6.Net Bubbleに思う

1.価値観のうつろぎ

ネットバブルという言葉は、ここ最近、急速に経済界を賑わせ始めている。
Yahoo株が急激に億を超えたことも、数ヶ月前から経済誌に留まらず、一般のニュースや新聞にて、多くの人の知るところとなった記憶もあたらしい。
今、我々は新しい価値観をもつ経済論理に席巻されようとしていることを認識せねばならない。

通信・情報関連の株価はうなぎ登りに上昇している。
ほんの小さな街角のオフィスが株式を公開しはじめ、多くの資本を集めている。
そして、不景気と叫ばれている昨今、20年、30年と地道に礎を築いてきた企業がマーケットシェアを伸ばそうと青色吐息の中、この分野に関わる金の流れは、まるで滝のような勢いで動きつづけている。
そして、これらの一連の動きは、急速に膨れ上がり、その結果「ネットバブル」と呼ばれ、世間の知るところとなった。

この「ネットバブル」には、2つの背景がある。
1つは、既存のマーケットの成熟。もうひとつは価値観の変化であると私は考える。
まずはその2つについての考えを述べたい。

 

(1)既存マーケットの成熟について

現在の世界は、というか先進諸国はとりあえず、安定している。様々な問題こそ多かれ、戦争が終結し、平穏を保っている。
戦争とは、物資、人的資源を消耗する。個の意思で築き上げるものより先に、公の意思で築き上げる目標が存在する。
そのため、個人消費は二の次であり、公的消費に多くを割かれる。個の資本は、その大儀の前にすっかりやせ細る。
しかし、戦後50数年。国連を考えないで論ずるならば、先進諸国にては、戦争がない平和な時代がもう何年も続いている。
そのため、個人は豊かになった。そして個人消費を対象としたマーケットは、本当にすばらしく成熟した。
今、私たちの暮らす日本という国を見てみると、その中で生み出される産業、そしてサービスは、ほぼ、個人を意識したマーケットといえるだろう。そして、成熟しきった先には、技術進歩、生産性増加による大幅な価格崩壊が待っていた。
そして、資本をもつものはより強くなり、資本をもたざるものは、どんどん衰退していく。
強いものが勝つ時代への突入である。
多くの人々が大企業の傘下となり、その大きな資本を肥やすために、受け取る給料を代価として働く。
我々のために、大資本をもつ企業が存在し、大資本を持つ企業のために、我々は働く。
そして開かれたマーケットは、今になり、すばらしく成熟した。
そこには、完成された資本主義のカースト制ともいえる、ピラミッドが存在する。

 

(2)価値観の変化

昭和終盤のバブル景気は、ご存知の通り、土地神話によって培われた。
その原点にあるものも、またマーケットである。
狭い日本の国土には、どんどん人口が増えつづけるから、土地はどんどん高くなるという神話のもとにバブルが始まる。
しかし、それは机上の空論である。だからこそバブルが崩壊したのだ。
バブルが崩壊した今、この神話の裏に隠された真実に気づいた人はどれほどいるのだろうか。

日本の農地法について知っていますか。
有名な話だが、農地というものは、ある意味カリスマ的な意味をもつ。
農家として国に届けを出し、実際に土地で農業を営んでいる場合に限っては、非常に手厚いもてなしを受ける。
農業を営んでいる土地は、農地でしかなく、農民の手によってしか処分を行なうことができない。
例えば農地を人に売ったとしても、買主が自由に処分できるわけではない。農地は農地としてしか利用できないということだ。
宅地に転用したい場合、厳しい基準にて、農家の家族に限って宅地転用が許可される。そして、その後に売って初めて宅地という名がつく。これは、農業を守るためだ。国の考えることは、減反奨励といい、農業推進といい、本当に猫の目のようにころころ変わるものである。
本題から反れたが、日本の農地にはこのような背景があることをまず知った上で、次の問題を考える。

バブルの頃は、皆不動産を欲しがった。そして、地主は土地を手放したくなく、その兼ね合いで土地の値段はどんどん高騰していく。
こんな風に日に日に値がつりあがっていく中、地主は一等地に土地を持っていながらも、土地を売りたくないがために、農地として葱やトマトを植え、栽培をする。もっと値が上がってから売りたいからである。そして、土地を担保に借金もする。
例えばたかだか1反の畑で収穫できる、家庭菜園のような作物にはいったいどれだけのバリュー(値段)がつくのか。
そしてその土地のバリューは、その収穫できる作物には似つかわしくない、とほうもない高価なバリューがつく。
あまりにも、バランスが悪い。
生きた使い方をする前に、私利私欲で走りつづけたデベロッパーは、無計画な土地計画により、風土を壊しつづける。
そして、ぎくしゃくした街ができあがる。街は人々の住みかであり、よりどころである。その街が変わり、壊れていった。
バリューとは、人がつけるものである。虫食いの穴のあいた街に、高いバリューが払えるか?払えるわけがない。
あの神話は、そこに息づくもののいのちを考えていない。バリューの意味も知らず動きつづけた。
だからこそ崩壊したのではないかと私は思う。

そして、人々はモノから情報へと、パラダイムシフトしていった。
具体的に例を挙げると

今戦争が起こらないのは何故ですか?
それは、各国が、武力という力ではなく、情報という力で各国の均衡を保っているからである。
表だって戦争をしなくても、わが国には国力がある。それを、情報によって示すのだ。
現在の世の中は情報に大きな価値をもつ時代に変わっていた。

 

2.モノから情報へ移り変わる経済論理の変化

インターネットが日本に浸透しはじめて約7年。
一般庶民に普及しはじめて約3年。
とくに、ここ2年の間に、非常に急速な速度で広まっている。
インターネットにて得られるものは情報でしかない。ヒトは、誰もが情報を手に入れたがっている事実を示す。
そして、まだ未成熟のネット関連産業が急速な勢いで勢力を伸ばしている。
さしたるビジョンがなくとも、新しいネット産業には大きなバリューが付与される。開拓者の意思とは遠く離れた位置で。
今は、まだ、黎明期でしかないからだ。
今、ネット産業がバブルといわれている所以は、多くの人がそのネット産業の有効な手段をビジョンとして持っていないからだ。
だから、手軽なコンテンツに対して多くのバリューが転がり込んでくる。
それに早くから気づいた人は皆、成功している。
なぜならば、それに早くから気づく人が、ごくわずかしかいなかったからである。
情報という商品も、インターネットというユーザーも、まだまだ黎明期。
その中できちんと礎として考えて欲しいのは、そのバリューバランス。今はそれに気づかなくても儲けられる、いい時代だと思う。
ああ、私もその中に勇気を出して飛びこめばよかったなんて、考えても後の祭。
本当にネットバブルの絶頂期だ。
ネットバブルの一番の興味深い点は
そのバリューは、人に対していとも簡単に付与できる点にある。
20年、30年と努力して堅実な業績を伸ばしてきた大企業の株価をいとも簡単に追いぬき、投資家は情報産業に鞍替えする。
アイディアに投資する。人を個人的に価格評価する時代に突入した。

ねぇ、 これっていいことなのかしら?
いいことでもあると思うけど、崩壊する神話でしかないと思うのは、私だけですか?
バランスが、あまりにも悪すぎる。
情報だけで飯を食えるのか?食糧自給率を向上できるのか?モノができるのか?技術ができるのか?
本来重要な位置にある産業が資本撤退を余儀なくされ、不景気のあおりをくらって、衰退していく。
それらは、すべて私たちの身近になくてはならない産業のひとつ。
食糧ばかりでなく、技術や生産まで海外に頼ることになってはおしまいだわと思うのは私の勝手な論理?

20年、30年と堅実に、現実として国力を栄えさせてきた企業が苦しい思いをして
生産性のない情報業界に投資されるのにも限界があると思うんだけど。
普段私たちが食べている食糧。その生産を考えず、購入しか考えなかったために、今や日本の食糧自給率は何パーセントまで下がってるの?これっておかしいよね。
安く美味しい食糧を入手することは大切。
多くの情報を得ることもまた大切。
でもそれには、犠牲を伴うものがあると思う。

この話をしだすと、歴史や経済ばかりでなく、法律論、国会論、資本主義論にまで波及してしまうので、考えをまとめるのが下手な私には、うまく簡潔に説明することができないんだけど、(ここまでの論理もほんとにめちゃくちゃです)
ただ、本当に変な時代だと思う。恐さを感じる。
これってバブルだよ。 うたかたの、泡。
ただ、ホンモノだけは生き残る。
これからは、後から気づいた賢者がもっとこの産業に参入してくるだろう。濡れ手に粟のネットバブルは、この1年で、何らかの落ち着きを取り戻し、堅実な産業に変化すると考える。
ネットバブルに踊らされて損しないでくださいね。皆様。

私は情報産業に反感を持っているわけではない。
むしろ、非常に近い位置におり、大変興味深い。
ただ、まぼろしのような情報産業と、礎をもつ情報産業は明らかに違うと感じている。
礎をもった、すなわち生産性のある情報産業という視点で、最近ずっと考えをめぐらせている。

いい社会になるといいな。

なんだか、久々に語ったのに、わけのわかんない文章になってしまいました。
ゴメンナサイ。


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