|
日本の政治にこんなワクワクしたのは久しぶりだった。
きっと同じように思っていた人が、日本には多かったに違いない。
日本人は政治に対して冷めていると、外国と比較して言われるが、
国民性が冷めているのではなく、きっと、政治そのものが冷め切っているのだ。
どうしょうもない所まで落ちぶれてしまったからこそ、国民は政治に無関心になってしまったのだ。
どうしょうもないなら自分でどうにかしなければいけないのが、生活なのだから。
2000年度の永田町
森内閣の支持率が日増しに最悪の数値に変わっていく。
予算案は、2000年度の大蔵原案より141億円増額され、37兆4660億円を打ち出した。
小渕内閣は、抜本的な景気対策を行なわず、国債の大量発行という、いわば『自分の足を食う』たこ足療法で、この未曾有の不景気を脱出しようと2000年がスタートした。森内閣に変わってからは、新たなる活路もなにも見出すことができず、さらに予算を増額し、結果2年ぶりの赤字財政を作りだし、ムーディーズによる日本企業の格付けは軒並み下がり、とうとう日経平均は14000円を切るかという状態となった。
アイボと一緒に微笑んで写真を撮ることを「IT革命」とのたまう森首相。
「第3国で発見」案を、軽々しく関係のない他国に漏らす無神経な党首が、現在日本のトップを司っている。
「神の国」発言の心情は、私は理解する。日本は基本的に天皇を中心とした文化が形作られており、それは神道に由来する。
戦争に負けて、信教の自由を手にしたこととは、次元の違う問題として私はそれを捉える。
その発言のTPOの是非については問題があるだろうが、私はこの時はまだ森首相を肯定していたことは否めない。
否認案が否決されたときの高笑いをした森首相。それは渦巻く疑問への決定打となった。
しかし、彼の姿は「腹だたしい」という気持ちではなく、ただただ、「痛い」のだ。
哀れにさえ思えてくるほど、彼の存在はそれ自体がただ可哀想なのだ。
そして、それは今の永田町なのだ。
代議士 加藤紘一氏
「加藤氏の裏切り」という声があちこちで聞かれる。
この事を考えると私は今だに複雑な気持ちを感じる。
自民党の中でも、次期総理として注目されており、また非常に慎重派で保守派の加藤氏が、不信任案を打ち出すというニュースに、日本中が湧きかえったのも記憶に新しい。
期待されながら同士を携え、殴り込みをかけようとした加藤氏を応援していたのは、おそらく国民の過半数を超えるのではないか。
それだけ期待されていた。しかし、たった4票という的確な票読みを見越し、加藤氏は自民党に残る道を辿った。
そして、皆を落胆させたのだ。
私は加藤氏を支持する。
裏切りがあった今も支持している。
今回の「裏切り」は、単純に読み取ればそれは「裏切り」という様相を呈しているが、それは本当の裏切りなのだろうか。
このような方法を貫いたところで、一番苦しむのは加藤氏である。
今回、加藤派全員で不信任を行なって大敗したところ、苦しむのは誰か、笑うのは誰かを考えたい。
加藤氏が信任案を投票したことにより返ってくる世論や党の風当たり、すべては予測できたことである。
あえて加藤氏は、最も苦しい道を採択した。
その根底には、本当の意味で「日本を変えていきたい」という思いがこめられているとしか思えない。
表面に出ている事柄だけで、彼を裏切り者と責めるのはお門違いだ。
企業は、「社長」というトップを据えて、自社の繁栄と社会貢献、そして部下である社員の生活を守るために存在する。
加藤氏は、今回、社長として、企業としてのリスクを負いながら、自分の目的のために頑張ってきた社員の生活を一番に考えた、その結果としてこのような採択を行なったとしか思えない。
今回、全員が不信任案を通して負けた場合、加藤氏は自分のために何もかも投げ出してくれた仲間が、どんどん永田町からつまはじきにされるのを横目で見、政治生命を絶たれることが最もつらいことだったに違いない。
既にのろしが上がっている以上、もう既に政治生命を絶ちきられたともいえるだろう。
しかし、加藤氏は、『自分が悪者になる』ことによって、自分のために尽くしてくれた代議士たちに『加藤氏には失望した』と、別の派閥へ入るための細い細い道を残してくれたと、私には思えるのだ。
加藤派である自民党の代議士のひとりに金子一義氏がいる。
彼は私の地元で大変にお世話になっている代議士であり、祖父母の葬儀の際も名を連ねた政治家の一人。
縁故とかそういうものではなく、私は彼を尊敬している。ずるい方法でなく、常に正々堂々と政治に向き合うために永田町への影響力が少ないという損な政治家だけれど、正しいと思ったことを周りに流されることなく自分の言葉で話す事ができる金子氏には信頼ができ、そして、彼の紡ぎ出す意見にはなるほどとうなずける正当性がある。
今まで彼は加藤派ということを知らなかった。今回の騒動で名が挙がったときに、やっぱりという思いがよぎった。
今回、すべてのメンバーが不信任案に投票したとして、大敗するならば、
ただ自分の信念で正しいことをしたいと願っている人間が、ここでも一人政治生命を絶つことになってしまうだろう。
政治家として、国民の代表として、そしてそれを率いるリーダとして、精いっぱいのことをした加藤氏を
私は裏切り者とは思わない。
力足らずで、不器用ではあったけれども、精いっぱいのメッセージは、ここまで広く強く届いたのではないか。
『大敗したとしても、国民の世論が味方についてくれたのに!』という意見がある。
私はそれに対して、否定的に思う。
今の永田町は、国民の世論が何も反映されず、ここまできてしまったではないか。
密室政治の、票読みの、利権政治が巣くっているだけではないのか。
その証拠として、森首相の支持率が17%を切った今も、森首相は対陣の様相を見せないではないか。
いくら世論が高まっても、永田町には、永田町で決められたシナリオ通りにしか動かない空間が存在するのだ。
哀れだけれど、これが日本の政治であり、加藤氏が政治生命をかけて打ち破ろうとして破れた悪習なのではないか。
本来の「自由民主党」を取り返すために。
今回の加藤氏の行動によって、その原理は誰の目にも明らかになった。
それだけでも、意味があった。
世論を問うのは、これからだ。
有権者よ、もっとクレバーになれ。
今回の不信任案否決劇には、国民の世論がまったく反映されていない。
代議士を選んだのが国民であるというが、今回の不信任案は、まさに永田町の派閥と密室政治の結果としかいいようのない顛末に変わってしまった。有権者の意識がまったく反映されていない結果に終わった。
日本の政治の、いや自民党の、あまりにもお粗末なほころびが露呈した。
自民党の恥さらし事件と名づけても大げさではないくらいに。
自民党は「自由民主党」という名前をもつ。
いつからか、それは「社会民主党」という実に変化していったといっても過言ではない。
今の日本の社会は、自由経済とみせかけながら、巧妙にしくまれた社会主義国と変化していることに
気づいている有権者はいったいどれくらいいるのだろうか。
森首相は、まさに「蜃気楼」
今回のことでもよくわかったのではないだろうか。
森首相は、まさに「蜃気楼」なのだ。
今回の事件でも、森首相の意思を感じた瞬間が、ただの一瞬でもあっただろうか?
「首相不信任案が否決されたときの高笑い」を除いて。
何もかもが森首相の側近であるブレインによって、密室での票集め工作が行なわれ、それぞれの派閥が自分達の利権を巡って取捨選択した結果なのだ。また、森首相の意見はほぼ、側近の意見と考えてもいいだろう。
ここまで躍らされている森首相を、哀れに感じる。
私は今後何があっても、今の森首相を支えているブレインには、票を入れたくない。
それは、自分達の利権が、森首相という、実に頭の冴えない思うがままに操ることができる『盾』を通しながら、隠れてうごめいているのが見え透いているから。
今の日本は森首相ではなく、その側近のブレインが動かしている。
英雄ではなく、象徴となったトップ。
これは、天皇制がなくなったのと、まさに同じ状況だ。
加藤氏のHP
|