私の部屋には、そこかしこに絵が飾ってある。
どれも贋物の安い絵だけれど、シャガールとクリムト、そして笹倉鉄平。
シャガールとクリムトは私の好みではないが、頂きものなので有り難く飾ってある。学生時代の私は美術館やギャラリーに足を運ぶのが大好きだった。
学校が市街地にあったのを幸いに、早く授業が終わった日や、バイトの時間までまだ間があるときはたいていウィンドーショッピングをして、そのついでに絵を見て帰った。
当時はバブルの最盛期で、どこのギャラリーへ行っても、若く、金も持っていなそうな小娘にローンで絵を薦めるのが当然といったかんじで、80万とか100万とか、その当時にしては手頃?な絵を良く薦められた。3年もたてば資産価値は倍になりますよとおきまりのようなセールストークを一方的に進め、近くの金持ちそうな若い夫婦も高い絵を平気で買っていた。
バブルの頃の社会人は金を持っている事が当たり前だった。そして正常な消費感覚をもってしても消費されなかった金は、美術品や骨董品に流れ、しかもそれを資産価値として認めているおバカな人も、また当たり前だった。
自分が見て美しいと感じる絵、心を落ち着かせてくれる絵。
そんな美術の原点より先に、将来値上がりするかしないかという基準で絵を売買する人ばかりなのに辟易し、反面、情報が氾濫し、こんな小娘でも美しい絵を美術館に行かずともそこかしこで気軽に楽しめるという事は、私にとって非常に嬉しい事でもあった。
19歳の春、いつものように三越の画廊で新しい絵を物色しているとき、私の目は壁に掛かった1枚の絵に深く引き寄せられた。
美しい絵はたくさん見てきたのに、その瞬間、まさに目が釘付けになったというのは、後にも先にもその絵だけで、初めての、とても新鮮な衝撃を受けた。
それが、私と笹倉鉄平との出会いだった。
その絵はシルクスクリーンで、名前を「日溜まりのレストラン」といった。(当時のお値段は105万円)
毎日寝ても覚めてもその絵が頭から離れなかった。
それから足繁く三越に通っては、値段の上がっていくその絵を前にため息をついた。
この絵は青い光と影のコントラストが美しい、笹倉さんの想像上のレストランを絵にしたもの。
何度見ても、その絵の魅力はますます増していった。
そしてある日、その絵は突然三越の画廊から消えていった。
それから私は画廊で安いポスターになった「日溜まりのレストラン」を3年間探し続けた。
あまり人気のない絵だったためか、未だにそれは見つからない。原盤も105枚だかしか出回ってない為、どこの画廊でも二度と見ることができなかった。もう、画集と私の記憶の中だけにしかない。
どうして、たかが1枚の絵にこれほど執着するのだろう。
ただ綺麗なだけなはずなのに、私は6年もその絵にこだわっている。
彼の他の絵も数枚買ったし、画集も買った。どれも気に入っている。
だのに、いくら見ても、あの絵にはかなわないのだ。
私にとって、あの絵は生命の宿ったような絵だった。
そう考えると、もしかしたらあの105万は、資産価値より先に私にとって払う価値のある値段だったのかもしれない。
見せかけの値段でなく、自分にとっての値段というものを、この絵をきっかけにして幾度も考えさせられた。 |