プロパガンダ(抜粋)


四方八方を塞ぐ静寂な暗闇。
月や星さえ覆い隠された、深い森の奥。
獣の声さえ聞こえない、外界から隔絶されたような場所だった。

「ああ、心配ねーって!とにかくコッチで追いつめた妖獣の封印は完了したから。一応暗くなる前に周辺の調査もしたけど、取りこぼしも無いみてぇだしさ」

森の奥には崖があり、ぽっかりと口を開けた洞窟があった。
捲簾は無線機を片手に、状況確認の通信を本陣へと入れている。
「とにかく、すっげ〜真っ暗けなのよ〜。1m先も見えねーって感じ?だからソッチには夜が明けてから合流するわ。小隊長を中心に各隊結界の警戒だけは怠らねーで、適当に休んどけ。ああ、俺も天蓬も無事だから…ピンピンしてるっつーの!」
連絡を入れる捲簾の傍らで、天蓬は岩を背にしてぼんやりと煙草を燻らせていた。
「そんじゃな!」
捲簾は右手で通信を切ると、無線機をポケットへ無造作に突っ込む。
「アッチは問題ねーってさ」
肩を竦めながら捲簾は口端を上げた。
チラッと視線を向けながら、天蓬はこれ見よがしに深々と溜息を吐く。
「本陣は…ね」
捲簾の左手に視線を止め、天蓬は不愉快そうに眉を顰めた。
グローブの外された手には、赤黒く変色した包帯が無造作に巻かれている。
血の気の失せた白い指は、ピクリとも動かない。
捲簾の左腕は、力無く地面に下ろされたままだった。
「そういう元帥閣下も、随分と男前上がってるじゃん」
天蓬は軽口を叩く捲簾へ、冷ややかな視線を向ける。
その肩口には捲簾と同じく包帯が巻かれていた。
いつもはキッチリ着込んでいる軍服も、適当に肩へと引っ掛けられている状態。
明らかに双方とも怪我を負っていた。
「一体誰のせいで、今のこの不本意な状況に陥ってると思ってるんですか?」
天蓬が溜息と共に不機嫌な声を吐き出す。
「え〜っとぉ……………俺?」
全く悪びれない捲簾の態度に、天蓬の眉が跳ね上がった。
唐突に組んでいた脚を伸ばして、目の前の捲簾を蹴りつける。
「おわっ!テメッ…いきなり何すんだよっ!」
「言って分からない人には身体で教えないと、ねぇ?」
「何の話だぁ?」
本気で分からないのか単にとぼけてるのか、捲簾が不思議そうに首を傾げると、ますます天蓬の双眸が物騒に眇められた。
「僕の作戦を無視して、無謀にも一人で妖獣の群れに突っ込んで行った大馬鹿野郎は、何処のどちら様でしたっけ?」
苛立たしさを隠そうともしない天蓬の声に、捲簾は悪びれもせずに小さく肩を竦める。
「妖獣全部封印できたんだから、結果オーライだろ?それに死者はおろか怪我人だって最小限で済んだんだし…」
天蓬は傍らに落ちていた石を拾い上げると、捲簾に向かって力任せに投げつけた。
石は捲簾の頬を掠め、後ろの岩へ当たって砕け落ちる。
「めっずらしぃ〜。沈着冷静な元帥閣下がブチ切れるなんて〜結構レアかもぉ〜♪」
「…それ以上軽口叩くと、その口に銃口突っ込んで打ち殺しますよ?」
「出来ねークセに…」
捲簾は真っ直ぐと天蓬を見つめて不適に頬笑んだ。
こんなくだらない押し問答に、柄にもなく頭を沸騰させて。
天蓬は忌々しげに舌打ちした。

どうかしているのは自分でも分かっている。

作戦中に捲簾が単独行動で暴走するのも、いつものことだ。
分かってはいたけど。
ただ、目前に飛び散る捲簾の鮮血があまりにもキレイで。
戦地を傍若無人に駆け抜ける、その姿が退廃的に美しすぎて。
見惚れるよりも先に身体が動いていた。
一人先陣を切って駆け抜ける後ろ姿を、必死に追いかけて。
気が付けば自分も何かに飢えたように、銃を撃ち続けていた。
妖獣封印の作業をしていても、身体中の血が熱くざわめいて治まらない。
逆巻く奔流を自分でも持て余し、平素と変わらない態度の捲簾へと些細なことで八つ当たりしてしまう。

これは、一体何なんだろう?

身体も頭も異常な程興奮していた。
こんな感覚は初めてで、天蓬はただ戸惑ってしまう。
かといって目の前のオトコに縋るのだけは死んでもゴメンだ。
他人に弱みを晒すなど、屈辱的な真似はしたくない。
天蓬は訳の分からない苛立ちをやり過ごそうと、硬く瞳を閉じた。
そんな頑なな天蓬の姿に、捲簾は苦笑を漏らす。
天蓬が俯いていると、周囲の空気がゆらりと蠢いた。
ゆっくりと捲簾が近づいてくる気配を感じる。
目の前まで来ると、捲簾は一端動きを止めた。
天蓬を取り巻く空気が温度を上げる。

その捲簾の温度を。
湿度を不快に感じないのは何故だろうか。