私は、社会科学について何の学識も持ち合わせていないが、この分野に非常に興味を持っている。
共産圏と非共産圏。そして民主主義と社会主義。この合わせ鏡のような社会体制の違い、思想と生活。
何がいいとは言い切れない。どんな社会構造にも陽と陰の面がある。そのような点について、純粋に相違の点から興味を持ち始めて、そう時間は経っていない。
今日は、無知だった私が、社会科学に興味を持ち始めたきっかけ、そしてその接点について書き記す。私が社会に対して興味を持ち出したのは、小学校5年生位の頃だったと思う。
毎日小学生新聞を毎週購読していて、その中で、当時ベトナム戦争や、エチオピアの情勢が話題になっていた。
そこで紹介されていたベトナム戦争のフォトルポタージュである「サラーム!(平和を)」他3冊の本を親に頼んで取り寄せてもらい、いつも地球儀で見て、そして、ドラえもん等の漫画本で見ながら、「世界にはまだ知らない素敵な国が存在する」と夢を持っていた私は、少なからずショックを受けた。今ではどんな国も日本のように快適であり、そのような生活など、もう過去のものだと、単純に考えていたからだ。戦争と平和について、私は教科書と、いくばくかの小説から学んだ知識しかなかった。
その時から、「社会はどこも同じではない」という事を、初めて知った。
時々新聞の折り込みに入っている、「赤旗」のちらしや、共産党の町議員のちらしを読みながら、「福祉」「減税」「公共施設の整備」をうたった内容に、子供ながらに「大事なことだ、いいことを言っている」と感じた。
衆議院選が始まり、身の回りがあわただしくなってきたとき、母親に「ねぇ、うちは共産党には入れないの?」と聞いたことがある。その時、母は驚きながら「あんた、どこでそんなの覚えたの?うちはね、自民党よ。それに、共産党とか、そういう事は人前でいっちゃだめよ」とたしなめた。そう、少し怒ったように。
私の実家は自民党を後援している。冠婚葬祭にも国会議員のセンセイが名を連ねる。
私から見れば、漠然と「明るい暮らしよい街づくり」という抽象的なスローガンを掲げ、長良川河口堰や高速道路や、そんな田舎の生活に何も実感の湧かないような政策を推進している自民党より、他の野党のほうがずっと生活に密着した政策を掲げているように感じる。どうして共産党という党を毛嫌いするんだろう。
口に出してはいけない、疑問だった。そうして私は、1歳1歳と、大人になっていった。
高校を卒業して、進学のために名古屋に出てきた私は、街を歩きながらなんとなく感じた。
明るい町並みに似つかわしくない、重々しい宣伝カー。拡声器でがなりたてるヤクザのような人たち。
それが右翼とか共産党とかに属する人達だと初めて知った。
間もなく私は、選挙権を手にする。
まったく興味のなかった「政治」に対して、否応なく、それを意識しはじめる。
中学のとき、イギリスのロックバンド「BROS」が大好きだった。
軽やかなビートにあわせて歌っている歌の中に「カール・マルクスも読んだし♪」というようなフレーズがあった。
マルクスの著した「資本論」、旧ソ連の「レーニン主義」
それはどれも言葉の上で知っているだけの書物の名前。
イメージとしては、昭和中期の「学生運動」。甘いマスクのヴォーカルの歌う、ハスキーで少しだけ革命的な匂いのするロック。その中でマルクスの「資本論」が歌われていることが不思議だったが、私はただビートにあわせてその歌を英語で口ずさむだけだった。
学生時代、あるきっかけで、在日韓国人(もしかしたら朝鮮人かもしれない)のビジネスマンらしき人たちの激しい対日感情を知った。
酒の入っている中、過去の日本に対する、そしておそらくは今に生きている日本人に対する、激しい憎悪をこめた言葉は、その時の私には、何とも言えない気分だった。
「何故、韓国の人は日本人を嫌うの?日本で働いてるのだから、日本が気に入って働いてるんじゃないの?
そう、アメリカに夢を求めてビジネスをする人たちと同じ。何で韓国人はそうじゃないの?」
世間知らずだった私は、韓国人と日本人の歴史的なわだかまりも知らなかった。
在日韓国、朝鮮人への差別は聞いたことがあった。でも、これはただ、異国の人であり、異国の文化を受け入れない、ごく少数の「ムラビト」の偏見なだけだと考えていた。
戦争があり、植民地化されたことは知っているが、終戦と同時にそれらも解放されたと思っていた。
そして、私の実家の近所にも、日本人と結婚し、帰化された在日韓国人の方が数人暮らしていた。
私は彼らの子供とも仲が良かったし、商売の上でも、いいお付き合いをしていた。だから、韓国人の方には何の偏見もなかった。今でも彼らに対するその気持ちは変わらないし、相手もそう感じていると信じている。
ただ、私は、「朝鮮人、韓国人と、国の事を口に出してはいけない」と言い聞かせられて育っていたのだが、その理由は、共産党と同じく、聞いてはいけない事だった。
けれど、人間としては私は彼らを当たり前のように存在している国民であり、親切な隣人であるとずっと捉えていた。
それが、一瞬のうちに疑問へと変わった、あの韓国人ビジネスマンの態度が、言葉がきっかけだった。
私は今までののほほんとした平和な自分に愕然とした。
それを機に、私は日韓関係について興味を持ち出し、そして日朝関係に及ぶ。
北朝鮮の事情を知ったのは、ここ数年の事だった。
中国、香港、マカオ、済州島、台湾、韓国・・・そんな東アジアの地理もあまり興味がなかった私は、韓国がブームになるに従い、その国ごとの特色を知った。その中で、なぜかいつも通り過ぎる国。何故か情報のない国。それが、北朝鮮だった。
南米をはじめ、世界のあちこちで独立戦争が起こり、国家がどんどん変貌を遂げた。
東ドイツ政権が崩壊し、ベルリンの壁が崩れた。
ソビエト連邦共和国が崩壊し、ロシアになった。
そのどれもが、当時の私には、単なる世界の事件であり、「社会主義」という言葉も意味をつかめなかった。
そう、社会党が社民党に名前を変えるような、自分にとってそんな大したことじゃないと考えていたのだ。
北朝鮮という国を知ったとき、初めてそれが今までずっと口に出すのも、考えることさえ憚られてきた「社会主義国家」というものに結びついたのだ。
私は歴史上の日韓のわだかまりを知るとともに、社会主義国家について調べ始めた。
その根底にあるものは、純粋にして「知的好奇心」であり、今も基本的にはそのスタンスであると考えている。
その中で、全世界のうち、唯一強固なまでに生き残っている完全なる社会主義国家。
独特の「主体思想」に裏打ちされた、隣国のおとぎの国である「北朝鮮」。
これが、戦後のアメリカ主導のもとに発展し、今のような姿になった日本という「民主主義国家」を学び、それと対極にある「社会主義国家」北朝鮮社会主義人民共和国を知ろうと感じた経緯である。 |