンを投与しているんです」
相変わらず笑顔のまま、天蓬はゆっくりとした足取りで捲簾を追い詰めてきた。
何故そんなに楽し気なのか?
捲簾は益々顔色を悪化させ、恐慌状態に陥る。
「俺は絶対にヤだっ!」
「何でそんなに嫌がる必要があるんですか?たかがワクチン注射ですよ〜?」
捲簾は壁にへばり付きながらブンブンと勢いよく首を振った。
極限まで追い詰められた精神状態は崩壊寸前。
心なしか瞳さえ潤ませている。
「俺は…俺はガキん頃から、注射が大っキライなんだよっ!」
プツンとキレた捲簾が天蓬に向かって大声で喚き散らした。
「…はい?今、何ておっしゃいました?」
天蓬は立ち止まって、まじまじと捲簾の顔を見つめる。
「だからっ!注射が大っキライなの!それ以上にお前が打つ注射なんて、真っ平ゴメンだっ!」
真っ赤な顔で捲簾は恐怖を訴えた。
捲簾の言い訳を聞いた天蓬は、さすがにポカンと呆けてしまう。
今時身体の大きいイイ歳した大人が、それも軍に所属している武人で闘神並に勇猛果敢だと自他共に認める捲簾大将ともあろう人が!

「もしかして…注射がコワイんですか?捲簾」

ボソッと核心を突く天蓬の声に、捲簾は大袈裟なほど飛び上がった。
次いで羞恥に真っ赤な顔をして眉を顰め、プイッとバツ悪そうに視線を逸らす。
「ぷ…ぷぷっ!」
幼い子供が拗ねた様な捲簾の態度に、天蓬は我慢しきれずに噴き出してしまった。
そのまま身体を屈めて肩を震わせる。
「んな笑う事ねーだろうっ!チクショーッッ!」
あまりの恥ずかしさに身体中を朱色に染めて、捲簾は避難した壁際に貼り付いたまま天蓬へ喚き散らした。
子供だろうが大人だろうが怖いものは怖い。
捲簾の場合、注射に関して拭いきれないトラウマがあった。