KAMEでもわかる科学の話、他(ヨタ談)>ガキの玩具とオヤジ経済
初出 1995年ごろ

ガキのオモチャ

いかに面白いものでも、資本や政治が介入してくると恐ろしくつまらないものになっ てしまうというという実感はないですか。

つい10数年前まではテレビを買うと新聞紙くらいの大きさの紙の回路図がついて きて、サービスマン用にいくつかのテストポイントの電圧まで書いてあったり す る。小学生の僕はその不可解な記号を毎日眺めていた。粗大ゴミ捨て場に行 けば テレビやラジオが捨ててあって分解しては抵抗、コンデンサ、トランジス タなど を集めてきて工作するようになった。アマチュア無線を始めた時も、当 時は役所 がうるさくなかったので改造してみたりもした。

テレビに回路図がつかなくなったのはいつ頃からだろう。そのころから、電器 製 品が保証期間を過ぎると必ずどこか悪くなって、修理するより買い替える方 が安 くなったのではないか。どんどん回路が集積化され高信頼になるのに、半 固定抵 抗、電解コンデンサ、コネクタなどで寿命をコントロールするテクニッ クも高精 度になってきた。ICという黒いゲジゲジが回路図を覆い隠す比率も高 くなってき た。3カ月毎にでる新製品

たしかに、それで経済は発達するけれど。

同じことがコンピュータの世界にもいえませんか。 インターネットも良く聞く言 葉になってきた。資本が投下されビジネスオヤジ がインターネットに乗り出して きた。ガキの遊びにオヤジが首を突っ込むとシラ けるだけだ。会社の作っている Web サーバが面白いとは思えない。 インターネットの本質は、個人がメディアを 手にして、 今までの制約をこえてコミニュケーションをとることだったでしょう。

目的も無しに、時代にとり残される、とか、買えばこんなことができます、で き ます、の形にシフトしてきていると思いませんか。コンピュータなんて使え なく ても今まで大丈夫だった。テレビも見なくても困らなかった。

僕らは消費していれば良いのか。


20年後も使っていたいというものを、あなたは持っていますか。


近藤靖浩