発行人エッセイ 【五体大不満】

ここでは、『樹が陣営』発行人のエッセイ【五体大不満】を紹介します。
 初出はとくに記していませんが、折にふれて書いたものを書き直したものであり、楽しんでご一読いただけると幸いです。題して「第一章 学校篇―ツルの恩返し」、「第二章 日常生活篇 ― かさ地蔵」

  • 【題名】第一章  学校篇 ― ツルの恩返し・【著者】発行人(sato)(2001/11/16)
  • 【題名】第二章 日常生活篇 ― かさ地蔵・【著者】発行人(sato)(2001/12/09)
  • 【題名】第三章 発行人の【ぼろ酔い雑記】・【著者】発行人(sato)(2002/03/08)
    ・・・・・【ぼろ酔い雑記#1】 某月某日:新宿の『文壇バー』にて (2002/02/09)
    ・・・・・【ぼろ酔い雑記#2】 某月某日:「人間学アカデミー」終了後 (2002/03/08)


    【題名】第一章  学校篇 ― ツルの恩返し・【著者】発行人(sato)(2001/11/16)

    第一章 目次
  • 口上:わたしは「コレ」で学校を辞めました
  • 教師の「勝ち組み・負け組み」とはなんの謂いぞ ――新学習指導要領のウラ読み、深読み、斜め読み
  • 「ヘンな子」は守られているか
  • 蛮勇をふるってあまたの「精神科医」殿へ

    口上:わたしは「コレ」で学校を辞めました

    ・この四月をもって、わたしは二十一年間勤めた養護学校教員を辞めた。
    残すところあと十二年。十二年は無理でも、もう五年も辛抱すれば、経済的にはひとまず「安泰」のはずではあった。しかしその五年は、これまでの二十年に十分に匹敵する、そのような時間に思いなされたのであった。
    ・人様にとっては、あっ、そう、てなもんだろうが、しかしわたしにとっては、まあそれはそれはおおごとだった、ということになる(はずである)。辞めた理由は何か。ときどきそう訊かれる。時間がない、いまそう記したばかりなのだが、そこからさらに突っ込んで考えると、正直にいって、自分でもよく分からなくなる。
    かなりくたびれてはいたが、50を真近にした身ともなれば、そんなことは当たり前である。だから、さしたる理由とはならない。20年以上も同じ仕事を続け、飽きてきたのだ、などとは口が裂けても言えないし、「懲戒免職」なんぞになって退職金がもらえなくなる前に、などと言うのも、あまり上品な言い訳ではない。ただ、そろそろ潮時だな、とは感じていた。

    ・教師業が嫌いだったのかといえば、決してそんなことはない。子どもと一緒にいること自体は、まったく苦ではなかった。特にわたしの生徒たち(以下、断らないかぎり、言うところの知的障害をもつ子どもたちを指す。この「知的障害」というのもひどい言葉と思うけれど)とは、とてもウマが合う、と感じていた。特有の難しさはあるが、そんなことはほとんど気にならなかった。むしろ、ある意味ではとてもリラックスして彼らの前に立つことができた。  わたしはときどき、他人の言葉がうまく処理できなくなることがある。滝川一廣さんとの『「こころ」はどこで壊れるか』でも、つい告白しているが、関係念慮、というやつである。小中学校で経験した講師のときには、けっこう疲れた。言葉はお互いの意図を離れて刃となり、自分をも相手をも切る。小学生といえど、いや小学生だからこそ、油断はならない。中学生ともなれば尚更である。まして相手は、言葉がときには刃となるなどとは露考えたことのないお子様たちであり、こちらは教師である。露骨に顔に出すわけにもいかない。
    ・だからわたしの生徒たちと初めて遭ったとき、この子たちとは大丈夫だ、とすぐに感じた。ことばのない子がほとんどで、あっても片言、あるいは裏も表もない、そのまんまである。かえって、他人の言葉を深読みウラ読み、斜め読みする、わたしの悪癖が(よく言えば繊細さデス。人を顔で判断してはいけない―笑い―)、ことばのない彼らのあれこれに、それなりに反応しえたのだと思う。だから、他の教員が避けたがる子でも、まったく苦にならなかった。むしろ、大変だ大変だとみんな騒ぐけど、そうかいな、という感じだった。これを自画自賛という。
    ・しかし教師の仕事は子ども相手だけではない。ほとんどどうでもいいような仕事が(としかわたしには思えなかったが)、山積している。右から左へと片付けるようにしてはいたが、中間管理職的な仕事も増え、そこに人様の「右から左」も加わるようになった。するといろんな人様がいる。おい、おい、マジかよ・・・と書いていくとしようもない話になるので止めるが、そんなこんながつもり積もって、もう潮時だな、という感じだった。

    ・いっこうに「潮時」の説明になっていない。どこが「そんな」でどれが「こんな」だ、と言われかねないことは承知である。少しだけ書く。
    ・たぶんわたしは、命を救われたツルであった(「鶴」と書くほど美麗ではないので、「ツル」と記すが)。救ってくれたのは、「特殊教育」という現場である。それまで勝手気ままに生きてきたわたしは、自分がいまだ「何者」でもなく、また「何者」になるべきなのかさえ分からずに、二十代の半ばをすごしていた。そのときに幸いなことに、「特殊教育」という場がわたしという人間に一つの「輪郭」を与えてくれた。しかし、わたしは人間ではなく、実は「ツル」であった。
    ・養護学校教師なる職業を続けながら、これだけは手放すわけにはいかない、と感じ続けてきたものがある。それはある種のアマチュアリズムとでもいうものであった。 わたしはまず、あの「共に学び共に育ちあう」といった類の、教師業界特有のスローガンには、最後まで慣れることができなかった。むろん学校教育から「建前」を取るわけにはいかないから、それが話題になる会議の席では、努めて聞き流すようにしてきた。あるいはまた、現場用語の並んだ「指導案」や「実践記録」なるものの画一的な表現にも、どうしてもしっくりとなじむことができなかった。
    ・また、うまく言えないが、子どもを「指導の対象」として、割り切って自分のなかに位置付けることにも抵抗を感じていた。ハンディギャップを持つ子どもたちだからなおさらである。彼らの過半は、高等部卒業後、作業所や施設でその人生を過ごす。そんな彼らにとって、わたしと過ごす一年という時間にはどのような意味があるのか、と考えていたフシがある。そのこだわりが、「割り切り」をよしとさせなかったのだと思う。それは甘い、プロ失格であると言われるなら、まさしくそうである。

    ・業界用語に慣れ、子どもは「指導の対象」と自らの教育信念?のもと、さあ右を向け、次は左だと関与する技術を磨いていくことがプロであるならば、わたしはプロではなく、最後までアマチュアであった。甘さを残したシロウトであった。つまりわたしは人間になれない「ツル」であったのだと思う。
    ・しかし「ツル」にも「ツル」なりの義侠心はある。できるかぎりの「恩返し」はしなくてはならない。以下に、第一章として、「恩返し」をめぐるであろうあれこれを、当ホームページ用にまとめてある(はずである)。
    ・初出はとくに記していないが、折にふれて書いたものを書き直したものであり、楽しんでご一読いただけると幸いである。題して「第一章 学校篇―ツルの恩返し」。 (2001.11.16)


    教師の「勝ち組み・負け組み」とはなんの謂いぞ
    ――新学習指導要領のウラ読み、深読み、斜め読み

    ・最初は、次年度より実施となる新学習指導要領について。
    ・新学習指導要領改定の目玉は、「総合的な学習」の導入、「ゆとり」の名のもとで、内容が三割減。(特殊教育にあってはここに「個別の指導計画」なるものが、さらに加わる)。教師以外、関心はない? 聞き飽きた? そうおっしゃらずに、しばしお付き合いいただきたい。
    ・なぜならば、今回の改訂は、今後、現場の教師たちを苦しめていくのがはっきりと見えている。「学級崩壊」三割などと物騒なことが言われるなか、教師たちはさらに難儀なことになっていく。しかもその難儀さは、社会の動きと密接につながっている、決して他人事ではないのだ、というわけで、改定の真意(?)を明らかにし、せめてもの一助となることが、ここでの「恩返し」である。

    ・ご存知の方もおられるかもしれないが、「総合的な学習」には決められたカリキュラムはない。また示すつもりもないと当局は言っている。「生徒の興味・関心を生かし、自ら進んで学ぶ意欲を育て、地域や学校の特性にたった幅広い観点から創造的な授業作りをするように」とだけ示され、このことによって個性ある学校づくりを、というのがうたい文句である。たいへんけっこうなスローガンではある。
    ・しかし教科のカリキュラムが決められた小中学校であっても、単純に教科を組み合わせればよい、というものではない。先の文科省の方針だけで「総合的な学習」とやらが具体的にイメージできた教師は、おそらく大変な才能の持ち主である。ほとんどの教師は眼が点になったはずである。
    ・しかも「ゆとり教育」の名のもとで基礎教科の時間は削減され、習得内容は三割減、しかし基礎学力は落とすな、足りなかったら「総合的な学習」で補え、と。これでは、両足を縛ってサッカーをやれと言われているようなものではないか。
    ・教師がもし新学習指導要領に忠実に従うなら、両足を縛ったサッカーを続けなくてはならない。今でも精神失調で休職を余儀なくされる方々が増えているのに、文科省はそんなダブルバインド(懐かしい言葉だネ。漢字にすれば四面楚歌?)を課して、さらに追い込もうとしている。

    ・しかしそれ以上に危惧するのは次の点である。
    ・カリキュラムがなく、学校自らが主体的に作成するということは、ウラを返せばどういうことか。その成否の責任はすべて学校にかかってくる、文部科学省も教育委員会も、責任は取らない、しかし「評価」はする、そのようなことになるではないか。新教育課程の説明会なるものに参加した経験をわたしはもつが(何せ、中間管理的だったので、動員された次第)、真っ先に感じたのはそのことであった。「ここにはウラがある!」と。
    これは邪推だろうか。深読みウラ読み斜め読みの、いつもの悪癖にすぎないのだろうか。しかし、役人・官僚なる種族が、いかに責任を取らない体質を持つかは、すでに衆目の一致するところである。「ゆとり教育」は、決して基礎学力をないがしろにするものではない、などという最近の寺脇某氏の発言など、その最たるものである。

    ・それだけではない。学校運営や学校教育についての明確な展望を持つ校長ならば、スタッフの編成、授業のアイデアについてのディスカッションのもちかた、地域との連携等々、むしろ腕の見せ所だとなる。つまりは、学校長の危機意識や意欲、能力しだいで学校間格差が広がることになるのは必定である。そしてその学校間の格差は、管理者自身への「評価」となって、直接跳ね返ってくる。言い換えるなら、学校の「勝ち組み・負け組み」を、自ずと生み出してしまうことになる。
    ・そのような「評価」は、これから年を追うごとに、あるところでは如実に、あるところでは見えないかたちで厳しくなっていくはずである。さてそのとき、学校長が自身に向けられる「評価」をどう受けとめるか。その受けとめかた次第によっては、責任の向けられる矛先が、結局は教員一人一人、ということになっていくのではないか。わたしはそのように危惧するのだが、これは杞憂だろうか。
    ・しばらくは模索状態が続くことになるのだろうが、「総合的な学習」の比重は、今後、大きくなっていくはずだし、その準備だって相当なものになる。苦労多くして、実りの少ないものとなりかねず、「スリム化」がうたい文句の今回の改訂は、教員にとってはスリム化どころか、難題がまた一つ増えたというのがわたしの感じるところであった。

    ・小中学校ではなじみがないだろうが、養護学校に導入された「個別の指導計画」なるものについても少しだけ述べたい。
    ・「個別の指導計画」とは、言うまでもなく発達の段階に応じた子ども一人一人のプログラムである。子どもの教育プログラムが整備されていく。こんな結構なことはないし、教育サービスを提供する側にあっては当然のことである。むしろ遅かったくらいだと言う意見もある。わたしもそう思う。しかし、そのためにはなかなかの力量を要する。教員間での話し合いに、相当な時間を割かなければならないし、観察や話し合いで得た情報をどう整理し、どうプログラム化するか、これまた少なくない時間を必要とする。
    ・仕事量の問題だけならば、「いろいろ面倒な仕事が増えて大変だな」とわたしが言い、「途中で現場からトンズラしたおめえに、言われたくねえよ」と返され、とりあえず話はすむ。しかし「個別の指導計画」を作成することは、ここでもまたウラを返すが、教師の力量が如実に測られ、それが結果として残ってしまう、ということでもある。
    いや、教師の仕事量が増え、力量が測られるだけならば、いくらわたしでも、ここまではいきり立たない。この流れの向こうに何が見えるか、ということなのである。

    ・昨年度より、東京都では「人事考課制度」なるものを導入した。「教職員の意識改革と資質向上、能力開発・人材育成」などの目的で、都教委が制度化したもので、教員の業務成績を評価し、それを給与や異動などに反映させようというものだそうである。
    誰がどのように、なにを見て評価するのか、いろいろ面倒な議論があるようだが、当然である。しかし大阪府などでも導入されようとしているから、決して対岸の火事ではない。少しずつ増えていくことは避けられない、とわたしは見る。教員の職務意識や力量の見直しも兼ね、ある時期になったら「免許状の更新」が必要ではないか、という声も、どこからか出ていた(これは結局見送られることとなったが)。
    加えて、「不適格教員」は教諭職から外し、事務職その他、別分野への配置換えができる仕組みが制度化され、この三月の人事異動より実施されるのだともいう。ここにも教師の振り分け、つまり「勝ち組み・負け組み」をつくろうとしている兆しをわたしは見る。 二十一年間勤務したが、わたしはとうとう最後まで養護学校教員の免許状を取得しなかった。単位認定講習に参加したのも一度きり、二単位しか取っていない。こんなことを書いて自慢したいのではない。それは「目に見える事実」であり、「目に見える事実」でしかひとは評価しないと、そのむかし「指導」を受けたことがある、免許を取れ、と。それに従わなかった者が、どう業務評価されるのか。免許状をもっていないこと、また取得の意志がないこと、これは決定的だろう。
    ・ところで、そうした自分を棚に上げてエラソウに言わせてもらうならば、子どもとの治療的関わり、教材・教具の作成を含めた授業作り、子どもを見る眼(養護学校にあっては発達的・症例的な視点)、その三つが教員の三本柱だろうと考えている。そのどれかにスペシャリスト的に、あるいは全体にジェネラリスト的に自身の力量を磨こうとすることは、やはり必要だろうとは思う。教員間に、うまい形で競争原理が働くシステムが、もう少しあってもいいとも思う。そして、仕事に応じて給料がもらえるというのも、個人的には嫌いではない。
    ・しかし制度化されるとなれば、話は別である。都教委が導入したようなかたちが、競争原理を機能させることになるかどうか、「能力開発」になるのかどうか、わたしにはきわめて疑わしい。いくら「上」の方で、研修せよ、資質の向上と能力の開発に努めよ、と号令を発し、制度化したとしても、受け手の側にその必要性を支える動機と、内的な積極性がなければ、ただの押し付け。押し付けられたものは付け焼き刃である。
    ・が、しかし、今後ますます成果第一主義の方向に進んでいくことは間違いない。生き残りをかけているのは企業だけではなく、学校業界もまた同様である。小学校にあっても、品川区では区内を大きく分け、その中から行きたい学校を選ぶ制度を発足させている(自由選択制度)。児童・生徒の確保は、これからますます激しい競争にさらされていくだろうし、その傾向は避けられない。
    ・そのときにものを言うのが、「総合的な学習」(と「個別の指導計画」)ではないか、とにらんでいる(先の品川の小学校はそうであった)。どれだけ質の高い「総合的な学習」(と「個別の指導計画」)が用意されているか、それが学校の「売り」になる。ということは、教員を評価する物差しとして使われないという保証は、どこにもないということである。
    ・いや、さらにウラ読みをするならば、「総合的な学習」(と「個別の指導計画」)によって学校間を競わせ、教師をも競わせる。成果主義による業務評価という動向を文部科学省が目敏くにらんで、いわばセットとしてもち出してきたのではないか。責任をすべて現場に負わせるようにして・・・。
    ・ある記事によれば、成果主義を導入した企業では(どれくらいな割合を占めるかは、その記事には書かれていなかったが)、トップが責任を社員たちに負わせ、結果、社員たちは成果の出やすい仕事のみに専心したり、上司の顔色を窺ったりするようになるなど、モラルダウンがはっきりとあらわれ、企業成績の下落さえ起こった、という報告があった。それがすべてではないだろうが、あり得ることである。
    ・けれども成果主義や競争原理が健全に機能するためには前提がある。トップを始めとして、一人一人が、自身を責任主体として認めるという、本来の意味での個人主義が行き渡っていること。これである。個人主義が根付かないこの国で、成果主義が責任のなすりあいにならないことを、願うばかりである。
    ・世間から見て常識を疑われるような、教員の意識や勤務のありようは正されて然るべきである。しかし生き残りをかけるあまりの成果第一主義に走ることは、教育の肝心のところを殺してしまわないか、などという危惧は、わたしが牧歌的この上ないことの証しかもしれない。そんなわたしの感慨などは何ほどのものでもなく、学校も教員も、サバイバルの時代に入ったのだと改めて思う。
    ・それが新学習指導要領の告げる裏面である。


    「ヘンな子」は守られているか

    ・わたしが今もっとも関心を持っていることの一つに、「広汎性発達障害」と呼ばれる子どもたちの存在がある。
    ・この問題はしかし、「障害児」という狭い流域のなかで考えるのではなく、もっと大きな社会的背景を考慮に入れてこそ、よく扱いうる問題なのではないかと思う。これまで考えられてきた「障害児―健常児」という枠組みの、ちょうど両方にまたがるようなかたちで問題があらわれてきている、とわたしには思えるからである。
    それは精神失調の境界線が下がり、「うつ病はこころの風邪です」などというコピーが新聞に登場するようになった時代の、ある傾向と対応している。

    ・広汎性発達障害、簡単に言えば、知的遅れのない自閉症の子どもたち、あるいは知的遅れはないが、コミュニケーションや社会性において失調的な現われを示す子どもたちの総称と、とりあえずは押さえておこう。行動、情緒、コミュニケーション、社会性などにおいて、なんらかの偏りを示す子、と考えていただいてもよい。むろんこれは厳密なとらえ方ではない。
    ・わたしは単純に高機能自閉症、アスペルガ―症候群、ADHD(注意欠陥多動性障害)などとカテゴライズされる子どもたちを思い浮かべているのだが、「ICD―10」や「DSM―W」による分類を受け、その概念の振り分けがなされている。近接領域の整理、各カテゴリーの構造的関連などについては、医療者・研究者による諸説入り乱れているのが現状のようである。
    ・それを整理してここに差し出すことが目的ではない。またわたしにできることでもないし、専門家以外、さして益があるとも思えない。あくまでも「教育現場」の観点に立った問題提起、あるいはその中間報告のようなものだと読んでいただければ幸いである。
    彼らの存在は、学校現場において少しずつクローズアップされてきてはいる。しかし、今後、早急に本格的な取り組みを要すべき問題であるということは疑い得ない。
    ただししここには、いくつかの問題点がある。

    ・まず、「ちょっと変わった子」なのか、やはり特別な治療的教育を要する子なのか、その見極めが大変むずかしい。シロウトが(つまり学級担任が)、生齧りの「DSM」を安易に振り回し、クラスに適応できない子を「なんとか障害」であるとして排斥しようとする、これは、何考えてんだっ! と言うべき行ないである。
    ・しかしまた、何らかの発達障害をもつ子であれば、クラス集団への適応のみを目的とした「教育的配慮」は、その子を大変厳しい状況に置くことになる。できるだけ早期の適切な対応が必要なのだが、そのとき児童精神医療を専門とする信頼できる精神科医が、周囲にいるかどうか。責任を持ってそのような情報を提供してくれる、福祉士なり養護教諭なりが、身近にいるかどうか。
    ・そしてここに、児童精神科を専門とする精神科医がまだ少ない、という事情が加わる。おそらく専門医にとってさえ、アスペルガーなのかADHDなのかの診断はた易いことではないのではないか。子どもの臨床経験の少ない精神科医には尚更であるだろう。

    ・二つ目は、その受け皿である学校現場の完全な立ち遅れについてである。知的な遅れを伴わないから、養護学校ではなく、小学校の養護クラス(特殊学級)、もしくは普通学級が「適」と判定されるだろう。わたしは少しずつ取材を続けており、のちほど紹介するが、担当教師たちの苦労は察して余りある。熱心な取り組みをしている方が増えているだろうとも思う。しかし、全体から見ると、やはり危惧を覚えるというのが実情ではないか。
    むろんこれは、すべてが教師の責任ではない。養護クラスに専門的教師を配備するという当然のことを怠ってきた、教育委員会、文科省の不手際である。 おそらく今後、中学部、高等部段階になって養護学校へ、という経過をたどるケースが増えて行くことが予測されるが、養護学校においても未知の領域であるという事情は変わらない。つまり彼らは適切なケアのなされないまま、義務教育段階を過ごす例が過半ではないかと危惧されるのだ。

    ・三つ目は情報不足や無理解は学校だけではない、社会一般がそうなのだという現状である。結果としてそれは、気づくまで、他の知的障害や自閉症の子よりも時間がかかってしまうということになる。むろん早期発見、早期療育は、現在かなりの進展を見せている分野であると言われる。しかし小児科に連れて行ったところ、もっとしっかりしつけをしなさいと注意され、返されてしまったというケースをわたしはいくつか読んでいる。 ちなみに精神科医の清水康夫氏が、「早期発見の時期による発達障害のタイプ分け」として、次のような指標を示している。
    (「こころの科学」73・1997・5)

    T 0歳代      染色体異常、先天性代謝異常に起因する発達障害
    U 0歳〜1歳代  精神遅滞
    V 1歳〜2歳代  一部の精神遅滞・自閉症
    W 3歳〜5歳代  一部の自閉症・発達性障害・学習障害

    ・言うまでもなく、医療の側から見たもっとも発見の早い時期がここに記されているのであり、これはおそらく、現在の医療水準だと受け取っていいものである。それでも三歳を過ぎるまで待たなければならないのである。
    ・ところで、わたしが取材した例で精神科医の診断を正式に受けた時期を見ると、小学校の四、五年がもっとも多かった。統計にはあたっていないが、おそらくこの四、五年という数字には、医療の基準とは別の理由があると思われる。
    やんちゃな子ども時代から少しずつ落ち着きが出始め、少年期へと移行する時期、それが小学校の四、五年である。そのときになっても、まだ落ち着いてくれない、いやますます目に付いてくる、そこでやっと親が腰を上げる。それがこの四、五年という数字になってあらわれたのではないか。
    ・できるだけ早い時期に専門医の診断を受け、適切な療育を受ける。これはその通りなのだが、「あなたのお子さんは、なんとか障害なので、すぐ相談に行くように」と言われ、「はい、そうですか」と簡単に答える親はいない。早期発見とともに、保護者にもケアが必要なのである。

    ・四つ目。ほとんどの子が、その特異な行動ゆえにいじめられたり、からかいをうけたり、その他、さまざまなストレスを抱え込みやすいということ。
    ・そこには、彼ら独特の「反応」がある。最初からいきなりいじめられるわけではないはずで、対等のけんかからはじまり、しつこさ、突発性、手加減のなさ、ピントの外れる応答などにより、次第に相手にされなくなる。そして、排斥され、常習的なからかいやイジメへと移っていくパターンが多いのではないか。
    ・何を言いたいか。通常のイジメへの対応とはまた別の難しさがある、ということである。非は彼にある、なぜ彼を叱らないのか、と相手の子どもに詰め寄られたとき、どう対処すべきなのだろうか。彼は、ADHDという障害をもっているから、我慢しなさいと言えるかどうか。あいつは「障害児だ」と言ううわさがあっという間に広がるだろう。 ならば、と本人を説得して、それで収まるなら苦労はいらない。残念ながら、おんなじことがくり返されるはずである。
    ・わたしのノートを少し引いてみる。

    ・A君 小六男子。四年のときADHDと診断される。弟との喧嘩の仕方を見て、母親もおかしいと感じていた。投薬中であるが、医者から思春期に入ったので止めるようアドバイスを受け、減らしているところ。算数は苦手だが、他教科は普通。いったんいじめられると、相手が謝っても許せなくなる。被害者感情が強く、やや病的な印象さえある。友だちもだんだん離れている。常に誰かを自分にとっての悪者にしており、「あいつが自分を目茶目茶にした」などと言う。低学年時代(診断と服薬以前)は、教室の中をチョロチョロして、授業中も座っていられなかった。(報告・担任教師)

    ・B君 きわめて衝動性が強く、場面、時間などいっさいおかまいなしに、突然いたずら気分で相手にちょっかいを出したり、殴ったりする。やり返されると一気にテンションが上がり、相手が引くまで止めない。力の加減も知らないようで、大きな石を持って向っていたりする。周囲にも問題があり、本人がやっと落ち着いたと思っても、今度は周りが火をつけてしまう。(報告・養護教諭)

    ・A君は多動性が投薬によって抑制されているが、コミュニケーションに関してはやはり偏りを示す。被害者感情が強い、とだけ報告されたが、ここはもう少し知りたいところである。文献を読むと、「友達がいるか」と訊かれ、「相手がどう思っているのか分からないのに、こちらの方から勝手に友達であるかどうかは言えない」と答えるなど(藤川洋子)、きわめて特異な「考え方」をする例が報告されている。
    ・「0,1」のデジタル思考といおうか、報告者は、感情の起伏が読み取れなかったと記している。この鋭角性が消えていくことが、治癒とか適応といわれることなのだろうとも書く。A君の「被害者感情」というのも、もう少し細かく観察してみたいところである。

    ・B君は、母親が納得せずに、医者の診断は受けていないという。わたしは、B君はADHDかも、と思った。むろんシロウト判断である。話題はそこから保護者への対応の難しさ、というテーマに移ったが、早期に医療機関を訪ねることは重要であるが、その対応がいかに慎重を要するものか、わたしは改めて痛感することとなった。

    ・ここから次の問題となる。保護者がわが子の「障害」を受け入れることの難しさもそうだが、子ども本人の問題も、ここには控えている。彼らに知的な遅れはない。従って自分に向けられた言葉を理解する。結果、一歩間違えば、子どもをぎりぎりまで追い込むことになりかねない。
    ・医者が不用意に診断名を本人のいる前で告げ、自分は障害者であると悲観して自殺したという、悲しむべき記事があった(『週刊朝日』2001・10・19)。以下にそのやり取りの部分を引用するが、あくまでも週刊誌の記事であることを念頭にして読んでいただきたい。

    問診票を見たZ医師は母子に向ってこう言ったという。
    「注意欠陥多動性障害と診断されたのは1年生のときだね」
    突然の告知に母は言葉を失った。W君は青ざめ、「ママ! 僕はそんな病気だったの?今まで隠していたの?」と大声を上げた。だが同じ席でZ医師は、「自分はADHDの専門医ではな い」とも言ったという。Xさんは即座に診察室を出た。

    ・W君、小学四年。その後母親は懸命に説明し、説得するが、泣き叫び、荒れ続ける。そして五ヵ月後、遺書を残し、マンション十二階から飛び降りている。記事が事実なら、この医師は最低限なすべき配慮を怠っている。(記事には、医師を紹介したこどもセンター、学校、県児童課、市教委による「責任逃れ」の部分も出てくるが、ここでは触れない)。
    こうした例が多い、などと言いたいのではない。
    不幸な事態を二度と招かないためにどうするか。精神科医のみならず、子どもに接する大人たちすべてが肝に銘じておくことがここにはある。

    中高年男性の五人に一人が「うつ病」だといわれる時代である。大人なら、そうか自分は「うつ病」の気味があるのか、ですむ。しかし子どもはそうはいかない。分類という作業は、やり始めると、どんどん細分化していくという性格を内にはらむ。その結果が五人に一人の「うつ病」候補者の登場である。 ・「DSM」にももまたそのような一面がある。ある種の客観性、それに対応する細かな治療などの「功」があることはわたしも認める。しかし、細分化するほど、そこに拾いこまれる数も増えていくことになる。人よりテンポの遅い子、ひどく片付けの下手な子、忘れっぽい子、好き嫌いの激しい子、関心の移りやすい子、確かにそれは「ディスオーダー」ではある。
    ・しかし、そうやって拾いこまれ、やがて子どもの五人に一人が、「なんとか障害」であると言われる時代がくるかもしれない。するとまたマスコミは「障害児が増えている」と騒ぎたてるのだろうか。
    むろん広汎性発達障害の問題が、このこととイコールではない。しかしまったく無縁でもない。わたしはまだ取材を始めたばかりであり、これ以上の言及は控えたいが、現代に固有の傾向を背景としているのはまちがいないのである。
    くり返すが、これまでの「障害児―健常児」という単純な二分法的思考では、もはやこの問題は扱えない。そのためにも、制度の整備、人の育成、そして正しい情報を広く提供するなどの作業が急がれるのだ。そのようにわたしには思われてならない。


    蛮勇をふるってあまたの「精神科医」殿へ

    ・さて、ここでは蛮勇をふるい、精神科医の方々へのお願いを書き記してみたい。
    ・それは、現場教員と精神科医との、きわめて「幸福ではない関係」についてである。前節で「広汎性発達障害」について述べたが、そのこととも関連する。
    ・わたしの所属していた学校の高等部に、少数ではあるが、いずれかの「診断名」を持つ生徒を見てきた。精神科医のその「診断」がどのようになされたのかは分からない。おそらく「DSM―W」を用いたものと推測されるが、しかしその「診断名」はわたしを納得させなかった。広汎性発達障害を専門に研究する児童精神科医はまだ少数であり、おそらく単純に診断基準に当てはめたゆえの結果ではないか。わたしはひそかに、そのように考えた。
    ・こう書けば、精神科医の方々は、シロウト風情が何を言うか、と憤慨されるかもしれない。むろんわたしは、医者がスペシャリスト中のスペシャリストであることを十分に認めているし、敬意も持っている。しかし、医療者と、学校現場との関係は常に一方通行であり、ときには問答無用の、もっと言えば威圧的で「シロウトに何がわかるか」という態度の露骨な一方通行なのである。精神科医といえども、発達障害や知的障害の臨床がさほど多くない、という場合もあるだろう。そのとき、もっと現場の情報に耳を傾ける姿勢があってもいいのではないか。

    ・わたしが批判のための批判を書こうとしているのではないことは、ぜひ理解していただきたいと思う。 少し文献をひも解けば、医者の側からの教師への批判や注文はすぐに見つかる。確かに、たとえば自閉症の何たるかを知らずに、教師という特権だけで「無理難題」を押し付ける教師が少なくないことは、残念ながら事実である。そうした点への指摘は、現場の側が素直に耳を傾けるべきであると思う。
    ・そしていうまでもなく、医療の側からの、子どもたちの健康状態についての示唆は貴重である。発作のある子への日常的配慮、発作時の対応、薬物治療を始めるにあたっての諸注意、そうした情報は、現場教員にとって必須である。
    ・しかしわたしは、それに加え、それぞれの障害のもつ固有性のガイダンスを専門の医師より受けたい、精神医療的な観点がほしいと感じ続けてきた。しかし、そのチャンスはとうとうなかった。わたしは精神病理学の「お勉強」をしたかったのではない。現場に即した情報を求めていたのである。

    ・ここでいきなり断じさせていただくが、「障害児教育」とは、治療教育である。

    ・子どもとのかかわりそれ自体が、治療性を持つ、そのようなものだと思う。体を動かすことも(遊び体育、作業的取り組み)、芸術や文化に触れること(音楽、美術)も、物を作ることも、子どもにとっては治療的な意味を持つ。むろん「治療」という言葉にふくまれるものは単純ではない。その意義をよく知るためにも、精神科医の方々の手助けがぜひとも必要なのである。わたしはそのように感じ続けてきた。
    ・学校現場にあって、「発達」とはいうが、「治療」という言葉はまず出てこない。残念ながら、そうした観点を持っていないのである。わたしがこの十年以上私淑してきたのは淑徳大の宇佐川浩先生であるが、そのお話を聞いているうちに、きわめて治療的な意味合いを濃くふくんでいることに気がついた。それは、宇佐川先生が、精神病理学を出発としていることと無関係でないのではないか、と感じていた。
    ・幸いにして知遇を得ることとなった精神科医の滝川一廣さんや、その師である中井久夫氏の治療論を心がけて読むようになったのはそれからである。しかし、いかんせんシロウトの悲しさ、目の前にいる子どもたちは、てごわい。血となり肉となるには、もっと「現場的知」に引き寄せなくてはならない。しかしそのためには、精神科医の方々が「診察室」にいたり、「なんとか講座」や「講演」をその場とするのではなく、学校現場に直接入ってきていただかなくてはならないのである。

    ・そしてここからがさらなる蛮勇となる。
    ・現場の側が精神科医に抱いている印象のおそらく半分近くは、不信、不満である。しかしその声は、決して外に出ることはない。これまでだれも公にはしてこなったが、この事実をどれだけご存知だろうか。むろんこれは、わたしの狭い知見での印象である。まちがいであれば、すぐに撤回する。
    ・教師は、日々この子を見ているのは自分である、というささやかながらも自負をもって接している。実際、「その子ども」のことで、毎日、頭を張り巡らせているのだ。それに対し、精神科医は多くて週に一度、やもすれば数ヶ月に一度「診断」とやらをするだけである。
    ・それだけならまだしも、現場から見れば、いささかピントの外れたことをときには持ち出してくる。「お医者様はエライから表立って盾突きはしないが、子どものことは自分たちの方がよく知っている・・」。公約数的に要約すれば、そのような不満になろうかと思う。
    ・くりかえすが、医療の側も、積極的に現場の情報を得、教師の困っていることにもランダムに耳を傾け、一方的ではない交流を図っていただきたいものだとわたしは考えるが、いかがだろうか。まして広汎性発達障害と診断される子どもたちが増えることが予想される現在、わたしには、それはとても大事なことに思える。
    ・子どもたちにとって、教育の場こそ日々生きる現場であり、治療の場である。医療がそこをどうサポートするか、それがますます重要になってくるのではないか。
    ・精神科医の側が、これだから教師は、と見下し、教師も教師で、しょせん精神科医のセンセイのおっしゃることは、と不信を胸に溜め込んでいる、このような「幸福ではない関係」は、そろそろ終わりにしたほうがよいのではないだろうか。

    ・『発達障害の豊かな世界』の著者でもある杉山登志郎氏は、さまざまな「親の会」への参加を始め、教師や臨床心理士などとの「症例研究会」を実施するなど、「診察室」から積極的に外に出ている精神科医である。その杉山氏がこんなことを書いている。

    ・発達障害の大多数は現在でも根本治療は存在しない。それゆえに、障害児の治療の中心は治療的教育(療育)である。他の疾患では医療が中心で、医療を支える援助をCo−medical staff と呼ぶことがある。この同じことを援用すれば、発達障害児の医療機関の役割は、Co−educational staff として療育を側面から支える役割が求められる。
    (「発達障害の臨床における児童精神科医の役割」『こころの科学』94・2000・11) 

    ・杉山氏の主旨は、児童精神科医が、積極的に地域に出て行くことの重要性についてである。しかし、わたしが励まされたのが、子どもの治療にとって教育が主であり、医療はそのサポート役となることが明確に述べられている点である。言うまでもないことであろうが、どちらが大事かなどと、ランク付けをしたいのではない。
    ・杉山氏の論文において、幼児期の療育、小学校教育の重要性が強調される。くり返すが、子どもにとって、毎日が「治療」であり、その最前線をになうのが現場の教師たちなのである。そのとき精神科医の力が、どれほど大きいものか。わたしは杉山氏のような医師が増えてくれることを願う。
    ・しかし残念なことに、やはりここでも養護学級の貧弱さ、そのようにさせてきた教育委員会の不手際が批判される。積極的に教師たちとの交流を図る杉山氏をしてさえ、いまだこのことに触れずにいられないのだから、そうではない精神科医にあっては推して知るべしだろうか。
    ・しかしまた、氏をしてそのように嘆かせる原因が、教育行政の側にあることも事実なのである。杉山氏は書く。

    ・現在でもなお、養護クラスの担任の四割は養護免許を持っていない通常教育の教員によって担われている。昨日まで中学校の英語の教師をしていた教員が、小学校の重度の自閉症の担任となって、きちんとした教育が可能なものであろうか。(略)。教育でこのようなことが行われているのは、教育委員会が特殊教育というものの専門性を認めていない、さらには特殊教育というものをよほど甘く見ているからに他ならない。

    ・他人事ではない。わたしもまた、昨日まで古文漢文をやっていて、採用先が養護学校だというので、いきなり現場に放り出された身である。免許状をついぞ取得しなかったことも、別節で述べたとおりである(そこにはわたしなりの理由があるが、ここでは述べない)。
    ・いまでこそ福祉がブームだなどといわれて人も集まるようになっているが、二十年前にはそんなことはなかった。はっきりと書くが、養護学校は、小中学校で「使いものにならなくなった教員」が回されるところだと、暗に見なされていたのである。まさかとは思っていたが、「どうせ佐藤さんも、三年したら中学校に戻るんでしょう(新採教員は三年間は移動できない)」と、何度となく言われたものである。実際、「回されて」きたとしか思えない「人事」を目の当たりにしたのは、一度や二度ではない。
    ・こうしたことを続けているかぎり、専門分野の方々から、どうせ教員は、と思われるのは避けられない。医師はもちろん、理学療法士、臨床心理士などのスペシャリストたちが、どんどん養護学校の現場に入って行ってほしいという提言がここでの「恩返し」なのだが、現場の教師にとっては、それは迷惑この上ないことなのだろうか。
    辞めたから言えるんじゃ! と叱られるだろうか。
     

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    最終更新日:2001年12月09日