奥湯野「水車の里」 水車の達人 河村賢助さんインタビュー


 湯野温泉から県道27号線を防府市に向かって10分程度奥に入り、奥湯野石砂谷の道沿いの左手に水車の里の幟り旗があります。
 恋塚滝にかかる水車の前に、「森の水車NHK山口放送記念」の立て札がたっています。小ぶりの水車が、山から流れ落ちる清水にくるくると回っています。


恋塚滝の水車遠景



奥湯野「水車の里」遠景

 そこから、歩いて2分の左カーブの広場に、水車の里の看板があり、ここに車を停めてガードレール越しに右下を見ると、川沿いの広場に水車2基と稲わら小屋、脱穀する人形、自転車をこぐ人形があります。この広場の下にある家が、水車作りの達人、河村賢助さん(81)の生家です。

 現在は、夜市西ヶ浴に住んでおられますが、田を2反作っており、ほとんど毎日こちらに来ているとのことです。

 急に寒くなった日で、生家の庭で焚き火に当たりながらお話を伺いました。冬は寒いところですが、夏には涼しくていいところですよと河村さんは話されます。


 水車を作り出したきっかけは、5年程前、孫が3歳の頃ですが、回るものを作って欲しいとせがむものだから、最初は風車を作りましたが、昭和30年頃まで生家の庭に水車があったのを思い出して、水車を作ろうと思い立ちました。精米機が各家庭に入り、耕運機やモーターなどで動かすようになり廃業しましたが、地域の人から請けて、動力に水車を使った精米機械で精米をしていました。庭の倉庫に機械が据えてあっって、その動力として倉庫裏に大きな水車がありました。水車は壊れてしまいましたが、川から引き込む水路は残っています。水車で力を出すには、たくさんの水が必要になるので、当時は、この水路一杯に水が流れていました。
水車造りの達人 河村賢助さん


初めて作った水車

 水車をいざ作りはじめると、知人や隣人から、素人が水車を作っても動くものにはならないからやめておけと忠告を受けましたが、若い時分、水車の修理等は手伝っていましたので、仕組みは分かっていましたし、水車の型も家に残っていたので、無事完成しました。山合からの僅かな水でもしっかり回っています。


 水車の軸は、壊れた農機具の部品を使ったりできますが、水車の輪板部分は木で作ります。扇面型の部品を切り出して輪にするため真っ直ぐな木では切り捨てるところばかり出てきます。風で曲がった木を探すのに苦労します。また、濡れた時と乾いた時の差があまり出ないよう木の赤身の部分を使って水車はつくりますから、材料費が結構かかります。

 水車を動力にからくりを作っていますが、動力伝達がなかなか難しいです。ワイヤーをベルトに使っていますが、雨ざらしのためよく切れます。今、動かないからくりもあるので、これから修理、整備をして行きます。子供等がきて、楽しんでくれたら嬉しいです。

 東日本大震災以降、水車を見に来られる方々から発電をしたらどうかと勧められますが、ダイナモが発電可能となるまで回転数を上げるためには、ギアを組み合わせた精密部品が必要となり費用がかかるし、水車の力も必要となりますが、この川の水量では困難なのです。

 毎年11月に開催される湯野ふるさと祭りは、湯野地区内外から300人くらい集まり

出店も出て賑わいます。水車の里を整備し、ふるさと祭りの一会場として使っていただき始めて3年になります。当日は地元からだけでなく石砂谷の出身者や戸田、夜市の方たちもここに来て、猪なべに舌鼓を打ち、楽しんでもらいます。また、今年は8月14日に、だいがら踊り保存会の人たちに来てもらい、ここで盆踊りを催しました。太鼓もここにあります。


 最近に作った水車は恋塚滝の水車で、NHK山口から水車を作る過程から撮影したいからと依頼されて、撮影に来た時にコツコツと作ったものです。軸には古い車力の車輪を使っていますが、言われて見ないと分からないでしょ。


NHKのドクメンタリー番組で作った水車


周南市徳山環境衛生連合会会長表彰

 河村さんは、本年6月1日に水車の里づくりなど地域の環境保全に尽力されていると湯野地区自治会連合会から推薦され、周南市徳山環境衛生連合会会長から表彰されました。河村さんは「地域の環境づくりは一人ではできません。湯野地域の皆さんの協力、盛り立てでできた水車の里の代表としてもらえたものですよ。」とおっしゃっていました。
 いつまでも若くやる気満々の河村さんは、西徳山いけいけフェスタの最初の頃の仲間で、まだ、夜までフェスタをやっていた時分のこと、片付けが遅くなって大変だったと懐かしい話に

花を咲かせました。自分たちの仲間が、水車の里作りということで、まちづくりをしている姿を頼もしく思いながらお話を聞きました。

       (吞くん記)