作成 (2002/05/19)
最終更新 (2005/07/29)
この節では、ダイビングコンピュータに使われる基礎的な理論を復習します。
良く似た用語などが出てきてややこしいので、まず整理しておきます。
これらの用語や考え方が、どういうふうに組み合わさるか、数式として表現され、計算を行うことができるか、が、追って説明される、本文章の主題です。定性的な話をまず、行います。
ここでは、不活性ガスとして、窒素のみを取り上げていますが、ヘリウムなどの混合気でも同じようにかんがえることができます。
ここで、バブル発生の条件は、体内窒素分圧と周囲圧で決まり、減圧が行われる条件は、体内窒素分圧と呼気窒素分圧で決まることに注意しておきましょう。
いきなりですが、潜水中に、体内にどのように窒素が溶け込むかを物理的に考察します。少々、式が多いですが、理系高校生レベルの数学ですので、がんばって読みましょう。大変ですが、最初に数式を立てて計算しておくことによって、後の見通しがよくなります。
体内にとけこむ窒素は、数式で現すと、どのようになるでしょうか。液体に溶け込む気体の溶解スピードは次のように言い表すことができます。
(*1) 気体が液体中に溶け込む溶解速度は、外気の気体分圧と液体中の気体分圧の差に比例する。
分圧とは、「気体全体の圧力×注目している気体の割合」とでも考えて下さい。私たちは、ダイビングコンピュータについて考えるので、特にことわり無ければ、窒素 (N2)の分圧を考えます。また、外気の気体分圧とは、水深に応じた圧力の圧縮空気である呼気中の窒素分圧、液体中の気体分圧とは、体内の窒素分圧とします。
呼気中の窒素分圧を pa、 体内の窒素分圧を p として、時間を現す変数を t として、この(*1)を微分方程式で現すと、比例定数 k を用いて次の式になります。
(式1) (dp/dt) = k(pa-p)
この式の意味は、体内窒素分圧の増加速度(=dp/dt)は、呼気の窒素分圧(=pa)と体内窒素分圧(=p)の差に比例する、ということです。(*1)をそのまま式で現していますね。
微分方程式を解いて、p と t の関数にして、グラフで考えてみることにしましょう。
paが一定の時、この形の微分方程式の解は、t=0 での体内窒素分圧を p0として、次の式で現されます。解き方は省略します。
(式2) p = pa - (pa-p0)exp(-kt)
重要な点を3つ示します。
一般には、2. のt=1/k を時定数としてアリガタがっているのですが、ダイビング業界の場合には、p=(pa-p0)/2 となる t=τ を、ハーフタイムとよんで重要視しています。
τからk への換算式を求めてみます。t=τを代入して、
pa-(pa-p0)exp(-kτ) = pa/2 + p0/2
→pa(1-exp(-kτ))+p0exp(-kτ) = pa/2 + p0/2
つまり、exp(-kτ) = 1/2 、すなわち k=-ln(1/2)/τ = 0.693/τです(ln(1/2)=-0.693を使った、ln は自然対数)。
水深100m に60分潜って、それから浮上して60分水面休息している時の体内窒素分圧のグラフを次に示します。体内を9個のコンパートメントに分けて、それぞれのハーフタイムは、5分、10分、20分、40分、80分、120分、160分、200分、240分で計算しました。
赤細線は水深(に相当する絶対圧)を現し、黄緑細線は、呼気窒素分圧を現します。太い線は、体内各組織の窒素分圧を現します。体内窒素分圧が 48mswになる時間を、各組織のハーフタイムと比較すると、正しく計算できていることがおわかりいただけると思います。また、各ハーフタイムにおいて、窒素が蓄積/排出されるイメージも沸いてくるでしょう。
前節での検討は、窒素の蓄積と排出は、同じ方程式(式1)で現していました。本節では、浮上時に、体内に発生するバブルについて考えます。
ダイビング時に浮上すると、体内に溶け込んでいた窒素が排出されます。体内に過剰な窒素が溶け込んでいると、浮上時に泡となって組織に詰まり、これが減圧症を引き起こします。
では、どういった条件で窒素が排出されたり、バブルが発生するのでしょうか?
一般的には、次のことが言えます。
ここで、2.の条件は、実際には、守ることはかなり厳しいことになります。水深2m(水圧1.2気圧)に5分潜ると、ハーフタイムが5分の組織では体内窒素分圧が1気圧になります。これ以上体内窒素分圧が上昇すると、水面まで浮上したときに、2.の条件により、溶けていた窒素が気泡となります。
実際の体組織は、そう、簡単に、溶けていた窒素が減圧症になる泡にはなりません。その度合を現すものとして、次の M値というものが使われます。
3. 体内窒素分圧が、M値よりも大きくなれば、溶けていた窒素は泡となって減圧商を引き起こす。M値は、おおよそ、周囲圧力+αというように表されます。
この、M値は、各組織によって異なります。ホールデンという人が提唱した値は、各組織毎に、次のようになります。また、M値は、水圧の絶対圧を P として、M=Ma+ΔM × Pという関数で現されます。ただし、表でのハーフタイムの単位は[分]、水深の単位、Ma値の単位は絶対圧でのメートル[msw]です。
水深が深いほど、気泡ができにくい、ということですね。また、ハーフタイムが短い組織ほど、気泡ができにくい(M値が大きい)こともわかります。
その周囲圧に対して許される、体内最大窒素分圧ということで、Maximum = M-Value と呼ばれているらしいです。無減圧潜水時間は、体内窒素分圧が水面でのM値と等しくなる時間です。体内窒素分圧が水面での M値と等しいということは、水面まで浮上しても、体内窒素分圧は M値を越えず、減圧症にならない、ということだからです。
組織番号 | ハーフタイム τ | Ma | Δ M |
---|---|---|---|
1 | 5 | 31.7 | 1.8 |
2 | 10 | 26.8 | 1.6 |
3 | 20 | 21.9 | 1.5 |
4 | 40 | 17.0 | 1.4 |
5 | 80 | 16.4 | 1.3 |
6 | 120 | 15.8 | 1.2 |
7 | 160 | 15.5 | 1.16 |
8 | 200 | 15.5 | 1.1 |
9 | 240 | 15.2 | 1.1 |
周囲圧とM値の関係を各組織毎に示したものが次のグラフです。ちょっとガタガタしているのは、計算の深度ステップを粗めにとったからです。キャプションが見にくいですが、だいたいの様子はわかるでしょう。
赤の細線が周囲圧=呼気圧、色太線がM値です。M値は周囲圧のすこし上をいきます。周囲圧が大きくなると、より上をいきます。
ここで、1つの時間と2つの深度が出てきます。
体内圧は、上に示した式2のとおりになります。上では、p: 時刻tでの体内圧、pa: 呼気窒素分圧、p0: t=0での体内窒素分圧でした。これを変形すると、
(pa - p) / (pa - p0) = exp(-kt)
この式を t について解くと、次の(式3)になります。
(式3) t = (-1/k) × ln ((pa-p)/(pa-p0)
一方、NDL は、同じ深度にずっといたとき(つまり paは一定)、水面まで直接浮上できなくなるまでの時間です。水面まで直接浮上できない、とは、体内窒素分圧が、水面でのM値(Ms)に等しくなるということです。つまり、(式3)において、体内圧 p が M0 になるまでの時間が NDL です。その時間は、(式3)の p に M0を代入して、(式4)
(式4) NDL = (-1/k) × ln ((pa-M0)/(pa-p0))
ここで、pa、M0、p0と ln の中身(pa-M0)/(pa-p0))の正負の間に次の6つの場合がある。時間とともに、p0(計算時点での体内窒素分圧)はpa(呼気窒素分圧)に漸近していくことを考慮して図とともに示します。M0、pa、p0の順序は 3×2×1=6 なので、6通りの場合分けがすべてです。
a. M0 > pa > p0 この場合は、paが浅いため、その深度でいくら潜っても減圧する必要は生じません。
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b. M0 < pa < p0 paがM0より大きいということは相当深いです。それよりもp0は圧が高い。
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c. M0 < pa > p0 下の A. からさらに同じ深度で潜水を続け、減圧が必要になった状態です。
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d. M0 > pa < p0 減圧が完了して浮上可能な状態です。
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A. pa > M0 > p0 まさしく通常の潜水です。このまま、p0がpaに漸近してゆけば、上の c. になります。
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B. pa < M0 < p0 窒素が排出されている状態です。このまま、p0がpaに漸近してゆけば、上の d. になります。
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当然ながら、(式4)の計算が有効なのは、NDLが正の、3. の場合(多くは A. の場合)に限ります。
通常の潜水のパターンとしては、次の遷移になります。
悪い子は次のパターンです。
まず、ある深度でのM値は次のように表されます。
(式5) M=M0 + ΔM × 周囲圧
シーリングとは、M=体内圧となる周囲圧のことなので、 式5のMに体内圧を代入して、
体内圧 = M0 + ΔM × 周囲圧
→周囲圧 = (体内圧 - M0)/ΔM
の周囲圧がシーリングとなります。
こいつは、他のに比べると簡単です。体内窒素分圧が、呼気窒素分圧よりも大きくなれば良いので、
体内窒素分圧 = フロアー深度 * 呼気中の窒素の割合
→フロアー深度 = 体内窒素分圧 / 呼気中の窒素の割合
うー、まだ検討していないので、宿題とさせてください。ただし、ここまで読んだ賢明な読者なら、もう計算方法はわかりますよね。
では、わりと現実的なシミュレーションとして、30m に30分潜った場合についてシミュレーションしてみましょう。赤い線が深度、緑の線が呼気窒素分圧、青の線がシーリング、ピンクの線がフロアーです。水色の線が NDL を表しています。NDL のみ、右側の縦軸をみてください。それ以外は、左側の軸で単位は[msw]です。
まず、シーリングライン(ピンク)が、深度ライン(赤)に漸近しているのがわかります。-30m からわずかに浮上すると、窒素の排出が始まります。体内の窒素濃度は飽和に近いから当然です。次に、NDL ライン(水色)とシーリングライン(青色)を見てください。シーリングラインが 10[msw(=1気圧)]を横切る時の縦軸の26分地点で、NDL も0分になっています。また、潜水開始直後の1分地点では、NDL は 24 分を指しています。すこし誤差がありますが、これらの情報が、ほぼ一致していることがわかります。
この計算では、NDLを越えてしまったので、5mで10分の減圧停止を含めています。ただし、この NDL の計算からは、減圧時間は出てきません。無限圧の範囲の計算しか正しくないことに注意してください。浮上限界はシーリングで示されている通りですが。
実際、ダイビングテーブルで 30m の NDLを調べてみると、NAUI のダイブテーブルでは、22分になっていました。まぁ合っていますね。
もう少し、シミュレーションを続けてみましょう。今度は、36%の酸素 64% の窒素を含む混合気で、同じパターンで潜ってみました。緑の線(呼気窒素分圧)が下がっていること、NDL(水色の線)が延びていること、結果、減圧となってないことに注意して下さい。
今度は、通常空気で潜ったあと、 30m 30分潜ったあと、50%の酸素 50% の窒素を含む混合気で、5m 10の減圧停止を行った同じパターンで潜ってみました。シーリングライン(青線)が、通常空気の減圧よりも(わずかですが)早くに回復しているところに注意してみてください。図で見ると 1ドットだけですね。30m の潜水では、減圧時だけ窒素が少ないガスを用いてもあんまり効果が無い、ということでしょう。
体内のハーフタイム = 5分の組織の窒素の窒素濃度を見てみましょう。これを見ると、多少早く窒素が抜けているようですね。
繰り返し潜水についても、同様に計算できるのですが、これは、読者への課題としておきましょうか。(書くのがめんどくさくなってきた)