関連書籍紹介

紹介書籍名一覧
ここでは、主に『樹が陣営』HPで取り上げた、又は関連ある書籍を紹介致します。

  • 中年男に恋はできるか【小浜逸郎・佐藤幹夫】(2001/09/13)
  • 哲学的思考−−フッサール現象学の核心【西研】(2001/09/16)
  • 「私」とは何か【浜田寿美男】(2001/09/19)
  • 「こころ」はどこで壊れるか【滝川一廣】(2001/09/20)
  • 「弱者」とはだれか【小浜逸郎】(2001/09/20)
  • 思想以前−−今を生きぬくために考えるべきこと【由紀草一】(2001/09/20)
  • 国家についての考察【佐伯啓思】(2002/01/27)
  • 共同幻想論【吉本隆明】(2003/08/10)
  • 海辺のカフカ(上/下)【村上春樹】(2003/08/10)
  • 永遠の吉本隆明【橋爪大三郎】(2003/12/25)

    【書籍名】中年男に恋はできるか(2001/09/13)

    【出版社名】洋泉社【判型・頁数】新書判・216頁【本体価格】¥660【発行日】2000年3月22日
    【著者紹介】
  • 小浜逸郎(こはま・いつお):1947年横浜生まれ。横浜国立大学工学部卒業。批評家。主な著書に『学校の現象学のために』(大和書房)、『男はどこにいるのか』(ちくま文庫)、『オウムと全共闘』(草思社)、『無意識はどこにあるのか』(洋泉社)『弱者とはだれか』(PHP新書)ほか。
  • 佐藤幹夫(さとう・みきお):1954年秋田県生まれ。國學院大学文学部卒業。現在、批評誌「樹が陣営」を主宰しながら、エロス論、文学論、共生論を展開中。
    【内容解説】
    援助交際から不倫・セクハラまで。ハゲからもてない男まで。形而上的話題から下世話な話まで。いい年をしながら、枯れることのできない「中高年のエロス」の問題を中年男の切実さを踏まえながら縦横に語り尽くす。中高年の必読書!!

    【評者感想:2001/09/13】
    『樹が陣営』関連書籍紹介の記念すべき第1弾として、何故、この本を取り上げたのか?唯々、『樹が陣営』発行人の名が冠された最初の本だからである。面白い本ではあるし、控えめな(どこが?…書籍中に書いてある!)発行人は、自分で紹介する訳にも行かないであろうと推測し、発行人に成り代わって敢えて紹介するものである。
    小浜の言う通り「年齢にふさわしく成熟することではなく、もう変わりようのない自分に対して開き直った自己承諾を与えたうえで、さらにそれに基づいて残りの生を生きざるを得ないと構える境地」が中高年である。その中高年を代表する二人が「なぜ人はかくも懲りずに性愛に揺さぶられるのか」について、一年間をかけて語り明かしたのが本書である。ふたりともそれなりに高尚なテツガク的な言辞を弄しつつも、根はやはり「すきもの」であることを露呈した語りである。
    会話を引っ張っていくのは、佐藤。その佐藤さんに導かれつつ逸脱しつつ、ついていくのは、小浜さんである。
    第1章で、学校における性教育の問題、第2章では、北野武『HANA−BI』と渡辺淳一『失楽園』を比較しつつ、第3章でエロス、つまり性愛問題の核心に迫る。 このふたり、渡辺淳一『失楽園』には、滅法厳しいが、北野武『HANA−BI』にたいしては、ずいぶん好意的である。なにやらエロス経験の不足感が否めない。 補遺「家族」を挟んで、第4章、第5章で、中高年の悲しき愛の結末と孤独について語る辺りは、評者も身につまされる。 最後に、「それにしても、いまの中高年はほんとうに寂しい。生活のレベルが向上し、平均寿命が延び、家庭は少子化になり、子どもに手がかからなくなり、夫婦それぞれ個人主義的な生活が可能になってしまった。それに伴い、中高年男のエロスは、生臭く、埋火のように10年も20年もつづくことになり、その結果「みんな孤独になってしまった。」従って、『失楽園』は、中高年の漠然としたニヒリズム、つまり何を価値として生きていったらいいのか解からなくなっている時代に、エロスの中で発見するタナトスが受けたという事である。」というのが二人の共通了解のようである。(mori)


    【書籍名】哲学的思考−−フッサール現象学の核心

    【出版社名】筑摩書房【判型・頁数】392頁【本体価格】¥2500【発行日】2001年6月20日
    【著者紹介】
  • 西研:1957年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科 修士課程卒業。現在、和光大学講師 
    著書に、『実存からの冒険』『哲学的思考』等ほか。
    【目次】
    現代思想の「真理」批判をめぐって;“学問の基礎づけ”とは何か;「生」にとって学問とは何か;何のための「環元」か(体験への“内在”;超越論的問題);いかにして「現実」は形づくられているか;科学の成果をどう理解するか―生活世界と学問;「社会」の現象学;現象学的方法の意義と問題点について

    【内容解説】(この内容解説は、西研HPから転記したものである。)
     この本の柱は、大きくいって以下の二つ。
    1.現代思想の相対主義に抗って、原理的に考えるための土台をうち立てる。
     −−「〈学問の「客観性」とはどういうことか。人は善や美を生きるが、善や美ということの根拠はいったい何か〉。そうした問題を根源的に問い、確かめ、共有していくための「方法」を、フッサールはうち立てている。そしてそれは、近代哲学の歴史のなかで鍛えられてきた、主観へと立ち戻って思考する方法(超越論的な思考態度)を徹底するところに生まれたものである」(「あとがき」より)。
    2.フッサール現象学の核心は、〈実存的世界〉と〈客観的世界〉のつながりの解明にあることを示す。
     −−「あらゆる物事はすべて、気分や情緒を伴いつつ私にとって現れてくる。私はこうした〈実存的世界〉を生きており、それは私が死ねばおそらく消滅するにちがいない。しかし他方で私は、私が死のうと死ぬまいと世界は客観的にある、と信じてもいる。この二つの〈世界〉はふだんの生のなかでは自然につながっているが、近代の物理学の発展は両者をするどく切り離し、〈客観的世界〉のみを唯一の現実とみなしたことによって、認識における主客一致の問題、心身問題、自然科学と精神科学の対立といった難問が生じてきた。フッサールは二つの〈世界〉の関係をあらためて問い直すことによって、これらの難問を解きほぐそうとしている」(「あとがき」より)。


    【評者感想:2001/09/15】
    足かけ4年、西研入魂のフッサール論。フッサール現象学を、原理的な思考の方法を提示するものとして読み解いており、現象学ファンには必読の一冊である。そもそも、哲学とは根源的に問い、確かめ、共有しようとする営みである。その観点から、フッサール現象学を読み直し、実存と世界の経験の意味を問い、考えあうことの希望を提起する渾身の思考を、わかりやすい言葉で、丁寧に解説している。しかもフッサール現象学のポイントは、しっかり書き込んでいる。読んでいて、著者の熱気がじかに伝わってきて、勇気が湧いてくる。今まで、現象学は難しいと敬遠していた人には、是非、読んでいただきたい本である。(mori)



    【書籍名】「私」とは何か

    【出版社名】講談社選書メチエ【判型・頁数】284頁【本体価格】¥1800【発行日】1999年11月10日
    【著者紹介】
  • 浜田寿美男:1947年香川県小豆島生まれ。京都大学大学院文学研究科(心理学)博士課程単位取得退学。現在、花園大学社会福祉学部教授。
    著書に、『私のなかの他者』金子書房、1998、『ありのままを生きる』岩波書店、1997、『発達心理学再考のための序説』ミネルヴァ書房、1993、『自白の研究』三一書房、1992、他がある
    【目次】
    序章 人の世界の不思議な構図;第1章 ことばの世界と身体;第2章 ひとまずゼロに戻って―発達論的還元;第3章 身体のもつ心的構図;第4章 ことばの世界の手前で;第5章 ことばの世界の成り立ちと「私」の世界;第6章 関係性から生まれ、関係性に囚われた「私」
    【内容解説】
    「白紙の状態」で生まれ落ちたはずの人間が、他者と絡み合いながら、いつしか他の誰でもない「私」となる。言葉と身体という、存在の根底に立ち戻ったとき、そこには一体どんな光景が見えてくるのだろうか? 発達論的還元の手法を武器にこの不思議に立ち向かう。

    【評者感想:2001/09/19】
    「人間は生まれながらにして原初的な共同性の中にあって、その上でこそ、言葉の世界は成立してくるのであるし、もっとも「私」的な世界ですら、言葉をはじめとする「他者」との関係の歴史の上に初めて生み出されてきた。人間には「他者」との関係に乗り出す生得的な、<能動>がある。しかし、「他者」との関係に乗り出したさきで、必ず「他者」の<能動>に出会う。つまり、人間はそこで<受動>にさらされる。「私」の生まれるのは、まさにその場においてのことである。」 この結論を読んで、フッサール現象学における理解し難いテーマ「間主観性」が解けたような気がして、しばらく震えが止まらなかった。
    発達論的還元の手法を武器に「ことばと身体」更に、人間存在の根底にある「他者」との関係性について、具体例を引きながら、見事にその不思議を解明してくれている。そうだったのか!画期的な考察結果である。人間と言葉/身体に関心を持つ者にとって必読の書である。久々に感動した素晴らしい本である。(mori)


    【書籍名】「こころ」はどこで壊れるか

    【出版社名】洋泉社新書【判型・頁数】・238頁【本体価格】¥680円【発行日】2001年4月21日
    【著者紹介】滝川一廣(聞き手・編 佐藤幹夫)
  • 滝川一廣:1947年名古屋まれ。75年名古屋市立大学医学部卒業。現在、愛知教育大学障害児教室及び同治療センター助教授 
    主な著書に『青年期の精神医学』(共著 金剛出版)、『治療のテルモピュライ』(共著 星和書店)
  • 佐藤幹夫(さとう・みきお):1954年秋田県生まれ。國學院大学文学部卒業。現在、批評誌「樹が陣営」を主宰しながら、エロス論、文学論、共生論を展開中。
    【内容解説】
    ■目次
    序章 「こころ」とはなにか;第1章 「こころ」はどうとらえられてきたのか;第2章 DSMは「分類」のためのマニュアルにすぎない;第3章 精神医療と犯罪;第4章 発病と診断と治療をめぐって;第5章 思春期犯罪の神話はがし;第6章 思春期問題への家族論的アプローチ;終章 「こころ」はどこで壊れるか
    ■要旨
    精神科医は本当に「こころ」の専門家なのか?青少年の不可解で凶悪な事件が起きると、マスコミは精神科医という識者を登場させ、コメントを求める。あれは精神異常=頭がおかしい人間の犯罪だ、と。一般人の不安をなだめるための、この「正常‐異常」の線引きは、あまりにも安易と言っていい。こうした風潮に対し、木村敏・中井久夫の道統を継ぐ練達の臨床精神科医が、「こころ」とはなにかから時代の病態まで、精神鑑定から「脳」と犯罪の問題まで、さらには昨今の青少年の社会的引きこもりから拒食症・過食症・家庭内暴力まで、きわめて今日的な問題に果敢に発言する刺激的インタビュー集。

    【発行人からのご案内:2001/09/19】
    ●この本をぜひ手にしていただきたい方々。
    ・精神医療全般に関心をもっている方。
    ・精神療法やカウンセリングの問題に関心をもっている方。「心」と脳は?
    ・人格障害、行為障害、ボーダーライン、ADHDなど「新しい病名」がどんなものであり、どんな成り立ちをしているか。またその根拠となっている「DSM診断マニュアル」とは何か。それを知りたい方。
    ・精神鑑定に関心をもっている方。
    ・少年犯罪を精神医療の観点から考えてみたい方。
    ・思春期の諸問題(引きこもり、摂食障害、家庭内暴力)について、どのような治療的ケアを必要とするのか。そのときの家族の役割とはどんなものか。
    ・このようなことについて少しでも関心を持たれていましたら、ぜひ手にしてみてく下さい。これまで様々な精神科医によって、「こころ」に関する多くの本が書かれてきましたが、新たなイメージが得られることと思います。

    ●この本の語り手、滝川一廣氏は、臨床医として名高い木村敏、中井久夫両氏の学統を継ぐ、やはり練達の臨床家です。『家庭のなかの子ども・学校のなかの子ども』(岩波書店)という著書を持ち、治療論だけでなく、学校論や子ども論にも定評があります。症例や治療について、犯罪について、随所に圧巻な報告が聞かれるはずです。
    ●この本で聞き手としての私(佐藤)が心がけたことは大きく二つ。
     一つは、滝川氏の臨床医としての「凄み」「懐の深さ」と言ったものを引き出すこと。もう一つは、精神医療の実際や、精神科医という存在について、シロウトという立場から疑問を徹底的にぶつけること。自分でも納得の行くものができたと自負しています。
    テレビでお目にかかる「タレント精神科医」について、なんか変だなとか、あんな医者にはかかりたくないな、とか感じたことはありませんか。そんな方にはますますお奨めの一著です。(sato)


    【書籍名】「弱者」とはだれか

    【出版社名】PHP研究所【判型・頁数】新書判・222頁【本体価格】¥657【発行日】1999年8月4日
    【著者紹介】
  • 小浜逸郎(こはま・いつお):1947年横浜生まれ。横浜国立大学工学部卒業。批評家。主な著書に『学校の現象学のために』(大和書房)、『男はどこにいるのか』(ちくま文庫)、『オウムと全共闘』(草思社)、『無意識はどこにあるのか』(洋泉社)『弱者とはだれか』(PHP新書)ほか。
    【内容解説】
    ■目次
    第1章 「言いにくさ」の由来(「弱者」というカテゴリー;個別性への鈍感さ ほか);第2章 「弱者」聖化のからくり(建て前平等主義;部落差別をめぐって);第3章 「弱者」聖化を超克するには(共同性の相対化;言葉狩りと自主規制問題);第4章 ボクもワタシも「弱者」(既成概念の見直し;新しい「弱者」問題)
    ■要旨
    「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。

    【座談会出席者の感想から:2001/09/22】
    ・この本のモチーフは自分が被差別経験も特になく、露骨な差別をした経験もないという普通の人間が、民主主義社会の中で被差別者や弱者を囲い込む空気について、言えるとしたら何が言えるのか、という点にある。その際、差別は背後に「共同的関係」を背負っているが、現象として見ると、個人間の感情の摩擦として表れるという視点に立って、書かれているのが、本書の一番よいところである。
    ・結論として、「現代の『弱者』問題が、相対的なかたちでしか成立しないという『状況の現在』を指摘され、新しい『弱者』とは、現代社会の中で一人の人間が持たざるを得ない多様な生き方のうち、ある特定の弱点に特定のし方で光を当てた時に浮かび上がってくる『ある側面』なのである。つまり、今日の状況は、多様な『相対的弱者』だらけである。」ということである。そして、この結論の新鮮さ、非凡さは特筆ものである。(mori)



    【書籍名】思想以前――今を生きぬくために考えるべきこと

    【出版社名】洋泉社 【判型・頁数】縦サイズ・235P頁【本体価格】¥1,500【発行日】1999年3月2日
    【著者紹介】
  • 由紀草一:1954年茨城県生まれ。78年早稲田大学大学院文学研究科芸術学専攻終了。現在、茨城県の公立高校教師(英語担当)
    著書に「学校はいかに語られたか」(宝島社)、「学校の現在」(共著 大和書房)、「間違いだらけのいじめ論」(共著 宝島社)、「いじめの救済宣言」(共著 時事通信社)
    【内容解説】
    ■目次
    第1章 個人主義は正しい、が…;第2章 「自分」はどこまで進化したか;第3章 現代のヒーローはどんな十字架を背負うのか;第4章 地球に優しい人々は人間にも優しいか;第5章 伝統主義者は何を保守するのか
    ■要旨
    ちっぽけで、つまらない自分ではいけないのか。本当の自分とは何か?この世界で何をすることが正しいのか?自分と他者、自分と世界との「間」をどうつなげばいいのか?―生きていくのが困難と感じているあなたに人生の先輩として伝えたい考えるためのヒント。

    【座談会出席者の感想から:2001/09/22】
    ・思想がコミットできる対象をなくしたとき、もう一度、思想以前という地点に立ちかえって、改めて、思想とは何かを探っていくというのが、この本のモチーフである。
    ・その思想以前とは、具体的には「倫理」ということであるようだ。その際、著者は「共同性こそ倫理の根源」であるという立場で考えているのが、今日的視点であり、非常によい。
    ・従って、この本では、「社会に生活する個人の倫理」に力点をおいて語られているが、そこで、繰り返し語られていることは、「このさい肝心なのは、安直な答えに飛びつかないことです。」という当たり前であるが、しかし大事な一節である。特に若ければ若いほど性急であり、それは大変難しいということになる。
    ・この本の中で特に印象的なのは、「『他者』を完全に消去することによって『他者』の問題を完全に解決するとは、要するに自殺することなのです」という部分である。これがこの本の中で何度も反復される主題である。若干、迷走気味な所はあるが、ユニークな視点が新鮮な本として紹介できる。(mori)



    【書籍名】国家についての考察(2002/01/27)
    【出版社名】飛鳥新社【判型・頁数】321頁【本体価格】1800円【発行日】2001年8月13日
    【著者紹介】
  • 佐伯啓思:1949年、奈良県に生まれる。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程修了。現代経済学の哲学的前提を解釈・批判した『隠された思考』(85年、筑摩書房)により注目され、以後、深い社会科学の素養に裏打ちされた現代社会批評を展開。「物」の豊かさのみによって繁栄を錯覚させる「アメリカニズム」を探究し、批判を行っている。
    『「アメリカニズム」の終焉』(93年、TBSブリタニカ)で東畑記念賞、『現代日本のリベラリズム』(96年、講談社)で読売論壇賞受賞。
    著書:『現代民主主義の病理』(97年、NHK)、『アダム・スミスの誤算』(99年、PHP研究所))、『優雅なる衰退の世紀』(00年、文藝春秋)、『貨幣・欲望・資本主義』(00年、新書館)ほか多数。
    【内容解説】
    ■目次
    序章 なぜ「国家」を論じるのか;第1章 現代日本の国家意識;第2章 「二重言説」の戦後日本;第3章 戦後民主主義という擬装;第4章 国家をどう理解するか;第5章 国家論の構築に向けて
    ■要旨
    「戦後」の時空間の中で、国家への考察を徹底封鎖し、その結果、主体性・価値観・魂を喪失した日本および日本人に、戦後日本の思想的営為の「歪み」を鋭く指摘しつつ、「国家意識」についての再考、「国家論」の構築を促す、画期的な書き下ろし論考。
    【評者感想:2002/01/27】

    ・本書のポイントを上げると、 一つ目は戦後思想/戦後体制が、なぜ国家を正面から論ずることをタブーにしてきたかを検証すること、二つ目は、「国家」像を根本から再構築する為の叩き台を提出すること、の2点となる。
    ・ここでは様々な国家の姿や思想家の思索をふまえて、「国家とはなにか」あるいは「国家と国民とのかかわりとはいかなるものか」を中心に考察していく。そして、「国家とは、共通の利益、関心と歴史的背景をもつルールに応答しあう人間集団である。」という定義をした上で、現代のわが国における国家のありよう、すなわち国民の心のありようがいかにして形作られたのかを解き明かし、わが国の国家、国民のこれから進むべき道を指し示してくれる。
    ・その中で、とりわけ、国家というものが、見た目や形のある実体物ではなく、実は国民一人ひとりの心の中にあるものであることを気づくことが重要であるという著者の視点が衝撃的であった。
    ・国家と言うことを真面目に考えたことの無かった「典型的な日本人」である評者にとっては「目からウロコの落ちる」思いがする、非常に参考になる本であった。(mori)


    【書籍名】共同幻想論【吉本隆明】(2003/08/10)

    【出版社名】角川書店 【ISBNコード】4-04-150101-6 【判型・頁数】改訂新版・332P 15cm 【本体価格】¥540円 【発行日】1982年1月

    【著者紹介】
  • 吉本隆明(1924〜):詩人、文芸評論家、思想家。1924年(大正13年)11月、東京・月島生まれ。東京工業大学電気化学科卒業。主著に『転位のための十篇』『固有時との対話』『共同幻想論』『マス・イメージ論』ほか。名前の『隆明』は本来は「たかあき」であるが多く「りゅうめい」と呼ばれる。小説家・よしもとばなな(吉本ばなな)は彼の次女。
    【内容解説】
    国家とはなにか、国家は自分とどう関わっているのか。日常的生活空間と遠く隔たった異空間を包含するこの厄介な代物に、見事な論理的照射を当てて、裸の国家を露呈させる。(川上春雄/中上健次)(角川書店提供)
    【目次】
    序 禁制論 瓢人論 巫げき論 巫女論 他界論 祭儀論 母性論 対幻想論 罪責論 規範論 起源論

    【評者感想:2003/08/10】
    私のような全共闘世代(竹田青嗣さん、小浜逸郎さん、橋爪さんもそうですね)にとって、小林秀雄とともに「吉本隆明」はカリスマでした。従って、その著作のかなりを読んだつもりですが、理解力不足で、一人では良く分からなかった、というのが、正直な感想です。他の人の解説文等を読んだり聞いたりして、はじめて理解できたと言う感じでした。それでも、読んでいて刺激を受ける思想家でした。
    但し、今思い出してみても、『共同幻想論』は「遠野物語」の延長のような作品であり、国家論の始まりという印象は有りませんでした。あの当時は、その位にしか理解出来ませんでした。
    さて、あの当時、つまり吉本隆明の「共同幻想論」が出た1968年には、五木寛之の「風に吹かれて」が出版されています。「風に吹かれて」は、その後、版を重ねて、すでに450万部になろうとしている「隠れた超ベストセラー」です。全く関係の無いこの2冊の本を、その当時に読んだ私の感想は「日本の未来は明るい!自分ももっと勉強しよう」という素朴な感じでした。あれから35年、どうも今の日本は、吉本隆明と五木寛之という2人の思想家と作家にとって、夢想もしない状況を呈しているようであることだけは、たしかなようです。吉本隆明と親鸞上人、五木寛之と蓮如、いずれも真宗「他力の世界」に、この状況の解決の鍵を見ているような気がしています。

    【書評】
  • 最近相互リンクを張らせて頂いた「山竹伸二の心理学サイト」に、本書に関する優れた書評がありますので、ご紹介しておきます。⇒「山竹伸二さんの書評」はこちらで見れます。(クリック)


    【書籍名】海辺のカフカ(上/下)【村上春樹】(2003/08/10)

    【出版社名】新潮社【判型・頁数】四六判 / 397p 【本体価格】¥【発行日】2002年9月
    【ISBN】4103534133 【分類】文芸 /日本文学 /小説

    【著者紹介】
  • 村上春樹:詳細は、「村上春樹.com」をご覧下さい。(クリック)

    【内容解説】
    15歳になった僕は二度と戻らない旅に出た。彼は長身で、寡黙だった。金属を混ぜ込んだような強い筋肉を持ち、世界でいちばんタフな15歳の少年になりたいと思っていた。東京都中野区にもしある日、空から突然2000匹の生きた魚が路上に落ちてきたら、人々は驚かないわけにはいかないだろう。多くのネコたちは名前を持たない。多くのネコたちは言葉をもたない。しかしそこには言葉を持たず、名前を持たない悪夢がある。
    (全国書店ネット−ワーク e-honの紹介記事から引用)

    【おすすめコメント】
    誕生日の夜、少年はひとり夜行バスに乗り、家を出た。生き延びること、それがただひとつの目的だった。一方、ネコ探しの名人であるナカタ老人も、何かに引き寄せられるように西に向かう。暴力と喪失の影の谷を抜け、世界と世界が結びあわされるはずの場所を求めて。
    (全国書店ネット−ワーク e-honの紹介記事から引用)

    【書評】
  • 相互リンクの「編集工房・樹が陣営HP」に「さいとうゆう」さんの、本書に関する優れた書評がありますので、ご紹介しておきます。⇒「◆樹が陣営の力たち ○さいとうゆうのブックレビュー」はこちらで見れます。(クリック)
    【書籍名】永遠の吉本隆明【橋爪大三郎】
    【出版社名】 洋泉社【出版年月】 2003年11月【ISBNコード】 4-89691-771-5 【本体価格】720円 【頁数・縦サイズ】 190P 18cm 【分類】新書・選書 /教養 /教養新書

  • 【目次】
    第1章 吉本隆明とはどんな思想家なのか(吉本隆明の全体像とその時代を考える;「近代という自由」と吉本思想);
    第2章 吉本隆明の仕事を読んでみる(『擬制の終焉』が最初の転機だった;『共同幻想論』の独創性はどこにあるのか ほか);
    第3章 吉本隆明はどう闘ってきたのか(「反核運動」への批判は、冷静な世界分析に立ってなされていた;マスメディアの犯罪報道に対し、吉本隆明は原則を貫いてきた ほか);
    第4章 吉本思想と橋爪社会学と(私の社会学と吉本隆明;社会学とは何だろうか);
    付録 吉本隆明はメディアである(一九八六)
  • 【要旨】
    なぜ安保世代、団塊の世代は彼の思想に魅せられたのか?なぜ共闘者との訣別を恐れず、「孤独」を貫きとおせたのか?彼が貫いた思想の原則とはどこからくるのか?その誠実さゆえに「代償」としなくてはならなかったものはなにか?その思想にはどんな意義があり、私たちはなにを受け継げばよいのか?吉本思想の「世界的同時代性」は、ほんとうに理解されているのか?
    大いなる影響と敬意を認めつつも、新たな思想の展開を試みる橋爪大三郎による、二一世紀に向けたスリリングな挑戦。
  • 【キャチコピー】
    吉本隆明はどこかで間違えたのか? いや間違えなかったし、裏切らなかった!
    なぜ彼は“戦後思想の巨人”なのか、その根拠と全貌を解き明かす。
    思想家吉本隆明はどう闘ってきたのか?
    なぜ安保世代、団塊の世代は彼の思想に魅せられたのか?
    なぜ共闘者との訣別を恐れず、「孤独」を貫きとおせたのか?
    彼が貫いた思想の原則とはどこからくるのか?
    その誠実さゆえに「代償」としなくてはならなかったものはなにか?
    その思想にはどんな意義があり、私たちはなにを受け継げばよいのか?
    吉本思想の「世界的同時代性」は、ほんとうに理解されているのか?
    大いなる影響と敬意を認めつつも、新たな思想の展開を試みる橋爪大三郎による、二一世紀に向けたスリリングな挑戦!
  • 【あとがき】はこちらで読めます。(クリック)


    最終更新日:2003年12月26日